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贈る言葉

 それから三日の間、ベアトリーチェは昏昏と眠り続けた。

 古代竜をも打ち据える力を持つ「天雷」の呪紋は、一度用いれば使用者の心身を著しく消耗する。

 大きな力を持つ呪紋は、それだけその身に刻むときには多大な苦痛を伴うが、これほどの威力を誇る呪紋を身に着けていることが、ベアトリーチェが伝説の義賊レジーナその人であることの証であった。


 結局、怒羅愚雲ドラグーンのメンバーはクレドニーヴァを討伐した功績によってその罪は不問に付され、バルドルも無事ファルケンブルグに通えることになった。しかし、正体を知られたベアトリーチェは当然無事ではすまない。帝国兵が入り口を固める教室の中で、ベアトリーチェは生徒の前で別れの挨拶を始めようとしていた。


「先日の古代竜との戦いについては、すでにバルドルとアルバから大体の経緯は聞いているだろう。だが退任にあたって、改めて私の方からこの件について説明をさせてもらいたい」


 一様に暗く沈んでいる生徒達を前に、ベアトリーチェは口を開き始めた。


「戦いのあったアラモス砦は、私ベアトリーチェ、いやレジーナがかつて拠点として用いていたものだ。私があの砦の主だった頃は決してあの砦に騎竜を近づけたことはなかった。野生の竜の背に乗ることを至上としていた私には、竜を飼いならすなど自然の摂理に反しているとしか思えなかったからだ」


 バルドルは黙って下を向き、きつく唇を噛む。


「古代竜クレドニーヴァは、かつて私が打ち負かして従えた竜だ。かの竜は私があの砦に騎竜乗りを招き入れたと思い込み、我々に襲い掛かってきたのだ。怒羅愚雲ドラグーンのメンバーには何の責任もない。全ては賊として古代竜と関わってしまった私の責任だ。精霊回廊につながる転移門も、私の部下が作ったものだ。怒羅愚雲ドラグーンの者達はそれを利用していただけで、決して帝都を攻めるつもりなどなかったことは強調しておきたい。私が至らぬために余計な疑念を招いてしまったのだ」


「そんな……先生は何も悪くねえよ」


 アルバの抗議をよそに、ベアトリーチェは話し続ける。


「だが今回の戦いを通じて、私が確信できたことがある。バルドルもアルバも、実に勇敢に戦った。この二人だけではなく皆もいざとなれば、古代竜にも立ち向かえる冒険者となれる資質があるのだ。この特別学級は厄介者の巣窟のように見られてきたが、それは断じて真実などではない」 


 教室のそこかしこから啜り泣きの声が聞こえてくる。ベアトリーチェは湿っぽい空気を振り払うように、声を励ます。


「君達は今まで社会のお荷物だと蔑視され罵倒されてきたかもしれない。だがそれは間違いだ。君達が厄介者なのではなく、この国が君達に活躍の場を与えてやれなかっただけなのだ。機会さえあれば、君達ならどんな強大な敵にでも立ち向かえる。この国に名を轟かせる冒険者になれる」


 耐えられずに嗚咽を漏らす者も出始めた。ミレーユは腕組みをしたまま、じっと目を閉じている。 


「だから自分に自信を持て。誰が君達の可能性を否定して来ようと、そんな言葉には耳を貸すな。他人に何を言われようと、自分が自分を信じている限りは何度でも立ち上がれる。我々が本当に立ち上がれなくなるのは、自分自身に見捨てられたときなのだ。そのことを忘れないでくれ」


「ふざけんじゃねえよ、先生!」


 バルドルが耐えかねたように叫んだ。


「ようやく先生と呼んでくれたな、バルドル」


「誤魔化すなよ。自分自身を見捨てるなだって?そういう先生こそ、俺達を見捨ててこの学校を出ていこうとしてるじゃねえか。本当に俺たちに資質があるってんなら、どうして何とかしてここに残ろうとしねえんだよ?」


「無茶を言うな、バルドル。私は罪人なのだ。罪は償わなくてはならない」


「ああ、そうだな、たしかに先生には罪がある。でもそれは昔は賊だったってことじゃねえ。今そうして大人しく捕まろうとしてるってことが罪だ」


「何が言いたい?」


「先生が昔レジーナだった頃には、信念があったんだろ?この国の腐った連中から金を巻き上げて、恵まれない連中に分け与えようとしてたんだろ?立派なことじゃねえか。でも今先生はその過去を償うと言った。レジーナだった過去は恥ずべきことだと言ったんだ。これが罪じゃなかったら何なんだよ」


 ベアトリーチェは静かにかぶりを振った。バルドルがレジーナにずっと憧れ続けていたことを、ようやくこの場で思い出したのだ。


「バルドル、今の私は教師であって、このハルシュタットに仕える身なのだ。反逆者であったことを肯定することはできない。君達にも私のようになって欲しくはない」


「だからって、どうしてこの学校を辞めなきゃいけねえんだよ。クレドニーヴァにとどめを刺したのは先生だろ?腰を抜かしていたハルシュタット兵どもを助けたのに、何で逮捕されなきゃいけねえんだ。なあ、お前らもおかしいと思うだろ?」


 バルドルが周囲を見回すと、教室のあちこちから同意の声が上がる。


「そうだ、これから校長室に乗り込んで、今からでも先生の免職を取り消させようぜ。こんな理不尽な処分を黙って見ていられるかよ」


 バルドルの声に応じて生徒達が一斉に椅子から立ち上がり、教室中が怒号に包まれる。しかしベアトリーチェは皆を睥睨すると、


「静まれ!大人しく着席しないと斬るぞ」


 そう一喝した。帝国兵の見ている前で迂闊な真似をさせないための、苦渋の台詞だった。


「バルドル、君の怒りがわからないわけではない。だが、そういう怒りはもっと大きなことに向けろ。私ごときのためにこの学校を追われるような真似をするな。これから先、君達にはもっと理不尽なことがいくらでも待ち受けている。だが今は耐えよ。君達が晴れて社会に出、世の中を動かす側に立つことができれば、初めてその怒りが役に立つ。その時まで、今感じた怒りは腹の中に収めておけ」


 ベアトリーチェがそうたしなめると、バルドルは悔しそうに拳を机に打ち付け、力の抜けた腰を椅子に落とした。


「――今まで世話になった。いずれまた逢う日もあろう。その時まで壮健であれ」


 また会う時が来るとは思っていないが、自然とそう言葉が口をついて出た。入口のドアに目を向けると、帝国兵がベアトリーチェの両脇を固め、教室の外へと連れ出した。背後に生徒達の悲鳴を聞きつつも、ベアトリーチェの青い瞳は後ろを振り返ることはなく、ただその端に透明にきらめく雫を浮かべたのみだった。



 ファルケンの皇宮の奥深く、玉座に鎮座する者がいる。

 その双肩に垂れる灰色の髪は見事なまでに真っすぐで、端正な目鼻立ちと見事な調和をなしている。物憂げに少し首を傾げ、天鵞絨のマントを粋に着こなした姿はさながら一片の絵画のようだ。

 アルティザード2世。それがこの国を統べる若き皇帝の名だった。


 玉座の脇に立つ帝国宰相ドラクルは、年齢は皇帝の倍以上にも達している。皇帝とは対照的に無愛想を貼り付けたような厳しい表情で、針金のように伸びる灰色のこわい口髭をたくわえた姿は政治家というより軍人に近い。先代皇帝の代よりハルシュタットを支え続けてきた帝国の柱石だ。


「……ふむ、この娘がレジーナか。思っていたよりも若いな」


 アルティザードの好色な視線がベアトリーチェの上に注がれる。この皇帝は反逆者としてより、女としてまずベアトリーチェに興味を持ったようだ。


「予め申し上げておきますが、側女にするなどもってのほかですぞ、陛下」


 ドラクルが一つ咳払いをした後、そう言上する。


「わかっている。そう怖い顔をするな。余が今考えているのは、この者の使い道だ」


「使い道ですと?この者の重ねた罪を考えれば、死刑に処する以外ないと思われますが」


「皆がそう思っているからこそ、この者をどう使うか考える価値があるということだ。レジーナは我が臣民からの信望も厚い。殺すなどいつでもできる。生かしておいてこそ余の世評も上がるというものではないかね?」


 ドラクルはわずかに眉をしかめた。登極してまだ二年、この若い皇帝はまだ賢いのか愚かなのか見極められていない。しかし今この時点においては、皇帝は世評におもねるという愚行を犯そうとしているようにドラクルには思われた。


「反逆者を生かしておいては、この国の秩序が乱れます。この国を揺るがした大盗賊を放置しておいては、法を何とも思わぬ輩がますます跋扈するばかりではありませんか」


 ドラクルの脳裏を公道を爆走する暴竜族の姿がかすめた。レジーナを生かしておいては、ああいう連中をますます調子づかせるだけではないのか。この皇帝はその程度のことにも思い至らないのか?


「では、そなたはレジーナを処刑せよと申すのだな」


「この者の処分はそれ以外にありえません。帝国に弓引くものは死罪に処し、暴竜族共への見せしめとしなくてはなりません」


「ふむ、見せしめ……か」


 アルティザード2世は顎を撫でると、少し思案する顔になった。


「仕方があるまい。賊の頭領を罰しないのでは民への示しがつかぬしな。ただし、死刑執行には条件がある」


「条件、とは?」


 ドラクルが訝しげに片方の眉を上げる。


「我が帝国は先のアランシア侵攻戦で大きく戦力を減らした。戦力の補充と新兵の育成は目下の急務だが、なにぶん熟練の士官も不足してしまっているのが現状だ。――このような時に、竜の扱いに長けている人材をむざむざと失う手はあるまい?」


「陛下、それはよもや……」


 驚愕に眉を引きつらせるドラクルをよそに、アルティザード2世は玉座から立ち上がり、ひざまづくベアトリーチェの前に歩み寄る。


「女盗賊レジーナよ、我が国に有為な人材をその手で育てる自信が、お前にはあるか?」


 その問いかけに、ベアトリーチェの青い瞳は緋色の絨毯からようやく離れ、己を見下げている皇帝に向けられた。その口元には、誰もが魅入られるような優美な笑みが浮かんでいた。 

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