第13話 櫻樹アリス
クラックとティアマトは手をつないで登校する。まだ三日目のはずが、もはやおなじみの光景となりつつある。この二人というビッグネームを無視できるような度胸のある人間などまずいない。
――ティアマトが登校するときは、いつだって誰もが声もかけられずに遠巻きにするしかない。いじめとかそういうものでなく、”世界を救った”魔法少女への恐怖。それだけの力を持った子供に対しては、矮小な力しか持ちえない者は息をひそめて震えることしかできないんのだ。
「ティーちゃんってさ、卵焼き好き?」
「んー?」
「朝、作ってあげると喜ぶでしょ。だからそうなのかなって」
「クーちゃんの作ってくれる卵焼きはだいすきだよ?」
そんな風に会話する二人の元に、もう一人幼女が走ってくる。ここは学院だが、通う年齢層がバラバラすぎて統一感と言うものがない。だが、この場面に限れば別だ――小学生くらいの年齢にしか見えない。なんというか、覇気がない。見てわかる異常さが何もない。
「……あの!」
呼びかけて、ぜえぜえと息を切らせて、しゃべれなくなってしまう。子供らしい考えなし、体力もない。弱弱しくて、すぐに失敗する子供。
「だいじょうぶ? ほら、おちついて」
ティアマトがすぐにお姉さんぶって、その子の背中をなでてやる。
「……はぁ。……はぁ」
けれど、走ってきて体力が尽きたのか中々息が整わない。座り込んで、荒い息を繰り返す。
「やれやれ。手間がかかる子ほど可愛いというけれど」
クラックがその子の背中に手を置いた。
「……あれ?」
嘘のように呼吸が軽くなった。少し疑問に思ったが、まあいいやと思い直す。誰もが自分のことに精いっぱいで、そこに転がっている不思議など気にかけない。こんな、子供でも。
「息は整った?」
「え? うん」
「それで、あなた――どうしたの? ティアたちになにか、ごようかな」
「あ。……うん、そう。えと……あのね」
考える。空を見て、地面を見て、横を見て――思い出しているような仕草をして。
「お友達になってほしいなって」
棒読みで言った。
「うん、いいよ。お友達になろ。ティアはティアマトだよ」
それは何も考えていない笑顔だった。ティアマトはいつもそうだ。政治的なパワーバランスこそが救世主としての行動規範であるはずなのに、この子はいつだってそれを理解しない。
「私、アリス」
「よろしく、アリス。僕はクリック・クラック。クラックでいいよ」
「ん。よろしく、クラック」
妙に表情が抜け落ちた顔。それはこの学院の魔法少女が”転校”する者がその寸前に見せる顔だった。……もちろん、彼女たちがどこに行ったかは調べても出てこない。
「さ、いこー」
ティアマトはそう言って、さっきまで離していた手をクラックとまた繋いで、反対側の手でアリスの手をつないで歩きだす。
そして、一方でクラックはその裏まで見抜いていた。
(この子、捨て駒だね。廃品利用、といったところかな。精神が壊れる寸前では魔法もまともに扱えないだろうしね。僕たちがこの廃品に対してどういった行動を見るかのサンプル。そして、足手まとい――かな)
簡単に彼女を派遣した者たちの思惑を把握してしまった。そんな”裏側”があると言うことすらわからないティアマトと違い、クラックは人間社会が悪意によって構成されていると認識している。そんなクラックだからこそ周囲で蠢く作戦行動を見通せる。
けれど、その先までは見通せない。
そう、”それ”が研究員に言われたことで、彼らが完全に信じてしまっている『建前』だった。否、建前と言うよりはそれは悪意の迷宮の始まりに過ぎない。まだ見ぬ闇に潜む者たちが張り巡らせた陰謀の糸はまだ見えず――存在することすら掴めていない。
「――アリス。それと、ティーちゃん。今日は外食でもしようか?」
「でも、外出許可証取ってないよ?」
「問題ないさ。僕らが勝手に出れば、向こうが作っておいたことにしてくれるさ。規則違反は駄目だからね」
滅茶苦茶なことを言う。自分で規則を守る気など毛頭なく、相手に曲げさせる気だ。もっとも、それは思い付きなどではなかった。今の国会ならば、魔法少女を”使用”できるならば法律くらいいくらでも作る――つまり、後付けのねつ造など今更だ。
「……もう。あまり勝手なことばかりしちゃ、だめなんだよ」
可愛く怒って見せた。そんな微妙な政治的駆け引きなどティアマトには意味が分からない。そもそも難しいことを理解する気もない。こちらはこちらで話を聞かないことが政治的な駆け引きになっている。天然だが。
そして、放課後。
「――なぜ、私が保護者役などと」
三人の後ろには二人を学院に連れて行った秘書。クラックが電話で呼び出した。本当に好き勝手やっている。とはいえ、クラックが俗ならばそれはそれで人類にとって喜ばしいことだ……付き合わされる当人を除いては。
「見捨てられたんじゃない? 仕事もないでしょ」
気楽に言うクラックを殺意を込めて睨みつける。
「元はと言えば、貴様が……ッ!」
歯ぎしり、手がぶるぶると震えているがあげることはない。ここで手を上げてしまえば本当に終わりだ。落ちこぼれる、どころか――路頭に迷いかねないのだから。ここで、一家まとめて暗殺されることまで考えに入れていないのは彼女の甘さだが。
「――アリスは食べたいもの、ある?」
クラックは彼女の怒りなど無視する。連れてきたのは面倒ごとを避けるためだけだ。政治家連中はクラックとティアマトが勝手に街に出たら肝が冷えるだろうから。
「……」
そして、アリスは困ったようにほほ笑んだ。
「あーちゃん。思いついたものでいいんだよ? なんでも言って?」
ティアマトはこのか弱い少女を保護対象と決めたらしい。すぐに馴れ馴れしくなり、とたんに姉ぶって色々と世話を焼き始めた。
「……あう。――えっと……」
まごまごとしている。二人は歩調を合わせてのろのろと歩いている。後ろの女はせかせかと立ち止まったり、歩いたりで忙しそうにしている。
「あー。えっと、オムライス……食べたい、かな」
「いいよ。じゃあ、オムライス食べに――どこ行こうか? クーちゃん」
「適当なファミレスでいいと思うよ」
「そうだね」
そして、歩くスピードは変わらない。女はイライラするが――前の女の子たちはそんなこと知ったことではないのだった。
適当なファミレスを見つけると中に入り、子供三人で縦に並ぶ。女はやってられるかとばかりに別の席に移る。監視できれば隣にいる意味もない。
子供の突飛な行動など普通のことで、店員は女のことは少し奇妙に思ったが、特に考えることもなく席に通した。一般人に魔法少女のことは秘匿されている。この奇妙な4人組が政府関係者などとは夢にも思わずに普通に接客して、普通に退店まで見送った。
「――おやまあ」
クラックが立ち止まった。
「今回は完全武装した君らの追跡に対して、この僕がどう出るかの実験だと思ったんだけどねえ」
振り返る。とても隠すことのできない”ごつい”銃を抱えた何人もの男たちが人目もはばからずに後ろにいた。
「うん? ”ごえー”とか言う人じゃなかったの、その人たち」
ティアマトは彼らのことを護衛と勘違いしていた。基本的に世界で最も厳重な監視が敷かれていて、見張られているのは日常だ。
更に言うなら、敵意を持っているのも普通……殺されては世界が滅ぶが、こんな彼女を信望する者もいない。
「……え? ……え?」
そして、アリスは初めて感じる殺意に身をすくませる。実験対象として死んでもいいと思われていた彼女だが、抹殺対象として見られたことはなかった。――震えて、動けなくなってしまう。
実験対象になり心を折られたアリスには、敵と戦おうなどと言う強さは残っていない。
「――な。ああ……?」
そして、秘書の女。こちらは呆然としていた。やるべきことを見失っている。一般人として巻き込まれたのなら逃げればいい。
しかし政府側としてならそれなりの対処の仕方がある。だが、目の前の銃と言う暴力に思考を奪われて何もできない役立たずと化していた。
「驚かないな」
リーダーらしき男が口を開いた。
「何を驚くことがある? 僕たちは世界を救う能力を持っている。裏を返せばそれは世界を滅ぼす力に他ならない。サードを”どうにか”した僕の破壊能力ならば、人類を石器時代にまで巻き戻すこともできるのだからな。そんな危険な存在を殺そうという君たちは勇敢で――同時に無謀だな。それを僕は勇気とは呼ばない」
「……なるほど。それが貴様の自信の源か。だが、戦闘においては能力の大小など関係がない。それを教育してやろう。そして、世界を破壊するとやらの魔法は使わせん。そんな暇もなく殺す」
銃を構える。完全に本気で言っていた。引き金を引く方が魔法より速いと本気で思っている。……魔法発動の瞬間さえ見極められないのに。
「へえ? 君ら、政府サイドではないんだねえ」
魔法少女は銃では殺せない。調子次第ではあるが……普通の魔法服でも銃弾は通さない、世界級の魔法少女ならば怯ませることもできないことを彼は知らない。
「……んー。いつもの人たち、向こうでいなくなってるよ、クーちゃん」
いなくなっている=死んだ。それは彼女独特の言い回しだった。
「なるほど、君らはアンチ魔法少女組織か。ま、そんなのがいるとは思っていたけどねえ。大体日本なんて国に情報封鎖なんて土台無理。そんなのはずっと前から言われたし。君らだって、日本が頼りにならないからこんなことしてるわけだろう?」
「そう――我らは革命軍。魔法少女に支配されたこの世界を、我ら人間の手に取り戻す!」
高らかに宣言した。だが、その理念は間違ってはない。魔法少女ティアマトはいつだって世界を滅亡させられる。彼女の力により蘇らされた人間は、いつでも蘇生をやめて死体に戻すことができるから。
「けれど、ティーちゃんを殺したらそれこそ世界の滅亡だぜ? サードとは違う、セカンドの傷跡は塞いだだけで治ってないんだからさ」
クラックはけらけらと笑う。
「そのような情報工作など信じる馬鹿が居るかよ!」
ティアマトがセカンドで奪われた命に生命を与え、生き返らせた。しかし、それはティアマトが居てこそ維持される――それは荒唐無稽な話だ。信じない者が居ても不思議ではない。
殺しても問題などと勘違いしている。実際には、それこそが滅亡の引き金そのものだと言うのに。
「――貴様を排除する。魔法少女『クリック・クラック』! そして、魔法少女『ティアマト』!」
「では、見せてもらおうか? 君の御自慢の戦力とやらを」
「ああ――見せてやるとも!」
けれど、何も起こらない。
「……あ?」
後ろを見る。完全武装した兵たちが集結する手はずだったのだが……
「前から思ってたけど、人間って殺し合いに向いてないよね。あれだけの残虐性を秘め、虐殺ですら容易に実行するというのに――敵もまた自分を殺そうとしているという単純な事実に気付かない」
クラックはため息をついた。
「――で、これで終わり? 三人組二つで6人のユニットを組み、20のユニットでそれぞれ突撃……それを目くらましに狙撃手が狙う。うん、いい戦術だと思うよ? でもさ、対魔法少女戦法としてはセオリーすぎる」
戦術が完全にばれていた。しめて120人、それだけの人数を完全に補足し自在に魔法を行使する。これが覚醒した魔法少女に対して国家が無力である理由だった。とはいえ現存するのは三名で、そのうちの二名が彼らの前に居るのは襲撃者にとってはこの上ない不運だった。
「……俺の戦術が教科書通りだと?」
「そんなの未だこの世に存在しないということを除けばその通り。魔法少女を殺すなら認識外の一撃が手っ取り早い。出力の上限なんてあってないようなものだから木っ端ですらミサイルを防ぎかねないが、逆に防御の意思がなければナイフ一本で殺せてしまえるのが魔法少女であるのだからな」
クラックはすらすらと述べるが、そんなものは幾多の人体実験を積み重ねても研究者たちがたどり着いていない事実だった。
「……は?」
だからこそ、襲撃者の彼もまた意味が分からず呆けてしまう。国家の闇がその残虐性を最大に発揮してまで追い求めた真実が呆気なく開陳されていた。
「ま、君には意味の分からない話か。……タイムリミットだ」
人差し指を立てて、親指を90度にして、三本の指を折りたたむ。それは、子供が拳銃を手でまねているのと同じだった。
「……バン」
言葉と同時に頭が弾けとんだ。……ティアマトの監視部隊の後続部隊が一員、一人のスナイパーが行ったことだった。
「むー。命が消えてく……ただ、散っていく、よ」
ティアマトの生死観は独特だ。なにせ、生命を司っているのだから他者に理解できるはずもない。『生命は喰らい合う』、それこそが教義――それは弱肉強食よりも適者生存に近いが、しかし本質的にはまったく異なる。
その彼女からすれば、クラックが気絶させた敵を政府の部隊がさっくりと殺していく光景は気に喰わないのだろう。
「うう」
そして、震えるアリスはただ見ていた。ティアマトがお姉さんぶってずっと慰めていたが、まだ落ち着かない。
「――アリス。おうちに来る?」
くすくす笑いながらクラックが問う。こちらも政府側の後続部隊がテロリストを排除し始めたのに気づいている。”後始末”は彼らに任せればいいと、酷薄に切り捨てて忘れてしまった。
「……ッ!」
アリスがビクッと震える。いきなり声をかけられたと言うのもあるにしろ、ティアマトの異常性は学院に居るだけで伝わってくる。そんな家なのだから、扱いとしては魔王城とかそんなものだ。
「――」
それでも、こくりとうなづいた。他人の優しさなどというものに触れたことはなかったから、もっとほしいと思ってしまう。”底なし”の奈落こそがアーティファクトを引き寄せる精神性であるがゆえ。
「うん。おいでおいで」
ティアマトは相変わらず笑顔で。
「歓迎するよ、アリス?」
これまでクラックのアリスに対して作ったニヤニヤ笑いではなく、本当の笑顔を向けた初めての瞬間だった。
「……うん」
アリスには駆け引きなど分からない。けれど、子供な分だけ他人の感情と言うものに敏く、わずかながらも向けられた暖かい感情に戸惑いながらも笑顔を返した。
閉ざしていた心に灯った暖かい感情。
そして、反して肥大する絶望。希望があるからこそ絶望はより深くなると語ったのは誰だったか。アリスの頭の中には声が反響していた。
『自由を阻むものは檻に』
いきなり来て研究者たちに偉そうにしていた白衣の女、何かを想う心などすでに死んでいたが――”それ”を言われては別だ。魔法少女はいきなり生まれたわけではない、人としての背景がある。だからこそ政治的に厄介であるのだが……
そしてアリスは魔法少女としてはスタンダードな、親に虐待を受けていたタイプだった。存在を無視されて、お腹が空いて、立てなくなって。朦朧とした意識の中で手を伸ばして……元の場所に蹴り込まれた。そこから出てくるなと。
その母親は娘と引き換えに政府から多額の謝礼をもらって何不自由なく暮らしている。アリスにとっては母が良い暮らしをするのは嬉しいことで、自分が犠牲になってもそれを恨むことはなかった。
……ただ、怖いだけだ。
一畳分を檻と見たて、そこから出れば体罰を加える。……だから、何かをするのが怖い。外に出る、という潜在的な恐怖がずっと頭に残っている。その言葉がずっと頭に残っている。……一歩踏み出すのは、とても怖いことだった。