第19話 フォース・インパクト発動
「――」
その、”国土ごと魔物を滅ぼす”仕事を終えたクラックはさっさと家に帰ってきた。
日本の政界は大わらわで、それ以外の国家は大事が一瞬のうちに終わってしまったものだから気付くことすらできていない。”廃墟が奇麗に更地になった”ことを違和感として気付いていない。……それも、何日も持たないだろうけど。
そんなとんでもないことをしでかしたクラックの様子は――不機嫌なのは、親しくなかろうが見てわかる。
「……クーちゃん? どうしたの。ご機嫌斜めかな」
とことことティアマトが近寄ってくる。この子は授業が終わると直帰したが、クラックは仕事で30分ほど遅れた。いや、30分で北海道を更地にした上に行って帰っては人間の想像の範囲外である。
「――別に」
ふい、とそっぽを向いた。けれど、身体は近寄ってくるティアマトを受け止める。
「もう」
ティアマトは苦笑して、クラックを体ごと抱きしめて、両手で顔を挟んで正面を向かせる。
「なに?」
クラックは不機嫌そうな顔だが、ティアマトの顔が近すぎて赤面している。
「だいじょうぶ。ティアだけはクーちゃんの味方だから。ずっと、いっしょにいてあげるから――ね。しんぱい、しないで」
ぎゅう、と抱きしめる。
「……ッ!」
クラックは嗅覚をくすぐる甘さと、全身を包む柔らかさに固まってしまった。
「てれてる? でも、ちょっとつかれてるね」
「――そう、かも」
力を抜いて体を預ける。
「うん、だいじょうぶ。クーちゃんはだいじょうぶ、だから」
「……」
きゅ、と少しだけ抱き締め返した。
「――あーちゃん、どうかした?」
少しだけそのままでいて、隣にいたアリスに目を向ける。
「……えと。なんでもない……よ?」
目を背けた。自信なさげな態度が、逆に分かりやすくなっていた。
「んー。あーちゃんが元気ないの、あの事件のせいかなって思ったけど。ちょっとちがう気がして」
「……事件?」
クラックが目を開けた。
「そうだよ、クーちゃん。クーちゃんがお仕事に行ったあとね、お母さんって人が来たの?」
「母親?」
クラックの顔が厳しくなる。良いことでないのはアリスの表情を見れば分かる。
もっとも、魔法少女で家族とか言うものに素直な気持ちで接することができる者はそう多くない。普通の幸せがあれば、アーティファクトが巣食う心の闇など形成されない。
「うん。お金が欲しいんだって」
「……そう。それで」
まあ、一般的なタイプだろう。少なくとも魔法少女の親としてはスタンダードなタイプだ。このご時世では”そういうの”は増え続けている。世界規模での貧困は影響の薄い日本にも影を落としている。
「先生の人が連れてったよ」
「あ……そ」
どうなったかは想像がつく。どうせ、金をやって追い返したのだろう。
表側から施設を調べれば、この施設は遺伝子異常の患者を治療する施設だと公表されていることが分かる。そういうことにして魔法少女のことを誤魔化している。まるで人身売買だが……事実として否定する要素はない。
そして、世間はそれに”気付こうともしない”ためにその前時代的なその取引は成り立っている。
「――それで、怯えているのか」
ぽつりと呟いた。子供にとって親は怖いもの――という言葉が”理解できる”人間は、もしかしたら多くはないのかもしれないけど、この三人は分かってしまった。……覚えがある。
「あ、それだよクーちゃん。あーちゃんはこわかったんだね? だいじょうぶ、ティアがいっしょにいてあげるから怖くないよ」
今度はアリスの方に向かう。クラックと手をつないで。
「……あう」
頭をなでられてアリスは小さく呻く。少しうれしそうにして、顔をうつむかせた。
「うーん……えい」
クラックがティアマトごと抱きしめた。
「……あの」
アリスがおずおずと声を出した。
「なあに? あーちゃん」
「あの。……あのね、遊びに行きたいなって」
「「――」」
二人して、一瞬黙る。アリスの性格だと家から出たがらないはずだ。だから、それは何か意味がある。外に遊びに行きたい、だなんて――彼女の口から出るなんて早々ない。引きこもりと言えばその通りなのだが、アリスの年齢での”それ”はただ痛々しい。
「――じゃ、行こう?」
けれど、それを聞くほど無粋ではない。そんなことを聞いても、「やっぱりいい」と遠慮してしまうのが眼に見えていた。
……だから、三人で無理やり遊びに連れて行った。
このご時世だが、日本はまだ治安が安定している。警察の権力が幅を利かせる恐怖政治ではあっても、一般人は安堵してその日を生きていられた。後ろ暗い事情に”巻き込まれる”ことさえなければ。
だからこそ、日本ではまだ遊べるだけの街並みが残っている。
適当に店を見回った。三人共にファッションとか流行とか、そういう趣味はなかったが逆にそれがない分だけ目新しくて楽しめた。
お腹が減ったから食事をした。クレープを買って、そこらへんに座って食べた。それで十分腹は満たせた。
最後にカラオケに行った。ティアマトとアリスの二人はまったく曲なんて知らなかったから、児童アニメの歌を歌った。
――それで体力の限界を迎えて寝てしまったアリスをティアマトが抱えて家に帰る。
次の日。アリスの様子は更におかしくなった。極端にぼーっとしている。風邪の症状のようにも見えたが、熱はない。魔法少女も病気になる、ティアマトやクラックのような例外を除いて。
「――」
爆弾を抱えたまま、時は過ぎる。心配しても、どうにもならない――世界を救済し、破壊できる力を持っていても、一人の少女の心を救うことはできない苦い現実だった。
そして、クラックがどうしてもということで政府から来た人間に連れていかれ。(ここで、我儘を通せないから未だ世界を破壊していないのだろう……魔法少女『トーチライト』に言わせれば気概がない)そして、アリスは”その”姿を見つけたときに走り出した。……ティアマトを置いて。
「……ッ!」
そう、逃げ出した。けれど、逃げた先にその女が居た。その女は自分が立っていた場所はそこではないと言うことも忘れて、アリスを睨みつける。……我が娘を、憎々し気に。
「――アンタ、よく私の前に顔を出せたわね」
その女は遠慮なくアリスの襟首を掴み上げた。アリスは離れようとしたのに、そんなことは気にもしていない。自分にかけられた魔法にも気付かず、ただ癇癪をまき散らす。
「お……おかあ、さ……」
ひゅーひゅーとか細い息を紡ぐその様は、とても魔法少女には見えない。そこにいるのはただの怯えた少女だった。魔法を使うことさえ、できやしない。
「聞いたわよ。あんた、ここでも成績が悪いらしいわね。まったく、ドジで愚図なんだから――どこでも足手まといね」
「……あ……いや……」
顔を横に振る。けれど、まったく力がこもっていない。
「どうしてくれるのよ。あんたが無能なせいで私がもらえるお金が減るじゃない」
「あう……」
「どうしてくれんのかって聞いてんの! 答えなさい、あんたやっぱりグズね」
「ひ……ご、ごめんなさい」
「謝ったら済むって思ってる? あんたの謝罪は軽いのよ。ねえ、どうしてくれるっていうの!」
「ひ――」
「やっぱりあんたは役立たずね。こんなの外に出すんじゃなかった」
「……や……やめて……」
「こんな役に立たないクズをどうして生んでしまったのかしらね。目に入るだけでうざったいのよ。だから――」
「……ッ!」
息を呑む。その目に移っているのは冷たく自分を睨みつける母親の姿。
「自由を阻むものは檻に」
そのキーワードを言った。アリスの中で恐怖と悲鳴と悲惨が吹き荒れて――自我が木っ端みじんに砕け散る。
「アアアアアアアア!」
悲鳴未満の叫喚――子供の泣き声が段々高くなり、可聴域を突破してキンキンと響く悲鳴が世界を満たす。世界を侵す高音が、嘆きと恐怖を奏でて空間を割る。――次元が破壊されることによって覗いた闇が現世へと流れ込む。
「――な、なにが……」
何も知らない母親は腰をぬかすことしかできない。ゆえにただ見つめ続けるしかない。……世界の滅びが始まった。
「ァァァァァァァァァァァァァァァァ!」
絶叫が窓ガラスを叩き割る。少女からあふれ出す恐怖が空を割り、地を穿つ。そして、予言された滅びのごとく瘴気が割れた空より降る、地の底より湧き出る。
「おまえか!」
絶叫を察知したティアマトが空から駆け付けた。超人的な身体能力で壁を走った。
「よくも、あーちゃんを傷付けたなァ!」
少女の影より九頭竜が頭をもたげる。ターゲットを認識すると、音の壁を叩き割って飛来する。世界のどんな砦でも一息で噛み砕く暴力が、ただの一般人に向かって殺到する。
「……っひ!」
女にとっては理解不能。まったく理解できない異界の理。魔法と言ってしまうにしても、彼女の平凡な想像力では影すら掴めない。
見ていても、見えていない。目に映るものはただの風景、細かい諸々など知らず……己の死すら見えていない。
ただ茫然と、自分の死を見送る。
「――」
だが、その九頭竜の頭は横から斬り落とされた。瘴気より湧き出ずるモノ――『ナイトメア』によって。鎌を持った人影が、黒い能面に口だけの嘲笑を張り付けて空を駆ける。
「……ッ! あーちゃん、どうしてじゃまするの!?」
ティアマトはパンとスカートを叩く。9、などという数ではない――もはや無数と言える無尽蔵の龍のアギトが母親をめがけて襲い掛かる。
――しかし、ナイトメアは数を増やす。砕き、砕かれ屍を晒す。ナイトメアは瘴気へと帰り、竜は屍を晒す。黒と赤が無限に積み重なって煉獄が地上に表出する。
「……ひぃ……ヒィィィィ!」
女はがりがりと顔をひっかく。肌が裂け、肉が見えて指を朱に染めようとかまわずにかき続ける。――この恐怖に耐えきれず心が砕けた。
「あーちゃん。そいつは私がやっつけてあげるのに!」
背後で虎が首をもたげている。咆哮で自らが生み出した竜ごと殲滅するつもりだ。北海道を消し飛ばしたクラックと同格の魔法少女であるのだ、手加減しなければ地表くらい削ってしまうのはたやすい。
「――あれ?」
だが背後から迫った鎌がティアマトの胴体を貫通する。虎の咆哮は力なく消えていく。
「ごふっ!」
血を吐いた。
「アアアアアアアアア!」
悲鳴が更に大きくなった。瘴気は広がる――今はもう、日本全土を。そして、中国大陸に達し、その先へ。ナイトメアが現れているのはこの辺り限定だが、それも時間制限付きで……すぐにでも各地を襲撃するようになるだろう。
無数のナイトメアが世界を蹂躙し、あらゆるイノチを砕く。それこそが――
「『フォース・インパクト』が始まったか」
クラックが厳しい目を天上に向ける。否、そこを突き通して天空を睨みつける。
「……なんだ?」
「計器が異常値を示している?」
前に居る研究者たちは異常事態を前にただ慌てている。
……これが、政府を敵に回すと言うことだった。どこまでも滅茶苦茶をして、責任を取る人間は誰もいない。「やったのは俺ではない」、「そんなこと指示していない」などと言い訳ばかりのくせに影響だけはばかでかい。
この事態を引き起こしたのが誰かと言えば、もちろん政府になるだろう。学院にアリスの母親を連れてきた、投薬によって精神を不安定にした、最も嫌うあの言葉を何回も聞かせた。……その全てが政府所属の人間がやったことで、しかも独断専行では決してない。
目的はクラックの殺害。これまでと方針は何も変わっていない。
別にクラックが犯行を企んでいるわけではなかった。しかし、政府にとっては国家以上の権力を持つ個人など排除する以外に選択肢がないのだ。だから、アリスを爆弾にして”破裂”させた。
国家こそ最大の暴力機関、マフィアなどという木っ端よりもよほど面子を気にする。ゆえに敵対の道から逃れるには隷属以外の選択肢はない。政府のために死ぬか、人民の敵になって死ぬかのニ択を突きつける以外のやり方を知らないのだ。
――だからこそ政府と戦う現実はこれだった。物語と違って悪い奴が一人でなんでもかんでもやったりしない。クラックの前に居る研究者たちはただ時間のかかる無駄な検査がすることが仕事なだけで、悪意によってクラックを足止めしたわけではない。
上がそう仕組んだというだけの話で、何も知らないまま破滅の引き金を引かされた哀れな民衆の一人に過ぎない。「アリスを暴走させてクラックにぶつける」という暴挙を、実行犯どもは何も知らずにやってしまった。
そう、政府と言うものは誰も彼もが責任を放棄する。
黒幕は私だなどと言ってくれる悪役など居ない。上は”下が勝手にやった”と言い、下は”上の命令だった”と言う。その根本的な原因はただの無理解、自分の仕事はこれだけだという狭量さ。きっと世界は犯人は誰だと醜く言い争いながら滅ぶのだろう。
だから。
「――チ」
クラックは哀れな人形を殺せない。
ここで時間は稼いだ、手土産だなどと言って銃でも向けられるなら敵意の向け様もあった。だが、彼らはただ戸惑うだけ。ここで死んでも、縦割り社会の弊害として責任はうやむやになってしまうだろう。
まあ、クラックに関して殺人犯と責めるのだけは別だが。なにせ、護送任務の事件でも責任ばかり追及されて、向こう側の責任を問う言葉には何も答えが返って来ていない。
手を振るって壁を破壊する。
「アリス、暴走したか。だが――」
怯える研究員を残して屋根へ飛ぶ。
「この僕はアリスを殺してまで世界を守りたいと思っているのか……?」
渦中、中心地へと跳んだ。




