募金
国内各地の慈善団体は悩んでいた。募金者が少なく、政府からの税金による援助が「財政上の理由」によって減らされたために運営が成り立たないためである。そこで彼らは募金を増やしてもらうための緊急会議を開いた。
「特典を付けるのはどうでしょう。例えば商品券とか粗品とか」
「いや、それらを用意するのにいくらかかると思っているんだ。経営が苦しいのに」
「ではこうしましょう。それは…」
1人の職員の提案が大多数で賛同を得た。
それが次の通りである。
ある日の午後、1人の主婦がスーパーマーケットに買い物に来ていた。会計を終えると店員は次のように言った。
「お客様、慈善団体にいくら募金されますか?」
「え?なんでそんなことをしなければならないのよ?」
「世界には飢えや貧困、病気や怪我で苦しんでいる人々がたくさんいます。もし募金をしていただけないのならそちらにあるボードにお客様の名前と顔写真を載せることになりますが」
「感じの悪い店ね。もうお宅では買いません」
「ですが、どこの店でもそういう決まりになっているのです」
店員がそういうと主婦はしぶしぶ100円を募金した。
職員の提案はこのようなものであった。
人々はよく商店や交通機関にお金を落とす。その際に「募金をしてくれ」と言えばいい。もし応じてくれなかったらボードを用意して名前と顔写真をとり、「この人は1円も募金してくれなかった。困っている人がさらに悲しい気分になるだろう」と言う事を示せばいい。それでも応じなかったら、貧しい地域や苦しい状況に陥っている慈善団体の映像をこれでもかと言うほど見せ、最終的には募金をしてもらうというものだった。
このことについて『極端だ」「感じが悪い」と言う声があったが、「それが返っていい薬になるかもしれない」と言う事になり、政府や各省庁、全ての商店、交通機関等に働きかけた。
飲食店では「テーブルの上に募金を置いてください」と言う但し書きがテーブルの上、メニューに表示されるようになった。利用者からは「まるでチップのようなやり方だ」とまで言われた。
自動券売機やネットショッピングの表示画面には「募金金額を決めてください」と言う表示が出るようになった。しかもキャンセルボタンはないというものだった。
この様子について人々はTV局の街頭インタビューで次のように言った。
「近頃は店員も交通も募金のために感じが悪くなって買い物がしづらくなった。節約でもするか極端な話自給自足でもしようかな」
「これでは慈善団体ではなくて偽善団体よ。世の中には苦しい人がいるのは事実だけど」
「国が税金を減らしたのがいけなかったかも。それか仕組みに原因があるのかもな」
このことについて慈善団体は会議を開いた。
「私たちのやり方は評判がよくなかったのだろうか」
「でも募金は増えているし、今更もとに戻せそうもないし」
「困っている人が元気になって私たちに感謝しているのは事実だ。今後も続けよう」
人々から非難される中、募金額は順調に増えていった。その分慈善団体の運営が安定し、貧しい人々や傷病人などの困っている人が元気になっていった。
しかし、ここで大きな問題が3つ起きた。
1つは風俗店で高額な「募金」を請求される事件が相次いだ。しかもその募金が慈善団体ではなく、風俗店の経営者である犯罪組織にまわっているという問題が発生していると言う事が警察によって明らかになった。これを受けて警察と歓楽街の商店会は「高額な募金を払わないようにしましょう。もし高額な募金を求められたら警察にご相談ください」と呼びかけた。
2つは住民たちによる商店の暴動と強盗の多発であった。前者は「募金を払わないと顔と名前をさらされる。これではプライバシーの侵害だ。そのおかげで生活が出来なくなる」と言うもので夜になると集団で店に火をつけ、プラカードを持って抗議をする。後者は店員が1人であること、客が少ないことを狙って募金を狙うというものであった。
3つはプライバシーをめぐって裁判を起こすものも出てくるといったものだった。
裁判所で逮捕された風俗店の経営者、住民、強盗、プライバシーを理由に訴えた原告の発言は次のようなものだった。
「慈善団体は募金と税金がなければやっていけねえくせに」