第33話 オペレーション『エンジェル・ラダー』(上)
「……久しぶり、と言うのもおかしな話ですわね。私のことは顔こそ知っていても、名前も知らないでしょう? 僭越ながら、奏上しましょう。私は不明室室長、明星黎華――神の座を簒奪しに参りました」
入ってきた影が優雅に一礼した。電のごとく駆け抜け、そこに降り立つ黒いごつごつとした姿。……パワードスーツ、それはむしろ尽く殺されてしまった兵隊たちが使っていたそれよりもアンバランスで醜い滅茶苦茶な機能美の欠片もないゲテモノだった。
「――へえ。次元迷彩を施した空間迷路、最低でも50万kmは走らないとここにはたどり着けないと思ったんだけどな」
クラックは侵入者を見ても余裕の態度だ。空間をゆがませて作った迷宮は9割がた嫌がらせに過ぎない、そんなものを突破されたところでどうとも思わない。
通常の迷路ではない、視覚が意味をなさない迷宮。ゲーム的に言えば別のゲームデータと混ざった広大なフィールドと言ったところか。グラフィックデータとマップデータが別の、バグしかないRPGゲームを、地図もなしにクリアするものと言ってしまえばいいだろうか。
迷い込めば1万年かけても出れない迷宮ではあったが……所詮はそれだけのことだ。
「は。馬鹿め」
神の座を簒奪すると告げた彼女は一言で切り捨てた。明星はシルエットからして女だ。
部分部分で黒いスエットスーツ程度の薄さの生地がある。装甲なんていうものは考えられていないのが明らかだ。
そしてティアマトは彼女の素顔を覚えている。凛とした美人、いかにも研究者と言った近寄りがたい高嶺の花。時折学院にやってきては偉そうに指示していた人物だった。
「あんなものは迷宮と呼ぶのもおこがましい餓鬼のイタズラだ。たかだか5000㎞も走れば抜けられないわけなどあるまい。もう少し公式に工夫を凝らすべきだな」
クラックの想定の100分の1、とはいえそれでも地球一周の1割はあるのだ。それをこの短期間で駆け抜けることなど戦闘機だって不可能だ。条理を逸した現象、それはどう考えても魔法に他ならない。
彼女は魔法少女ではないというのに。
「やれやれ、手厳しい。専門ではないのだから、少しくらいお目こぼししてくれてもいいんじゃないかな?」
「お目こぼし? 私はただ貴様の勘違いをただしてやっただけだが」
「ああ、うん。そういうこと。では、僕も君の勘違いを一つ正してやろう。――僕は一人じゃあないんだぜ?」
「……ふむ」
クラックの背後に闇が凝縮して――
「おまえが、あの時あーちゃんを!」
ティアマトが叫んだ。
フォースの時、アリスが暴走したのは彼女の策略だ。直前にアリスに話しかけていたのを見ていた。いつの間にかいなくなっていたのを気にも留めなかったが、こうして相対すると黒い感情が湧き出てくる。幼いティアマトにそれを抑える術などない。
彼女の魔法は生命の創出、だが干渉もできる。ここに居る彼女は”人間”だ、それも幸運にも自前の命を持っている。しかし殺すことは可能、増殖ができるのなら弱めることだってできるのだ。それは禁じ手としていた手であり――そして、憎しみで人を殺すと言う初めての行為でもある。
「――くは! なるほど、”与えた生命を略奪する”という日本政府を脅していたその力! 幸運にもセカンドの被害を免れた私ならば効かぬと思っていたが、そういう使い方もできるのか!」
だが、苦しそうな声を出していてもそれだけだ。斃れたりはしない。何かが彼女の生命を維持している。たちどころに命を落とすほどの負荷がかかっているのに、二本の足でしっかりと立っている。
「……薬物による生命力の増加。たしかに魂は肉体とリンクしている。脳内の化学反応を制御することで防壁を張るのは見事だけど、僕のこれをただの囮と見てもらっては困るよ? 脅威のない手札に囮の効果がないことすら知らぬ阿呆だと思われるのは不愉快だ」
クラックの手の平の上で闇が凝縮されさらに変化、円盤と形成した。それを投げつける。それはあらゆるものを切断する力、これは現実の法則では突破不可能にして魔法でも神域に踏み込まなければ干渉できない。
「見え見えの軌道で!」
それは銃弾よりもなお早い。けれど、雷の軌跡を残して走り去る彼女には追いつけない。彼女は二人の力をよく研究してこの戦いに臨んでいる。
心理を研究してどのような手を打つかまで読み、さらにその対抗策まで準備済だ。
「それが?」
円盤が空間を潜った。空間を破壊しての瞬間移動、クラックがタクシー代わりによく利用していたその能力が宿っている。
相手を研究して戦法はお見通し? 来るのが分かっていようが津波を砕くことはできない。『ワールドエンド』の前に小細工は時間稼ぎにしかならない。
「……小賢しい!」
彼女の姿が消える。高速移動――現れては消えるのを繰り返している。
「なるほど、お前の移動法は移動中にはあまり自由が利かないみたいだな。いや、人間の特性かな? ドーピングしたところで脳内信号の伝達速度と言う限界点が存在する。人間のカタチをまねているだけの僕らとは違う」
そしてクラックは即座に相手の弱みを見抜く。というより、分析”しつつ”戦っている。
それは効率的に敵を斃す兵士のやり方でもなく、その嗅覚で弱点を嗅ぎつけ自らのやり方を押し通す戦士でもなく。既存とは決定的に違う”戦術”だった。
ただの破壊と言う魔法から幾億にも枝分かれする無限の戦法で相手を詰ませるため、正しいものを選び出すために実験と考察を繰り返す。
「こわれちゃえ。こわれちゃえこわれちゃえこわれちゃえこわれちゃえこわれちゃえこわれちゃえこわれちゃえこわれちゃえこわれちゃえこわれちゃえこわれちゃえこわれちゃえこわれちゃえこわれちゃえこわれちゃえ……」
そして、ティアマトはひたすらに。ひたすらに殺意を呟きつつ無限に能力を発揮する。ただ、憎たらしい特定の個人を殺すために。
生命の略奪に対抗するために薬物強化をしていた。その強化分まで奪うことは『セフィロト』にはできない。それでも、それは苦痛だった。麻薬では消せない魂の苦痛。
「こ……のォ!」
明星の声が裏返った。余裕などない――ティアマトによる生命の衰弱化、クラックによる怒涛の空間転移を繰り返す攻撃に追い詰められている。この状況ではじきに詰む。抗うだけの力すらも削り切られるのが目に見えていた。
「かわせないなら、叩き斬るまで! 『アメノハバキリ』!」
刀を抜いた。何もない空間から現れた”それ”で持って黒い闇を切り裂いた。
それは見るものに畏怖を与えるもの。紛れもなく歴史の重みを背負っていた由緒のあるもの。誰であろうと軽々と触れてはいけない、社の奥底にて納められるべきものである。”それ”は明らかに神代の歴史を擁する神の血を啜った神剣なのだ。
「明らかに魔法の力――けれど、魔法少女じゃないね。魔法少女になった者は少女になる。例えそれが男でも、おばさんでも。そして、その速さには見覚えがあるよ」
クラックは分析する。強力な神具、ではあるものの人間がそれを持ったところで魔法少女には対応できない。根本的に身体能力が違うのだ。
けれど彼女は科学では得られない高速移動を実現している。その真実は――
「ふふ。そう。私は魔法遣い、魔法少女を兵装と化し魔法の力を振るうもの。ああ、そしてこの力に見覚えがあるのも当然だ、クリック・クラック。なにせ、”これ”は貴様が捕えてくれたのだからな!」
「魔法少女『アンビエント』。……喧嘩友達が出来たと思ったんだけどな。それと、もう一人の彼女は?」
「魔法少女『スプラッタ』。その魔法は『アメノハバキリ』……歴史上、その名を変え神社に奉納されていた御神刀『布都御魂剣』を使用することであらゆるものを切断する。この神剣は貴様の破壊能力すらも上回ったようだな」
それは、日本神話に出てきたヤマタノオロチを斃した御神刀。影響力と言う点ではキリストに劣るが、唯一の”現存する”神話だった。
唯一神の眷属も、キリストの血筋も地上には残っていない。けれど、日本にはその血統が現存している。天皇本人から授けられた神刀であれば、”使う”理由も十分だ。掘り出して勝手に使っているのと、”託された”とは違う。
この時代ではありがたみと言うのは薄れて久しいが、それでも天皇は天皇だ。研究者では、というより裏に属する研究者だからこそ会うことなど叶わないはずだった。
テロリストと国家元首を会わせることなど、国家としてあり得ないと言っていい愚行であるのは間違いない。しかし、”それ”を行わなければならないほどティアマトという少女は危険だった。
「……あっそ。まあ、今の僕の弱体化した魔法に勝つとか負けるとか勝手に言ってるのは構わないけど――僕には正々堂々と戦う気なんて元々ないんだ。君ができるだけ苦しんで、無様に死んでくれたらそれでいい」
クラックは先と同じ攻撃を繰り返す。何度も何度も――弱点を見つけたらそこを付きまくるのは当然。そして、ひねりを入れて嫌がらせして集中力を削るのも当たり前にやることだ。
敵の攻撃を潰し、そしていくらでも攻撃を続ける。相手が諦めるか、それとも体力の限界が来るまでいくらでも。
「そんな、ものォ!」
攻撃の数は5。全てを一息で切り裂いて、隠れた6枚目が空間を跳躍して襲ってくるのを見る。裂ぱくの気合で迎撃する。
「……ッ!?」
かろうじて受け止めた。そして斬撃の魔法が破壊の力を斬る。なんとか攻撃はしのいだものの、足を止められた。次の瞬間に来るのはもちろん。
「しんじゃえ」
壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返していたティアマトが冷たく口に乗せた。その魔法は劇的、黒い瘴気の渦……その一匹一匹が鋼さえ削り取る極小の蟲が殺到する。小さくとも一本でも貫通すれば健康に非情な悪影響をもたらすのは目に見えており。
「……っぐ――」
彼女は一時離脱を考えて、後方へ5㎞ほど跳んだ。が、一歩も動いていなかった。何が起こったか即座に理解した。
「クリック・クラックか!」
空間破壊能力を用いて座標を元に戻した。いくら逃げようと意味はない。転移攻撃そのものを斬ることはできるが、繰り返されたら負けるのはこちらだ。なにせ、向こうは何度でもトライできるのに対してこちらは一度でも引っかかったら元の木阿弥だ。
「……こんなところで使いたくはなかったが!」
彼女の身体から霧が噴き出した。三つ目の魔法。あらゆる生命を絶滅させる毒の霧、ティアマトに対する備えだった。
「……なるほど。三枚目を切ったね」
「そんなの、見たら分かるよ」
対するクラックとティアマトは冷静にことを進める。一つ一つ相手の手を潰して、最後に殺すため。それは明星の誤算だった。彼女たちの精神性は幼い、いくつか手を潰してやったら逆上するものかと思っていたのに、延々と嫌がらせのように遠距離攻撃を繰り返してくる。
ただ、それは仕方のない面もある。いくら弱体化著しいとはいえ、今の世界を支配しているのはティアマトだ。そんなものを相手にしては、都合の良いことの一つや二つ考えなければ、挑むと言う発想自体が出てこない。戦力差は始めから承知の上だ。
(おのれ――これでは、賭けに出るしかないではないか!)
追い詰められる可能性を排除するほど明星は愚かではない。始めからこの二人が魔法の全てを政府に開陳しているとも思っていない。
挑むのだ。切り札は用意している。
「そう言えば、最初に神になるとか言ってたっけ。無理無理……君では無理。ただの人間が階梯を上がることはない。神は神で、人間は人間だよ? 神が人間を真似たところで神に変わりはないのなら、人間が神を使役したところで神そのものにはなれやしないんだ」
無数の蟲は幾多の仲間の死を乗り越えて瘴気への対抗能力を獲得し殺到する。そして、空間を切り裂き飛来する漆黒の刃は、自らの存在確立すら破壊して分裂する。
その一つ一つでさえも並の魔法少女なら決死で対抗しなければならない脅威が、無限とすら思える数でもって圧倒するのだ。
「もっとも、神なんて言ってもピンキリだ。僕らみたいに確たる未来のヴィジョンを持たずに適当に現状維持している奴なんかもいる。……でもね、それでも神は神だ。舐めるなよ、貴様達が神と言った魔法少女を」
「あーちゃんに酷いことしたやつ。……ゆるさない」
小賢しい戦術などは、所詮は数と質を揃えられない只人の発想。神であれば、ただ物量も質もそれぞれ虐殺のごとく圧倒的に上回ってしまえばそれでいい。それは人ではなく神の理論だった。




