第31話 ホラーハウス(下)
「――チ! 下からも来るぞ、飛べ!」
リーダーが怒鳴った。
と、同時にマシンスーツで強化された脚力で飛び上がる。天井にぶつかるなどという心配をする暇はなかった。そして、その心配は不要だった。
2mの大ジャンプで、どうにか”それ”をかわせた。だがしかし、あるはずの天井は……ない。
「木の……幹!?」
「おいおい、小学生の縄跳びかよ!?」
部下の誰かが言った。けれど、その結果は……
「――アルファ4!」
シグナルの喪失。意味するのは簡単だ、つまり”叩き潰されて”、”マシンスーツの機能が喪失した”。これでは隊員の生存は絶望的だ。シグナルが喪失するほどの破壊が中身に届いていないとは思えない。
「な……なんつ――腕力?」
木の幹の威力。トラックでも100㎞オーバーで正面衝突しなければ耐えきる装甲が、ぐしゃぐしゃになってどこかへ消えていった。
「……散開!」
足が地に着いた――その瞬間に更に飛ぶ。幹が振り下ろされた。
「……のおお!」
その木めがけて銃を撃ち放つ。そいつは沈黙した。倒せない相手ではない……けれど。
「走れ! 走れェ!」
ざわざわと蠢く木々――死地はここに。逃れる術はどこにもない。撤退は指示されていないし、そもそも入ってきたドアを見失ってしまった。
「CP、アルファ4が死亡。6,7とは分断された。早めに合流したい。……CP? CP、どうした、聞こえないのか」
だが、帰ってくるのは雑音だけ。
「……CP!」
最後に一度だけ。
「CPと連絡がつかない。どうやら、我々は完全に孤立無援らしいな」
「――だが、想定された事態だ。先に進もう」
「それしかないか。先に進みつつ、仲間を探す」
「生存は絶望的だ。捜索に意味はない」
「……探すぞ」
振り返って、睨みつける。一人だけ装備の違う男は……
「分かった。だが、戻ることは許されない」
ためいきをついて、それだけ言った。
そして、作戦時間が3時間を迎えた。それだけの時間を乗り越えたのは。
「……っぐ。はあ――」
残ったのはリーダーの男一人だ。他は全て死んでしまった。花粉に肺をやられ、視界はほとんど利かず――生命持つ植物達の幹により殴り殺された。
憎き化け物植物共はそれ以上に殺しまわったはず、なのだが。
「は……道なんざ、どこにも見えねえな」
回復していた。それが正しい言葉なのかはともかく、銃で払いのけ穴だらけにして来た道は、後ろを振り返ればどこにも見えない。
見えるのはうっそうと茂る森……帰るには、もう一度同じことをしなくてはならない。
「ま。無理だわな」
随分と軽くなってしまった銃を振る。残弾は10発足らず……これでは、木の一本すら倒せるか怪しい有様だ。
「……なんで、来たの?」
幽鬼のごとき暗い声。そして、その声は妙に甲高い。
「――魔法少女『ナイトメア』か!」
即座に直感した。ミーティングでも彼女を敵に回す可能性は指摘されていた。そして、出会ったならば殺さなくてはならない。世界を滅ぼしかけたフォースの元凶――その生存は許されない。
「他人の家に勝手に入っちゃダメなんだよ」
そういう彼女こそが一番居心地の悪い思いをしている。アリス……彼女はフォースを起こして世界の危機を引き起こした。
けれど、彼女が気に病んでいるのは世界などではなく――優しくしてくれたティアマトとクラックを傷付けてしまったこと。そして、それを責められずに優しくされることが何よりも辛い。
「……オオオオオ!」
彼は吠えた。あらゆる勇気をふり絞るように。あるいは魔王に挑む勇者のように。そして、銃は冷たく無感情に銃弾を吐き出した。
「あ……」
はじけ飛ぶ。魔法少女にとって、物理法則なんかよりも意志の方が重要な役割を果たす。このように死にたがっていたら防御力などほとんど発揮されず打ち砕かれてしまう。
「化け物が」
男が吐き捨てる。穴だらけになって体積が半分以下になってしまったアリスはまだ立っている。無惨に大穴を開けられた子どもの死体がボロをまとって立ち尽くしている。……まさに悪夢的な光景だった。
「……よごれちゃった」
顏らしき残骸は下を向いている。自分がどうのよりもよほど部屋を汚したことの方が気になるらしい。……のっぺりとした影が立ち上がって、モップらしきもので掃除している。しかし、アリスから流れる血が上書きする。
その徒労は無駄よりもなお悼ましくおぞましい儀式にも見える。
「貴様さえ、倒せば!」
何だと言うのか。ティアマトの逆鱗に触れるのがオチだ。
だが、彼はこの悪夢を前に正常な判断力を失ってしまっている。彼にだけ支給された特別な装備――刀を正眼にかまえる。各部隊のリーダーは特別な装備を与えられている。
「それ……あぶない」
アリスがわずかに目の色を変える。その特別な装備、古代より神秘を受け継いてきた刀は魔法少女にもダメージを与えることができる。そうなると……とてもまずいことになる。アリスにとっては絶対に避けなければならないことだ。
――隠せない、から。
傷を発見されてティアマトとクラックを悲しませることは、アリスにとっては何よりも耐えがたい恐怖だった。銃弾で開けられた穴は隠せばいいだけ、罪深い自分などどうなったところでかまわない。けれど、あの人たちだけは――と。瘴気が発生させる。
「悪夢……か!」
その瘴気は人型を取り、漆黒の鎌を手にその男へ向かう。
「――おお!」
振り下ろしを飛んで回避。そして、その次の横に薙ぐ攻撃を、攻撃の前に察知してしゃがんで回避。さらに黒い人型が鎌を上に振り上げた時点で前へ飛び込んだ。前転――攻撃の回避と背後を取ることを同時に実行する。
「っはあ!」
人型の首を刈った。輪郭がぼろぼろと崩れ落ちる。男は自分の武器が通じることを知って雄たけびを上げる。……が。
「そう。あなた、強いんだね」
だが、悲しいことにそこには”人間としては”と付くのだろう。それでもアリスにとってはとても怖い存在だ。
大人を前にするのはそれだけで怖いし、何かあって怒られるのも怒鳴られるのも怖い。その男が何事かを叫ぶごとに身体をビクつかせていた。
「……は?」
けれど。フォース・インパクトを引き起こした魔法は健在。暴走していないと言うだけで、同じことは繰り返せるのだ。そして、今回は……
「嘘だろ……?」
木々の間を埋め尽くすような死神の群れ。確かに人間の武術が――彼に限って言うなら剣道三段の腕が十分に通用した。だけれど、それはあくまで一対一の話だった。
「……ごめんなさい」
消え入りそうな声。そして、死神たちが殺到する。体積を無視した多重攻撃。文字通りに1㎜の隙間もなければ、人間には対抗策すらあり得ない。
「――ッ!」
よりにもよって、最後に聞こえたのがそんな声。化け物なら化け物らしく、傲慢にしていればいいのに……”ごめんなさい”などと。自らの覚悟を馬鹿にされた気がして、耐えられなかった。けれどそんな怒りも憎しみも、全て悪夢が飲み込んだ。
「……おそうじ、しなきゃ」
アリスが、ぽつりと呟いた。




