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第25話 束の間の休息



 ――時間はない。けれど、それ以上に相手は”国”という集団だった。抗争が始まるまでには少ないながらもまだ時間はある。

 それは逆に初動を潰さないと中止命令も通りづらいから、ここを逃せばいたずらに被害が拡大すると言う裏返しではあるが――満身創痍の身体をわずかでも休ませることができるのは僥倖だった。 


「……」


 玄関口に転移したクラックは、口を開く体力も残っていない。限界はもう割ってしまって、後はどこまで無理を通すかでしかない。家についた時点で気力が燃え尽きてしまったから、指を動かすこともできない。


「だいじょーぶ?」


 暖かい感触。ティアマトがクラックを抱きしめた。限界を出し尽くしてアリスを止めたティアマトも、負担も負傷も大きかった。


「クーちゃん。がんばったね。せかいをまもってくれて、ありがとう」


 体中が痛くて仕方ないだろうにニコニコとほほ笑んでいる。クラックは世界を守ってくれてありがとう、だなんて誰も言ってくれない言葉だなと皮肉気に顔を歪めて。


「……また、へんなことかんがえてる。クーちゃんのことなんて、おみとおし、なんだからね」


 抱きしめる腕にますます力を込める。彼女はクラックの人間不信を知っていはいるが、特に考えてはいない。気分が悪くなること考えるくらいならティアのことを考えてほしいというがティアマトの幼い考えだった。


「あは。そうかも。僕は別に、そう複雑な人間でもないし……」

「だから、きょうはねよ?」


「うん」


 抱きしめられたまま、目を閉じる。意識が暗闇に落ちる。けれど、その暗がりはどこまでも暖かった。


「――で、あーちゃんね」


 ねじくれた木に捕まったアリスはそのままティマトの前まで運ばれる。そろそろと逃げ出して、しかし離れることもできず扉の向こうからずっと見ていたところを捕まった。


「……あう」


 目を逸らす。会わせる顔がなかった。魔法をコントロールすることはできなかったけれど、あれだけの被害を振りまいたことは覚えている。あのまま死んだほうが良かったと心の底から思っている。

 自罰的な思考と言うのはネグレクトを受けていた子供にはありがちな思考だが、今回はことがことだ。”大好きな人に刃を向けてしまった”。覚醒した今となって、ティアマトとクラックがどれほど弱く傷だらけの存在なのか気付いてしまった。


「もういいんだよ? ちゃんと”め”ってしたんだから。だから……もう終わり。あーちゃんは何も心配しなくていいの」

「……でも」


 罪悪感で目を上げられない。負い目で心がいっぱいだった。死んでしまいたいけれど、そうしたら助けてくれたティアマトとクラックに悪い気がするから、うつむいて様子をうかがうくらいしかできない。


「でも、も何もないよ。だれかがなにか言ってきたら、ティアがたおしてあげるから」

「みんな、アリスを捕まえに来ても?」


 アリスには自分が悪い人という自覚がある。

 それこそ警察官を見かけたら自首してしまうだろう。それほどに気に病んでいる。まあ――そんなことされても警察官の方が困るだろうが。

 なにせ、彼女は一国の軍をはるかに上回る戦闘力を保持したままなのだから。自在に威力を振るえる核爆弾相手に手錠でもかけろと? という話だ。

 そう、アリスはあの夜のまま弱体化などしていない。一度敵になって強力になり、また味方に戻ったときには酷い弱体化を受けている、なんてゲームにありがちな展開は今回に限ってはない。敵だったときの強力なステータスは一切下方修正を受けていない。

 いや、この一瞬だけは別だが。ティアマトと同じように負傷と負担で弱体化している。だが、この負傷は二人とは違い回復中だ。ダメージを与えた魔法少女が許可を出している、上級の魔法少女なら息を吸うように付加する回復阻害が使われていないから。つまり逆を言うなら――人の身で倒すなら、この一瞬を置いて他にない。


「クーちゃんは、たとえせかいを敵にまわしてもあーちゃんのことは、守ってくれるよ。ティアも、ね。だから、あんしんして」


 クラックの頭を抱きしめたまま、アリスの頭をなでる。


「――さ、今日はもう、ねよ? つかれてるでしょ、あーちゃんも」


 床が動く。そのままベッドまで運ぶ。一つのベッドで、三人仲良く並んで眠った。



 

 夜が明けて、日が昇り――そして、日が沈む。


「少しは、回復したかな」


 二人はまだ眠っている。この二人に小細工というのは難しい。一方でクラックの得意技は死にかけのまま、なんとか騙し騙し動くというものだ。なにせ、魔法少女になってからずっと満身創痍のままで動いている。


「――寂しいけど、仕事に行ってくるよ」


 呟いて、消える。空間を破壊しての転移。


「……やあ、信長君」


 出現した場所はリムジンの中。まるで騙し絵のように、自然な姿勢でクラックが座席に座っている光景がいきなり現れた。

 もはや使い慣れた空間転移、しかし使われた方にとっては地球破壊爆弾がいきなり目の前に現れたようなものである。……理不尽極まりない悪夢だった。

 座っていた壮年の人物が2秒ほどあんぐり口を開けて、すぐに気を取り直して手に持っていたハンバーガーをウーロン茶で流しこんだ。


「貴様……魔法少女『クリック・クラック』! 学院は封鎖させているはず!」


 スーツの中に手を伸ばす。SPとは比べ物にならないほどもったりとした動き。国家と言う世界最大の暴力、群体を統括する長と言えど、彼自身は実際に暴力を扱ったことはないのだった。


「やめときな。運転手はなにも気付かんが、後で弾痕が見つかって困るのはそっちだぜ?」


 けらけらと笑う。向けられた銃に何も脅威を感じていない。視線すら寄越さず背もたれに背を預ける。


「……ぐぐぐ」


 最上級に苦い顔をする。そりゃ、そうだ。一国の元首がこんなにも簡単にチェックメイトをかけられている。誰であろうと暗殺できる事実をまざまざと、こんなにもあっけなく示された。


「この状況で正気を失わないのは評価しよう。肝の小さい男だったらひっくり返って気絶するか、恐慌状態に陥って走っている車の中から飛び出しかねんからな。銃に頼るくらいは許容範囲か。――うむうむ、中々肝が据わっているな」


 クラックは偉そうに評価を下した。


「ち。何用だ、貴様」


 彼は銃をかまえたまま。無駄だと言うことは分かっていても、暴力が手の中にあると言う安心感がなくてはワールドブレイカーたるクラックに向き合えない。いや、向き合うことができるだけでも十分に超人的な精神力だ。


「いやいや、用件など分かりきっている。生徒会が発足された。名前まで知っているかまでは知らんが、とある魔法少女が職員の残党を吸収して新たな組織を組んだことくらいはお前は知っているよ」


 断言した。


「……」


 返ってきたのは沈黙だった。そこまで見抜かれているとは――と、一瞬思ってしまったが監視されていることくらいは魔法少女たちも承知の上。そこから考えれば見抜かれても何も不思議なことはない。

 まあ、彼からするとそんな子供じみた推測を、こんな真顔で断言するなんて信じられないけれど。


「――ま、実を言うとだ。こっちは落としどころを見定めておきたいんだよ。僕たちは分かり合えずとも譲歩はできるさ。ま……納得できないなら、全てを潰すまでだがね」


 さらりと言ってしまった。人間社会に喧嘩を売るなどと言う大それたことを。けれど、それは決して妄想の類ではない。


 ◆魔法少女『クリック・クラック』


 ◆魔法少女『ティアマト』


 ◆魔法少女『ナイトメア』


 この三つの災厄がそろえば、人類への勝利すら当然と言える。もちろん、皆殺しを勝利条件とするなら難易度イージーという話というだけで、支配者になるというのは難しいが。


「それをさせると思うのか?」

「いや、どうでもいいんだけど。人類の行く先なんて、お前たちも本当は興味ないんだろう? ふりだけさ。耳障りのいいことさえ言っていれば、いくらでも他人を批判できる。人間は批判するってのが大好きな生き物だろ」


「貴様……我々を舐めているのか?」

「まさか。人類が滅ぶからとか言って他人に我慢させるくせ、自分の面子のためならどこまでも滅茶苦茶やる――そんな君らのことを舐めてかかれないさ。自分のためにいくらでも理屈をひねり出す君らは、世界にどんな災厄を振りまいても不思議ではないからね。いや、本当にまったくもって厄介極まりない」


「馬鹿にしているのか?」

「どうせ、お前も僕らのことはそんなんにしか思ってないくせに。前々から疑問だったけど、君達ってなぜ自分を顧みないのさ。自分が他人を殴るのは正義の鉄槌で、他人が自分を殴ったらとんでもない考えなしの犯罪者――だなんて、どうしてそう思える?」


「……前、だと? それは」


 そう、それは――あたかもクラックが魔法少女になる”前”があったかのような発言だ。それを確かめたのなら、武器になる。極論、前が人であったのなら家族や友を人質にできる。クラックの個人的でどうでもいい意見と違って、それは意味のあることだ。


「――チ。失敗したか。まあいいさ。ボロが出さない大人物とか、僕は自分のことを己惚れてない。譲れないものがある。それ以外は些事……全人類など彼女の世界を構成するパーツに過ぎない」


 クラックも失言に気付く。ここで正体をほのめかすような発言は普通に悪手だった。


「なるほど。分かったぞ。魔法少女『クリック・クラック』。――貴様は神ではない! そう、天より降臨した神でなく、地の底より現れた破壊神でもなく」

「――ただ一人の魔法少女」


 呆れたように言った。失敗したのは自分にも関わらず。余計なことしか気にしないなコイツ、と顔に書いてあった。はなから自分が失言しない有能だとは思っていない。失敗したの失敗したとして、無意味な時間だなとため息をついた。


「ならば、斃せる! 我々人類を舐めるなよ、ただの一匹の化け物が! 人を支配するに不足と知るがいい!」

「そう、僕はただの化け物だよ。人間じゃあない。――だから、あの子は。ティアマトだけは僕が守る。そして一つ訂正だ、僕は一人の化け物じゃない。今や三匹の化け物だぜ」


「貴様こそ、人類の英知を舐めるなよ。フォース・インパクトを起こした魔法少女『ナイトメア』を下し、貴様を潰し――終には」

「……魔法少女『ティアマト』の完全洗脳。そしてアーティファクト『セフィロト』を人類の生命維持装置へと組み替える。……かね?」


「……ッ!」


 信長が息を呑む。図星、だった。


「どこで知ったと聞きたい? まさか、君たちの最終作戦だ。漏れようはずもない――だがな、全体の動きを見れば目指していることくらいは察せられる。大体、ティアマトをどうにかしようとするならそのくらいしか方法がない」

「――守護者でも気取るか」


「我々の力を削ぐ作戦は成功していると言っていい。サードを始め、護衛任務を失敗扱いとし北海道へ派遣した上でフォースまで起こされては感嘆する以外にない。だが、忘れるなよ。……そのフォースを経たアリスは僕たちの側にいる。戦力比はむしろ、前より悪くなったんじゃないか?」

「それがどうした? 状況が悪いからと諦めるような奴に何事もなせるものか」


「世界がどうのは君たちの話なんだけどね、僕はティーちゃんと居られればそれでいいから。で、生徒会の話だが――とりあえず話し合いのテーブルに付け。あとはどうにでもなるさ」


 諦めたようにため息をついて話を変えた。


「簡単に言ってくれる。どれだけ危険かわかっているのか?」


 そう、魔法少女と1対1で離すとは――とても危険だ。魔法は、銃や爆弾ではない。もっともっと恐ろしくて……道理の通らないナニカ。


「このまま戦争状態に突入するよりも危険は少ないぜ。特に君はね、信長君。戦争では相手の指揮官を潰すのはセオリーだぜ? それに、そちらの方が人死にの数が少なくて手軽だ」

「……ち。簡単に言ってくれる」


 今度の言葉は苦々しさと忌々しさが万倍ほど込められていた。


「ま、聞いてくれるなら多少のやんちゃは多めに見てあげよう。あの任務も終わったこととして水に流そうじゃないか」


 偉そうに言った。だが、走行する車の中で二人きり……この高速の密室の中では、日本で一番偉い人物にも身を守る術はないのだった。


「言いたいことが終わったのなら帰れ」

「はは。言われずとも帰るさ」


 ケタケタ笑う。この高速で走る棺桶の中、彼は脱出不可能でもクラックにとっては庭同然である。


「……あ。その前にもう一つ」

「何だ」


「――スマホ貸して?」


 可愛らしく小首をかしげて見せた。



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