生きるために 【その2】
俺はまた歩みを再開した。俺が向かっているのは武官達の教練場だ。今日は捕盗庁の武官たちの教練だと聞いている。子供の足ではそれなりの距離があるが俺は気にせず進んで行く。御付きの宦官が先触れを送ろうとしたが俺はそれを止めた。
先触れを出して出迎えを受ければ綺麗に整った「モノ」しか見られない。
俺は生の状態をこの目で確かめたいのだ。せっかく確保した自由時間を俺は有効に使いたい。その為には宮殿に篭っていてはできない事が多い。外出するために俺は専任の護衛を選ぶ事にした。王子として宦官や尚宮、護衛の兵士に女官を引き連れて行くなら必要ないがそれでは俺の目的は何も達成できない。上面しか知る事ができないからだ。俺は「この時代」の「この国」朝鮮で生き抜くと決めた。その為にはやらなくてはいけない事が溢れ返っている。俺は生の朝鮮王国を知らなければならない。
護衛の件は以前から頼んであって人選をすると返答をもらっている。しかし下手に担当の役人達に人選を任すとロクでもない奴を送り込まれる。良くて王子と顔繋ぎをしたい輩の息子か最悪仁嬪の息が掛った奴が送り込まれる。いらないリスクはごめん被りたい。
だから自分の目で使える人材候補を探しに行く事にした。俺たちの一団を見て立番の兵士が顔色を変えて中へ駆け込もうとしたが、女官の一人が素早く兵士の腕を掴んで止めてくれた。
「臨海君様は訓練中の武官の皆様がお気遣いせぬようにとの思召しでございます」
若い女官だが機転が効くし度胸もありそうだ。こいつも人材として「確保」だな。
若い女官が下がると尚宮の衣装を着た女官が俺の為に道を開けてくれる。名前は…キム尚宮。「どの」キム尚宮かは知らない。宦官や女官の入れ替わりは少ないが同じ姓が多くて区別がつきにくい。いっそうの事名札でもつけてくれないかな。
詮無い事を考えながら門を潜って演習場へ向かった。
遠目に繰り広げられている訓練と言う名の「何か」を見て俺は唖然とした。
本当にこんな連中がこの国の治安を担う者達なのか。武官の採用には科挙を経ている。
文官と違って武官は腕に覚えがあって兵書の知識があれば合格できると言われている。
当然だが武官の科挙は実技のウェートが大きい。乗馬、弓、剣技、槍術、格闘術。
全てこなせないと合格できない。それが何だこいつらは。防大生の時は敢えて「格闘術」の訓練も授業もなかった。それは前世が武器や戦略、戦術の進化した時代だったからの話だ。この世界はまだ個人の武力が大きな意味を持ち得る。それがまるで遊びの様な訓練だ。
朝鮮に限らず官職は服装によって階級が分かる。役付きの中軍(士官)クラスの連中が20〜30人ずつ輪になっている。輪の中では剣術の模擬試合をやっているのだろうが……まるでなってない。良くて剣道型、悪く言えば剣舞の練習でもしているのかと思う。
この時代は鋳造製の剣から鍛造製の倭刀……日本刀に変わる頃だ。前世の俺は剣道を嗜んだ程度だがそんな俺から見ても酷い。おまけに試合をやっている者も周りで見ている者も服装が乱れている。「軍人は服装から」と俺は4年間厳しく教育を受けた。
その俺が見て情けなくなる、何だこれは。俺のお付きの連中は顔をしかめた程度だったので毎度この調子何だろう。見るに値せずと感じ遠回りをして「剣舞」見学の輪を避けて進む。少し離れたところでは部将(下士官)達が「訓練」をしていた。
輪を作って「剣舞」を鑑賞している一団より粗末な衣装を身に纏った集団だ。
十人ずつ位の組みに別れて鐺鈀の訓練をしている。鐺鈀は三又の槍の様な武器でトライデントに似ている。朝鮮は初代国王 太祖が弓や馬術の達人であった事から弓と馬術を重要視している。鐺鈀の訓練も要はシゴキと言うか部将の通過儀礼かもしれない。
1組に一人の中軍がついて指導と言うか見張り役をしている。やっている事と言えば申し合わせ組手の様な物だ。初めから決まった型の「攻め」と「受け」を一連の流れにしたものだ。一連の流れが終わると相手を変えてまた同じ事をやっている。いい訓練になる筈だが教える方もやっている方も真剣味を感じない。部将を鍛える為にやらせてはいるのだろうが世渡りの上手い奴が結構いる。
見張りの中軍から目の届かない時には互いに力を抜いてやっている奴がいる。中には中軍の目の前ですら手抜きをしている者も数人いる。どうせ家門の力で入った奴だろう。
中軍も中軍で見て見ぬふりだ。まあ、武官のレベルが目の当たりに出来たのは収穫だった。
一瞬、大金を掴んで地位を投げ捨て「後金」へ亡命したい思いに再び囚われた。
朝鮮の官軍は弓兵を中心とした騎馬隊、要は軽騎兵と槍を持った騎馬隊、重騎兵中心に構成された軍隊だ。
十年後、南からやってくる30万の大軍は銃で武装し百年位の内戦で鍛えた『本物』の戦闘集団だ。当時の資料から日本が保有していた銃火器の量は銃だけで50万丁。それ以外にも明軍が参戦すると大筒なども準備した。騎馬隊が中心の朝鮮軍は確か本職の官軍で数万程度だったはずだ。それこそB29爆撃機に竹槍で対抗しようと考えた前世の終戦末期の日本軍なみだ。
俺は首を振って頭の中をリセットした。朝鮮軍の近代化は次の課題にするとして今日は俺の護衛を探しに来たのだ。鐺鈀の訓練を見ていると一人の別将が目についた。周りの連中が手を抜きたがっているのに一人気合を入れて訓練に励んでいる。年は二十歳位か……使い慣れない鐺鈀の扱いを身に付けようとしている。
朝鮮軍は弓が上手く馬に乗れればそれで御の字と言う風潮がある。先に見て来た士官連中が剣舞紛いの訓練をしているのもその影響だろう。かく言う俺も日々弓の訓練をやっている。和弓と違い朝鮮の弓は角弓と言う一種のコンジット・ボーを使用する。
飛距離も段違いで威力もある。それが銃の導入を遅らせた原因の一つだと考えるとなんとも言えないがな。銃の試し撃ちをして武器としての価値を認めなかったのは俺の親父……宣祖だと言う。
銃に対し武器としての価値を直ちに見抜いた織田信長と親父……宣祖を比較しても仕方ない。信長は日々戦の事を考え如何に戦うかを考えて育った。
反面、俺の親父……宣祖や先代国王明宗は同じ戦いでも政争に追われていた。
銃の導入一点で朝鮮と日本の指導者の能力を比較し、日本の指導者は優れていたと言う事をさも当然のように主張する歴史家が結構いる。俺はその点には反論したい。
住んで見て実感しているが当時の資料文献だけでも分かる話だ。暮らしている「世界」が違うのだ。片方は明日には敗戦の将となって家臣共々、骸を野に晒すかの瀬戸際に生き、もう片方は政争と言う名の『コップの中の嵐』に明け暮れている。
この差が「銃」と言う武器の価値をかえたのだ。
前世では「実録」やその他の資料で知り、今世では真横で本人を見ている。俺の親父……宣祖は決して愚かではない。むしろ前世では優秀であったとの評価を受けている。
ただ一点、親父……宣祖は「戦争」を実感として知らなかっただけだ。この時代の朝鮮人が「野人」と呼ぶ北方の女真族などの騎馬民族や倭寇との争いは、俺から言わせれば「戦争」ではない。単なる「諍い(いさかい)」だ。
戦争とは国家が「軍隊」という武力で目的を持って追行するいわば国策行為だ。
目的も行動規範も自ずと異なる。国家を運営する者が「知らなかった」では済まない。
親父……宣祖の場合は加えて明国と言う安全保証があった事も大きい。
しかし結果は最悪だ。俺はその最悪をひっくり返す事にした。
俺は生き抜きたい。
今の俺の行動原理は全てがそれに繋がっている。
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