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B組への帰還

 新任の教師が着任するため校庭へ出よ、と告げられため、特別学級の生徒はしぶしぶ屋外へと歩き出した。教室の中を好まないバルドルなどは意気揚々と廊下を駆けていったが、他の生徒達はどこか納得の行かない表情で、三々五々人気のない校庭へと集まる。


 ベアトリーチェがファルケンブルグを去ってから一月の間特別学級を受け持っていたのは、傭兵上がりの中年男だった。


 男は特別学級の生徒にもそれなりに理解を示し、指導も比較的寛容だったが、その寛容さにはどこか、しょせんこいつらは大した冒険者にはなれないという諦めが含まれているようにも感じられた。


 口うるさいことも言わず、一通りのことは教えるが、確実に生徒との間に一線を引き、ただ定められた内容をこなしていくだけの授業。バルドルはそんな指導に、どうしても物足りなさを感じていた。一月が過ぎ、皆が確実に男の指導に倦みはじめていた。


 そんな折、急に新しい教師が特別学級に来るという報せを聞いたのだ。

 バルドルならずとも、皆が早く新任教師の顔を拝みたがった。

 しかし、校庭で出迎えよとはどういうことなのだろう?

 特別学級の全員が、その指示を訝しんでいた。


「なあ、何でこんなところで待ってなくちゃいけねえんだ」


 バルドルは脇に立つアルバにそう問いを向けてみた。


「さあな。今度の奴は熱血バカで、赴任早々ここで授業を始める気なんじゃないか」


「それにしたって、何も外で待たせなくても……」


 何気なく空を見上げたバルドルの視界の端に、何かが羽ばたいている姿がみえた。続いて、かすかな咆哮が特別学級の生徒達の耳に届いた。


「おい、あれはもしかして」


 バルドルはアルバのローブの袖を引いた。アルバの表情がわずかに曇っている。バルドルの記憶に間違いがなければ、あの咆哮は以前一度耳にしたものだ。


「まさか、そんな……」


 空の彼方へ目を凝らすと、晴天の果てに現れた小さな黒点がどんどん大きさを増し、こちらへ迫ってくる。大きな翼をひろげて悠々と空を舞う漆黒の鱗をまとったその生物は何度かバルドルの頭上を旋回すると、ゆっくりと校庭へその巨体を着地させた。その背には銀の甲冑を纏った騎士が乗っている。フルヘルムを被っているため、その表情はうかがい知ることができない。


 騎士が竜の背に鞭を当てると、竜は一声吠えた後、鋭い鉤爪で地を引っ掻きながらじりじりと迫ってくる。こちらを睨み据える巨大な爬虫類の瞳に怯え、たまらずに何人かが悲鳴を上げた。


「おい、もう一度あいつをやれるか」


 バルドルがアルバを見やると、魔導杖を構える手が小刻みに震えている。相変わらずこのダークエルフは向こう気は強いが、神経は太くない。古代竜クレドニーヴァの暴勇は、強烈に彼の脳裏に刻み込まれていた。


「今度は怒羅愚雲ドラグーンの応援もないし、金髪の呪紋も使えない。でも、どうにかするしかないだろ」


 それはアルバの精一杯の強がりだった。バルドルは大きくうなづくと、天に拳を突き上げ、狂風の呪紋の力を使おうとする。


「古代竜の巨体に暴風では立ち向かえないぞ。まずは遠巻きに包囲して攻撃するという教訓を忘れたのか?」


 無骨な兜の中から、凛とした声が放たれた。バルドルが弾かれたようにのけぞる。二度と聞くことはないと思っていた声だった。あの聞くたびに自然と背筋が伸びる声を、忘れようはずがない。


「久しぶりだな、諸君」


 騎士が優雅な仕草でフルヘルムを脱ぐと、下から現れたのはベアトリーチェの顔だった。金髪を結い上げた姿は、以前とは違ってどこか名家の令嬢風にもみえる。クラスの全員が、その艶やかな美貌に息を呑んだ。


「先生……!」


 喉が自然と叫んでいた。熱く打ち続ける心臓の音に押されるように、バルドルは駆け出した。特別学級の生徒が皆その後に続く。


「今日よりこの学級の担任を務めることになったベアトリーチェだ。皆、これからもよろしく頼むぞ」


「なんだよ、そういうことなら最初からそう言ってくれればよかったのに」


 鼻を啜り上げながら言うアルバに、ベアトリーチェが苦笑する。


「いざという時に君達がどう反応するか見てみたかったものでね。今回は勇気だけは合格点をつけてやれるが、戦術はもう一つだ。私が教えるべきことはまだ多いようだな」


 真顔に戻るベアトリーチェを前に、バルドルが再び口を開く。


「それにしても、どうして戻ってこれたんだ?大赦でも出たのか」


「そういうわけではない。実はある条件と引き換えに、死罪を免除されることになった」


「条件って何です?」


 アルバがぽかんとした様子で問いかける。


「今この国は、人材を求めている。古代竜と戦い、勝利を収めた君達の資質に、陛下も注目しているのだ。だから改めてこの特別学級の指導者に私が選ばれることになった」


「へえ、そいつは以外だ。陛下もなかなか心の広い方なんですね」


 アルバのその言葉にはベアトリーチェは頷かなかった。これがそう単純に喜んでいい話ではないことをベアトリーチェは知っている。しかし今は帝国の抱える込み入った事情まで話す必要はないだろう。


「そういうわけだから、私も今まで以上に本気で指導するぞ。君達には野外であろうと迷宮であろうと、常在戦場の心構えを持ってもらわなくてはならない」


「おう、望むところよ」


 バルドルは不敵な笑みを作ると、拳で分厚い胸を叩いた。


「この私が指導するからには、もはやこの特別学級を落ちこぼれの集まりなどとは言わせない。君達は古代竜であろうと巨人であろうと臆することなく立ち向かえる精鋭集団になるのだ」


「なあ先生、どうせならこの特別学級って名前もどうにかした方がいいんじゃないか」


 バルドルはひどく真面目な表情で提案した。


「気に入らないか?」


「実はな、ずっと前から考えてたんだ。もし金髪先生がここの担任を続けるなら、もっとふさわしい名前があるんじゃないかってな」


「何か考えがあるのか、バルドル?」


「B組、ってのはどうだい」


 そのひどく平凡な響きに拍子抜けしたベアトリーチェは、きょとんとした表情で何度か目をしばたいた。


「B組?どうせ名付けるならA組とかS組の方が良くはないか?君達だって名のある冒険者になりたいだろう?」


 ハルシュタット帝国では冒険者ギルドで実力別に冒険者を分類し、SランクからFランクにまで分けている。Sランク冒険者は皇帝から直接任務を与えられたり、国家レベルの紛争解決に携わるほどの実力の持ち主で、冒険者を志すものなら皆が一度は憧れる存在だった。


「わざわざB組などと言うからには、何か理由があるのだろう。その名前の由来を聞こうか」


 ベアトリーチェの蒼い瞳に好奇心の光が閃く。その瞳を見返しながら、バルドルは声に力を込める。


「決まってるだろ?ベアトリーチェ組さ」


 バルドルが白い歯をみせた。屈強なオークの屈託なく笑う姿に、ベアトリーチェからも笑みがこぼれる。


「なるほど、私の名のもとに団結する、か。それも悪くない。ヒノモト国では『人』という字は互いに支え合う姿を示しているのだが、君達人間ヒューマン亜人デミヒューマンも互いに助け合って……」


「そうそう、そういやそのヒノモト国のことなんですがね」


 アルバが急に口を挟んだ。何やら楽しげに瞳を輝かせている。


「それがどうかしたのか?」


「先生は知ってるかい?ヒノモト国にはめでたいことがあった時に行う特別な儀式があるってことを」


「いや、知らないが……君は知っているのか?アルバ」


「この間ミレーユが実習中に迷宮ダンジョンから持ち帰った文献に面白いことが書いてあってね。ドーアゲってのがあの国にはあるんだそうですよ」


「ドーアゲ?初めて聞く言葉だが、それはなかなかに興味深いな。で、どのようにするのだ、その儀式とは」


「おいお前ら、先生にドーアゲを見せてやれ」


 バルドルが声を張り上げると、特別学級の生徒が一斉にベアトリーチェのそばに押し寄せ、皆でその身体を持ち上げた。


「な、何をするんだ」


 特別学級の生徒達の掌に背中を押され、ベアトリーチェの身体が宙を舞っていた。荒々しい浮遊感に困惑しながらも、ベアトリーチェは不思議な満足感に浸っていた。生徒達の無数の掌の感触が、心地良い寝台に身を沈めたときの反動にすら感じる。


(B組――か)


 頭の中で反芻するたびに、その平凡な言葉が特別な意味を帯びてくるような気がした。

 B組の生徒達の歓声を背に受けるたびに、澄み渡る晴天が少しだけ近くなる。

 振動に背中を押されるように、ベアトリーチェは虚空へと手を伸ばしてみる。

 細くしなやかな指の隙間に切り取られた蒼穹に、白い小さな雲が浮いている。

 今自分を支えてくれている生徒達の後押しがあれば、あの遥かな雲にも手が届くかもしれない――そう、ベアトリーチェには思えてならないのだった。

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