不信
「どうして、俺がこいつに謝らなきゃいけねえんだよ。こいつは泥ゴーレムの退治を邪魔しやがったんだぞ」
バルドルは声を荒げて反論した。ベアトリーチェはゆっくりと噛んで含めるように言い聞かせる。
「だからといって、殴ってもいいことにはならない。この場において我々は仲間なのだ。仲違いしていてはそれこそ魔物の格好の餌食になる」
「だから、そいつが俺の言うことを聞かなかったからこそ魔物の餌食になりかかってたと言ってんだよ。俺との協力を拒んだのはそいつだろ?」
「そうだよ、先生。ここでピエールの肩を持つのはちょっと分が悪いぜ」
アルバがバルドルの加勢に入った。校庭ではバルドルの呪紋の力に叩きのめされたアルバだが、先ほどの戦いぶりを見てバルドルの力量を認めたらしい。
「何もピエールの肩を持つのではない。話があるのなら暴力を使わずに話せと言っているのだ」
「こういう甘ちゃんにはな、拳で語って聞かせなきゃ解らねえことだってあるんだよ。なんでも話し合いで事が済むんなら、この世に戦争なんて起きるわけがねえだろうが」
怒りをむき出しにするバルドルを、それでもベアトリーチェは説得しようとする。
「良いかバルドル、君はたしかに強い。だが君のその拳は敵にこそ向けられるべきものだ。仲間を殴って不和を招くために拳を使ってはならない」
「不和も何も、そいつが最初から俺の言うことを聞いてれば俺だって殴りはしねえよ。ピエールは剣で泥ゴーレムを突付いて自分に引き寄せ、自分一人で片付けようとした。俺と協力するのが気に食わねえからだろう。詰まらねえプライドのために、そいつは自分の身を危険に晒したんだ」
「ああ、そうだとも。君のような粗暴な輩とは僕は協力なんてしたくないね。そうやってすぐに口よりも先に手が出るのがオークのやり方なんだろう?実に野蛮だ。しょせんはFラン冒険者にしかなれない連中の吹き溜まりだね、君達のクラスは」
ピエールは血の混じった唾を床に吐くと床から身を起こし、憎悪と侮蔑の入り混じった眼差しをバルドルに向けた。リヴァイアサン組の生徒二人はピエールをかばうように、その左右に寄り添う。
「ピエール、君もよすんだ。今は内輪で言い争っている場合ではない」
ベアトリーチェの説得に、こちらはしおらしく黙り込んだ。
「実戦の反省は迷宮を出てからじっくりするとしよう。だが筋は通さなくてはならない。まずはバルドル、ピエールに非礼を詫びたまえ」
「俺に謝れっていうのは、そいつが貴族の息子だからか?」
バルドルの吐き捨てるような応えに、ベアトリーチェは心の隅に小さな疼きを感じた。
「そうではない。もし立場が逆だったなら、私はピエールに謝罪を求めていたはずだ。迷宮の中では身分も立場も関係はない。私はただ冒険者としてあるべき姿を求めているだけだ」
「ふん、どうだかな」
「ではこうしよう。ピエール、君もバルドルの指示に従わなかったために危険を招いた。バルドルも君に暴力を奮った非がある。お互いに落ち度はあるのだから、それぞれが互いに非を詫びるといい」
「おや、先生、そんなことを言っていいんですか?僕の父上が誰だか、貴方もご存じないわけじゃないでしょう」
ピエールの口調が急に尊大になった。ピエールの父は数々の戦で手柄を立てた騎士で、今は帝国議会の議員も務める大物だ。下手に逆らうと冒険者訓練校の一教師の首などすぐに飛ぶことを彼は知った上で話している。
「それ見ろ。こんなふざけた野郎に頭なんて下げられるかよ。貴族の威光をかさに着るだけの無能に冒険者が務まるとでも思ってんのか」
バルドルが語気を強めてベアトリーチェに詰め寄る。ピエールは片頬を歪め、にやけた笑みを作る。
「品位とは代々受け継がれた血統が作るものだよ。君たちオークにどんな権威がある?君は礼儀作法なんかより、泥ゴーレムの方によほど詳しいみたいじゃないか」
「もうやめるんだ、ふたりとも」
ベアトリーチェは今にも殴り合いを始めそうな二人の間に割って入ると、半ば強引に互いを引き離した。
「そういえば、私も気になっていた。バルドル、君はなぜ泥ゴーレムへの対処法を知っていたのだ?」
もうこの場での二人の仲裁は不可能と見て取ったベアトリーチェは、そう問いを向けてみた。バルドルはむっと唇を引き結んで黙り込む。
「それ見ろ、ベアトリーチェ先生もお前を怪しんでおられるぞ。お前が暴竜族の一味なんじゃないかとね」
ピエールはなぶるような言葉をバルドルに投げる。
暴竜族の中には略奪や抗争のときにゴーレムを使役する魔術師も存在する。バルドルが暴竜族と繋がりがあるなら、泥ゴーレムへの対処法を知っていても不思議はない。
「何だと……おい金髪、あんたも結局向こう側の人間だったってことかよ」
「違うんだ、バルドル。私はそういう意味で訊いたわけでは……」
後悔してももう遅かった。爛爛と光るバルドルの目には怒りの炎が燃えている。純粋な好奇心から向けた問いが、バルドルの決定的な不信を招いてしまった。
「結局お前らはいつもそうなんだ。そいつがどんな奴かより、身分や地位のほうが大事なんだろ?俺みてえなオークは信用できねえと思ってるんだろ」
「そうではない。私はただ君が戦い慣れている理由を知りたかっただけだ」
「誤魔化すんじゃねえ。あんたは俺をならず者だと疑ってんだろ?」
「信じてくれ、バルドル。私は決してそのような」
「けっ、そんな綺麗事はもうたくさんだ」
吐き捨てるように言うと、バルドルはベアトリーチェに背を向けて通路の突き当りの扉の前へと駆けていった。バルドルが大きな掌を鉄の扉の前にかざすと、掌に接している部分に複雑な紋様が浮かび上がり、軋み音を立ててゆっくりと扉が開いてゆく。
(あれは……解錠紋?)
バルドルが使ったのは、魔術で施錠している扉を開くためにその身に刻んだ紋様だった。バルドルは扉の向こうに姿を消し、重い音を立てて無情にも扉が閉まる。
「バルドル、どこへ行く。戻ってくるんだ!」
ベアトリーチェが何度も拳で扉を叩いても、迷宮の中に虚しく鈍い音が谺するだけだった。膝から力が抜けそうになるが、かろうじて気力だけで己が身を支える。
「これでもう決定ですね。あの扉がどこに続いているか知りませんが、奴が裏世界に通じていることは間違いないでしょう」
解錠紋は、人の目の届かない迷宮の奥をねぐらにしている野盗や暴竜族がしばしば用いているもので、バルドルが今それを使ってみせた以上、ピエールの言葉を正面から否定するのは難しくなった。
「まだ軽率な判断を下すべきではない。まずはいったん迷宮を出よう。確かなことがわかるまではバルドルを疑ってはいけない」
ベアトリーチェは自分自身に言い聞かせるように声を励ました。
凛とした声音を聞きつつ、アルバはゆっくりとかぶりを振りつつ小さく溜息をついた。その隣ではミレーユが苦い表情で腕組みをしている。
バルドルがこのパーティーから抜けたことが、単なる戦力減少という以上の意味を持っていることを二人は理解しつつあった。心に空いた大きな空洞を埋めるすべを見つけられないまま、二人は疲れた足を引きずってベアトリーチェの後に続いた。
「まあ、そりゃあ私だって解錠石を貴方に預けるのにはやぶさかではありませんよ?しかし、二度までも行方をくらました生徒を追いかける価値なんてあるんでしょうかねぇ……素行の収まらない生徒は、放校で良いと思うのですが」
ファルケンブルグ校の職員室にロダリスの皮肉な声が響く。
ベアトリーチェは耳障りな甲高い声を受け流しつつ、ロダリスに食い下がった。
「我々が生徒を信じなければ、一体誰が信じるというのですか。もしここで私がバルドルを追わなければ、今度こそ彼は我々教師を見限ってしまうことでしょう」
「すでに彼の方でとうに我々を見限っているのではありませんか?迷宮の奥に姿を消すなど、とうていまともな生徒の取る行動とは思えません。やはりバルドルは野盗か暴竜族とつながりがあると見たほうが良いのではありませんかな」
「その真相を確かめるためにこそ、私は行かねばならないのです」
どこまでもバルドルを懸命に弁護しようとするベアトリーチェに、ロダリスは呆れたように吐息を漏らす。
「いずれにせよ、あの扉の向こうは精霊回廊の中でも危険な領域。ここは正規冒険者の応援も頼んだほうが……」
「そいつはちょっと困るんだがね、教頭さんよ」
突然どこからともなく響いた若い男の声に、ロダリスは困惑した。ベアトリーチェも驚いてあたりを見渡すが、今この職員室の中には若い男の姿は見当たらない。
「ああ、ちょいと遠隔通話でそっちにお邪魔してるんでね。俺の名はクローデル。今は怒羅愚雲で頭を張ってる」
「怒羅愚雲……」
それは以前バルドルが口にしていた騎竜愛好家集団の名だった。この名を出せばもうお前を恐喝するものはいなくなるとバルドルが獣人に言っていた通り、怒羅愚雲の名を恐れている者は多い。今のところ、怒羅愚雲の構成員の中から暴力行為や恐喝などの罪で逮捕された者は出ていないが、怒羅愚雲と暴竜族の区別をはっきりとつけられるわけではないのだ。
「で、貴殿は我々に何の用なのだ」
ベアトリーチェは深呼吸をすると、努めて冷静に話した。
「バルドルから話は聞いた。俺達は筋の通らないことが嫌いでね。ちょっとそこの金髪先生に話したいことがあるんだ」
「話したいこととは何だ?」
「それはここで言うわけにはいかない。あんたに誠意があるかどうかを試させてもらうぜ」
クローデルと名乗った男の語尾に、低くくぐもった笑い声が混じった。
「どうすれば、私が誠意をみせたことになるのだ」
「簡単なことだ。あんた一人で俺達のアジトにまで来てくれればいい。そこでゆっくりと話をしようじゃないか」
「そのアジトとやらはどこにある?」
「バルドルが開けた扉の奥へと進んでくれればいい。その先は一方通行だ」
クローデルは簡単に言ってくれるが、迷宮の奥へと進むのは大きな危険を伴う。あの場所の扉が閉ざされているのにはそれなりの理由があるのだ。あの迷宮の最奥部へたどり着いたものは、このファルケンブルグの教師ですら一人もいない。ただベアトリーチェ一人を除いては。
(だが、それでも私は行かなくてはならない)
軽率な一言でバルドルの信頼を失ってしまった後悔が、ベアトリーチェの心を急き立てていた。そして今、新たな不安がベアトリーチェの胸にこみ上げてきている。
怒羅愚雲は騎竜乗りの集団だ。
その本拠地が、あの扉の奥からたどり着けるとするなら――。
やはりあの場所にバルドルを行かせてはならない。
あそこは騎竜乗りがいてはならない場所なのだ。
耳の奥で、ふとベアトリーチェは禍々しい咆哮を聞いた気がした。
心の奥底に閉じ込めていた過去が、鎌首をもたげてこの心を飲み込もうとしている。
黒黒とした妄念に飲み込まれまいと、ベアトリーチェは意を決して言う。
「教頭、私はバルドルのもとへ向かいます。必ず彼を連れ戻してみせます」
ロダリスは苛立ちに頬を引きつらせたが、ベアトリーチェはその姿に一瞥を与えたのみで、慌ただしく職員室を出ていった。