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嵐を呼ぶオーク

「さて、今日は諸君にこのクラス33人目の仲間を紹介しよう」

 

 ハルシュタット帝国随一の冒険者訓練校であるファルケンブルグ校で教鞭をとる女騎士ベアトリーチェは、そう言って教壇の脇に立つ転入生に目を向けた。双肩に流れる輝くばかりの金髪がわずかに揺れ、艶めいた美貌に華を添える。


「33人目って、そいつは豚じゃねえか」

 

 教室の最後部から辛辣な一言が飛んだ。声の主は浅黒い顔に皮肉な笑みを浮かべ、机の上に両足を放り出したまま腕組みをしている。ダークエルフのアルバだ。

 魔術の実力だけならば現時点でもDランク以上の冒険者に匹敵するが、彼は問題児の多いこの特別学級の中にあって、とりわけ素行の悪い生徒のひとりだ。アルバの罵声に応じて、教室のそこかしこから笑い声が起こる。


「お前らエルフはその豚に束になってもかなわねえだろうが。お前の細首なんざ俺なら片手でねじ切ってやれるぜ」

 

 転入生のオークは不敵な笑みを浮かべつつ、ドスの利いた声で切り返した。頬に走る大きな傷跡が、この生徒に何とも言えない凄味を与えている。

 彼の容姿は言うほど豚には似ていない。ただ心持ち鼻孔が上を向いており、唇の端からのぞく鋭い牙が猪を連想させることはある。


「何だと?魔力のかけらも持たない肉壁が」


「その肉壁に守られなきゃお前らエルフは迷宮ダンジョンの中も歩けやしねえだろうが」


「ああそうだ。お前らオークは俺達の壁になって、火炎魔法で焼き豚にされるのがお似合いさ」


「じゃあ俺がいなくなったらお前らダークエルフはどうやって炎から身を守る?ああ、元から黒いから焼け焦げても平気なのか」

 

 二人は転入そうそう殺伐としたやり取りを続けてにらみ合ったが、この特別学級の担任となって三月が過ぎ、ベアトリーチェもさすがにこのクラスの雰囲気には慣れていた。この程度の悪口雑言など、彼らにとっては挨拶程度のものなのだ。


(――転入そうそう、問題を起こさなければいいのだが……)

 

 この特別学級には、他の地域の冒険者訓練校で問題を起こした生徒や、孤児院で扱いかねる暴れ者達が時折転入してくる。

 

 彼らは名目上は再教育を施すためと称してベアトリーチェのもとに送られてくるのだが、これは事実上の厄介払いだ。ベアトリーチェの担当する特別学級は貧民街出身の荒くれ者や前科者まで受け入れているため、他には居場所のない者たちが最後にここに流れ着いてくるのだ。

 

「さっさと席につけ、バルドル。君の席はそこだ」 

 

 ベアトリーチェが教室の最後部を指差すと、バルドルは黙って空いている座席へと大股で歩き出した。

 しかしその時、バルドルの脇からすっと細い足を差し出す者がいた。

 その足につまづきかけたバルドルは素早く手近な机につかまって身を起こすと、傍にいたアルバの胸倉をつかんで叫んだ。


「おい、今のはお前だろう。ふざけた真似をしてくれるじゃねえか」


「豚の分際で意外と素早いんだな。普通、そこは派手に転ぶところだろ?」


 凶悪な眼差しで睨みつけるバルドルの視線にもアルバはひるまない。さすがにこの特別学級の中でも喧嘩慣れしている男ではあった。


「お前にとっての普通なんぞ知るか。俺をコケにしやがった報いを受ける覚悟はあるんだろうな」


「報いだと?お前が黒焦げになる方が先に決まってんだろうが」


 アルバが右手の掌を上に向けるとそこに小さな火球が現れ、周囲に熱を放ち始める。


「やっちまえ、アルバ!その身の程知らずを燃やしちまえ!」

「そいつにファルケンブルグの流儀を思い知らせろ!」


 教室のあちこちからアルバを囃し立てる声が飛び交い、騒然とした空気に包まれる。

 ベアトリーチェは騒ぎをおさめるために急いで抜剣し、睨み合う二人の間に剣をさしのべた。


「止めよ。校内での私闘は禁止だ。そんなに戦いたくば校庭に出るがいい。私が許可する」


「へえ、さっすが金髪、話がわかるねえ!」

 

 窓際で頬杖をつきながら一部始終を眺めていた女子生徒がかすれた声をあげる。

 黒い僧服に身を包み地味な装いをしているものの、頬に彫り込まれた髑髏の入れ墨が禍々しい殺気を放っている。

 治癒師志望だが当人の適性は治癒術よりもバトルメイスを用いた戦闘にあるため、周囲からは「撲殺姫ミレーユ」と呼ばれ恐れられている生徒だ。 

 

「今より戦闘実習の授業に切り替える。全員第一運動場に出て魔力障壁の中に入れ。廊下は走るな!」

 ベアトリーチェの制止の声も聞かず、特別学級の生徒たちは歓声を上げつつ次々と廊下へ駆け出す。


(――全く、仕方のない奴らだ)

 

 ベアトリーチェは苦笑しつつ、足早に生徒たちの後を追った。

 身体を動かすうちに気分がほぐれ、そこから新しい友情が芽生えることもある。

 拳で語り合うことが、時に急速に互いの距離を縮めることがあることを、ベアトリーチェは経験からよく知っていた。


 第一運動場の地面はきちんと整地され、いつでも戦いを始められるよう準備が整えられている。

 運動場の周囲は薄い半透明の蒼色の魔力障壁に覆われていて、中で攻性魔術を使っても死に至らない程度に威力が落ちるよう調整されている。


 この運動場の真中で腕組みしながら仁王立ちしているバルドルの脇から、ベアトリーチェは声をかけた。


「バルドル、君の望む戦闘の条件があるなら言ってくれ。アルバとの一騎打ちでもいいし、他の相手を指名してもいい。その気があるならパーティー戦でも構わないぞ」

 ベアトリーチェがそう告げると、バルドルは軽く鼻を鳴らした。


「俺は面倒臭えのは嫌いだ。一度に全員まとめて相手をしてやる」


「本気か?己を強く見せようと、大言壮語しているのではあるまいな」


「見栄を張るなんて性分じゃねえんだよ。さっさとかかってきな」


 バルドルが少しも動じる様子もなく言うので、ベアトリーチェも黙って頷き、

「それではこれより戦闘訓練に移る。――始め!」

 と、鋭い声を飛ばした。


 早速そばにいる男子生徒が殴りかかるが、バルドルはやすやすとその拳をかわすと、生徒の胸を突き飛ばした。

 ベアトリーチェの目には軽く触れただけのように見えたが、男子生徒の身体は丸太にでも突かれたかのように遠くへ吹き飛ぶ。


 その一撃に気圧されたのか、バルドルを取り囲む生徒たちの輪が少し広くなったが、やがてバルドルの背後から雄叫びを上げつつ打ちかかる女子生徒がいた。

 東方の武術を学んでいる女子は鋭い回し蹴りをバルドルの頭に見舞うが、バルドルは振り向きざまにその足首をつかむと、すぐにまた離した。体勢を崩した女子は仰向けに地に倒れ、悔しそうに唇を噛む。


(できるだけ怪我を負わせないように戦っている)


 ベアトリーチェの見たところ、バルドルと特別学級の生徒達の力量の差は圧倒的だった。バルドルは相手の攻撃をかわした上で、相手に傷を負わせないよう配慮する余裕すらある。

 それが優しさなのか、強者の余裕なのかまではまだベアトリーチェには判断できない。


「どうした、もう誰もかかってくる気はねえのか」

 

 あっという間に二人の生徒を撃退したバルドルに、生徒たちは明らかに怖気づいていた。周囲を見回すバルドルの視線が薙ぐように生徒たちの間を走ると、もう誰もバルドルに打ってかかることができない。


「なら、こっちから行くぜ」

 

 バルドルが天に握り拳を突き上げると、さっきまで雲ひとつなかった空がにわかにかき曇り、雷の音が響き始めた。バルドルの全身が青白く光る様子に、ベアトリーチェの肌が粟立つ。


(――何なのだ、これは)

 

 戸惑っている間に、俄か雨がベアトリーチェの頬を叩き始めた。

 同時に強い風が周囲に巻き起こり、生徒たちはこらえきれずにある者は地に倒れ、ある者は魔力障壁の外に吹き飛ばされた。

 突如出現した得体の知れない力が、ベアトリーチェの周囲の光景を禍々しい色に塗り替えつつあった。


 強風はバルドルの方から吹いていた。ベアトリーチェは重い銀の鎧を着ているためにかろうじて立っていられたが、周囲の生徒たちは歩み寄ってくるバルドルの風圧に耐えられずに皆周囲から姿を消していた。


 この異様な光景の中、ただ一人バルドルの前に立ち尽くす者がいた。

 暴風を従え、バルドルは魔王のように彼に歩み寄る。

 アルバは魔導杖を構えつつ必死に呪文を唱えると、地面から太い蔓草が生えてきてアルバの足に絡みつき、彼をどうにか地面に繋ぎとめた。


「お前、意外と根性あるな。――だが、これまでだ」


 アルバはバルドルから目をそらすまいと必死に堪えるが、すでに歯の根が合わなくなっている。バルドルはアルバの背中に両手を回し、思い切り力を込めると、蔓草が無残に千切れる音が辺りに響いた。固唾を呑んで戦いを見守る生徒たちの顔が恐怖に引きつる。


「俺に逆らう奴は、こういう目に遭う。よく覚えておけ」


 バルドルがアルバの頬を殴りつけると、アルバはバルドルから吹いてくる暴風に押されて遥か彼方まで吹き飛んだ。


(――あれは、呪紋の力か)


 バルドルの右の二の腕に、青白い紋様が浮かび上がっているのが遠目に見えた。

 魔力をほとんど持たないオークが魔術を行使する方法は、魔導具マジックアイテムを使うか、その身体に呪紋を刻むしかない。

 後者は刻印の時に著しい苦痛を伴ううえ、身体と紋章との相性が悪ければ死に至る危険すらある方法だ。それだけに、気力と根性の証として傭兵や暴竜族の者達が好んで呪紋をその身に刻む傾向がある。


(バルドル、君は一体どれほどの苦痛に耐えたというのだ?)


 ベアトリーチェは訝しんだ。呪紋は、その効力が大きければ大きいほど、身体が魔力に馴染むまで苦痛にさいなまれる。もともと魔術に向いていないオークならばなおさらだ。この場に小さな嵐を呼ぶほどの呪紋をその身に刻んだバルドルの味わった苦痛は、想像を絶するものだったに違いない。この忍耐力だけを取ってみても、確実にCランク以上の冒険者にはなれる逸材だ、とベアトリーチェは見て取った。


「少しは骨のある奴もいるかと思ったが、この程度か」

 

 バルドルがそう低くつぶやくと、次第に彼を包んでいた暴風は穏やかになり、雨も上がって雲の隙間から太陽が顔を出した。バルドルが人差し指と親指で丸をこしらえて唇に当てると、鋭い音が空を裂いた。


 すると、校庭の隅に小さな緑色の影があらわれ、風のようにこちらへ走ってくる。土煙を上げて駆けてくるその生き物が近寄ってくると、表皮を覆うてらてらと光る鱗がベアトリーチェの瞳に写り込んだ。騎竜だ。


 バルドルが騎竜の背にまたがり、手綱を握ってその腹を蹴ると、騎竜は再び駆け出した。辺りに累々と転がる生徒達がようやく身を起こす頃には、バルドルの姿はすでに校庭の彼方へ消えていった。

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