第26話 選択
「――おのれ!」
だん、と壮年の男が扉に叩きつけた。しかし防弾性のリムジンの扉は歪みもせず、ただ手が痛くなっただけだった。それによってさらに気を悪くしたのか、果てには前のシートをガンガン蹴る。
「……いきなり、どうなさいました?」
2列前に居る運転手がびっくりした様子でミラーを確認している。
(あの魔法少女が居なくなったから催眠も解けたのか。おのれ、どこまでも忌々しい魔法少女が……!)
トンチンカンとさえ言える言いがかりだが、彼の中ではふつふつと煮えたぎるマグマに更に燃料を投下されたようなものだった。つまり、気に障った。
「お前は異常を感じなかったか?」
睨みつけた。関係ない人間に何かするほど考えなしではない。その日の気分で誰かを監獄送りにするような独裁者でもない。けれど、苛立ちを自分の中で処理できるほど聖人でもなかったから八つ当たりじみた言いがかりをつける。
「――はあ。えと……」
言いにくそうにしている。彼にとっての異常、それは――後ろに乗せている人物がいきなり怒り出したことなのだろう。つまり、クラックの存在など全く認識していないわけだ。
「……ち」
舌打ち一つ。期待など寸毫もしていなくとも、やはり苛立つものは苛立つ。
(――奴め。魔法少女『クリック・クラック』め。自分のためなら人類抹殺すらも辞さんか。やはり、始末しておくべきだった。失敗した無能どもが……ッ!)
彼は傲慢な人間だった。だが、傲慢でなくては荒れた世界の中で国のトップに座るなどできるはずがない。他人を見下す性根こそがあらゆる努力を惜しまない果断へと繋がっている。……もちろん、世の中には努力などせず傲慢なだけの人間の方が多数派ではあるけども。
(だが、結果は変わらぬ。すべてはあの計画のために――邪魔はさせない、誰であろうと……世界を破壊する魔法少女であろうとも!)
事件はすべて繋がっていた――それはクラックの誇大妄想じみた発想だが、全てが彼の計画につながることは間違いがない。そして、実際に全てが国が管理する領分であったこともまた事実。別に、クラックなぞを陥れるためだけにそんな手間をかけるわけがないのだけども。
(そして、奴はああ言った。「信長――クン」と)
ダン、と拳を打ち付ける。それだけは許せなかった。いや、名前を呼ばれたことがというわけでもない。礼を失した行いに対する正当な怒りと言うやつだ。
(許せるものか。敬意も何もなく――クン、だと。何様のつもりだ……魔法の力を得たからと、王にでもなった気分か。自分で積み上げたものなど何もないくせに……!)
彼には全てを自分の力を掴んだ自負がある。ファースト・インパクトをきっかけに全てがしっちゃかめっちゃかになった。あらゆる倫理が崩壊した、その中で道理を再建築したのは自分の手腕だった。日本を立て直すには自分の力が必要だったと言う自負がある。ゆえにこそ。
(そう、敬意とは払うべき最低限の礼儀。礼儀すらも知らぬのであれば人間とは呼べぬ獣だ。そんな奴に強大な力が与えられるとは……まったく、神とやらは贔屓が過ぎる)
この高すぎる自意識こそが彼を支えている自信の源にして、彼をリーダーたらしめるカリスマ性の根源だ。けれど、裏を返せば狭量さにも繋がる。
(だが、甘く見るなよ。クリック・クラック……貴様が自ら釘を刺しに来たのは余裕がないからだろう。これからの会議、貴様に聞かれてはまずかろうが、しかし30分も40分も見張ることなどできないはずだ)
そうやって、都合のいいことばかりを考えてしまう。そして、それに固執する。確かにクラックに余裕はない。けれど、監視くらいなら? 魔法の全貌も知っていないのに、決めつけてしまっている。
「急げ」
ただそれだけを言う。
(そして、これから向かうのは国会ではない。人間の防諜など貴様には効かないだろうがな、それでも貴様の身は一つ)
「そうだ、我々が負けるものか。『クリック・クラック』……そして『ティアマト』! 人類の英知が、貴様たち化け物を駆逐してくれる!」
叫んだ。そして、運転手はいきなりの叫び声に身をすくませてしまったのだった。
そして、この秘密会議で宣言する。メンバーは11人、こと日本に限れば彼らにできないことなど何もないほどの権力を持っている。
「――私はここに宣言しよう。天の階梯へと至り、天を墜とす!」
「かつて、セカンド・インパクトは人類からその命運すらも奪い去った。失意に沈み、絶望して――しかし、我々はまた立ち上がった! 奪われたものは奪い返す。プロジェクト『エンジェルラダー』から、プロジェクト『ヘヴンズフォール』へと手をかける」
分かりにくい言葉を言っているが、単にティアマトが与えた命は彼女の自由意思で取り上げることができると言うだけの話。
人類全滅を成した魔法少女はとっくにトーチライトが殺しているのに、彼らは延々とティアマトを恨み続け、ティアマトを斃すための準備だけに邁進する。復興など、そっちのけで。
「すでにエンジェルラダーは発動された。今一度人類の尊厳を我々の手に取り戻すのだ! クリック・クラック、ナイトメア――なにするものぞ! 奴らは人間を舐めている。取り足らない虫けらとおごっている」
実のところはおごっているわけではなかった。ただ、彼らとは考え方が違うだけ。そして何よりも、利害が重ならない。この場の会議メンバーとは違うのだ。
だが、役に立たないならば害獣と同じ。そういう意味では、彼らの憎悪は理にかなっている。自分たち以外など、踏み潰して栄光への道と変えるのだ。ゆえに踏み潰せない怨敵は、どのような手段を用いても踏み潰せるようにするのだ。
「全てを潰し、押し通す。命を握られ、家畜同然に扱われるなどと――許しておけるものか!」
すさまじい怒気を発しているのは信長ただ一人。しかし、他の面々も肯定的な雰囲気を返している。大なり小なり、そういうことでしかない。つまり――人類の支配者たちは魔法少女『ティアマト』の敵である。
そして、その有様を……ニタリと歪んだ目が覗いていた。わずかに1mm四方……薄暗いこの部屋の中では目を凝らしても見つからないだけの空間が、破壊されて別の場所につなげられていた。




