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第97話 魔女のパリ案内

【ここまでのあらすじ】

幹部会でオルレアンの魔女、ジャンヌに選ばれてしまった黒金。中国を脱出し、フランスのパリに身を寄せていた。自分の父親を殺してしまったことに、黒金は心の整理がつかなかった。一方、ジャンヌは、黒金とまるで友人のように接していた。

《昨晩、中国上海において、 未使用のスタジアムが崩壊する事故が発生しました。政府の公式発表によれば、怪我人はおらず、地盤沈下が原因とのことです。IOCも緊急記者会見をひらき、テロ活動ではないことを確認、2052年の北京オリンピックについて、なんら影響を及ぼすものではないとコメントしました。次のニュースです。EU政府は……》

 ともえは、リモコンのボタンを押す。

 立体テレビのホログラフが消え、男性キャスターは雲散霧消した。

 彼女はしばらく、なのも映らない映像機器を見つめていた。

 午後の日差しが、レースのカーテン越しに降りそそいでいる。

「トモエちゃーん、いるぅ?」

 ドアをノックする音。

 ともえはハッとなり、左手のとびらを振り返った。

「いるぞ」

 ともえが返事をしたのと同時に、ジャンヌが部屋に飛び込んできた。

 両手に買い物袋をたずさえて、至極ご満悦のようだ。

「ジャンヌ殿、またショッピングか?」

「趣味だからね」

 ジャンヌはそう言うと、買い物袋を投げ出し、ソファーに腰を下ろした。

 クッションがぽんと跳ね、ともえのお尻もはずんだ。

 ともえはリモコンをテーブルの上にもどすと、軽くタメ息をついた。

「あら、ずいぶんと浮かない顔してるわね。恋?」

 恋ならば、どれほどマシだろう。ともえはそう思う。

「父親の件?」

 ジャンヌは、ずけずけとたずねてきた。

 けれどもその態度が、今のともえには、かえって心地よくすらある。下手に気を遣われるのは、ともえも好きではないのだ。七丈島(しちじょうじま)にいたときから、お世辞と同情の嫌いな彼女であった。

「それも……ある」

 ともえは、独り言のように、そうつぶやいた。

「でも知らなかったんでしょ? 遺伝子的な繋がりがあるだけじゃない」

 ジャンヌは自分の頬を手でぱたぱたとあおぎながら、そう言ってのけた。

「うむ……知らなかった……」

 しかし、人間の不知というものは、現実を否定したり改変したりできるわけではない。隠密課の課長、柳生(やぎゅう)影勝(かげかつ)が、ともえを作る際の精子提供者であったことは、紛れもない事実であった。ただその事実が、後出しだったという、それだけのことに過ぎないのだ。

 唯一救いがあるとすれば、影勝を殺したのが、ともえの刀ではなく、一向聴(いーしゃんてん)の呪術だったことであろう。少なくともともえは、あの場に駆けつけてくれた一向聴と十三不塔(しーさんぷーたー)に、深く感謝していた。さもなければ、影勝は彼女を、殺害していたであろう。そのことが二重に、ともえにはショックであった。

「ほらほら、また辛気くさい顔してる。ちょっとは外に出ないとダメよ」

「ジャンヌ殿の言う通りだが……地理に不案内でな」

 ともえがそう答えると、ジャンヌはパッと立ち上がり、右腕を高々とかかげた。

「じゃ、私が案内してあげるわ」

 ともえは戸惑いをおぼえた。

 そもそも自分は、人質ではないのだろうか。上海スタジアムで拉致されたときは、そう考えていた。他の4人の心配もしなければならない。

 だが、目の前のジャンヌを見ていると、そんなことは杞憂であるように思われた。フランスの悪の組織……否、フランスの孤高の悪であるジャンヌは、ともえを友人かなにかのように扱っている。

 それとも、ジャンヌが特別なのだろうか。ともえには、判断がつきかねた。

「あら、私とじゃ、いや?」

「そういうことではないが……忙しくないのか?」

 ともえの質問に、ジャンヌは肩をすくめてみせる。

「全然」

 悪の組織とは、ずいぶん暇なのものだ。ともえは首をかしげた。

 するとジャンヌも彼女の疑念を察したのか、こう付け加えた。

「観光案内しながらでも、仕事は片手間にできるのよ。それよりも、早く行きましょう。私の大好きな、パリの街へ」


  ○

   。

    .


 薄暗い地下室。魔法陣の内側で、女悪魔はすっとんきょうな声をあげた。

「エミリアが反乱したぁ?」

 その声は、地下室のなかにこだました。

「どういうことよ? 説明しなさいッ!」

 悪魔は目をつり上げ、車椅子の僧侶に怒鳴った。

 車椅子に座った老人は、ぽっかりと開いた両目の空洞で返事をした。

「反乱ではございません。ただ、双性者(ヘテロイド)の配分をめぐって、少々いざこざがございまして……」

「それが反乱だって言ってるのよッ! 夢の国(ドリームランド)が現れたら、一切の抗争を中止しろって、契約書に書いてあるでしょッ! 目ん玉ついてんのッ!?」

「ホッホッホ、わたくしには、ついておりません」

 枢機卿(カーディナル)の軽快な返答に、ルシフェルは地団駄を踏んだ。

 長い年月をかけて溜まったほこりが、宙を舞った。

 少しは清掃しろと(なじ)りながら、ルシフェルは先を続けた。

「とにかく、双性者(ヘテロイド)をラスプーチンに返還しなさい」

「ラスプーチンはそのつもりなのですが……エミリアが納得せず……」

「納得するとかしないとか、そんなのはどうでもいいのよ。返還しなさい」

 ルシフェルの語気にもかかわらず、枢機卿は落ち着き払っていた。顎を引き、窺うような格好で、ルシフェルに問いかけた。

「しかし、エミリアが返さないと言えば、それまでのことではありませんか。一切の抗争を禁じるということは、双性者(ヘテロイド)の奪還戦も許さないという趣旨。ラスプーチンがベルリンを攻撃することは、認められないと存じます。それに、エミリアは双性者(ヘテロイド)を奪っただけで、他に損害をもたらしたわけではございません」

 枢機卿の理路整然とした受け答えに、ルシフェルは軽く舌打ちをした。

「人間って、ほんとズル賢いわね」

「利害の調整がうまい、とおっしゃっていただきたいですな」

 枢機卿は不気味な笑い声を上げた。

 ルシフェルは腕組みをして、ちらりと壁に視線を逸らした。

「……双性者(ヘテロイド)は、大統領(プレジデント)、メアリー、エミリア、アシヤ、ジャンヌのところにいるのね?」

「左様でございます」

 ルシフェルは、ふたたび舌打ちをした。

「マズいわね……」

 ルシフェルの小声を聞き取ったのか、枢機卿は顔を上げた。

「なにが、でございますか?」

「……なんでもないわ。それより、大統領と連絡は取れる?」

「はい、すぐにでも」

「じゃあ、この部屋の……えーと……なんだっけ? 映像付きラジオ?」

「モニターでございます」

「そう、そのモニターに繋いで。それと、ジャンヌに伝言を。『ラスプーチンとエミリアのあいだで、抗争のおそれあり。至急、調停されたし』と電報を打ってちょうだい。1日で届く?」

 ルシフェルの問いに、枢機卿はホッホと笑った。

「1秒で届きます」

「1秒? ……冗談で言ってるんじゃないでしょうね?」

 枢機卿は真面目に答えた。

「あなた様が100年お眠りの間に、通信技術は、飛躍的に進歩したのですよ」

「そう……ま、速いほどいいわ。さっさとやってちょうだい」

「御意に」

 枢機卿は車椅子を回して、部屋を出て行った。

 扉が閉まり、あたりに闇がもどる。その闇の中で、ルシフェルは黙考した。アシヤが双性者(ヘテロイド)を持っているのは、かまわない。けれども──ルシフェルは、残りの4人の配置に、妙な違和感をおぼえた。偶然か、それとも罠か?

 そんな言葉が脳裏をよぎった瞬間、ふと部屋の中が明るくなった。

 天井から、一枚のガラス板のようなものが降りてくる。

 どういう仕組みか分からないが、これに動画が映るのだった。

 ルシフェルは威厳をただし、大統領の登場を待った。

 10秒ほどして、黒い板に色が映り込んだ。

《こちら、大統領。ルシフェル様、なんの御用でしょうか?》

 サングラスを掛けた恰幅のよいスーツの男が、二次元の空間に現れた。

 ルシフェルは軽く鼻を鳴らし、その艶かしいくちびるを動かした。

「実はね、夢の国の件なんだけど……」


  ○

   。

    .


「ふーむ、これが有名なエッフェル塔か」

 写真で見たことのある、高さ318メートルの鉄塔。

 まばゆい日差しを手でさえぎりながら、ともえはその頂点を見上げた。

 青空に溶け込む、剥き出しの人工物。写真で見るのとは、やはり迫力がちがった。

「エッフェル塔なんか見ても、面白くないと思うんだけど」

 ジャンヌは出店で買ったカップアイスを食べながら、そうつぶやいた。

「ま、私も東京観光のときは、スカイツリータワー観に、浅草まで行ったけどね」

「拙者は、観たことがない」

「え? ないの?」

 ジャンヌは、プラスチック製のスプーンを舐めながら、意外そうな顔をした。

「七丈島から、出たことがないのでな。それ以外で訪れた場所と言えば……隠密課に連れ出された東京と、上海……そして、この街のみ。東京では、観光の機会が一切なかった」

「へぇ、3番目がパリだなんて、あなた、ツイてるわね。世界一の街だもの」

 ジャンヌの台詞に、ともえは苦笑してしまう。

 正直なところ、東京のほうが栄えている印象があるからだ。

「いずれにしても、もうちょっと世界を見て回った方がいいわよ」

「うむ……そうだな……」

 ともえは、真面目に頷き返す。

 七丈島の学校で教わることと、実際に見聞することとの間には、大きな相違があった。教科書に嘘が載っているわけではないのだが、やはりどこか足りないのである。

「どうする? 上まで昇ってみる?」

「そうだな。せっかくの機会だ。あとでいい土産話になる」

 ふたりはエレベーターに乗り込むと、第三展望台へと向かった。地上200メートルを超える、塔の最上階である。最上階と言っても、展望台が存在するわけではなく、吹きさらしのそっけない空間であった。観光名所なだけあってか、アジア人も多かった。

 ともえは、長髪がなびくのに四苦八苦しながら、四方を見回す。

「ふむ……見事な街だな」

 ともえは腕組みをしながら、パリの街並を見下ろす。

 塔の建つ公園を中心に、三叉の大通りが広がっていた。碁盤の目なっているわけではないが、どこかしら均整が取れているように思われた。特に建物は、どれもくすんだ石造りで、いかにもヨーロッパと言った趣がある。そして、その手前を湾曲しながら進む、河の流れが目に留まった。日本の河川と異なり、水の流れがあまりにも緩やかなため、左右のどちらが川上なのか、ともえには分かりかねた。

「この川は、なんと言うのだ?」

 ともえの質問に、ジャンヌは眉をひそめた。

「セーヌ川よ……知らないの?」

「セーヌ川……聞いたことはあるな」

「聞いたことがあるもなにも、ちょー有名でしょ」

 ともえは、ジャンヌが機嫌を損ねないうちに、話題を変えた。

「向こうに見える、高層ビルはなんだ? 役所か?」

「あれは、ラ・デファンス。商業地区よ。日本だと、丸の内みたいなところ」

「ふむ……他の建物と比べて、ずいぶんと目立つ」

 パリの街並は、まるで話を合わせたかのように、数階建ての建物しかない。だからこそ、遠くの高層ビルが、どこかしら場違いなものに思えて、ならなかった。

「パリは、景観規制があるからね。私、あのラ・デファンス地区は、あんまり好きじゃないわ。このエッフェル塔も、昔はそんなに好きじゃなかったし。反対運動してたのよ」

「ジャンヌ殿が、か?」

「ううん、パリの芸術家たち」

 聞き知ったばかりの情報に、ともえは目を見開いた。

「そうなのか……パリと言えば、エッフェル塔を連想してしまうが……」

「ま、今はそうでしょうね。時の流れは、なにもかも変えてしまうから」

 老人のような物言いに、ともえは好奇心をいだいた。

「ご婦人には失礼かもしれぬが……」

「あら、私はマダムじゃないわ。マドモアゼルと呼んでちょうだい」

 一瞬、なにを言われたのか、ともえには分からなかった。

 しかしそれが、未婚と既婚の区別であると気付き、すぐに言い換えた。

「マドモワゼル・ジャンヌは……おいつくなのだ?」

「っと、それを女性に訊きますか?」

「し、失礼した……今の質問は、忘れていただきたい」

 謝るともえに対して、ジャンヌはアハハと笑った。

「べつに構わないわよ……今年で、633歳になるわ」

「ろ、ろっぴゃく……?」

 絶句するともえ。

「だって私、1412年生まれだもの」

 まるで足し算でもするかのように、ジャンヌは無邪気に答えた。

「うむむ……まさか617歳も年上とは、存ぜず……いろいろと失礼を……」

「んー、年上とか、あんまり関係ないんだけど。私、儒教徒じゃないから」

 そういう問題なのだろうか。ともえは疑問に思った。

「ところで、お腹空かない? お昼、食べちゃった?」

「いや、拙者は、セバスチャン殿に用意していただいた朝食を、食べたきりだ」

「ちょうどいいわ。ここの1階に、レストランがあるのよ。寄ってく?」

 観光名所で昼食とは、オツなものだ。そう考えたともえは、首を縦に振った。

「せっかくだから、エレベーターで2階まで降りて、そこから階段にしましょ」

 ふたりはエレベーターに乗り直し、2階で降りると、今度は階段へと移動した。高所に吹き抜ける風が、心地よい。

 なびく黒髪を手で操りながら、ともえはもう一度、パリを遠望した。

「七丈島でこの高さから見れば、周りはすべて海であろうな」

「あら、もうホームシック?」

 ジャンヌのからかいに、ともえは否と答えたかった。しかし、七丈島の光景が、彼女の瞼の裏から、決して離れようとはしてくれない。義父、教師、友人たち。

「ゲンキたちは、どうしていることやら……」

「ま、大丈夫でしょ。人質を殺すほど、幹部もマヌケじゃ……あら?」

 先頭を歩いていたジャンヌが、ふと足を止めた。

 危うくぶつかりそうになったともえは、手摺を掴む。その途端、髪が顔をおおい、ともえの視界をふさいだ。

「ど、どうなされた?」

 ともえは慌てて髪をかき除けながら、ジャンヌの背中に話し掛けた。

「人が倒れてるわ」

 ジャンヌの返事に、ともえはギョッとなる。

 髪を両手でまとめ、ジャンヌの視線を追った。

「……誰もおらぬようだが」

「違う、ここじゃないわ。あそこよ、公園の木の影」

 ジャンヌはそう言って、しなやかに指を伸ばした。その根元には。美しいサファイアの指輪が嵌められていた。そしてその延長線に、一本の木があった。けれども人影はなかった。

「……拙者には見えぬが」

 無理もなかった。この距離では、人はアリよりも小さいのだ。

 おそらくジャンヌは、常人よりも優れた視力の持ち主なのだろう。ともえは、そう推測した。

「助けに行きましょ」

「助ける? 付き添いがいないのか?」

「ええ、森の中に倒れてるわ。あれじゃ、誰も気付かないわよ」

 ジャンヌはそう言うと、カンカンと鉄板を鳴らしながら、階段を下りて行った。ともえは後を追うが、凄まじいスピードだ。2、3段平気で飛ばしている。途中で足がもつれそうになりながらも、ともえはなんとか追いすがる。

 途中で、昇りの通行人とすれ違い、悲鳴を上げられるふたり。それでもジャンヌは速度を落とさず、ついに地上へと舞い戻った。そして、広場へと駆け出す。

「んー、手遅れじゃなきゃいいけど」

 さすがにこの距離では、生死まで分からないらしい。ともえは、黙ってあとに続いた。彼女が日頃から鍛えていなければ、とうに落後していたであろう。

 ふたりは真夏の日差しを抜け、木立のひしめく森の中へと飛び込んだ。

「確か、このへんに……あッ!」

 ジャンヌは茂みの陰に、ビシッと人差し指を向けた。

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