臨海君(イメグン)流ケジメの付け方 【その 4】
本日4話目です。
俺たちは結構な時間に屋敷に帰り着いた。
当然、キム・ゲシは床にもつかず冷たい目で待っている。
俺は朝からキム・ゲシに普段にも増して冷たい目で見送られた。昨夜、捕盗庁を出る時に餅屋が閉まってたのは俺の責任じゃない。
しかし、キム・ゲシにとっては諸悪の根源は全て俺に有るようだ。
最近、光海君がヤンチャになって来たのも、いまだに担当の尚宮が決まらないのも、水刺間の漬物が塩辛いのも全て俺が悪いらしい。
待て!
確かに光海君が俺の真似をして学問よりも鍛錬に興味が強いのは認めよう。
街の話しを色々聞いて行きたがっているのも知っている。
しかし、担当尚宮が決まらないのは吏曹正郎(人事担当の官僚)の責任だし、水刺間の漬物が塩辛いのなんて俺の知ったこっちゃない。
要は昨夜、俺達の帰りが遅いので寝ずに待っていたのにソン・ヨナが何の土産も手に入れずに帰ったから機嫌が悪いのだ。まあ、軍資金はたんまりと渡して有るからそのうちに治るだろう。
俺は恒例の朝の挨拶に王后様を訪ねた後、屋敷に帰って光海君と朝食を食べた。
親父……宣祖は行幸に出ていてまだ帰って来てない。朝食が終わると光海君は学問に行く。
俺は光海君にしっかりと学ぶようにちょっと芝居がかった口調で諭した。
「弟よ、博士方の講義をしっかり聞いてよく学ぶのだぞ」
光海君も最近は心得たモノで俺の耳元に寄って来て小声で答える。
「兄上、キム・ゲシも昨夜は本当に心配していたのです。分かってやって下さい」
分かっている、弟よ。あいつが心配していたのは土産だったとな。
まあ、これは光海君には言わないが。言ったら後が怖い。手を振って走って行く光海君を見送って俺は部屋に戻る。今後の事をそろそろ決めないとね。
特に資産運用は大事だからね。俺の目的の一つ「蟻の一穴」を開ける為にもな。
俺は部屋に戻ると、ソン・ヨナに作ってもらった高利貸しの実績表を睨みながら書き潰しの紙に計算をして行く。この辺に変に前世での貧乏性が出てしまう。
俺はソン・ヨナに頼んで宮殿内の各部署で出た書き損ないの紙を集めてもらっている。
それを紐で結んで大福帳のようにしてメモ用紙に使っている。いちいち墨を擦るのが面倒なので水刺間や他の薪を使う部署から細い消炭をもらって鉛筆がわりに使っている。
以前、俺のメモを見たソン・ヨナがアラビア数字を使っていた俺の計算を見てしばらくブツブツ言っていたが理解ができた途端に俺に使い方を聞いて来た。
事、数字についてはソン・ヨナは強い。ついでに最近は計算も早い。
俺とソン・ヨナの間では計算や数字に関する事はアラビア数字を使っている。
あっと言うまに、アラビア数字の有用性に気づいたソン・ヨナの才能は驚愕に値する。
オマケに”0”の概念も理解しやがった。俺は本当に良い部下……いや仲間に恵まれた。
そのソン・ヨナは朝から餅屋に買い出しに行っている。俺が行かせた。
ここ最近は出来事が多すぎた。たまにはゆっくりするのもいいだろう。
俺も慌てずにゆっくりと自身の課題を考えて行く。
キム一族から取り上げた……委託を受けた財産は正直、頭が痛くなる位に前世日本で言えば『や』の付く業界の方々が営む職種に偏っている。正直な話、俺はキム・トンスってその業界の人間なのかと疑って捕盗大将に何回も聞き直した位だ。
この時代の朝鮮にはまだ、その手の業界は発展していなかったようだ。
もしかしたら、俺が手を出さなかったらキム・トンスは朝鮮王国の「組暴(朝鮮半島のヤクザ)」の始祖になったのかも知れない。
笑えね……その財産を丸ごと手にした俺が今度は「組暴」の始祖ってか。
いや、本当にキム一族の主な財産と言うか出資していた商売が闘銭房と妓房ばっかりなんだよな……そう言えば、仁嬪のファッションも派手だしね。
前世での臨海君は日頃の行いの関係で評判は良くはなかった。
今世の臨海君が「組暴」の始祖なんてなった暁には亡くなった恭嬪……お袋や俺達兄弟を可愛がって下さる王后様に合わせる顔がねえよ。
一瞬、俺の頭の中に「組暴」の始祖は女でもいいんじゃね?と言う思いと共に一人の女の顔が浮かんだ。仁嬪じゃない……ソン・ヨナ……奴なら出来るかも。
いや、駄目だ駄目だ!何を考えてんだ俺は。第一、なんで連中の商売をそのまんま運営する必要があるんだよ。考えていたのはどう上手く商売替えをするかであって継承じゃない。駄目だ、頭が混乱してきた。
こんな時はソン・ヨナをからかって気分転換するのが一番だ。
しかしこんな時に限ってソン・ヨナはまだ帰って来ていない、俺はどうすればいいんだ。
俺が部屋で一人悶えて床をゴロゴロと転げていると音もなく扉が開いて、キム・ゲシが入って来た。
「臨海君様、何をなさっているのですか」
言葉は丁寧だが目が冷たい。まるで「G」の死骸でも見るかの様な目だ。
「いや、何でもない。ちょっと鍛錬をしていただけだ」
「……鍛錬でございましたら、鍛錬場までご案内いたしますが」
仮にも俺はお前の仕える相手の兄だぞ、そんな嫌味を言うなよ。
「光海君様は朝講を終えられ、お部屋で読書中でございます。出来ましたらお静かに」
「分かった。もう大丈夫だ」
キム・ゲシは頭を一つ下げると現れた時と同じ様に音もなく去って行った。
あいつは何か、もしかしたら体探人(朝鮮王国の密偵)か?
体探人の管轄は……国王直轄だった。さすがに親父……宣祖には聞けない。
「ううっソン・ヨナ、早く帰って来い!余は余は〜」
俺の心の声が外に漏れ出した途端、バン!と言う音と共に部屋の扉が開いた。
キム・ゲシが切れて殴り込みに来たかと思って扉の方を見ると、両手に大きな風呂敷包みをぶら下げたソン・ヨナが立っていた。
「……臨海君様は、そんなに私の事を……」
何か、雰囲気が変になって来た。第一、部屋の前の係の女官は何を……って担当はソン・ヨナだったよな。
両手が塞がっているのにどうやって扉を開けたって聞くまでもないか。
入って来た時のポーズのまま固まっているソン・ヨナの片足の白い足袋が見えている。
「いや……その、何だ……」
両手に風呂敷をぶら下げたソン・ヨナと部屋をゴロゴロした為に服装が若干乱れた俺が床に転がって見つめあっている。
何だこの「絵面」は……
ますます雰囲気が妖しくなって来る。知らない人間が見たらバカかと言われるぞ。
再び音もなく現れたキム・ゲシが俺たちを見つめて言い放った。
「お二人とも、何をなさっているのです?バカですか」
知らない人間どころか知っている人間から言われたわ。
「いや、何でもないの!あっ!これ、ゲシの処の女官達で食べて」
先に我に返ったソン・ヨナが風呂敷を一つキム・ゲシに渡した。
ーー 瞬間、俺は天使を見た ーー
「……ありがとう、ソン・ヨナ。いつもごめんね」
天使はキム・ゲシにそっくりの声でソン・ヨナに礼を言っている。誰だ?この笑顔の天使は……王宮の女官のお仕着せのチマチョゴリが天界の羽衣の衣装に見える。
「いいよいいよ、いつも臨海君様が迷惑かけてるし軍資金は臨海君様から頂いたから」
待て!ソン・ヨナ!迷惑かけてるのはお前も一緒だろ!むしろお前の方が多いはずだ!
それより、その天使を俺に紹介しろ!
「臨海君様、ありがとうございます。みなで頂きます」
天使に礼を言われた……
天使は頭を下げて音もなく去って行った、風呂敷を両手で抱えて。
「……ソン・ヨナ、あの天使は誰だ」
「天使?天帝様のお使いのあの天使ですか?」
「何でもいい、あれは誰だ」
「誰って、ゲシですよ。変な臨海君様ですね、毎日見ているじゃないですか」
ソン・ヨナ、嘘を言うな。キム・ゲシはあんな笑顔はしない。あれは天使だ。
「そう言えば、臨海君様の前で笑顔になったのは初めてかな?滅多に笑わないですけど元が整っているだけに確かに雰囲気が変わりますね」
本当にあれはキム・ゲシなのか……将来、光海君が夢中になるのも分かる気がする。
「ギャップ萌え」と言う言葉が前世日本にあったらしいがその最たる物だな。
俺はしばらく惚けていた。
「……臨海君様の好みは、ああ言う女人ですか〜?」
やばい、ソン・ヨナがお遊びモードに突入しかかっている。
ここは引き締める所だ。
「余はまだ8歳だ、女人の好みなど分からん。それより餅は買えたのか」
「いや〜臨海君様に頂いたお金で沢山買えました。薬菓も買えましたよ」
「そうか、ならばそれを女官や宦官達に配ってやれ」
「はい!わかりました。ちょっと行って参ります」
ソン・ヨナは部屋を出て行った。また、足で扉を閉めてやがる。
好みの女人も何もキム・ゲシは光海君一筋だ。下手な事は冗談でも言わないでくれ。
俺の命が危なくなる。しかし、女人は不思議だ。笑顔になるだけであれだけ雰囲気が変わるのか。
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