第23話 生徒会発足
イエローシグナルは一人で荒廃した道を歩く。
「――」
彼女に独り言の趣味はない。足取りは迷いなく放送施設を目指して止まることはない。カードロックが壊れたためにもはや鉄の棺と化したそこを指を鳴らすだけで復元、政府関係者の中でも相当な権力を持たなければ知らないはずのパスワードを打ち込み、中に入る。
――魔法少女の中には声を媒介にした魔法を使う例もある。音遠の『メロディ』は受動的で自分から何かできるわけではないが、声を発することで何かできる魔法少女は居る。放送施設は文字通りに魔法少女が使用すれば兵器となりうるために警戒度は高かった。はずなのだが、彼女は悠々と当然のようにそこへ不法侵入した。
〈皆さん。聞こえますか?〉
全校に放送する。耳を澄まさない人間はいない。一般人でさえこんな災害に直面すれば必死にもなるが、ここは魔法少女を収容する学院。マイクから少女の声が聞こえると言う異常事態が理解できないような間抜けは居ない。
〈私の名前は白木院梨花。魔法少女『イエローシグナル』と言った方が通りが良いかもしれませんね〉
自分の名前を明かす。これまでは注目されると言うのは実に”まずい”ことだった。完全に究極的なまでに手遅れなティアマトと違って、他の魔法少女はまだ隠れる余地がある。
強力な力を持っている? ああ、恐ろしいね。なら先に毒殺でもしておこうか……それを、一笑に伏せることができるのは実際にやられたクラックだけだろう。
〈御託を要する気はありません。私はあなた方を扇動する気などない。日本政府と戦争する気はないことをここに誓いましょう〉
この選択一つで数百人の命が決まる。学院に対する武力封鎖、衝突が起これば開幕の一撃でその程度の犠牲は出る。そして、それが世界に飛び火すれば――第3次世界大戦は妄想の類では済まされない。始めは数百人から始まり、億単位での死者が出ても不思議ではない。
淡々としている声に世界を動かしている興奮など一つもない。その背景を微塵も感じさせない平静な声だった。
〈しかし、厄介なことにその状況が出来上がりつつある。向こうが余計な気を起こさないうちに誰かが盤面を整理する必要があるわけだ――不本意ながら、役割は私が担おう。ティアマトにはできず、クラックにはその気がないのだから私以外にできる奴がいない。困ったことにな〉
名前を出す。ティアマト、それにクラック。この名前が出たら総理大臣とて無視するわけにはいかない。それだけの爆弾であるのだから。当然、その宣告はリアルタイムで聞かれている。生きている監視装置などいくらでもあるのだから、その回線を回している。
〈……1時間後。体育館に集合しなさい。そこで未来を決める。その場にいない者にその権利は与えられないと心得よ〉
一瞬の沈黙。もちろん演出――言外に殺すとまで匂わせている。そして、それはクラックの名前を出したために現実感も申し分ない。
〈ああ、この有様では移動も手間か? ま、この程度の置き土産くらいはくれてやる〉
指を鳴らす音。そして、荒廃した校舎が修復される。ただの一瞬で――工事ならば何か月かかるかわからない修復作業を終わらせてしまった。
そして、1時間後には生存者たちは全員集まっていた。並べられていたパイプ椅子にバラバラに着席する。しかし、誰が言ったわけでもないのに左右で職員と生徒に別れていた。
「時間だ」
言葉とともにステージの幕が開く。
壇上に立つイエローシグナル。そして、左にはクラック、ティアマト、そして二人に挟まれたアリスが、どこから持ち出したのかわからないソファに並んで座っている。右には音遠がパイプ椅子を持ち出して座っている。
「私たちは生徒会を発足することをここに宣言する。生徒会長は魔法少女『ティアマト』。副会長はこの私、白木院梨花。そして書記、魔法少女『クリック・クラック』。会計、音遠琲人。庶務、櫻木アリス」
言い切った。それは世界に対する宣戦布告に等しい。しかして人死にを最小限にするための政治的配慮である。
武力均衡を作り緊張状態をもって――戦争を始まらせないのではなく、無期限に一時停止する。
「――諸君、座りたまえ。そして、反対する者は立ってその意を示すように」
一方的な通告が下された。そして本人は傲岸に眼下を睨みつける。あまりにも分かりやすすぎる独裁の形だった。
「待て! 貴様、反乱を企むか!? 大体、そこの櫻木アリスこそがフォース・インパクトの元凶――そいつを殺せ! そいつは生きていちゃいけない!」
男が一人立ち上がった。下らない正義感に燃える若い男だ。白衣が血に染まっている――ここにいる職員と生徒はおよそ半々。この研究施設で、災害の前には生徒の割合がおよそ1割ほどだったことを考えれば何が起こったかは容易に想像がつくだろう。
ナイトメアが破壊した建物にお友達でも巻き込まれた、というありがちな悲劇に決まっている。復讐の理由こそあるけれど。
「……だれが、生きてちゃいけないの?」
ぽつりと響く声。その声は幼く、小さく――不思議に誰の耳にも届いた。次の瞬間、彼の全身が蔦に覆われていた。
「――ひ!」
気付いた瞬間、彼の臓腑が寒気にひきつった。そして怖気に身を震わし――己にできることが震えるくらいしかないのに気付いて、顔を真っ青にした。
窮鼠、不幸なのはネズミと呼ぶには賢すぎ、そして相手は天敵どころか”救世主”……何をしても意味がないのは保証済みだ。
「ねえ?」
幼い声。
「……ヒィ! い、いやだ――やめてくれ……死にたく、ない……」
正義感を振りかざした男は、目の前に迫った死を前にあっさりと手のひらを返した。目の前にぬらぬらと光る果実が見える。脈動する紅い光はまるで爆発の瞬間を待っているかの様。
「ティアマト。話の途中なのでやめていただけませんか?」
「……むぅ」
そっぽを向いて、植物をひっこめた。三文芝居――それでこの場を支配してしまった。しかし、こんなものは人間社会では当然のことなのだ。無理に話を通すなら、完全で隙のない理論を構築するよりも、例えば理事でも味方につけた方が話が早い……薄汚い政治の話だった。
「では、反対を表明する方は彼一人で? いえ、着席しましたか。これはありがたい、反対する者が居ないとは。全員の意思が反映されて、民主的で結構です」
いけしゃあしゃあと真顔で言った。こんなもの、暴力と権力を背景にした脅迫と変わらないことは本人も自覚している。
(けれど、そんなものは誰でもやっていることでしょう。先輩と後輩、上司と部下――他人に意見を通すことについて、この世に正義などありえない。そう、通すべき正義は心の中にだけあればいい)
(あのような怯える女の子を犠牲にするなど許されることではない。それに、一時の感情で戦争を起こさせるのも流石にな。ま、こんなものはそれこそ一時の結束だがな)
眼下を見下ろしてため息をつく。そうなると思って、実際にそうなったが……達成感なんてものは感じなかった。というより、気が重かった。
生徒会長なんてどこも同じ、どころか今の学院でそれをやるとなると猶更ひどい。やることは雑用ばかりが山積みで、報酬もない。
「――では、まずは生存者の確認を。職員の方には手伝っていただきます。生徒の方は名前と顔を確認したのち、寮で待機とさせていただきます」
指示を出す。有無を言わさぬ雰囲気で、大人たちも黙って従う。この激動の中で、それに気付く者は居なかった。――この時点ですでに生徒会の4人の姿が消えていたことに。




