生きるために 【その3】
さて俺の護衛候補を探すとしよう。別将達が鐺鈀の訓練をしている場に俺は歩み出ていった。尚宮達は珍しく気付かなかった……気付かれないように進み出たのだが。
俺の姿に気が付いた見張り役の中軍が訓練を止めた。
「おい、門衛は何をやっているのだ。子供が紛れ込んでいるぞ」
俺の服装はその辺の裕福な両班の子供と変わらない。王族の顔など見た事もない中軍の連中だから俺の顔を知らなくても仕方ない。ただ俺の事を「餓鬼」と言わず「子供」と言った辺りソツのなさを感じる。
俺が離れた事に気が付いた尚宮達が顔色を変えて飛んできた。そして俺を指差した中軍に噛み付かんばかりの勢いで怒鳴りつけている。それ位にしといてやれよ、可哀想にその中軍は俺の前に平伏して「どうか私を厳罰に処して下さい!」と叫んでいる。
さて……ここで「じゃあ厳罰で」とはやってはいけない。この国の国民性か儒教の影響なのか……多分俺は後者だと思うがこう言う時の権力者は許してやるのが正しい行いらしい。それが分かっているからことさら大げさに謝って罰しろと言うのだ。
一度位「じゃ厳罰で」とやって見るのもその人物を測るのには良いかもね。しょうが無い事を考えていると向こうから剣舞見学会の集団も走って来ている。このままでは話が進まない。
「余が先触れも出さずに来たのだ、お前に罪は無い。訓練に戻ってくれ」
そう言うと中軍は逃げるように集団の中に飛び込んで行った。剣舞見学会の御一行も丁度到着した。その中から従事官(下級将校)の装束を着たビア樽のような腹をしたヤツが出て着た。責任者らしい。
「臨海君様、お越しになるなら先触れをお願いしたいものです」
まあ、当然の文句だな。
「将軍の訓練を邪魔するつもりはなかった、許せ」
俺は少しばかりヨイショをして……従事官を格上の将軍と呼んで……見学に戻る。
ビア樽従事官……名前は聞いたが右から左だ……がべったりとくっ付いてくる。
丁度いい、予定の計画を始めるとするか。
「ところで将軍、鐺鈀と剣を訓練しているようだが、鐺鈀と剣が戦ったとしてどちらが強いのだ?」
ビア樽は「耳にタコが出来ますよ」とは口にせず教科書通りの答えをしてくれる。
「みなさま方がよくお聞きになります。鐺鈀……棍や槍と剣とが対等に戦おうとすれば剣の側に三倍の技量が必要となります」
「ほう!では、向こうで剣を訓練している中軍とこちらで鐺鈀を訓練している者では三倍の技量差があると言う事だな」
俺は『子供らしく』心底信じましたと言う風に答えて見た。ビア樽は顔色も変えずに髭を扱きながら頷いている。中軍から従事官へ上がって行けるのは家門の後ろ立てや金のある連中だ。別将は余程の手柄でもあげない限り別将で終わる。
嫌な制度だが前世に生きた俺の国も変わらない部分が多々あった。人間の本質は国や時代が変わっても変わらないと言う事だ。俺は気持ち良くついてくるビア樽に「お願い」をして見る。
「将軍、ではこの目で鐺鈀と剣の試合を見たいのだが頼めるか」
ビア樽は毎度のことのように軽く引き受けてくれ、中軍と別将を指名して呼び出そうとした。俺はそのタイミングで声を出す。
「勝った者には余から褒美を出そう。そして、将軍、確か兵法書には『信賞必罰』とかかれてあったな」
「左様です。手柄には褒賞を失敗には罰をと言う意味でございます」
ビア樽、言質はとったぞ。
「では、負けた者には罰を与えねばならぬな、将軍」
ビア樽の顔色が変わった。指名を受ける予定の負け役らしい別将がゆっくりと後ろに下がる。
「……臨海君様のおっしゃる通りでございます……」
ビア樽にしたら勝った中軍の上前でも撥ねるつもりだったのだろう。悪かったな邪魔をして。
「では、鐺鈀は……お前がやって見せてくれ」
俺は二十代位の別将を指差した。先ほどから訓練を見ていて目をつけていた奴だ。
他の連中が監督役の中軍の目を盗んで手抜きをしている中で一人、真剣に鐺鈀を振っていた。その別将はパク・シル(朴実)と名乗った。ビア樽が一瞬嫌そうな顔をしたので融通の効く方でもないようだ。中軍からは二十代半ばのヤツが出て来た。
先にビア樽が指名していたヤツなのでどうせ俺の護衛候補の一人だろう。
「先に言っておく。余の目から見て手を抜いているように感じたら、二人とも厳罰にする。ここを戦場と思ってやれ、良いな」
ビア樽の顔色がますます悪くなる。ビア樽は何かを振り払うかのように頭を一度大きく降ると二人を分けて開始の号令をかけた。
「はじめ!」
仕掛けたのは護衛候補くんだった。懐に入ろうとしているのだろう。しきりに鐺鈀を左右に弾こうとしている。しかし、それでは無理だろう。護衛候補くんは剣を片手で持っているのだ。対するパク別将は鐺鈀を基本とは異なり長柄に握って護衛候補くんの剣撃を鐺鈀で受け流している。
護衛候補くんは焦れてきたのか鍔迫り合いの要領で鐺鈀を抑えると柄を足で蹴った。長柄に握った鐺鈀は蹴られた勢いで左に流れる。護衛候補くんやるな、懐に入ったか!
だが、パク別将は握った腕を伸ばされる事なく、軸足を中心に小さな円を描き「すり足」で護衛候補くんの攻撃をしのぐ。パク別将は半身近づかれた分、鐺鈀を引き戻す事で取り返した。俺はその時の鐺鈀の帰って行く『軌道』に見覚えがあった。鐺鈀は護衛候補くんの脇腹の辺りを真っ直ぐに引き戻された。そう『真っ直ぐ』にだ。
俺がパク別将の観察に勤しんでいる内に護衛候補くんの息が上がってきた。これ以上は不味いな。そう判断した俺は大声を出した。
「双方、やめい!」
パク別将は構えを解かず「摺足」で一歩下がった。
護衛候補くんは何とか立っているのがやっとと言う感じだが剣を杖代わりにしないだけましか。
「双方の技、十分に見せて貰った」
チラっとビア樽の顔を見ると勝敗の判定をしたくないと書いてある。計画通りだ、ナイスビア樽。
「先程、将軍から剣と槍が互角に渡り合うには三倍の技量がいると聞いた。よって、この勝負、互角に渡り合った中軍の勝ちと余はみるが。将軍はどうだ」
ビア樽は大正解だよ、満点だね!と顔に表れている。前世の小学校だったら花マルでも付けそうな雰囲気だ。俺はこんな所で敵は作りたくない。第一『褒美』と『罰』の内容は一切口にしてもいない。護衛候補くんはホッとした顔をしているが、パク別将は顔色一つ変えていない。中々肝も座ってそうだ。正直、予想以上の人材だ。
「将軍、訓練の邪魔をした、許せ。」
「いえ、臨海君様にご臨席頂き栄誉の限りです」
よく回る口だな、それ位身体のキレもあったらいいがな。
「褒美は後ほど届けさせよう、『罰』もまた後ほど沙汰をする」
俺はそれだけを告げると踵を返した。帰り掛けに司饗院(酒の管理所)に寄って親父……宣祖の飲む酒を一本と少し質の落ちる酒を一樽、手に入れた。
それに俺や光海君の食べる菓子を見栄えの良い箱に入れて、尚宮に届ける様に指示をした。ビア樽の取り分も付けたから問題無いだろう。「褒美」は何とは約束していないしこんなもんだろう。後は『罰』をいかにするかだ。
「罰」の事を考えながら内殿の前まで帰って来ると何やら人集りがして揉めている様だ。すると帰って来た俺に気付いた、俺付きの宦官が走って来た。
「臨海君様、大変でございます!」
大変なのは見れば分かる。何が起こったのか説明しろ。息を切らして慌てているのか前後が入り混じった説明を整理すると俺が自由時間を作る為にやった事が問題になったらしい。
何でも5歳の子供が四書五経を暗誦できるわけがない。臨海君に鬼神が取り憑いたに違い無いと『誰か』が大騒ぎを始めたらしい。
まあ『誰か』と書いて「インビン」と読むのだろうがね。
初めの内は親父……宣祖も相手にしてなかったらしいが、あまりに騒ぎ回るので親父……宣祖自らが確認する事になったとの事だ。そこが仁嬪の狙いでもあったのだろう。結果はあっと言う間に一大イベントになってしまったとの事だ。まあ、四書五経は全て覚えているし問題はない。
それよりも問題は今のこの状態だ。仁嬪が何を言ったかは知らないが数日後に行われる親父……宣祖による確認が済むまで軟禁状態になった。当日までは「内殿から出るな」と親父……宣祖が命じたと言うのだ。俺の内殿の周りに義禁府の(近衛隊)兵士と共に昭格署の道流や、巫女までいる。
やれやれ、俺は自由時間を作るためにとんだ騒ぎを引き起こしたようだ。
昭格署:朝鮮王国時代の官庁、道教に基づく暦と易、祭祀を管理した。日本では陰陽寮が近い。
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