第20話 フォース収束
「……ッ!? ティーちゃん!」
中心地へと向かったクラックはティアマトが刺し貫かれるのを見た。世界の滅びを引き起こせると言う意味では並び立つ二人の魔法少女、その片割れが沈んだ。
しかしティアマトは『セカンド・インパクト』から世界を救うためにあらゆる生命に命を与え、さらにはクラックに多量の命を突っ込んでいるために弱っている。――正真正銘の絶不調である。
人間であればベッドで身動き取れなくなっているほどに、今貫かれた彼女は戦闘開始前から弱っていた。
そしてクラックでさえもその力は全盛期とは比べ物になりはしない。ティアマトから与えられた生命と言う異物を後生大事に抱えるクラックは……出せて全力の1割程度の出力だ。しかもサーズデイから与えられた呪いすら負っているのだから、世界級の災害をどうにかできる力など残っていない。
余談として、では世界の滅びを何とかできる魔法規模を持つのは魔法少女『トーチライト』のみとなるのだが彼女は光の剣を生み出せても光の速度では走れない。
英雄としての性質――駆けつけた時には全てが手遅れ。英雄を体現する彼女はその性質通りにナイトメアが世界を破壊した後で到着するだろう……海の上を走って。
――つまり、フォース・インパクトをどうにかできる戦力は地上にはないという結論にならざるを得ない。
「だから、どうした!?」
クラックは瘴気を殴って破壊する。いつもやるように距離を破壊して射程距離を無視する方法は使えない。そのやり方では”同格”には通用しないから……直接魔法をぶち込む以外に方法はない。
「……ぐ!」
腕が焼け爛れた。上空の瘴気すらも能力の一部、触れれば崩壊する悪夢の牙。この一幕を見たら簡単に分かってしまう――現時点ではクラックよりもアリスが強い。
「アリス、よくもティーちゃんを! お前は許さない!」
更にこぶしを叩きつける。ボロボロになって……それでも止まらない。
「……アアアアアア!」
悲鳴。瘴気が吹き出る速度が増す。
そもそもアリスにとってクラックとの敵対自体が悪夢……ただでさえティアマトのことを殺しかけて死んでしまいたいと思っているのに。その想いが全てを巻き込み、世界規模の自殺劇を生み出す。何もつながらない、ただ破滅だけが先にある。
「クーちゃん、だめ!」
叫ぶ。けれど、クラックの耳には届かない。
「は――暴走など、この僕に通じるものか! こんなもの、密度の薄いところから砕いてしまえば!」
……道が開く。あまりにもか細い道、少女の一人すらも通れない。
「クーちゃん、後ろ!」
幾多の人型のナイトメアが持つ鎌や槍に貫かれる。磔になってしまえばどうしようもない、などと――そんな常識がクラックに通じるはずもない。計6個の鎌に貫かれようと。
「……は。見えているぞ」
握りこんだ拳には自身のアーティファクト。指で弾き、飛ばした。前の身体は崩れ落ちる。
「チェック」
瘴気の渦を潜り抜けた先で再生――剣のカタチに揃えた手でアリスの胸を貫いた。出力がどうしようもなく劣ろうとも、戦う気もない奴に負けはしない。いくら強かろうとも手順を重ねればいいだけの話。
「――ア」
アリスの声が震える。
「AAAAAAAAAAh!」
叫喚が走った。もはや人間の叫び声とはかけ離れた高音。それはソニックブームにも達する歪んだ声。
アリスに残るのは恐怖と絶望――クラックに打ち据えられる悲哀。絶望が深すぎて、心に穴が開いてしまう……それこそが魔法の本質。無限の虚無から尽きない闇があふれ出す。”限度がない”それこそが魔法の本質であるがため。
「……ち。そこまで覚醒段階が進んでいたか」
アリスがクラックを見る。ガラスのような瞳で世界を見下ろし、空に浮かぶ。その目にはもはや意志は映っていなかった。その覚醒段階は2、覚醒段階Ⅲである二人よりも下だが……今の二人は見る影もない程に弱っている。
「……悪夢。を――」
アリスの震えた声。小さな手がクラックの胸を引き裂いた。人間を捨てた魔法少女を殺したければ、潰すのは脳でも心臓でも駄目だ。しかし、力の強い魔法であれば再生など許さない。
「っがは! ぐ――『ナイトメア』ァァァ!」
クラックが堕ちる。墜落して、地上で血にまみれてもがく。天上に手を伸ばしたその姿はまるで神に救いを求める殉教者のよう。優劣はついた、魔法の強度は暴走したアリスの方が上である。
「クーちゃん! クーちゃんは皆を守って!」
ティアマトが飛ぶ。背にドラゴンの羽を生やして、はばたく。
「……ティーちゃん。この僕にあんな奴らを守れと?」
ぎりり、と溢れる血ごと歯ぎしりする。先とは違い、捨てるための体ではなく――ナイトメアの力が働いて回復できない。血にまみれたままで空を仰ぐ。
「でも……」
天を覆う闇の厚みは分からない、少なくとも日の光を遮るほどのレベルではまだない――が、この瘴気が世界を覆ってしまったのは感覚でわかる。ゆえに、次は。
「あの子の言うことを守るには、今しかない……か」
ぺ、と血の塊とともに愚痴を吐く。朱に染まった手を天空へと掲げ。
「――仕方ない、な」
網のカタチで滅びを撒く。悪夢に対抗するのは漆黒の終焉――ばらばらと落ちてくるナイトメアたちは結界に阻まれて降りてこれない。これは地球を覆いつくす規模の魔法行使。
さすがのクラックと言えども世界中に散らばる人間どもの気配を正確につかむことなどできはしないから、一つでも下に落としたら惨劇が始まる。
だというのに。
「ああ――面倒だ。僕は知らんぞ」
嫌悪を吐き捨てる。
世界から日本に向けたミサイル攻撃だった。……それだけならまだ良かった、結界の上での爆発なら爆炎ごと滅び去るだけだ。だが、タイミングが遅いミサイルが結界の下で爆散して愚かな民衆に破片が降り注ぐ。――クラックの元まで悲鳴は届いてこないけれど。
「あーちゃん」
ティアマトが上空にて、うつむく。姿はもはや人間離れしている。あらゆるキメラが体の中から蠢いて……
「……悪夢、を――」
対するアリスは壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返す。
「ねえ、あーちゃん。ティアはね、ちゃんとあーちゃんのこと、かわいい娘だっておもってるんだよ? 血も分けてないし、杯も交わしてない。けれど――ティアとあーちゃんとくーちゃんで家族なの。だから……」
「悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を」
「めっ、てして。そして、いっしょに帰るの!」
そして、現出するは怪獣大戦争。悪夢の瘴気にまごうことなき怪獣が挑む地獄絵図。ビルなど簡単に押しつぶしてしまう屍たちはクラックの結界で消し飛ばされる。
「……っぜえ! はあ――ッ!」
クラックは現在進行形で世界を救っている。……が、その代償は大きい。掲げた手を必死に支えて、己の血に濡れた瞳を開いて、見えない目で漆黒と鮮血に染まる天空を見据える。
「……っち」
地球を覆う結界、しかし瘴気の方は偏りがある。爆心地、そして決戦の地である”ここ”だけはその濃度がとても濃い。ゆえに、溢れたナイトメアが学院を襲う。こうなってはクラックにはどうしようもない。己に向かってくるそいつらにも打てる手立てなどない。
クラックはさっさと決めてしまった。自分の身体は諦める、と。いくら穴だらけにされようが、後で取り繕えばいい。こいつらごとき端末に自らを殺し切るなど不可能だ、と空に集中する。
「――おいおい、諦めるなんて君らしくないな」
そこに、クラックをかっ攫って行く。男装などしていなのに、どうしても男装に見えてしまう彼女。
「……なぜ、ここに? 音遠」
音遠琲人。学校には1週間も通っていないが、ティアマトを除けば一番話している相手だった。友達、と言えるが――クラックとしては友達が助けに来てくれるなんて想像の範囲外だった。
「はは。友達を守るのは当然だろう? 更に言うなら、世界を救おうとする友達を見捨てて逃げるような男じゃないのさ、俺は」
だが、音遠ははっきりと言ってしまう。照れるような人間じゃない。いつでも本気で生きていて、まっすぐで――ゆえに社会とは相容れないテロリストだった。
「そもそも、男じゃないだろ。今は」
「はっは。一本取られた」
話し合っているときでもナイトメアは襲い掛かってくる。音遠の魔法は誰にだって軽蔑されるようなただの”健康診断”、ナイトメアに立ち向かう刃にはなりえないから逃げ回っている。
「……大丈夫か、お前。僕は死なないけど、音遠は首切られたら死ぬだろうに」
「おやおや、もしかして……邪魔だったかい?」
ナイトメアの数は加速度的に増えている。狙っているのはクラックだけではないから、阿鼻叫喚が聞こえてくる。戦う力を持たない職員を助けてくれるような”魔法少女”は居なかった。
「さあ。けれど、君ならいくらでも逃げられただろうに」
「そうだね。実際、殆どの魔法少女は逃げてる。犠牲者になっているのは逃げ損ねた研究者とか職員くらいだね」
職員は無数に屍を晒す一方、魔法少女の死体は少ない。もちろんこの二人にそれを確認する余裕はあり得ないけれど、そうなるだろうと思っていて実際にそうなっている。
「……それに、君――無理して身体を動かしているだろ?」
「見抜くまでもないみたいな言い方だね。これでも俺の秘密兵器なんだけどな。大変なんだぜ、音で無理やり心拍数上げて魔法少女レベルの身体能力を手に入れるのって」
「だから、やめといたらよかったのに。精々、もって20秒……」
「俺なら30秒持つ」
自信満々に言った。しかし、それはやせ我慢なのだ。普通は激痛で失神するのを根性で我慢して、自分の身体が致命的な損壊を受けても我慢する。
「もう経ってない?」
「だから――秘密兵器二号だ」
アンプルを刺す。効く麻酔薬と言うのは、基本的に睡眠薬、筋弛緩剤、麻薬のどれか――この中で戦闘に使えるのは3番目だけだった。
「……麻薬。体の痛みを無視したとしても……」
「二本貰って来た。これで90秒だ。……男だったときの俺なら3分行けたと思ったんだけどな」
やせ我慢にもほどがある。しかも、薬物まで使用するなど寿命を投げ捨てるような行為だ。しかし、この命を投げ捨てるかのような人間が音遠琲人という元男だった。
ちなみに、必要なら研究室から盗んでくるのをためらわない男でもある。
「――音遠!」
「……しまっ!」
油断したと言うわけではなかった。長々としたおしゃべりだって、気を失わないための気付けだ。意識を取られるよりも先に維持することを考えなければいけない、二人はそんなボロボロの状態だったから。
だからこそ――刻一刻と増えるナイトメア相手に逃げ回り続けて、ついには囲まれてしまった。
「――ぼさっとするな!」
機銃掃射。発砲音のない純粋な威力のみが魔力を纏って叩きつけられた。――この世界に闘争が起こっていない場所などない。土地の記憶を再生し、暴力を再現するのが彼女が隠していた奥の手。それこそが。
「君は魔法少女『イエローシグナル』!? 戦闘能力のないサイコメトリーと聞いていたが」
サイコメトリー=物の記憶を覗く魔法の真の力に、音遠は驚いてしまう。魔法について理解が浅い音遠ではこの現象とイエローシグナルが持つ魔法が全く結びつかない。記憶再現などというトンチキなど。
「気にするな。学院の監視網も今は寸断されている。世界を救うんだろう? 手伝うさ」
彼女は燃えるような瞳で前を向く。いつもの斜にかまえて一歩下がった態度とは違う、世界の危機を前に、できること全てをためらわない。
「……くく。君、いつもと雰囲気違うね」
「魔法少女『クリック・クラック』。あなたは結界の維持に集中なさい、私とそこのデッドラインが守るわ」
ただ使命感によって立つイエローシグナルは心を燃やす。彼女にとっては政府の思惑もクラックの人間不信もどうでもいい。ただ、自らが信じる道を進むのみ。
「きひ……悪くないね。目的を同じくする同盟とは。……しくじるなよ」
クラックもニタリと笑う。性格が螺子曲がったクラックでも、利益を同じくする者の呉越同舟なら信用できた。もちろん、目的を果たした後は同盟破棄がお約束というところまで。
「もちろんだ」
もっとも、イエローシグナルは同盟を結んだつもりはない。ただ正しいことをしているだけだ。
「ここで下手を踏んだら切腹が一回では済まなくなるのさ」
自らの信じる道を進むと言う意味では音遠も同じ。だが、こちらは少し余裕がある。それも、楽しむと言うことを忘れていないためだろうか。
「さあ――来るぞ!」
アリスの真下から結界が割られ、幾多のナイトメアが津波のように襲い来る。
そして、上空。
「悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を。悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を。悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を。悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を」
アリスは変わらず悪夢を振りまいている。世界の終わりの中でも最悪の終わり方――終わるだけ終わらせて何も始まらない。そういった意味ではこれは『フォース・インパクト』に相応しくはない。
この世界を終わらせて、新世界を創造する――それこそが本来のアーティファクトの使い方であるのだから。
「……だめだよ、あーちゃん。それじゃ、あーちゃんが悲しくなるだけだから」
ティアマトは悲しそうにしている。けれど――それでも彼女は世界を救った魔法少女。余力わずかとはいえ、魔法の規模そのものが超越している。ゆえに……世界を滅ぼしてなお余るほどの魔物の軍団が突貫する。
「悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を。悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を。悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を。悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を。……悪夢、を」
繰り返すのはそれだけ。アリスは心が壊れている。壊れた心から噴き出すのは無限の虚無。溢れる瘴気を前に、進軍する魔物が溶け崩されて死んでいく。
「――そっか。それじゃ、ティアも……少しだけ、かくご、きめなきゃ」
魔物を纏う。正真正銘、数えきれないほどの魔物でできた魔物の島。そう禍々しく長大で巨大で、どこまでも”バカでかい”島がそも黒き瘴気の中心地へ突入する――
「……」
ぴくり、と少しだけ反応した。
「これ、痛いんだから! あーちゃんもちょっとだけ、がまんだよ……!」
距離は数十mでしかないとしても、その道筋は酷く遠い。瘴気の根源は空気すら腐らせてなお、悼ましく全てを蹂躙する。そう、魔物でできた超質量の島ですらも。
「――ッ!」
たどり着く。この世の全てよりもなお多くの命を費やして、生贄に捧げて――やっと”そこ”へ。愛しきアリスの元にたどり着く。
「……め!」
パァン、と頬を張った。
「――あ」
表情を失った顔に恐怖が戻る。……絶望を叫ぶ――
「……だいじょうぶ」
その寸前でアリスの身体を抱きしめる。
「……え?」
目に光が戻った。
「いいよ、ゆるしてあげる。ティアがあーちゃんのこと、ゆるしてあげるからね」
「――ママ?」
許し、はアリスがずっと求めていたことだった。ただ、”そこに居ていいよ”とずっと誰かに言ってほしくて――けれど、誰も言ってくれなかった。
「あーちゃん、だいじょうぶ」
「――」
アリスはその言葉を聞いて、安心したようにほほ笑んで気を失った。




