謀(はかりごと)4
本日、1話の投稿となります。
李山海は自室で自問自答していた。
自身は王や王族に対して畏敬の念を持っている。
しかし、王世子嬪孫氏は受け入れることが出来ない。
商人などと言う賤しい出の女の胎から次の王が生まれる事など許し難いことであった。
なぜ、自分の言を王は聞かないのか。
故に、李山海は仕方無く実力行使にでた。
王世子嬪孫氏を始末すれば王も気付くと信じていた。
まあ、ついでに東人にとって邪魔な王世子も始末できればとも思ったが……
しかし、送り込んだ刺客はことごとく失敗してしまった。
まあ、仕方無い。次の機会を待てば良い。
そう自身で納得しかけた時、屋敷の門の辺りが騒がしい事に気づいた。
「何事だ!騒がしい」
家宰を呼ぶために声を出したが、肝心の家宰がやってこない。
苛立った李山海が立とうとした時、房の外で家宰の叫び声が聞こえた。
「お前たち、ここが誰のお屋敷かわかっているのか!大監、大監!」
途端、荒々しく房の扉が開かれ、一人の武官が房に入ってきた。
「貴様!ワシを……」
李山海はそれ以上、言葉が続かなかった。
見知った顔ではあるが、初めて見る姿であった。
李山海は、その武官の纏う殺気に呑み込まれてしまう。
押し入ってきた武官は、王世子の護衛、朴実であった。
李山海は自身の企が露見した事を悟った。
ただし、李山海は結果として自身に咎が及ばない事を理解していた。
東人が凋落したことが、結果として自身に有利に働いていることを。
ここで、李山海を処分してしまえば、
東人の重鎮は、柳成龍一人になってしまう。
宮廷の均衡を重視する国王……宣祖は、それを嫌うであろう。
李山海はそれ故に、自身に咎が及ばないと考えている。
加えて、今回はどうやって知ったかはわからないが、
今までも慎重に事を進めている。
「まあ、数日、入牢すれば大丈夫であろう」
李山海は自身にそう言い聞かせて、捕縛されたのだった。
結果は、李珥の予想した通りになった。
厳しい詮議も無く、李山海は釈放される。
確かに、李山海は咎を問われ無かった。
しかし、東人の一部が罪を問われ、離島へ流された者も出た。
事件に関わったと思われる東人の大半は
財産を没収され、宮廷での地位を追われた。
これは、李山海にとって、予想外であった。
子飼の下級官吏が悉く罪に問われてしまったのだった。
いかに李山海と言えど、王の決定は覆すことは出来なかった。
国王……宣祖の怒りはそれ程に凄まじかったのである。
政治の都合から、李山海は不問になった。
しかし、子飼の下級官吏の多くが罪に問われたのである。
これでは、何をするにしても身動きが取れない。
窮した李山海は、東人の重鎮を頼った。
李山海とは異なり、清廉潔白を旨とすることから、
自身とはそりが合わない人物、柳成龍である。
「……大監、お助け頂きたく……」
深く頭を下げる李山海をしかし、柳成龍は冷たく遇らう。
「無理だな。打つ手がない」
「……そこを大監のお力で……」
「三族揃って、斬首にならなかった。それで良しとせよ」
李山海にしてみれば、ここで引くわけには行かない。
このままでは、力を失い没落への一直線が目に見えている。
尚も食い下がる李山海に、柳成龍が言い放つ。
「貴様は、王世子様を軽く見すぎたのだ。まだわからんのか」
「それは……」
「ここへ貴様がやって来ることは、主上も王世子様もお気づきであろう。
貴様の命と引き換えに、我らは多くを失った。多くをだ」
李山海は気づいていないが、既に東人に力は残っていなかった。
東人の金蔓とも言うべき仁嬪をはじめとする金一族は、既に没落している。
なんとか地位を保っていた派閥の者達も、今回の件でほぼ根絶やしにされた。
李山海が、己が権力で謀に巻き込んだが故である。
敢えて言えば、東人は李山海を不問に付する事を押し付けられたのである。
国王……宣祖は以前とは違い、力と自信をつけている。
ただ、西人の突出を抑える為だけに、東人は生かされている。
それを肝心の李山海が分かっていない。
柳成龍を筆頭とする東人は結果として、
李山海の助命を無理矢理、希わされたのである。
そして、宮廷での発言権を失い、多くの官職も失った。
東人瓦解の原因を作った李山海は結果、
没落への道を歩み始めるのだった。
東人の多くが、王世子……臨海君の怒りを買うことの危うさを知った。
いや、思い知らされたのである。ただし、その代償はとてつもなく大きかった。
当事者達は、その結果の重大性をいやと言うほどわかっていたが、
漢陽の町衆は、違う噂を耳にすることになる。
王世子を襲うと言うとんでもない事件であったのに、なぜか誰も死罪にならなかった。
多くの者達が粛清を逃れた事は王の「慈悲」であると。
大逆罪は「車裂き」が当然であったが、李山海は罪を問われなかった。
王は法を守ったが合わせて慈悲を与えた、と人々は受け取ったのだ。
当然に、ここまで王に都合良く噂は流れない。
王世子……臨海君が寺党を使って、噂を広げたのだった。
成均館に力をもつ李山海の力を徹底的に削ぎ落とすための工作であった。
成均館の進士を煽って、強訴に訴えられては困るからであった。
慈悲を懸けられた者に対して更に慈悲をこう事は恥と認識されからである。
同じ頃、牢に繋がれていた「水売りの元締め両班の息子」の男は、
自身が王世子達に騙された事に気がついた。
詮議を解かれ牢に戻されたところ、隣の牢に母が捉えられていたからだ。
「母上、お体は大丈夫ですか」
声を掛けた男に母は怪訝な顔を向ける。
「何を言っているのですか、お前は。私はどこも悪くはありませんよ」
「え?」
母は無理をしている訳でも無かった。確かに怪我をしている風でも無い。
男は意を決して、母に全てを語った。
そして、母の答えは男を驚かすには十分だった。
母は男が王世子を襲った日から数日後に捕らえられ、牢に繋がれた。
理由は告げられずにである。しかし、「それだけ」でもあった。
ただ、一人の男が、今は男の入っている牢から、
じっと自身を観察している事が気持ち悪かったと答えた。
男も母も知るすべも無い事だが、その男は寺党の一人である。
男は「役者」として「女人」を演じる事に定評のある男だ。
元々、頭が回る男は「あの母」が偽物であった事に気づいた。
そして、自身が上手く謀られたことに気付く。
しかし、男の心に怒りは無かった。
母が無事であった事、それだけで良かったのだ。
ただ、自身の短絡な行いによって母をも罪に巻き込んだ事を心から悔いた。
しかし、男の「驚き」はそれで終わりでは無かった。
捕盗庁で行われた詮議で男は「商人」を襲った罪に問われた。
本来なら、「両班」には問えない罪である。
しかし男は、あえて反論はせず、罰を受け入れた。
結果、男は地方で奴婢として労役に服することとなる。
反逆罪を問われ母共々斬首のはずが、命を救われた。
剰え(あまつさえ)、母に至っては罪すら問われなかった。
男は、臨海君の配慮を知った。
男は知らなかったが、「水売り」が廃れた理由は王世子……臨海君の
進めた、深井戸を含む「衛生改革」が遠因でもあった。
その点を考慮して、男の罪を軽くしたのだった。
後日、地方へ送られる奴婢と役人の一団の後ろを下女と共について行く壮年の女の姿があった。
時折見かける風景に、街の人々は何の関心も示さなかった。
王世子……臨海君は、国内の騒乱の芽を摘み取ることに成功した。
壬辰倭乱が目の前に迫っているときに、国内で騒乱を起こす事は出来なかった。
しかし、騒乱の嵐は収まる事なく、更に朝鮮王国に吹き付けることとなる。
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