仁嬪との交渉
本日、一話の投稿をさせて頂きます
臨海君が商団の立ち上げを画策している頃、国王一行が行幸から帰ってきた。
地方で接待や『お土産』を手に入れてホクホク顔の仁嬪の顔がある来訪者と面会した途端に鬼の形相に豹変した。
「お父様も叔父上もお兄様まで!何をなさっていたのですか!」
自分が行幸に出て不在の隙を狙った事も腹立たしいが、それに加えて一族の対応があまりにも愚かで怒りに油を注ぐ。
父のキム・ハンウが書いた「誓約書」の内容は、要は一族の漢陽以外にある財産を預けるから管理をせよ。儲けは国のもの損失は自己負担と言う内容だ。
これが儲けは『臨海君へ』ならやり返す手はある。しかし儲けは「国庫」へ納入となっている。反論のしようがない。
キム一族は自身の財産を自己費用で管理して国に儲けだけを納める。
最悪の「誓約書」、一種の呪いの様なものだ。実家が持つ松都の人参畑と平壌の妓房は臨海君も目溢ししたはずだ。それを御丁寧にこちらから納めに行っている。
呆れた顔をした臨海君が眼に浮かぶ。奴を子供だと侮った父親達の負けだ。
今回は父親達に非がある。
臨海君は妥協を見せ自分の実家の財産の一部は黙認したのだ。
それを舐めてかかり財産を隠した事、それがバレたら慌てて全てされけ出してしまった。
このままでは自身が干上がってしまう。
仁嬪は俯いて顔を上げる事すらできない父を見るにつけ情けなくなってくる。
自分が仁嬪にまで登り積めた事を台無しにしてしまいそうな一族。
今回ばかりは仁嬪にも名案は浮かばなかった。夫たる国王に縋れる内容でもない。
それどころか臨海君を高く評価している国王に見捨てられる可能性すらある。
程なく父が席を辞し一人になった部屋で仁嬪は自分と子供達を守る術を探していた。
親父……宣祖と仁嬪が帰って来た。一時の安らぎが消えた様な気がする。
俺は……俺達は「氷雨商団」を立ち上げたので忙しくなる。
その前に仁嬪の実家の財産の事に決着をつけて置かなければいけない。結果として仁嬪の留守の間にキム一族の財産を全て押え管理まで押し付けた。その上利益は全て国庫へ納入と言う事で誓約書を書かせている。今回は仁嬪も何も言えないだろう、原因は全て奴らにある。
正直な話、一族として仁嬪が存命のうちは仁嬪の力で何とかやっていけるだろう。
しかし人間はいつか死ぬ。あの一族に仁嬪以上の才覚を持ったものが現れる事も当分無いだろう。まして一族の経済状態の実情を知ったなら仁嬪の子供達は別としても、マトモな一族と縁戚を結ぶ事はできない。官職を持つ者が死に絶えればやがてキム一族は消え去る事になる。自業自得とは言えあまりに夢見が悪いのも事実だし、ここで仁嬪に恩を売って置くのも悪くない。ここが勝負の分かれ道だ。
仁嬪の帰りを待っていたかの様に父親のキム・ハンウが面会にやって来ている。
親娘の時間を邪魔する気はないので、キム大監が帰ったら仁嬪様にご挨拶したいと仁嬪の殿閣に先触れを出しておいた。半刻(1時間)ほどで仁嬪付きの女官が連絡に来た。
仁嬪の殿閣へは形式上お付きの宦官と女官を連れて行く。
新しい尚宮の配置が決まらないのでソン・ヨナが女官の先頭を歩く。
こうして見ると俺と光海君は護衛と宦官を除けば十代の者ばかりが周りを固めている。
平均年齢若すぎるだろ、まさかハーレムか!……あり得んわな。
そんな事を考えながら進んで行くと仁嬪の殿閣、養和堂についた。
外で出迎えたりされると嫌だったがさすがにその手は使って来なかった。
さて……どうなるか楽しみだ。養和堂に通され礼をして仁嬪の顔を拝む。
「臨海君様お側へ。お茶を用意させます」
仁嬪の言葉に従い仁嬪の前まで進む。
「ご行幸でお疲れのところ、お時間を頂き申し訳ございません」
俺は軽くジャブから入る。行幸では行き先の地方官連中からたっぷりと「土産」を持たされているはずだ、疲れている訳がない。疲れたのなら先ほどの親娘対面からだろう。
「いえ、大丈夫です。何より臨海君様がおいで下去った事、それだけで疲れも吹き飛ぶと言うものです」
俺と仁嬪が挨拶と言う名のジャブの打ち合いをしている間へ尚宮が恐る恐る茶器を差し出してくる。それを仁嬪が自ら湯呑みに注いでくれ、自身の湯呑みにも注いで一口飲んで見せる。毒は入っていないと言う意味だ。俺もそれに習って湯呑みに口をつける。
明から取り寄せた最高品質の花茶の香りが鼻をくすぐる。これに口が慣れてしまうと俺や光海君の飲んでいる茶が三番茶の出涸らしに感じてしまうだろう。仁嬪は上品な手つきで菓器に盛り付けられた薬菓をとって一口ちぎり口にする。俺も手を伸ばして口にした。
「臨海君様は甘いお菓子はお好きですか?」
仁嬪が今更ながらに聞いてくる。
「私は甘い物が好きでございます。逆に苦いものは苦手です」
「苦い物ですか…例えば?」
「色々ございますが内医院の薬は苦くて苦手です」
仁嬪は口に手を添えて小さく笑う
「ホホホ……臨海君様は薬が苦手ですか」
「はい、特に人参を使ったものは口に会いません」
仁嬪の顔色が一度に変わる。
「私はまだまだ子供でございますので人参は苦味が強くて。あと国王様もさほど嗜まれないとはお聞きしますが酒もあの匂いが慣れませぬ」
仁嬪の表情が何かを思案するものに変わっている。
これだけ露骨に言えばわかるだろう。俺は人参畑も平壌の妓房も欲しくはないと言っているのだ。
「では、臨海君様は何をお好みになるのですか」
ストレートに聞いてきやがる……さすがだ。対価は何かと聞いて来た。
「私はまだ子供ゆえ、どうしても夜更かしが苦手てございまして。光海君共に早くに床についてしまいます。朝まで警備の者達が静かにしてくれれば翌朝は気持ちよく迎えることができます」
「成る程、私からも国王様に警備の兵は静かに周る様にとお願いしておきましょう」
「仁嬪様のお手を煩わせる事、申し訳なく思います」
『刺客の件』は釘をさした、最後の詰めだな。
「そう言えば、キム大監のご一族が全財産を国の為に投げ出したとか。仁嬪様のご実家とは言え、国家に対する忠誠、私は感激しております」
「いえ、大した物では有りませんでしょう。そう言えば、漢陽の資産は臨海君様が管理してくださるとか」
仁嬪はこう言いたいのだろうな。「掠め取ったのはお前だろ何言ってやがる」ってね
「私はまだ子供でございますので。『氷雨商団』と言うものが管理いたします」
「『氷雨商団』?初めて聞く名ですね」
それはそうだろう、先程できたばかりだからな。
「私が懇意にしている者が始めた商団でございます、何分にもできたばかりでございまして人手も足りておらぬ様子。お預かりいたしました漢陽の行首達に習いながら進めて参る事でございましょう」
「それはそれは……」
仁嬪の顔つきが変わってきた。気づいたか俺の意図に。
「つきましては先日キム大監から依頼を受けました毎年の帳簿の確認が疎かにならぬか心配しております」
「臨海君様のご心配、痛み入ります。キム・ハンウは私の実父、私の方からも臨海君様にお手間をかけぬ様に帳簿の整理には万全を期す様に伝えましょう」
「仁嬪様には何から何までお手を煩わし、申し訳ございません」
俺はここで頭を下げて置く。仁嬪、これで文句はないだろう。毎年の帳簿の確認が疎かになるんだ。とりあえずは「貸し」一つだぜ。
しかし、上手く返してくるな。帳簿整理には『万全』を期すか…
要は『万全』を期すから『確認』は『疎か』より『不要』にと言うことだな。
まあ仕方ない、この辺が落とし所だろう。
「窮鼠猫を噛む」の喩えもある。
こんな老鼠に噛まれたら子猫の俺なんてあっという間に死んでしまう。
端から当てにはしていなかった収入だ、欲をかけば泥沼に落ちる。
「臨海君様には色々と心遣いを頂きました、私の方こそ感謝いたします」
仁嬪と俺との交渉はこれで手打ちだ。後は行幸の話を少し聞いて殿閣を後にした。
疲れた……いや本当に……帰ってソン・ヨナをからかって癒されるとしよう。
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