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第95話 模造品

 月の明るい夜だった。東の空から昇った満月が、煌煌こうこうと北京の街を照らし出していた。その中にひとつ、闇に紛れてこづえに座る、小さな影があった。その影は、周囲の様子を気遣いながら、ごそごそと電子機器を操作していた。

十三不塔(しーさんぷーたー)、聞こえますか?》

 イヤホンからの音声に、十三不塔はうなずきかえした。

「こちら十三不塔、感度良好です、どうぞ」

 タブレットを両手に持ち、木の枝に腰を下ろす十三不塔。

 彼の目の前には、北京警察署がそびえていた。

 ときおり、車の騒音が聞こえてくる。緊急車両のようだ。遠くでも、消防車のけたたましいサイレンが鳴り響いていた。間違いなく、なにかが起きていた。

蘆屋(あしや)道遥(みちはる)が、署内に潜入しました。スタンバイしてください》

「了解。僕の部下も、言われた通り配置してあるよ……もう始めてもいいの?」

《すぐに開始してください。敵に気付かれないよう、慎重に願います》

「万全を期すよ。天和(てんほー)も、引き続き蘆屋の監視をよろしく」

 そこで、通話は途切れた。

 十三不塔はイヤホンをはめたまま、警察署を見上げた。

 ガラス張りの壁に、月の光がまばゆかった。

「もうちょっと、別のやり方があると思うんだけどね……ま、いっか」

 十三不塔はそうつぶやくと、木の枝から飛び降りて、その姿をくらました。

 

  ○

   。

    .


「おい、署内警備まで回すのか? やり過ぎだろ?」

司馬(しば)署長からのお達しだ。なんでも、すげえことになってるらしいぞ」

 警官ふたりは、早足で目の前を駆け去った。

 物陰に隠れていた蘆屋は、それを見計らい。廊下へ飛び出した。

 警察署の内部は、異様な静けさに包まれていた。

牛鬼(ぎゅうき)たちは、うまくやっているようですね)

 陽動部隊が選んだのは、第三国家体育場の跡地。そこならば、第三者に迷惑が掛からないであろうという、牛鬼なりの配慮であった。いづなと大蝙蝠(おおこうもり)を引き連れた式神は、こうして警察署の内部を、ほぼ無人状態にしてくれた。

 ……そう、ほぼ無人状態なのだ。出入り口に数人の警官を残しただけで、署内には、ほとんど人の気配がない。そのことに、蘆屋は警戒心をいだいた。

(罠でなければいいのですが……)

 とはいえ、自分たちの動きが警察にバレているとも、考えられなかった。情報が漏洩するとしたら、大蝙蝠が裏切って、王に密告し、さらに王がこれを警察に通報するという、想定の難しいルートだけである。王とは停戦したのだから、そのような暴挙には出ないだろう。蘆屋もまた、王との約束を、破るつもりはなかった。

「……」

 いずれにせよ、急ぐに越したことはない。

 そう考えた蘆屋は、警察署の地下牢へと急いだ。

 

  ○

   。

    .


「とりゃッ!」

 大蝙蝠の飛び蹴りが、武装した警官の胸を直撃した。

 男は血を吐いて、数メートル先まで吹き飛ばされた。

 大蝙蝠はその反動で宙返りし、見事な着地を決めた。

「10点満点ですね」

 銃声。瓦礫の背後から、鉄の嵐が大蝙蝠を襲った。

「いたたたッ!」

 大蝙蝠は、指の付け根から生えた巨大な爪で、上半身をガードする。

 剥き出しの脚に傷を受けながら、牛鬼の待つ物陰へと逃げ込んだ。

 太腿がヒリヒリする。いくら怪人とは言え、ダメージはそこそこにあった。

「倒していたら、キリがないぞ。引きつけるだけでいい」

 牛鬼は怒ったようにそう指示した。

「すみません……久々に暴れられるもので……」

 ふたたび銃弾の嵐。

 敵の動きは、かなり組織だってきた。

 軍隊が増援に駆けつけたのかもしれない。牛鬼は、慎重策をとった。

「とにかく、物陰で逃げ回ればいいんだ。攻撃は止めろ」

「うりゃうりゃうりゃーッ! 火だるまにしてやるのじゃッ! きゃん!」

 遠くで、いづなの悲鳴が聞こえる。

 牛鬼は顔に手をやり、大きく息をついた。

「あのバカ狐は放っとくぞ」

「でも、一番活躍してますよ?」

 大蝙蝠の指摘は、事実だった。夜中にもかかわらず、辺りは青白い光を放っていた。狐火が燃え盛り、幾重もの壁を形成しているのだ。攻撃にも防御にも使えるそれは、たった3人での応戦を、ずいぶんと援護してくれた。

 牛鬼は物陰から、その巨体をのぞかせた。

 いづなは銃弾に追われ、あちこちを逃げ回っていた。

「えーい、手間のかかる奴だッ! 助けに行くぞッ!」

「イエッサー!」

 

  ○

   。

    .


 蘆屋の潜入は、極めてスムーズに進んでいた。清美の居場所は、すでに看守のひとりから聞き出してある。念力を使えば、造作もないことであった。目指すは、地下拘置所の最奥、凶悪犯を一時的に収容する、独居房。

 蘆屋は階段を下り、非常灯のともった廊下を進んだ。左右の牢に、囚人の影はなかった。

 安倍(あべ)清明(せいめい)だと気付き、隔離したのだろうか。

 それとも、やはり罠なのか。蘆屋は神経を張り詰め、人の気配をさぐった。物理的な罠だけでなく、呪術的な罠にも、注意しなければならなかった。

 ところが、なんの障壁もなく、蘆屋は一番奥の牢に辿り着いた。中をのぞき込むと、壁に鎖で繋がれた清美の姿があった。その痛々しい腕の傷に、蘆屋は怒りと焦燥を覚えた。

「清美さん」

 蘆屋が名前を呼ぶと、清美はうっすらと目を開けた。

「……みっくん?」

 か細い声が、のぞき窓から聞こえてきた。

「清美さん、ご無事でしたか……お怪我は?」

 清美は、壁に繋げられた鎖を揺らし、首を左右に振った。

 意識がはっきりしないようだ。そのことに気付いた蘆屋は、無駄な時間を省くため、すぐに牢屋の鍵を破壊した。華奢なように見えて、腕力は人並みはずれている。悪の組織の幹部であれば、誰にでもできることであった。

 ギィと音を立て、扉が自然とひらいた。

「清美さん、お怪我は?」

 蘆屋はもう一度、同じことをたずねた。

 そうしているあいだにも、清美の腕の鎖に念を込め、それを打ち砕こうとする。

 鎖は、ビクともしなかった。

「これは……破魔の鎖?」

 それが呪術アイテムであることを、蘆屋はすぐに察した。

 しかし、焦りはしなかった。懐から、小さな鍵を取り出す。

「みっくん……それは……?」

「悪の組織相手に、小細工は通用しないのですよ」

 蘆屋が鍵で鎖に触れると、一瞬にして施錠が外れた。カランと音を立てて、金属の塊が、コンクリートを打ち鳴らす。清美は、壁から解放された。

 その仕組みは簡単で、過放電のような現象を引き起こし、アイテムに込められた呪力を、外部へ流出させたのである。鍵を通じて蘆屋の身体へ、蘆屋の身体から床へ、避雷針のように呪力が流れ出る。その衝撃に耐えられる者だけができる、特殊な解呪の方法であった。

「さ、清美さん、こちらへ……」

「そこまでです」

 男の声に、蘆屋は入り口をふりかえった。

 拳銃を持った中年の男が、真っ赤なランプの下で、不気味な笑顔を見せている。

 その顔に、蘆屋は見覚えがなかった。

「待っていたよ、蘆屋くん」

「……何者です?」

「おっと、自己紹介が遅れた……北京警察署長の、司馬だ」

 司馬。蘆屋はその名前を知っていた。王から聞いたのである。

 どうして背後に回られたのか、そのことが気に掛かった。

 能力者なのだろうか。

 しかし司馬は、銃器でこちらに対抗しようとしていた。

 蘆屋は扇子をとりだしながら、

「拳銃を下ろしてもいましょうか……あなたでは、私に勝てません」

 と、警告を発した。

 司馬は、笑いを押し殺した。

「いやはや、これでは立場が逆だな。拳銃を下ろせ、と?」

 司馬の言う通り、はたから見れば、ひどく滑稽な台詞であった。

 けれども蘆屋は目を細め、再度忠告した。

「私の正体をご存知なら、その意味もお分かりかと思いますが?」

 司馬は、肩をすくめてみせた。小馬鹿にしたような雰囲気が漂っている。

 蘆屋は眉間に皺を寄せ、扇子を押しひらいた。

「一切清漸ッ!」

 蘆屋の掛け声が、地下牢に木霊した。

 なにも起きない。

「こ、これは……?」

 蘆屋は、もう一度、力を込めた。

 しかし、気合いが空回りするばかりで、なにもできなかった。

 気を練ることもできなければ、司馬に催眠術をかけることすらかなわなかった。

「どうした、蘆屋くん? 日本一の陰陽師ではないか?」

「貴様……なにか仕組んだな?」

 蘆屋は、室内を見回す──なにも見当たらない。術を封じるような器具の類いは、どこにも存在しなかった。そもそもそれは、ここに来るまで、念入りに警戒したことである。壁の奥に仕込まれていようとも、蘆屋には探知できるはずであった。

 混乱する少年陰陽師に、司馬は解説を始めた。

「やれやれ、これでは少々、期待はずれだ……説明してあげよう。この北京警察署は、市内を流れる霊脈の交差点……風水で言えば、気脈の相殺点に当たる。陰陽の異なる気がぶつかり合い、巨大な無の空間を作り出すわけだよ……分かってもらえただろうか?」

 司馬の説明に、蘆屋は青ざめた。そして、辺りの様子をさぐった。

 内部の気は、不自然なほどに安定していた。人工的な空間ですら、このようなことはありえない。高層ビルでも、微妙な揺らぎくらいは、存在するのだ。そして、その揺らぎを利用しなければ、蘆屋は術を使うことができない。真空の中で、風を起こすことができないのに似ている。

「王の組織を相手にする以上、警察では、霊的な護衛策もとっている。最新の銃器を購入したり、警官を増員したりするだけが、私たちの仕事ではない」

 司馬の銃口が火を吹いた。

 清美の悲鳴。蘆屋は腹部を押さえ、その場にうずくまった。

「みっくん!」

 清美の温もりに抱かれながら、蘆屋は司馬をにらみつけた。

 司馬は、不敵に笑うばかりであった。

「残念だったな。私は敵を捕縛して監禁しておくほど、温情深くないのでね。肝臓を正確に打ち抜いた」

 司馬は、銃口を清美に向けた。

 蘆屋はひざを立て、清美をかばった。

 銃声と悲鳴。蘆屋の背中に、激痛が走る。

「みっくん!」

 頬に伝わる恋人の涙。

 蘆屋の視界は、次第にかすれていく。

「清美……さん……逃げ……」

「心配ご無用、彼女にも、死んでもらう……ん?」

 そのときだった。

 司馬はその動きを止め、後ろを振り向いた。

 蘆屋は最後の力で上半身を起こし、清美の胸にもたれかかった。

 司馬が反応したものの正体……それは、王であった。

(わん)傑紂(けっちゅう)ッ!」

 司馬の声が、牢内に響き渡った。

「蘆屋殿、ご登場が遅れて、申し訳ございません。館内が複雑なもので」

 王の軽口に動揺する司馬だが、焦りの色はすぐに消えた。

 銃口を向け直し、挑発するような手招きを見せた。

「飛んで火にいる夏の虫とは、このことだ。大物2匹……総警監が出世の限界かと思っていたが……感謝するよ」

「いえいえ、感謝なさるのは、まだお早い……わたくしを倒すつもりで?」

「もちろん」

「……やってごらんなさい」

 余裕を見せた王に、蘆屋は忠告を発そうとする。

 しかし、苦痛で声帯が動かなかった。

 清美が代わりに絶叫した。

「王さんッ! ここは力が使えないのッ!」

 どうやら清美にも、風水の罠は理解できたらしい。

 彼女の利発さに、蘆屋は尊敬の念をいだいた。

 ところが肝心の王は、逃げようとはしなかった。ただその場にたたずんでいるだけだ。

「どうした、王傑紂? 脚が震えて、動けないのか?」

「逃げる必要がありませんので」

「はったりが効く場面ではないがね」

「そちらこそ、早くお試しになられては?」

 挑発し合うふたり。

 司馬は、嘲笑のタメ息を漏らした。

「……では、死んでもらおう」

 引き金を引く音。万事休す。

 蘆屋は、固く目をむつった。


 カチリ


「どうなさいました?」

 王の冷たい声が、蘆屋に目をひらかせた。

「不発……だと……?」

 カチャカチャと、おもちゃのような音が鳴る。

 司馬は、でたらめに引き金を連打していた。

「た、弾詰まりかッ!?」

「いえ、違います……わたくしの術が掛かっているのです」

「なにッ!?」

「正確に言うと、蘆屋殿からコピーさせていただいた術ですが」

 王の発言に、司馬は顔色を変えた。

 蘆屋も、目の前の出来事が、信じられないでいた。バカな。それはありえない。現に自分も、術を使えなかったではないか。心の中で、そう叫んだ。

 王の能力は、相手の力を8割のレベルでコピーするというもの。蘆屋本人が使えなかった以上、王が使えるというのは、道理に反していた。コピーがオリジナルを上回ることは、ないのだ。少なくとも蘆屋は、そのように考えていた。

 王は(べに)を塗ったくちびるを動かし、謎解きを始める。

「お分かりになりませんか? ……司馬殿、この北京警察署は確かに、風水上の中和地点に位置します。しかしそれは、このビルが建てられた、2010年代のお話なのですよ。その後、北京は公害をかえりみぬ開発により、その風水の流れを、大きく変じてしまいました。第三国家体育場の建設も、その原因のひとつです。瓦礫に帰したとは言え、その影響は、現在も残っているのですから」

「う、嘘をつくな……蘆屋は、この通り、力を封じられて……」

「それは、わたくしの部下が手分けして、風水の流れを再現したからですよ。今宵だけ、一時的に」

「ッ!?」

 その場にいただれもが、驚愕の表情を浮かべた。

「貴様……蘆屋を囮にして……」

「はて、なんのことでしょうか? わたくしは、自分が潜入したときのために、そのような策を講じたまで。蘆屋殿がどのような作戦に出るかは、あずかり知らぬところです」

 王の右腕が光った。

 強烈な気の塊が、司馬の心臓を襲った。

「……ッ!」

「司馬殿、わたくしとあなたには、ひとつだけ似ている点があります……相手を長く生かしておくほど慈悲深くない、ということです」

 司馬は拳銃を落とし、胸を押さえながら、あえぐようにひざを震わせた。

 そして、その場に倒れ込んだ。

「しかし、違う点もあります……この王傑紂、手柄の独占には、興味がありません。司馬署長、あなたの場合は、その強欲さが命取りになりました。他の警官を呼んでおけば、また違った展開になったものを……安らかに」

 司馬は絶息した。

 牢内に、静寂が訪れる。蘆屋の苦しそうな吐息だけが、唯一の雑音であった。

「王殿……感謝致す……」

 肩で息をしながら、蘆屋はそうつぶやいた。

「さきほども申し上げた通り、わたくしは別行動です。今回の件は……」

「王さんッ! みっくんをハメたねッ!」

 清美の怒声。

 怒りに強ばる彼女の右手を、蘆屋は押しとどめた。

「いいのです……私が迂闊でした……ごふッ」

 吐血する蘆屋。清美のすすり泣く声が聞こえる。

「死んじゃ嫌だよぉ……」

 蘆屋は清美に抱かれながら、本当に幸せだと思った。愛する人がいるということが、これほどまでに幸せだとは──十数年、孤独に生きていた彼にとって、初めての体験であった。

緑川(みどりかわ)殿、ご安心を。一向聴(いーしゃんてん)を呼んであります」

 どうだ。やはりすべては、王は計画通りなのだ。

 手の平で踊らされていたことに、蘆屋は苦笑した。

 薄れ行く意識の中で、蘆屋は王の声を聞いた。

「悪の組織の助け合いというのも、たまには悪くないですね」

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