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第16話 護送任務(上)


 月曜日、教室にアリスの姿が増えた。

 別のクラスからの転籍は珍しい話ではないけれど――ティアマトが”我儘”を言ったらしいことは噂として広がっている。

 教師たちの混乱、そして火薬庫への燃え尽きかけとはいえ火種を投下せざるを得なかった研究員の苦悩をよそに、しかし今日も火曜日も特に何もなく過ぎ去った。


 ただ、ティアマトとクラックのいちゃいちゃに娘役が加わったと言うだけのこと。

 もっとも、その”娘”に何かあればどうなるかという破滅のタネは設置されたまま。世界の危機が無造作に放置されている――他のクラスメイト達は、その事実に対処する自己心理の管理方法くらいは身に着けている。

 そうでなければ表面上は平和ボケした日本でありながら、裏ではどこよりも濃い闇が凝る”学園”で狂わずにいることなどできやしない。


「――で、呼び出されてあげたら……なんだって」


 平穏は水曜日に終わった。クラックはとある研究室に呼び出された。基本、学院には研究室と教室以外はない。代わり映えのしない光景の中、白い研究室には違和感のあるサラリーマン風の男が居た。


「あなたに任務です。今の世に残された人類の文明が作り上げた宝、美術品――黄金よりも貴重ということになっている”それ”を護送してもらいます」


 知らない男だった。名刺には厚生省の人間だと書かれていたがクラックは受け取らなかった。使い走りの伝令などの名前を憶えても意味がない。


「いや、その価値って君も分かってないでしょ。今の世にミロとかエジプトとか、金属クズ以上の価値もないとおもうけどね」


 向かい合う二人に分かっていないのは、それ以上に美術品と言うものの価値だった。ミイラとかファラオとか言う前にエジプトと言う地名で言ってしまっている。何かの思惑があったわけではなく、単に興味がないから例えも適当になった。


「それに値段を付けている人間が今もいるのですから、変わらずかは知りませんが貴重さの維持はされているのでは? こうしてあなたに指令が下っているわけですし」


 そして、徹夜労働のために隈を作っているこの男にもその価値は分からない。クラックほど身体が弱っている人間は居なくとも、クラックよりも心が弱っている人間はいくらでもいる。

 多少の知恵が回る人間ならば、現代文明がどれほどぎりぎりのバランスで保たれているのか気付いてしまう……不幸にも。そして幸いにもその数は多くないにしても、この男は不幸な側の人間だった。


「僕は君たちの指揮下にはない。別に君らの監視をどうこう言う気もないけれど、しかし命令を聞く義理はないはずだ。むしろ君と僕らの戦力比から言えば、君たちの方が言うことを聞くのが筋だろう?」


 クラックは攻撃的な態度を崩さない。でなければ利用されてボロ雑巾になって始末されるのみと信じていまっている。病的なまでに人間を言うものを信じない、それはクラックとなり果てた男が遺した傷。


「……ああ、報酬も用意されていますね。成功報酬で500万です」


 紙に目を落とした。この”命令”について語る前に、紙面全てを把握しているわけでもないらしい。――本当に、ただの伝令役でしかない。なにせ、クラックが何かを言い出しても彼には紙面の内容を変更する権限など持っていないのだから。


「あ、そ。まあ君が僕の話をまともに聞く気がないのも分かったし、報酬がショボイのも分かったけどさ」


 実際、アメリカならば10倍くらいポンとくれるだろう。あそこは才能あるものが富を築くことにアレルギーがない。

 もっとも、日本ならその分の富が貧者に回るかと言えばそんなことがあるはずもなく――今も無意味に箱モノを作り続けている。

 世界中から蒐集した美術品を展示する博物館だとか、人類史を保存するシェルターだとか。クラックが指を鳴らすだけで倒壊する物を、馬鹿みたいに豪華に、そして彼女に言わせれば”変な形”に作っている。


「で、やりますか?」


 そして、彼の方は徹頭徹尾に仕事へ忠実でクラックのことなど目に入ってすらいない。ティアマトに無視される典型的な”政府の人間”――しかし大多数である人間の姿だった。実を言えば子供の話をちゃんと聞く大人なら彼女は口を開くのだが、そんなことすら政府の人間は分かっていない。


「んー」


 クラックは考えるそぶりを見せるが大体の政治的事情とやらには検討が付いていた。一言で言えば、”騙して悪いが”。その手には彼が持っていた紙が握られている。

 コピーすら取らないとは、と口にはしない。いつのまにか消えていたから、彼は掌と彼女の顔をかわるがわる見て――pcに目を落とした。クラックとは関係ない仕事のメールを見ている、気にしないことにしたらしい。


(まあ、連中が初めてのお仕事でお祝いをくれてやるだなんて、”お優しい”ことを考えているわけがないわなあ。しかし、命令し慣れているせいか――”命令する”と言うことそのものが不自然なのに気付いていない。ひょっとしてとんでもない馬鹿じゃないのか、この命令をした奴は)


 この場合、仕事を任せるのは借りを作ると言うことだ。

 ただでさえクラックとティアマトに好き勝手のわがままを許さざるを得ないこの状況で、更に天秤を傾かせるような真似をするわけがない。今でさえその命を握られて居心地は最悪だろうに――たかが美術品程度で状況を悪化させるほど愚かではないはずだ。


(つまり、こいつは失敗前提の指令だな。これならば”借り”は逆転する――負い目を作るのは僕の方になる。なにせ、失敗したんだからな)


 ふん、と鼻を鳴らす。クラックに悪い笑みが浮かぶ。


(でも、お偉いさん方は凄いアイデアみたいに思っているのだろうけど……別にそんなものはどこの会社でも日常的に行われていることなんだよね。ここまで気合い入れて失敗”させる”のは普通にお目にかかれないはずだけれど、何も考えずに投げるだけで部下はけっこう失敗するものだよ。部下を失敗させて自分が有能だと勘違いしたい奴ってのは案外多いからな)


 嘲笑する。自分のことを有能だと思っているわけでもない。相手のことを無能と思っているわけでもない。けれど、未来を描く力はないと見下していた。


(そうなると、2代前の政治屋どもは有能か? あいつらは部下ではなく、敵を失敗させることで有能を喧伝したからな)


 皮肉気にそう思った。

 身体を左右に傾ける。裏は読めた。しかも、護送任務とくれば……いくらでも失敗させる手段は思いつく。対処手段くらいは軽いもの。さて、どうしようかなと考えて。


「……」


 本当に、どうしようかと思う。


(しかし――心理学的に考えればこれはあれだね、募金の話だろう。ただ1ドルの募金を願えば断られるが……100ドルの募金を頼んで一度”ノー”を言わせてから1ドル募金を頼めば入れてしまう。無茶だろうが依頼を断るだけで”借りを作った”と認識してしまう人間心理は、実験で証明されている)


 アメリカで行われた人理額の実験だ。大学生を相手にしたものだから、一定の教養を持った人間相手にはあてはまるだろう。


(ここで断れば、それはそれで僕の負い目となるのだろうね。僕自身は気にしなくとも……向こうはそう思うだろう――命令することに慣れている傲慢さがあれば、なおさらに)


 断ることで向こうがほくそえむのは――それは、とても面白くない。


「ま、いいさ。受けてあげよう」


 言葉とは裏腹に目が据わっている。


「……は?」


 彼はpcから目を上げた。メールの返信に集中していたらしい。


「二度は言わない。どうせお前はお使いしかできないんだろう? 伝言くらいはやってみせろよ」

「……私は厚生省の職員ですよ? あなたでは分からない国の運用に携わっているんです。あなたのような、大きな力を持っただけの子供とは違う――私は!」


 怒鳴る――その寸前に、クラックは手で彼の視界を遮った。あまりにもタイミングが良すぎて、彼は息を呑む。気が削がれた。


「では、この紙面に間違いがあれば君に連絡しよう。事実関係の確認から責任の所在まで――あますところなくサポートしていただけるかな? なあ、お偉くて有能な職員様?」

「はあ? それは別の部署の仕事です。やはり、あなたは仕事と言うものをわかっていない。――魔法少女というのはこれだから」


「分かってるから、この言い草なのさ。まったく、ままならんことばかりだ」


 クラックはおもむろに左を指さした。男はつられて見てしまって――


「……」


 2,3秒そちらの方向を見て。


「おい、何もないじゃないか」


 少し顔を赤くして振り返ると。――クラックの姿は消えていた。


「……ち」


 舌打ち一つ。そして、またpcに向かい始める。仕事はいくらでもあった。




「――やあ、君も大変だね」


 集合地点で指示を出している人間に声をかけた。


「……え? うわっ! あ――君がついてくるって言われた女の子? ……話には聞いてたけど、本当に凄い服を着てるね。動きづらくないかい?」


 完全に子供に話しかける口調。そして、服のことを単なるヒラヒラだと思っている。魔法少女に関わる人間ならば猛毒かのように避けるのに、触らないにしても普通に近くに寄ってくる。


(なるほど。何も知らされていないか)


 ここにいる彼が世界の裏側など何も知らないのは、明白だった。


「美術品の輸送――トラック5台とは、物々しいものだ」

「あはは。うん、輸送時の振動があっても絶対に傷つかないようしっかり梱包と固定をするとこうなってしまうんだよ」


 向こうの声はお偉いさんか誰かの娘さんかな? などと思って、どう話せばいいか戸惑っているようだ。


(……しかし、若いな)


 クラックは幼い自分を棚に上げて思う。とっくに成人しているのだろうが、四捨五入しても30に届かないだろう。


(つまりはこの若者に責任の失敗を押し付ける訳か。露骨だな)


 表情に出さず、隠れて嘲笑する。でかい仕事を任されたと思っている彼は、その実ただ失敗しか期待されず、失敗の責任だけ押し付けられる手筈になっている。始めから、成功など用意されていないと言うのに任された仕事だと喜び勇んでしまって。


「がんばってね」


 かわいそうな彼に普通の女の子みたいに笑顔を向けてあげた。

 

「ああ、君みたいな可愛い女の子に応援されるとお兄さん、やる気が出てくるよ」

「――お兄さん?」


「あ! 酷いな。確かに君くらいの女の子にしたらおじさんかもしれないけどさあ」

「ふふ、冗談よ。中、見せてもらっていい?」


「別にいいけど、梱包している最中だから邪魔しないって約束できる?」

「ええ、もちろん」


「じゃ、お兄さんと一緒に行こうか。目録を確認して数を確認しなきゃいけないからね」


 クラックはくすくす笑って、そいつの後ろについて歩く。


(――やはり、さっさと着て正解だったな。ただの護送任務なら無用でも、これは失敗前提の任務……美術品そのものに仕掛けがあるはず。事前に仕込んだ何かが、ね)


「――」

「――」


 お兄さんは作業員の人と話しながら作業している。中々仕事ができそうだが、悲しいことに今の政府で評価されるのは上に絶対服従のワーカホリックだ。こんな仕事を任されるくらいだから、やはり彼も訳アリだ。仕事ができないなら、そもそも目を付けられなどせず捨てられるのみ。


「お、そうだ。お嬢ちゃん、こいつが目玉だぜ。『蒼い涙』って宝石――俺は知らんが、こんだけでかいなら、きっととんでもない額なんだろうぜ」

「あー……サファイア? なのかな? こいつは」


「はっはっは。お嬢ちゃんには宝石はまだ早すぎるか。いや、俺も知らねえけどよ。こいつだけは俺の手で移動させとけって上が言うんだよ」


 ぽりぽり頭をかきながら、箱ごと持ちあげて別の鋼鉄製の箱へと入れた。つまりは被害の”目玉”。あれだけで被害金額をはね上げることができると言う――


(しかし、分からんな。僕の予想では9割がた、すでに偽物にすり替えられているはずだがな……しかし本当に宝石かは見分けがつけられん。ガラスかどうかも判別できんな)


 適当に幼女のような笑いを顔に張り付けてはいるが、内心では少しイラっとしていた。これでは偽物と決めつけているのと変わりがない。

 本物か判断する審美眼がクラックにはない。魔法で作成した年代を特定できるから真贋など分かるだろうという最初の目論見は完全に崩れ去っていた。この美術品達は、現代美術の品なのだ。宝石だって、最近カットされたもの。


「ねえ、お兄さん。今まで見てきたものって――本当に美術品? なんかヘン」


 美術品の知識が乏しいクラックではあるが、見事に聞いたものがあるものなどなかった。


「ああ、それはアレだ。現代美術って奴らしい。皆がありがたがるような古ーい代物でないし、あれの良さは俺にも分からんが外国のえらーい賞をバンバン取ったのがたくさんあるらしいぜ」

「あ……そ」


(これ、本当に捨てる気か? まあ、確かにガメたらそこから本物盗ってくれば企みが潰せてしまうけど)


 目の前の美術品が本当に偽物か、自信が無くなってきた。


(というか、正気か? 書類には美術品としか書いてなかったし、本気でこっちを騙す気あるのかアイツラ。こんなの、失敗前提と気付かないアホウがどこにいる)


「……ああ、そっちの方が良かったか? なんか外国じゃあもう美術品の保存ができなくなって日本で保存するっていう話もあるみたいだけどな。ま、ここにはないんだけどよ」

「んー。ま、いいよ。やり始めたことを途中でやめると気分が悪い」


「おお、なんか大人っぽいこと言うな。ま、俺の方は仕事だから途中でやめられないんだけどな」


 そして、またいくつも訳の分からない美術品を確認しては箱に詰める。後は箱に詰めるだけの状態にして、順次確認を取って入れる段取りだ。そして、その中に。


「……これ」

「お、気になったか? お嬢ちゃん。これは――鏡の騎士って言うらしいな」


「鏡の騎士……こいつか」


 もちろん、その名前を知っていたと言う訳ではない。


(鏡張り――金属探知を避けるためだな。ぐちゃぐちゃな線を書いているだけの絵画と違ってよほどわかりやすいが……神秘的とさえ見える”これ”は、その実ただ実用一点張りの実用品と言うわけだ)


 指をくい、と動かす。誰にも気付かれないほど小さな音を立てた。……鏡の騎士をノックした。鏡、というのは触れれば指紋を残すと言うのも一役買っている。単純にノックして中身を確かめると言う探偵御用達の方法が使えないのだ、クラックはあっさり魔法でやってしまったが。


(中が詰まっている。起爆装置もあるな――破壊しておくか)


 あっさりと無効化してしまった。


「ねえ、お兄さん? それの扱いは丁寧に、衝撃を与えないようにね」

「ん? いや、こんなけったいもん運ぶなら当然だが、突然どうした」


「――もう少し、見てくる」


 ふい、と歩いて行ってしまう。男は止めようかと思うが、まあ大人しい子だったし大丈夫か。時間もねえしな、と思いとどまって作業を続けた。

 トラック含め、総計17個の仕掛けを破壊した。あからさまにすぎる破壊工作――テロリストの仕業に見せかけ破壊し、その責をクラックに問い借りを作る作戦だった。しかし、その前提は今、完全に崩壊してしまった。




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