誓い
その日の夜、トリウスは書斎の一画で、瞑想に耽っていた。
すると、背後の扉からノックの音が聞こえる。
そのノックの仕方から、彼は音の主がラキサでないと気付く。
「鍵はかかっていないぞ、入るがいい」
トリウスの声が聞こえたのか、何者かが扉を開き部屋に入って来た。
「俺だ。朝に借りた本を返しにきた」
その正体はルーフェだった。手元には、トリウスから借りた本を持っている。
「本なら机の空いている所に置いてくれ。後で、私が片付けておく」
トリウスはルーフェに振り向きもせずに、そう伝えた。
言われた場所へと、ルーフェは本を置く。
「用はそれだけだ。ありがとう、礼を言う」
そして、形ばかりの感謝を言うと、彼は部屋から出ようとした。
「……君のような人間が、こうした本が好きだったとは意外だったな。それは、君が今のようになる前の趣味なのか? それとも…………」
そしてトリウスは、ゆっくりとルーフェに振り向く。
「昼に話していた二人の会話、悪いが全て、聞かせてもらった。君が話していた、生き返らせたい恋人の事もだ」
まさか、あの話を聞かれていたなんて。ルーフェは僅かに動揺した。
「『どうして一度死んだ人間を生き返らせたいのか? 』確か君に、これを聞く約束だったな。どうだ? 時間はたっぷりと与えた筈だが、よく考えてみたかね?」
トリウスからのあの問い、部屋にいた長い間、ルーフェは自分でもじっくり考えてみた。
しかし、行き着く結論は初めと同じ、愛する人間を取り戻すのに理由がいるのか? 細かい理由なんて、いくら考えても出てこなかった。
ルーフェはその事を、トリウスへと話した。
彼はそれを聞くと、成程と言うように一息ついた。
「君の言いたい事は分かった。だが、どうやら君は、一つ大切な事を忘れていないかね?」
そして戸惑っているルーフェの目を見据えると、トリウスは告げた。
「つまり…………人間はいつかは死ぬと言う前提を、君は考えてすらいないのだろうな」
彼の重く冷淡な言葉は、まるで死神が人間に対し、自らの死期を告げるかのようである。
それを聞いた時、ルーフェの精神は絶対零度にまで凍り付く。目の焦点は合わなくなり、足元がワナワナと震える。
いつか人間は死ぬ。それはとても、単純な答え。
しかし、そんな単純な事にも関わらず、彼はここにいる間、いやそれ以前に旅を始めてから、ただの一度も考えた事は無かった。
彼女を取り戻す事、ただ一心にその事だけを考えていた、それも理由だ。否、だからこそ――――無意識に考えなかった、それだけかもしれない。
そんな心の揺れを察したのか、トリウスは更にたたみかける。
「愛する人を取り返したい、この覚悟と信念は本物だろう。しかし、それは人間がいつか死ぬと言う事実を見ず、聞かず、考えようともしなかったからだ。仮に君が彼女を取り戻したとしても、待っている結果は死にすぎない。一年後、十年後か分からないが、それは確実だ。それでも、君は生き返らせたいのか? 二度目の別れを、再び味わう覚悟はあるのか?」
最後の問いは、鋭いナイフのように、ルーフェの心へと突き刺さった。
彼は何も言わずに後ろへとたじろぐと、踵を返して部屋から出て行った。
「よく考えてみるのだな、もし愛した人を生き返らせたいだけなら、それは無意味かつ不毛な願いだ。今の内に諦めた方が君の為だ」
後ろから聞こえるトリウスの声を振り払い、ルーフェは逃げた。
彼の言葉からも、自分の心からも。
この夢の中では、少年のルーフェは屋敷の中を彷徨っていた。
確かこれは、両親からの謹慎が解かれたばかりの頃だ。
謹慎の理由は、長年のエディアとの付き合いが、両親に発覚したからだ。
ルーフェは両親に激しく説教、注意した上で、二週間もの部屋での謹慎を命じられた。
そして謹慎から解放され、彼はエディアを探していた。
自分に対する罰なんて大したことはない。問題は彼女だ、召使の身でありながらの自分の息子との付き合い、両親は絶対に許しはしないだろう……。
庭園のいつもの場所には姿がなかった。外を探しても見当たらないと言うことは、残るは屋敷の中だ。
しかしあちこち見て回っても、その姿はない。
そんな時、ある扉からすすり泣く声が聞こえた。その扉は、屋敷の地下室への扉だった。地下室は倉庫の一つとして使われ、日が入らず湿気の高い場所のせいで、せいぜい倉庫の整理や物の出し入れ以外では、誰も近寄らない場所だった。
ルーフェは扉を開けると、地下への階段を下りる。
空気は黴臭くまともに息をする事さえ出来ず、黒く湿った石壁には青黒い苔が生えていた。
壁にかけられた松明の薄明かりを頼りに降りると、泣き声は次第に大きくなる。
やがて、地下室に辿り着いた。そこには様々な物が乱雑に置かれている。
そして地下室の隅で、何やら動く影がある。泣き声の主は、どうやらそれのようだ。
影はルーフェに気づくと、彼に振り向く。
その正体は、エディアだった。だがその姿はやつれ、来ている服はボロボロだった。
「……ルーフェ様? 良かった……また会えるなんて」
彼女はルーフェに笑ってみせた。その喜びは本物だった、しかし笑顔の陰には、隠しきれない程に強い苦痛が垣間見えた。
それに、恐らくずっと泣いていたのか、彼女の目はひどく赤く腫れていた。
ルーフェはすぐに大丈夫かと尋ねる。
「こんな姿で申し訳ありません。でも、私は大丈夫です……心配は要りません」
そんなのは嘘だ。直観で彼はそう思った。それに、彼女からは血の匂いがする、もしかすると…………。
彼はエディアの手を引き、近くへと引き寄せた。そして背中を見ると、彼はその目を疑った。
背中には、赤く膿んでいる鞭打たれた痕、それは見ているだけでも痛ましい程だった。
エディアは傷を見られると、恥ずかしそうに目を伏せた。
これでも心配ないだって? そうルーフェが問い詰めると、彼女はようやく事情を語った。
ルーフェはただ謹慎のみで済んだが、召使いである彼女への罰は、更に過酷なものだった。
背中を酷く鞭打たれ、更にはこの地下倉庫の番を言い渡された。他に仕事が無い限りは、ここを出てはならない倉庫の番。それは、殆ど囚人と同じ扱いだ。
そして彼は気付いた。エディアがこんな目に遭ったのは自分のせいでもあると。
こんな付き合いを続けていれば、いつかこうなる事は分かっていた。それなのに…………。
ルーフェは彼女に問いかけた。
一体、これからどうすれば良い? 君の事は好きだけど、このまま続けていれば、いずれ…………。
するとエディアは、優しく彼に言った。
「私は、決して良い召使じゃありませんでしたから。仕事も上手く出来ませんでしたし、ルーフェ様に対しても、自分の身分をわきまえない事ばかり。当然の罰です」
違う、それは自分の望んだ事だ。ただ一人の友達を、手放したくなかっただけなんだ。必死でルーフェはそう訴える。
しかし彼女は、首を横に振った。
「だけど、そんなルーフェ様に甘えていたのは私です。それでも、私は嬉しかった、あなただけが、私の事を大切に思ってくれた。だから……」
すると、エディアは顔をルーフェに近づけて、その唇を重ねた。
ルーフェの思考は停止した。幾ら彼女でも、そんな事をされるなんて、思いもしなかった。
「本当に、私は召使として失格ですね。でも、もしそんな私を受け入れて下さるなら…………とても幸せです」
その言葉は、彼に対するエディアの深い愛情を感じた。
本当はルーフェも、同じくらいに愛したかった。しかし、それは親や周りが許さない。
それならば…………。
ルーフェはエディアを強く抱きしめた。
それならば一緒にここから出よう、家族も家も、地位さえも捨てて。他の全てを失おうとも、絶対に、君の事を守ってみせる。
そう……あの時に誓った。誓った筈だった…………。




