干ばつ 【その7】
本日、一話の投稿となります。
「王様に申し上げます、どうか、どうか……臨海君様を世子様に柵封して下さいます様に、お願い申し上げます!」
床にひれ伏した仁嬪は頭を上げようともしない。
朝議に集まった重臣達も唖然として、仁嬪を見守る事しか出来ない。
俺は冷ややかな目で仁嬪を見つめる。
仁嬪が柵封を言い出す可能性を俺は気付いていた。
キム一族は殆どが捕らえられ、処罰を受ける事となった。
仁嬪とその子供達だけは、親父……宣祖の側室と王子王女と言う事もあって捕らえられてはいない。
但し、全員に禁足令が出され軟禁状態に置かれている。
このまま行けば、いかに寵姫と言えど失脚は免れない。
場合によれば連座の可能性も十分にある。
では、どうするか。
仁嬪が考えたであろう手は「恩赦」だろう。
儒教を国教とするこの国では、国の慶事に恩赦を出す。
今、最短で可能性のある慶事なら王世子柵封しかない。
親父……宣祖は元気だし、王権も強化されつつある。
恩赦に成り得るのは、空位の王世子を埋めるくらいだ。
度重なる失態で仁嬪の息子、信城君が王世子になる事は無い。
最短距離にいる俺は今回、さらに実績をあげた。もう、間違いはないだろう。
だからこそ、仁嬪は自身が処分を受ける前に慶事を起こそうと動いた。
それが今日のこの直訴だろう。
呆気に取られている重臣達の殆どは気づいていないが、親父……宣祖は気付いている。
と、言うよりも俺が先日この可能性を伝えてある。
俺と親父……宣祖の関係はそう言う話しもできる程だ。
親父……宣祖の目も冷たい。仁嬪は気付いていないのか……
「誰かある、この者を連れて行け」
親父……宣祖の声は冷たかった。声の冷たさに気が付いたのか仁嬪が顔を上げる。
仁嬪の顔には何とも言えない驚愕が張り付いていた。
仁嬪にすれば、今日の行動は不意打をしたつもりだったはず。
自分の不意打に親父……宣祖は何らかの恩恵を自分にもたらすと考えていたのだろう。
結果は最悪だ。親父……宣祖にすれば、俺からの警告が空振りに終わる事を望んでいたはずだ。
それが、まるでシナリオの通りに演じる役者の如くここでひれ伏しているのだ。
親父……宣祖の神経を逆撫でした事に間違いは無い。
親父……宣祖の命令に外から兵が入って来た。
その時だった、一人の重臣が声を出した。
「王様に申し上げます、臨海君様を世子様に私も推挙致します」
リュ・ソンニョンだった。
親父……宣祖の目が細められる。
その親父……宣祖の顔を見ながらでも続いて推挙の声を出す重臣が続いた。
東人の重臣の殆どが推挙の声をあげた。
やられた……
計った訳では無いだろうが、東人は信城君を押していた。
しかし連中にすれば、神輿がひっくり返ったからと言って今更俺に付くわけにいかない。
途方に暮れている時に仁嬪が動いた。
そして、リュ・ソンニョンも動いた。そこで此れ幸いと俺を推挙したのだろう。
イ・イの顔を見ると何とも言えない様子で苦笑いしている。
本来であれば、俺を推挙するのは西人の筆頭、イ・イだ。
その役割を仁嬪と東人に取られたのだ、苦笑いも出るだろう。
そして、イ・イが俺を推挙すると声を出すと後は重臣全員が声を揃えて俺を推挙すると言い出した。
目を瞑り、重臣達の声に耳を傾けていた親父……宣祖が手をあげた。
それと共に重臣達の嘆願の声が止む。
「皆の者の気持ちはよく分かった、臨海君に命ずる。王世子として励め」
「王様に申し上げます、私はその重責に相応しくございません、どうぞお許し下さい」
様式美というやつだ。その後もう一度、断り三回目に受諾する。
俺は王世子になった。
前世から大きく歴史が変わった、前世では臨海君は王世子に推挙すらされなかった。
俺の王世子への柵封が決まって数日後、キム一族の処分が中止された。
慶事が決まった事に伴い、恩赦が出るからだ。
しかし、キム・ゴンニャンの処刑は変わらないだろうし、関わった者の処刑も免れないだろう。
親父……宣祖の怒りはそれ程に凄まじかった。
先に処刑を免れ、離島へ流される事となった仁嬪の父親、キム・ハンウは護送の途中で病死した。
その他の者も多くが刑に服する途中で病死した様だ。
そして、子女の多くは奴婢に落とされた。
前世では仁嬪の一族として、また後の仁祖の親族として栄華を誇った一族が消えた。
ここでもまた、大きく歴史が動いた。
俺は王世子に推挙されて数日後、親父……宣祖に呼ばれた。
重臣のいない席で親父……宣祖から、あの朝議の事を聞かされた。
親父……宣祖も実はあの席で俺を王世子にするつもりだった様だ。
イ・イが推挙の声を上げる段取りだったらしい。
それを俺の読み通りに仁嬪がやったので、相当気分が悪かった様だ。
しかし、結果として俺の反目でもある東人が推挙してので結果良しと言う所らしい。
「あの場で問えなかったが。臨海君よ、褒美をとらせる。望みを言ってみよ」
「ありがとうございます。それでは一つお願いがございます」
「願いと?それはなんだ」
「……女官を一人解放して頂きたいのです」
「女官を?」
朝鮮王国の女官は確かに男尊女卑が激しいこの国において女性としては地位がある。
そしてその対価が「王の女」と言う立場だ。
王宮の女官は全て王のモノ、故に結婚などは出来ない。
途中で辞めたければ、死ぬか奴婢落ちするかぐらいしか方法は無かった。
「……よかろう、女官を一人解放しよう」
「ありがとうございます、父上」
親父……宣祖と少しの間、話をして便殿を後にした。
数日後、俺の内殿から女官が一人消えた。
文字通り、消えたのだ。
記録からもその女官は、初めからいなかった。
俺は手元にある書物に目を落とす。
『密陽孫氏族譜』
俺が変えた歴史……それに新たに一枚、付け加える事にする。
程なく揀擇が始まる。俺は揀擇で自分の我儘を通すつもりだ。
その為の布石は今、一つ打った。
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