前編
ある程度予想していたとはいえ、身を引き裂かれるというのは想像を絶する痛みであった。
「え、あ…。」
後ろから聞こえる幼馴染の無事そうな声にほっとする。どうやら自分は間に合ったようだ。痛みでくらんだ視界が僅かばかり復活すれば瞠目している今自分の身を切り裂いた張本人である鬼がいた。相手が気を動転させている間に少しでも事態を好転させなければならない。目の前の鬼を息を吐くと同時に思いっきり蹴り飛ばす。予想通り、いや予想以上に吹っ飛んでいった鬼の体を見て一先ず安心と息を吐く。
「アキ!」
逼迫した幼馴染の声に振り返れば、泣きそうな顔をした幼馴染が飛びついてきた。衝撃で傷が痛んで倒れそうになるがなんとか持ちこたえて支える。呻き声一つ漏らさずに済んで良かったと思う。
震える彼女の背をあやす様に撫でれば、声をあげて泣き始めた。怖かったよ、助けてほしかったよ、と鳴きながら話す幼馴染を宥めながら鬼の方へ視線をやる。まさに鬼に相応しい顔で睨んでくる彼の向うからさらに人(?)がくる音が聞こえてきて溜息を付きたくなる。
さてどうしたものか、絶望しかないわけだが。俺の脳裏には走馬灯のように今までのことがよぎった。
***
転生した。
別にそれは問題ないのだ。そんなことや前世と性別が違うなどは些末なことだ。楽しめればいい、それが前世から変わらぬ俺のスタイルだ。
しかししばらく過ごしていてふと既視感を覚えた。自分や家族の名前、自分が住んでいる場所。どこかで確かに聞いたことがある。
その感覚が当たっていたことに気づいたのは彼女に会った時だ。隣に住んでいる同い年の女の子、西園寺桜。
彼女に会って、自分がかつてやっていた乙女ゲームの攻略対象である主人公の幼馴染の藤堂晃に転生していることに気づいた。
乙女ゲームのタイトルは「華散る頃に」。フリーの乙女ゲームの割には華麗なビジュアルと個性的で多い攻略対象に凝ったストーリー。下手なゲームよりなかなか面白かったと私も記憶している。
内容をさっくり言ってしまえば、現代伝奇恋愛ゲームだろうか。攻略対象の大半が鬼というありがちな異種族恋愛要素のあるものだ。残念ながら俺は人間だ。
その程度なら俺は好き勝手生きるつもりだった。原作?そんな確信もない面白みもない既知なんか狗に食わせろというものだ。鬼という生き物を直に見てみたいとは思うが自分から危険に突っ込む愚かな者ではないつもりだ。
しかしだ。ついうっかり主人公と会ってしまった。しまったなどと言ったがその出会いに感謝こそすれど後悔することはない。
主人公は、可愛らしかった。容貌が?容貌も勿論可愛い。しかしそんなものは目を閉じてしまえば見えない。俺が可愛いと思ったのは性格、人格と言えばいいのだろうか?
庇護欲を掻き立てられるというか、守ってあげたくなるというか。ぶっちゃけてしまえば理想の自分の娘だった。乙女ゲーの主人公を娘のように愛でていた俺にとって3次元の乙女ゲーの主人公は理想の娘となるのは自明の理だったのかもしれないが。
自分の娘を守りたい。そう思うのは母として当然ではなかろうか?その日から俺は娘(桜)を守るべく行動を開始した。常にそばにいて悪い虫を含めたあらゆるものから守り、良き師であるように文武両道を目指した。
ゲームの舞台となる学園に桜が入りたいと言ってきたときは当然猛反対したのだが、桜のお願いに負けた。桜にお願いされたので学園ではベタベタ禁止令まで出されてしまった。
しかし後半はある意味俺には都合がよかった。学園に入らず鬼に会わなければそれに越したことはない。しかしそれが回避できないのなら、会ってもどうにかなるようにすればいいのだ。
桜に会えない時間はひたすら鬼について調べたり、己を鍛えた。ゲームと現実は違うとはいえ用心するに越したことはない。事実、未熟な鬼が本性を現しているのも目撃したのでその存在が確かであることは知っていた。
ゲームにはデッドエンド、桜が死ぬ可能性がある。そうでなくても只人の俺では太刀打ちできない強大な男が桜を娶ると言ったとき全力で抵抗する必要がある。古今東西人の娘を掻っ攫おうという存在には全力をもって抗うのが親であろう。少なくとも俺はそう思っている。
そうやってコツコツ積み重ねつつ桜を見守った。攻略対象はもちろんイケメンであるので嫉妬した女が桜を害さないかハラハラしたり、攻略対象が桜に手を出さないかハラハラしたりしながら見守ってきた。
ゲームの時間設定では、主人公が入学して1年。桜舞い散る春が過ぎ、蝉のなく夏が過ぎ、紅葉の秋が過ぎて、冬の雪も解けた今、物語終盤の2度目の春。
前述の通り桜に言われたので傍にいなかったというのもあるが、当の昔にゲームの時の記憶など忘れ去っていた俺は桜がどんなエンディングを迎えるかわからない。
修了式が終って桜の姿を探す俺の目に入ったのが、桜に襲い掛かろうとしている鬼の姿だった。
***
「藤堂、桜を離せ。そいつは俺のだ!」
鬼は本来本性を隠して人間の姿を取っている。そして同族しかいなくとも滅多にその本性を表さない。そんな本性をむき出しにして鬼こと学園の生徒会長は俺に吠えた。
角を4本も生やし、黄金に光る血走った眼は恐ろしいものではあったがそんな脅しに俺が屈するとでも思ったのだろうか。そもそもこの化け物は今何と言ったのだろうか。仮にも優秀の生徒会長とあろう者の癖に恐ろしく稚拙なことを言ってきた男を睨む。
「阿呆が。桜は物ではない。そう吠えるな餓鬼が。」
しかも桜(俺の娘)を今殺そうとしやがった鬼なんぞにホイホイ渡すわけないだろうが馬鹿め。殺したいほど愛している?成程人の愛し方は人それぞれ。そこにケチをつける気はないが。
「桜に触れるなら俺を倒してからにするんだな、芥どもが。」
鬼の後ろにはすでに他攻略対象の5人からゲームではただのサブキャラだった6人ほどがやってきていた。どいつもこいつも桜に恋をしていると見える。
どんなふうに愛するかは敢えて問うまい。アブノーマルであろうがプラトニックであろうが興味がないとは言わないが、今は須らくどうでもいい。俺の娘に群がる虫は全力をもって潰す。
「桜、この中に好いた男がいるかもしれない。だから予め謝っておく。すまない。」
相手は殆ど鬼。馬鹿げた身体能力の持ち主だ。幸か不幸か小説などにありがちな異能などは存在しないらしい。身体能力が高いだけならこちらも全力を持って挑めば討ち果たすことも可能だ。勿論手加減は一切する気がないので骨の1本2本どころか最悪殺してしまうかもしれない。
たかだか一般人の俺がそんな乱闘騒ぎをすればこの争いで生き残ろうが生き残るまいが後々面倒しかあるまい。しかしこの事態に心が躍っているのも事実だ。娘の為に群がる男をばったばったとなぎ倒すなんて男っ気なかった前世の俺には叶わぬ夢だったからかもしれない。
何よりこいつらが桜を幸せにできるとはぶっちゃけ思わない。桜にはもっと誠実で優しくて間違っても暴力を振るわない傍にいて安心できるような普通の人間がいいと思う。
「死に物狂いでかかってこい、劣等ども。」