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第34話 オペレーション『エンジェル・ラダー』(下)



 神の座の簒奪を宣言した明星黎華。しかし、世界の支配者たるティアマトとその守護者であるクリック・クラックを前をしては魔法遣いたる彼女ですら死を覚悟せざるを得ない。この絶対者を前にしては隙を狙う無力な挑戦者でしかない。


「――まだだ!」


 トーチライト、彼女の言葉は明星も知っている。だからこそ、”今”。この今こそが運命を決する時ならば、諦めることなどしない。あの苛烈な彼女のように「まだだ!」と気炎を叫ぶのだ。


「まだ……まだ……ッ!」


 駆け抜ける。空間を斬る転移は封じられている。それでも強引に実行すれば短距離なら行けるから、繰り返して少しでも前に出る。


「甘いな。近づけると思ったか?」


 空間歪曲、クラックとティアマトに通じる道は見た目の何千倍にも引き延ばされた。これも破壊の魔法の応用……幾重にも変化する魔法の深奥。


「いいかげんにして。ぜつぼうしなさい、わるいやつ」


 ティアマトが冷たい目で睨む。蟲の勢いは変わらない――が、限界が来ている。空間を埋め切れていない。幾億、ではあるが数は兆にまで達しない。しかも考えなしに殺到させるせいで隙間ができている。


「まだまだまだまだァ!」


 切って切って切って。そしてできた道を進み。か細い糸の上を綱渡り、退路は蟲によって埋められた。今は耐えられていても、まだ距離は開いている。


「……あは。がんばるねえ、雑魚が」

「さっさと、あきらめちゃえばいいのに」


 二人の超越者は眼下を冷たく見下ろしている。


「ま――がはっ! く……まだ!」


 攻撃を避けきれなくて身体がいくらか削れらて、けれど更に距離を詰める。


「がんばるね。けれど、ここまで観察されて――その括りつけた箱に気付かれてないとは君だって思っていないだろう」

「そこにいるんだね。……うごくための、あしも、うでも、もってないなんてかわいそう。らくにしてあげるね」


 歪なパワードスーツ、そこにデザインとして融合している箱型には魔法少女を解剖して電極を埋め込んだ脳と臓器といくらかが入っている。

 魔法少女を犠牲にした、魔法を利用するためだけに人としてのあらゆる尊厳をはく奪して箱詰めした兵装だった。もはや彼女たちに正常な精神など一かけらすら残っていないだろう。それがティアマトに”見つかった”。


「――ぐうう!」


 破壊され、魔法少女の血肉と脳漿が漆黒のパワードスーツを汚す。けれど、それ以上に深刻なのが明星の肉体の消耗だ。

 それに魔法の力を失えば、対抗などできずになぶり殺しにされるのみ。箱をかばって怪我をして、そして(魔法少女)さえ失われてしまえば。


「さあ、瘴気の力は奪った」

「刀の子も、かいほうしてあげたよ?」


「さあ、もう一つしかないぞ」

「せいぜい、みぐるしくていこうして、私たちをたのしませてね」


 圧力が弱まった。明星に気付く余裕などあるはずもないが、楽しむためにわざと道を開けている。けれど、疲れていると言うのも確実にあった。


「いや、まだだ!」


 残る力は雷速。無理やり攻撃に転化して薙ぎ払いつつ前へ出る。


「――くふ。はは! 無様だな。魔法少女に実験を繰り返し、全てを操ってきた貴様がこの様とはな!」

「わるいことしたら、ばちがあたるんだよ」


 そして、終に最後の一つ。足に括りつけた魔法少女『アンビエント』を詰めた箱が明星の右足ごと破壊された。


「――あ」


 肺から空気が抜けたような音。もはや魔法はない。この二人にあらがう手段などどこにもなく。


「懺悔しろ。この世界に命を受けたこと、(ティアマト)に詫びながら逝くがいい」

「あーちゃんにあやまって。あと、しんで」


 倒れ伏した明星に.の頭に小さな足が二つ、乗せられて。そのまま踏み潰す気だ。止めはこの手で、なんて似つかわしくもない感情的な行動。憎しみに振り回されている。


「――この瞬間を待っていた!」


 明星は起き上がり、ティアマトの首を掴む。


「馬鹿な、魔法は使えないはず! この力、どこから――ッ!?」

「あ――ぐっ……ッ! なんで、生命が……」


 万力のごとく明星は力を込める。ティアマトには物理的な力は通じない。覚醒した魔法少女が相手では核爆弾さえ無意味なのだ。だが、だとしたら彼女を締め付けるこの力は。


「4枚目、だと。……っティーちゃん!」


 何かしらの手段で4人目を使っている。もう魔法少女の脳を仕舞っておく箱など、スーツのどこにも残っていないはずなのに。即座に理解を放棄して破壊の波動を叩き込む。


「動揺したな? クリック・クラック、貴様は弱い。ティアマトが居なくなれば貴様には何もできまい。復讐に走るだけの強さもない愚物――ならば!」


 スーツが壊れる。むき出しになった胸、そして腹。その白かった腹には見るもおぞましい手術痕が存在していた。輪をかけて狂気的な、見るものの瘴気を侵すような人の貌をした人面瘡。


「……お、お前。まさか」

「そうさ、これが私の最後の魔法『ラストディ』。その効果は老化、貴様には効くだろう? ティアマト。私とて、人の姿を保ったまま貴様に勝てるなど都合の良いことは考えていない。これで最後だ!」


 人の尊厳までも捨て去った醜悪な姿、これこそが答えだった。脳を仕舞っておくだけのスペース、それは人体の腹。臓器をかき出せばそれだけのスペースは空いているから。二度と食事も排泄も出来なくなったとしても、ただ勝利を求めたその結果。


「――やめろ。ティーちゃんが死ねば世界は終わる! この子が救った人類の9割は彼女の魔法がなければ生きていけない。それだけじゃない、残りの1割で文明の維持など不可能。いずれ滅ぶだけの人類を支配することに何の意味がある!?」


 クラックは動揺してほとんど魔法が発揮できない。

 これでは4つ目の魔法、老化などという能力で無理やり張った結界すら壊せない。だから、すがるように別の手段に訴える。世界が滅ぶと言う脅しだ。


「それがどうした? まだ研究施設は残っている。この私さえいればまた魔法少女を解剖して魔法を利用できる。そもそも、支配するには人類は数が増えすぎた。私は人類を破滅させた悪神を斃した神として世界に君臨する!」


 だが、その脅しすらも意に介さない。ここまで覚悟を決めた人間が正常であるはずがない。行きつくところまで行ってしまった、”覚悟”のある人間を相手にしているのだと――クラックはそこで初めて気付いた。


「そんなにうまくいくわけが……!」

「いくさ。この私以外に頼るものが無くなれば、いともたやすく人は私に屈服する。人間は都合が良ければ真実などいくらだって捻じ曲げられる生き物なのさ!」


 認めざるを得ない。斜にかまえて人を馬鹿にするクラックにこの論理に反論するだけの根拠がどこにもない。


「……ああああああ!」


 だから、泣き叫んで――ティアマトを掴む手に攻撃を加えるしかない。


「……あ。――っかは!」


 血を吐いた。それはマズい。とてもマズい。


(これは、肉体の損傷ではなく本体のフィードバック。アーティファクトに負荷がかかりすぎている。これまで受けてきたダメージが誤魔化しきれなくなっている……!)


 倒れ伏せて、もがいても立ち上がれない。身体の限界。魔法少女にとっては少々おもむきは異なるが、同じようなことだ。


「っは。何もしなくても貴様ももう終わりだなクリック・クラックよ。そこでおとなしく執着する相手が消えるのを待つがいい」

「……ぐ。貴様」


 どろどろとした感情が地獄の窯のように沸騰する。ティアマトを失ってしまったら、そんなことは考えることだってできやしない。魔法少女になったときには既に世界が滅んでいた。けれど、滅んだ世界を苗床に新しい世界を誕生させようにもクラックには何も思い浮かばない。

 ティアマトさえ居なければ、滅んだ世界で優雅に佇む冥界の住人で居られたのに。今はもう、人の暖かさを知ってしまってそこに戻ることもできやしない。彼女が全てで、全てが彼女だ。失ってしまえば破滅すらなく虚無に堕ちるだけ。


「ふふ。これで、私が神になる。全てを征服し、世界の頂点に――」

「貴様ァァ!」


 ああ、ティアマトが居なければクラックには何もなくなってしまう。復讐に走れるほどクラックは自立していない。すべてはティアマトのために。

 ただ一緒にいて、彼女の願いを叶えて上げられれば満足で。ティアマトのことだけ考えて、他には何も持っていない。


「殺す!」


 ゆえに、クラックが純粋な殺意を向けたのも。そして人を殺すのも――これが初めてだ。

 強大すぎる力を持つゆえにその必要がなく、そして人嫌いであるがために殺意を持つほど人に関わらなかった。その彼女が今、純粋に殺すためだけに力を振るう。


「……お前。力を消耗していたはず」


 明星の身体は下半身をごっそりと失っていた。防御に使っていた魔法ごとぶちぬいた。

 今のクラックの魔法の出力ではできないはずの芸当。戻っていた、魔法少女『クリック・クラック』が生まれたときの力まで。


「……あ」


 それを成したクラックは手で顔を覆っている。まるで、悪いことをした子供みたいに。


「ああ……ああああああ。こわしちゃった」


 ぽつりとつぶやく。普段の凛々しさも皮肉やな冷たい響きもどこかにやってしまった、こどもみたいにあどけない声で。


「こわしちゃった、よう……」


 ぐすぐすと泣き始める。


「枷を、砕いたか」


 明星の最期の言葉は研究者らしい、現状を分析しただけの言葉だった。そして散る。神に成らんとあらゆる非道を用いて、人類初の魔法遣いとなった彼女はごみのように打ち捨てられて。顧みられることもない。


「うう――」


 クラックはティアマトの方を見れない。彼女は今、気絶しているのだが――それでも。


「ごめんなさい。……ごめんね? ティーちゃん」


 ”絆を壊してしまった”。クラックとティアマトの歪な共依存関係の楔となっていた力を壊してしまった。クラックの力が全盛期である生まれたときまで戻っているのはそれが原因だ。

 サード・インパクトの戦いにおいて傷を負ったクラックを治すためにティアマトの魔法である生命を与えたはずが、実際には魔法と魔法が喰い合っていた。こと覚醒した魔法少女となれば他人の治癒魔法など毒でしかないのだから。それは結果的に両者の力に制限をかけるに終わったのだが、それこそを彼女たちは絆と認識した。

 人間嫌いのハリネズミ二人、人と関わることは痛いことだという勘違いの信仰。歪んでねじれた精神性が奇跡的にも噛み合って二人は仲良くなった。そして、アリスという疑似的な娘まで加わって。

 奇妙で奇矯で子供のおままごとみたいな家族ごっこでも、それでも幸せだった。どこまで歪んでいても、本人たちの認識の上では幸せな家庭なのだから。


「もう、もどれない」


 けれど、その絆はクラックが壊してしまった。他人から見れば、「いや関係ないでしょ」と言われてしまうようなことでも本人にとっては重大だ。それは一言で言ってしまえば宗教に他ならない。二人だけで共有する宗教。――教義を破ってしまった。

 ティアマトが与えてくれた生命はもう身体のどこにも感じられない。代わりに魔力はいくらでも湧いて溢れてくる。疲労もダメージすらも破壊して、世界を作り直す魔法少女としての力を十全に振るえる。

 こんなもの、まったく取り戻したいとも思っていなかったのに。


 敵を倒すためにあらゆるものを犠牲にする。明星と同じことをやってしまった。ここからの展望などクラックにはなく、倒した敵を前にただ途方に暮れていた。

 そして、欠落した精神は魔法の軛を外す。制御不可能な破壊の魔法がクラックから溢れ出した……


 ゆえに、これは世界の終焉。『フィフス・インパクト』が始まった。



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