畦道
私は畦道を歩いていた。左右には夏の田が広がっており、果ては見えなかった。昼間は青々としていた稲は夕日に照らされて空と同じ橙色をしていた。直線に伸びる畦道の向こうで、ぐらりぐらりと煮え立つ赤い太陽が沈もうとしていた。ほんの一瞬、煮えていた太陽が地平に溢れ出た。それは下方から空を焼き、燃え上がらせた後、燃やし尽くし、消えていった。そうして太陽は沈んだ。
私は焦った。歩き続けねばならない。極力急いで、尚且つ少しでも長く歩き続けねばならない。
陽に焼き尽くされた夜空を見上げた。星は一つも見えなかった。月も無い。遠くから祭の太鼓と笛の音が夜風に乗って聞こえてきた。奏でているのは人ではあるまいと思った。
気付けば、闇に包まれていた田のそこここがちらちらと光を発していた。最初は蛍だろうと考えた。しかし、光の色が違う。赤い炎の色だった。私は歩くことは止めずに前後左右で輝くそれを観察した。どうやら羽は無く、体も無く、ただ炎だけがゆらゆら浮かんでは風に吹かれて飛び回っているらしい。人魂というものか知らん、と思ったが恐怖は無かった。代わりに淡いさみしさが頬を撫でていった。
「それはいつか全て焼き尽くしてしまうでしょうね」
隣の女が儚げに言った。女は何時の間に私の隣りに来たのだろうか。彼女もまた歩いていた。
「そんなことは無いさ。あってはならない」
私の返答に女は聞き分けの悪い子供を見るような顔をして、そのまま歩き続けた。ふと横を見ると女は大きな丸い林檎飴を舐めていた。飴が舞っている火に照らされて硝子細工のように妖艶に赤黒く、てらてらと光っていた。私は初対面の女に優しく言った。
「君は林檎飴が好きだったね」
そう言いながら私はずっと背後を気にしていた。背後には前方と同じように畦道が続いて闇に飲み込まれているだけである。私はその闇から何かが出てくるのを恐れているのではなく、その闇自体を恐れているようだった。
私と女の無機質な足音の間を縫うように祭りの音が聞こえてくる。遠くから聞こえてくるそれに神輿を担ぐ者達の地響きのような声が混じってきた。神社の参道の提灯とそこに並ぶ夜店に垂れる幾つもの裸電気の灯りを想像した。私はその風景にひどく心を惹かれた。今すぐにでも道を変えてその方向に行きたくなった。彼等が人でなくてもよかった。しかし、横の女が気掛かりでどうにもそうすることが出来なかった。私は一瞬彼女が煩わしくなり、そんなことを思う自分に首の毛が逆立つ様な気味悪さを感じた。
横で何かが潰れる音がした。私は恐る恐る横を見た。持ち主を失った林檎飴が地面に落ちていた。飴の半分が潰れ、中から女の肌の様に白い果肉が溢れていた。私は胸を貫く後悔に唇を噛み締めながら徐々に離れていく林檎飴を見送った。
田の中を飛び回っていた火の粉が増えてきた。稲が燃えてそこかしこから何かが爆ぜるような音が聞こえてきた。炎が大きくなり、夜風に吹かれて自由に形を変えながら踊る。空が炎で照らされて深い橙になった。それでも、私が歩いている道の先と背後は、深い闇に閉ざされたままだった。燃え盛る田とは対照的に闇の深さは増していく様でさえあった。
私は既にあの祭に行きたいと思っていなかった。今はもうただ帰りたかった。
心にはさみしさだけが詰まって、私の喉から外へ這い出そうとしていた。私は歩いた。左右で踊り狂う巨大な火炎から逃れる様に。火炎の熱でとめどなく流れる汗を無視して歩を進めた。
段々と祭りの音が近づいてきていた。もうはっきりと太鼓と笛と地響きの様な声が聞こえる。
轟々と左右では火炎が揺れている。その中に数多の影が映った気がした。
到頭、私からさみしさが溢れた。口から人のものとは思えない低く、重い嗚咽が漏れた。それと同時に私は足を止めてしまった。もう歩き続けることは出来ない。もう歩き続ける理由が無い。
直に闇は私に追い付く。




