第12話 魔女の未来
「……ふわ」
クラックはごそごそと起き出して目をこする。が、起き上がることはできなかった。
「おはよ、クーちゃん。はやかったね?」
それは眠った時と同じ、ティアマトに抱かれていたから。
「そう、何時間もお昼寝していても健康に悪いしね」
もっとも、魔法少女……それも覚醒体とあれば、健康なんて何も関係がないのだが。
「そうなの? クーちゃんは物知りだねえ」
なでなでと頭をなでる。
「……もう。僕、子供じゃないんだけど――」
口をとがらせても、抵抗はしない。身体を任せて、心地よさそうに目を細めている。
「ふふ」
満足げに笑って、手を離したのは10分後だった。
「さ、夕ご飯を作ろうか。……手伝ってくれる?」
「うん!」
元気よくうなづいた。
クラックはドアの前にかけられた買い物袋を回収して台所に立つ。昨日の秘書に連絡して買わせておいた。完全に雑用の仕事に、もちろん難色を示したが押し付けた。どう考えてもクラックの機嫌を損ねることは不利益でしかないため、従わざるを得なかった。
クラックはてきぱきと準備を進めて、あっと言う間に作ってしまった。そもそも手の込んだ料理は作れない。
「……うわあ。おいしそうだねえ」
ティアマトは体を左右に揺らして喜んでいる。子供らしいというか、無邪気にすぎる。
「手伝ってくれたティーちゃんのおかげだよ」
「ほんと? うれしいな」
さらに機嫌がよくなる。そのまま団欒に入って、仲良く過ごす。そして、当然のように一緒に寝る。
「――ここは?」
寝入ったと思ったらおかしな空間に居た。クラックだからこそ分かるが、位相と次元が狂っている……まかり間違っても現実の空間ではない。
「これは、ティーちゃんの部屋の比じゃない……!」
空間干渉系の魔法が空間そのものを荒らしている――にしては、その干渉を感じない。魔法を使っても、”魔法を使った”という気配を隠すことはできない。部屋など、その最たるもので気配がありすぎて逆に細かいものがわからないほどだ。
これは、その気配が一切なかった。
「――無様」
吐き捨てるような声。彼女は優雅に座って紅茶を飲んでいる。
「互いに無視できると思ったのは勘違いだったみたいだな。……僕に言いたいことでもあるのか? 魔法少女『トーチライト』」
クラックはその水着のような格好をした女を睨みつける。直接対峙したことはないが、彼女がサーズデイを殺したことは分かっている。そして、データは機密書類で見た。何も情報は載っておらず、それこそ分かったのは名前くらいだが。推測するには十分だ。
「下らん。まったくもって下らんな。これが同じ魔法少女とは気が滅入る。昨日は消耗しすぎてこの領域に入ることもできない有様か。その様では世界の危機に対する戦力とはなり得んな」
「――それを言うなら君だろう、なあ『英雄』。君は正義の味方……君が組するのは『正義』でしかない。ありとあらゆる犠牲の上に、ただ一人で立つ悪の虐殺者め。君が世界を救った後には瓦礫以外の何が残る?」
バキリ、という音が響いた。両者の放った攻撃が空中で衝突、強大なパワーがぶつかったことで空間の崩壊現象が起きた。
「ここでなら全力が出せると、はしゃいでいるのか? ガキだな。――直情、かつ短絡。ならば、ここで後顧を断つのも手か」
「君のような爆弾を放置するほど危なくはないさ。お前の正義が世界を滅ぼす前に、ここで散るか? どうやら、”ここ”はすでに滅んでいるようだしね」
崩壊現象がそこかしこで起きる。クラックの怪我はこの空間では治っていた。ゆえに全力が出せる。
「……ふん。ここで死ぬことを選ぶか、愚かな」
机に手をかける。立ち上がる。
「君は誰よりも己に誠実で、ゆえに誰よりも愚かだ」
そして、クラックが一歩を踏み出そうとして。
「……クーちゃん!」
幼女が一人抱き着いてきた。
「ティーちゃん? なんで、ここに――」
「そいつも覚醒している。この『魔女の未来』に来る資格を持っているのは当然だろう」
トーチライトはもう座っている。
「……」
クラックも黙った。警戒したままだ。
「――トーチライト、クーちゃんに手を出したら、ゆるさない」
ティアマトも本気だ。世界を救った魔法少女……その力は強大に過ぎるがゆえに敵意と言うものを見せることはあまりない。文字通り、敵なしだ。が、ともに世界を救った魔法少女を前にしては別。
「……は。ティアマト、ずいぶんとご執心だな。以前の博愛主義が見る影もない」
「ごしゅ……? はく……?」
首を傾げた。難しい言葉は分からない。
「面白くないな。その弱さがある限り、私の相手にはなるまいよ」
トーチライトは不機嫌に顔をそむけた。興味を失って椅子に座りなおした。
「――」
クラックもそこに座る。紅茶の載ったテーブル……それ以外にものはない。視界の全てを荒野が埋め尽くす不毛。歩き回る価値などないことは分かっていた。
「……クーちゃん」
同じ椅子に座って抱き着く。トーチライトを警戒しているのだろう。ともに世界を救った魔法少女、とはいえ通じるところは何もないらしい。
話すことなど何もない。重苦しいだけの沈黙が満ちる。
そして、その沈黙を保ったままずっと時間が経って……夜が明ける。
とある研究室の一室で。
「――うあ」
漏れ出た声は身じろぎした際に生まれる肉体の反射運動。彼女の意思が込められた”行為”ではない。そもそもにして、彼女にそんな意思など生まれるはずもない。
「あ゛」
電極が刺されている。鎖で縛り付けられている。これは見た目そのままに実験対象、ということだった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
電気。魔法少女への対策――対策を打つには何が効くかを調べなくてはならない。毒が通じないのに、毒を塗ったナイフを使うことほど馬鹿馬鹿しいこともない。それを防ぐには実験するしかない……このように。
「……あ」
気絶した。耐性は人間と同様……だったら万々歳なのだが――魔法少女はその時々で耐性が変わる。実験に使われているこの魔法少女とて痛がり方は様々である。ほとんど効かない日もあれば、苦しんで気絶する日もある。
そして、クラックが口に入れただけで死ぬ毒を無効化したことなど実験する人間たちは知ってすらいない。
「――この魔法少女『ナイトメア』は使い物になりませんね」
研究者がため息をついた。
「もうほとんど魔法を使うこともできない落ちこぼれ――元々は動くぬいぐるみを召喚する魔法でしたか」
他に働く職員も無味乾燥な瞳をしている。もう少女を相手に悲惨な人体実験をすることに何の痛痒も覚えていない。慣れてしまった。
「ああ。アーティファクト『シルバリオ・キィ』は己の手足となるモンスターを召喚する能力、ではあるが――初期実験ではアサルトライフルを持った軍人一人で潰せてしまった。実験と言うからにはもちろん閉鎖空間で行われたにも関わらず、だ」
「ああ。術者を外に出しての戦闘実験ですか。本人が狙われない有利な条件でやる理由については疑問でしたが、単にそれでも勝てないだけでしたか」
「そういうことだな。しかも、魔法はだんだん弱まってきて今や戦闘実験にすら使えない有様だ」
散々な言われようだが、言われている彼女にはもはや聞こえない。電撃で気絶しているのだから仕方ない。
「――」
魔法少女『ナイトメア』は沈黙する。魔法の使用には術者の精神が関与する。逃げられない状況に監禁し、繰り返し人体実験を行われれば魔法が使えなくなってしまうこともありえた。
「だが、こいつを使用しての実験もおしまいかもな。なにせ、まだランダム耐性が残っているとはいえ研究データは取りつくした感はあるしな」
「ですが、ほとんど立証できそうな仮説もありませんよ。データに規則性がなさすぎます」
「バラバラならバラバラで、そういうデータと言うことだよ」
笑う。気絶している少女をよそに雑談で盛り上がっていく。
「……あの、指令が降りました」
そこに切羽詰まった顔をした部下がやってくるまでは。