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第94話 積みあがる課題

 南側をガラス張りにした、2010年代の建築物。その建物を見上げる公園の茂みに、ふたつの人影が隠れていた。

「ここに、清美(きよみ)さんが……」

「くんくん……清美様の匂いが、ぷんぷん致しますぞ」

 いづなは鼻を鳴らしながら、建物の入り口を見やる。警官が三人……四人、いや、もっといる。一人残らず重武装で、見張りに立っていた。

「厳戒態勢のようですね……」

 隣に屈んでいる蘆屋あしやは、慎重にそうつぶやいた。

「いきなり突っ込むのか?」

「清美さんが中にいる以上、迂闊な行動は取れません。うまく潜入しなければ……」

 遠回りな作戦に、いづなは苛立ちを隠せなかった。

 すぐにでも、主を助けなければ。式神の使命感が積もる。

「どうじゃ? 火を放って、どさくさに紛れるというのは?」

 いい提案だ。そう思ったいづなだが、蘆屋の反応はしぶかった。

「人質のいる建物に、放火ですか……感心しません」

「感心するしない、ではなかろう。他に手があるまい?」

「清美さんの身になにかあったら、どうするのですか?」

 蘆屋の反論に、いづなは口をつぐんだ。

 くちびるの隙き間から犬歯をのぞかせ、むぅとうなった。

「ならば、おぬしが代案を出せッ!」

「しッ……静かに」

 いづなは口元を押さえ、きょろきょろと辺りを見回した。気付かれなかったようだ。昼間の喧噪に感謝するいづなであった。

「とりあえず、夜を待ちましょう。話はそれから……」

 そのときだった。野太い声が、どこからともなくひびいた。

「蘆屋様」

「ッ!?」

 いづなはぴょんと飛び上がり、後ろに跳ねた。

 茂みであちこちを引っ掻きながら、声の主をさがした。

 黒い肌に覆われた牛の怪物が、木の下から姿を現した。

「貴様ッ! 七王子しちおうじに現れた……」

「静かにしろ」

 巨大な手が、いづなの頭を押し下げた。

 耳をぺったんこにされたいづなは、涙目でそれを整えた。

「乱暴じゃのぉ……さすがは牛の化け物じゃ」

「化け物はお互い様だろ……蘆屋様、お久しぶりにございます」

 牛頭人躯の式神は、その場にひざまずいた。

 蘆屋もうなずきかえし、それから隣の女へと視線を移した。

「そちらのかたは?」

「私は、大蝙蝠(びえんふー)と申します。お見知りおきを」

 大蝙蝠は、ぺこりと頭を下げた。

 牛鬼はすぐに本題へと入った。

「ところで蘆屋様、ここでなにをなさっているのですか?」

 牛鬼は、北京警察署のビルを見上げる。

「スタジアムのほうは、うまくいったのですな。街頭のテレビで確認しましたぞ」

「うむ、スタジアムの破壊は……たまたまうまくいった。しかし……」

 言葉をにごす蘆屋。

 牛鬼は、その真っ赤な目を細めた。

「しかし、なんでございますか?」

「清美さんがさらわれてしまった」

 名前を告げられた牛鬼は、だれのことか分からなかったらしい。

 両腕を組んで、首をかしげた。

「清美……どなたで?」

安倍(あべ)清明(せいめい)の女性名だ」

 蘆屋の答えに、牛鬼はポンと手をたたいた。

「なるほど……安倍清明は、敵の手に落ちましたか……で、それがなにか?」

 芝生に押さえつけられたいづなは、四肢をバタバタさせた。

「『それがなにか?』ではなかろうッ! 助けに……ぼふッ!」

 牛鬼の手は、もういちどいづなを押し潰した。腕力では差があり過ぎるのだった。

 蘆屋はしばらくうつむいていたものの、キッと顔をあげて、

「助けに行こうと思う」

 と、決意のこもった声で答えた。

 牛鬼の手が緩んだところを見計らい、いづなは飛び起きた。

「その通りじゃッ! もごッ」

「静かにしろと言ってるだろうが」

 4人は茂みの外の気配をさぐる──気付かれなかったようだ。

 牛鬼はいづなの口から手を放し、主人に向きなおった。

「なぜ安倍清明を助け出す必要があるのです? 敵に洗脳されかけているとでも?」

「いや……そういうことではなく……」

「蘆屋は、清美様にホの字なのじゃ」

 したり顔のいづなを、牛鬼は睨みつけた。

「貴様……言っていい冗談と、悪い冗談が……」

「いづな殿の……言う通りだ……」

 牛鬼は目を丸くして、蘆屋の顔をのぞき込んだ。

 蘆屋はいつもの冷淡な顔を崩して、少々顔を赤らめていた。

「ま……まさか……そんな……ご冗談でしょう?」

「冗談ではない……私は……緑川(みどりかわ)清美(きよみ)さんが好きだ……」

 なにがどうなっているんだ。そんな表情で、牛鬼はしばらく固まった。

「……おかしな術をかけられているのでは、ありますまいな?」

「いや……そのようなことは……」

「強いて言うならば、恋の魔法なのじゃ」

 いづなは嬉しそうに尾を振って、自分のジョークに満足した。

 牛鬼は片手で顔をおおい、深いタメ息をついた。

「式神の身分で、とやかくは申しませんが……もう少し相手を……」

「いえいえ、蘆屋様と安倍様なら、まさに理想的なカップルですわ」

 まるで自分のことのように、大蝙蝠は頬を染めた。怪人とはいえ、このあたりは素が出てしまうらしい。他人の恋路にもかかわらず、俄然興味を持ったのか、

「それで、どのあたりまでお進みですか? 最近の若いかたは、いろいろと……」

 と尋ねた。牛鬼は怒った。

「ええい、蘆屋様に対して、けがらわしいことを言うな」

「男女の愛の営みに、穢らわしいもなにもないでしょう。牛鬼さんったら」

 だんだんと話が逸れていく。

 蘆屋はコホンと、せき払いをした。

「とにかく……清美さんを救出する。できるだけ早急に」

「早急にと言われましても……これでは……」

 牛鬼は、玄関に張り付いた警官を遠目に見た。

「昼間の襲撃は、藪蛇になる虞があるかと存じます」

「うむ……私もそう思う。行動するならば、深夜だな」

 ところが大蝙蝠は、

「夜なら警備が薄いとも、限りませんよ」

 と指摘した。もっともな意見に、牛鬼はうなった。

「それもそうだ……スタジアムを壊された以上、警備は二重三重のはず。時間帯をずらせばよいというものでもない。追加で策を講じねば」

「だから火を放って、敵を攪乱するのじゃ。放火なら任せるのじゃ」

 大蝙蝠は、

「火災が起きると、消防署やら軍隊が集まって、かえって困難になりますよ」

 と、ふたたび口を挟んだ。

 地元のことだけあって、そういうことには詳しいようだ。

 それに気付いたのか、蘆屋も大蝙蝠に助言を求めた。

「大蝙蝠殿のご意見は、いかに?」

 大蝙蝠はくちびるに指を添え、空を見上げた。

「そうですね……やはり、陽動作戦でしょうか」

「陽動作戦? ……北京市内で、別の事件を起こす、と?」

「さすがは蘆屋様、ご理解が早いですわ。その通りです」

 牛鬼もこの案に賛成した。

「新宿のときと、同じ作戦か……蘆屋様、二手に分かれますか?」

 牛鬼の問いに、蘆屋は黙考する。そして、首を縦にふった。

「そうだな。牛鬼といづな殿は、北京市内の郊外で暴れてもらおう。警察が出動した隙に、私が清美さんを救出する」

「あ、それなら、私も手伝います」

 大蝙蝠は遠足にでも行くように、ひとさしゆびを立てて参加を表明した。

「……よろしいのですか? (わん)殿の許可は……」

「大丈夫です。警察と対立することならば、自主的に参加できますので」

 牛鬼はやや皮肉っぽく、

「ずいぶんと、規律が緩いのだな」

 と言った。

「臨機応変と言ってください」

 いづなも、

「行き当たりばったりとも言うぞい」

 と、まぜっかえした。これには牛鬼のほうがあきれた。

「行き当たりばったりで行動してるのは、おまえだろう……しかし、蘆屋様、おひとりでよろしいのですか? 2:2に分けても良いかと思いますが」

 牛鬼の提案に、蘆屋は首を左右に振った。

「警察署を手薄にするには、相当暴れてもらわねばならぬ。半端に分散させるよりは、牛鬼たちに陽動を任せたい。救出は、私が責任を持っておこなう」

 愛する人を助けるためか、蘆屋の表情は、ひどく真剣であった。

 いづなもだんだんと、主人の男選びに納得がいき始めていた。

「さすがは蘆屋様、カッコいいですのぉ。救出後に、接吻してもらえますぞ」

 蘆屋はまた赤くなった。

 牛鬼は怒って、

「接吻はまだ早い」

 と、いづなの頭上にこぶしをふりあげた。

 大蝙蝠は、

「早くないと思います。もしかするとその一歩先まで、むふふ」

 と、勝手に妄想の世界に入っていた。

 作戦会議を終えた4人は、一旦、夜まで待機することにした。

 牛鬼は、

「では、おつかまりください。空間移動致します」

 と言って、腕をさしだした。

 ここで大蝙蝠がわりこんだ。

「あ、ちょっと待ってください」

 大蝙蝠は懐から、一冊のメモ帳とペンを取り出した。

 そして、それを蘆屋に突き出した。

「なんですか、これは?」

 大蝙蝠はにこやかに一言。

「サインください」


  ○

   。

    .


「王様ッ! 王様ッ!」

「……」

「王様ッ! 大変アル!」

 王は顔のハンカチを持ち上げ、部屋に飛び込んできた一向聴(いーしゃんてん)を見やった。

「騒々しい……なんですか?」

 蘆屋が動き出したのか。

 そう推測した王の耳に、とんでもない台詞が飛び込んできた。

「バチカンから通信ヨ! 大至急アル!」

 眠気が一瞬で吹き飛んだ。

 王は寝椅子から起き上がり、眉をひそめた。

「枢機卿からですか?」

「ルシフェル様からアル!」

 王は襟元を正し、事務室のスクリーンへと歩み寄った。

 両腕をそでの中に仕舞い、直立不動の体勢を取った。

「一向聴、通信を」

「了解ネ」

 一向聴がリモコンを操作すると、スクリーンがぼやけた。

 うっすらと、人影が映り込んだ。

 それは、山羊やぎの角を生やした、褐色肌の女性へと変じた。

「ルシフェル様、ご機嫌麗しゅう……」

 王は両腕を上げ、中国式の礼を取った。

《ワン、元気してた?》

「はい、おかげさまで。社稷しゃしょくにはげむ日々にございます」

《よろしい。アシヤとは、ちゃんと仲直りしたんでしょうね?》

 気軽に話し掛けてくるルシフェル。

 一方、王は、さらに深くこうべを垂れた。

「古の契約にもとづき、全面講和しております」

 多少の嘘は混じっていたが、王は気にしなかった。

 停戦しているのは、事実である。

《感心、感心……じゃ、本題に入るわよ》

 ルシフェルはそこでいったん、間を置いた。陽気な口調が、どこかしら闇を帯びたものへと変わった。そのことを王は、スピーカー越しに肌で感じ取っていた。

《ドイツのエミリアが、ラスプーチンの戦利品を強奪したのは、知ってるわね?》

「はい……その場におりましたので……」

 あれが戦利品なのかどうか、王には判断がつきかねた。エミリアに最初から割り当てておけば、なんの問題も起きなかったように思う。

《フランスのジャンヌを通じて、調停させようとしたんだけど、うまくいかないのよ。このまま喧嘩されても困るし、ワン、ちょっと介入してくれない?》

 そこで王は、ようやく顔を上げた。

 あくまでも恭しく、ルシフェルの尊顔をあおいだ。

「わたくしが、ですか?」

《あら、不満?》

「いえ……しかし、大統領(プレジデント)を介するのが、最善かと……」

 王はなるべく反抗的にならないよう、声をひそめた。

 ルシフェルは長い爪で耳の穴を掻きながら、タメ息をついた。

《大統領は忙しいのよ、いろいろと》

 それは、こちらも同じだ。そう言いかけた王だが、ふとある予感に襲われた……大統領は、夢の国(ドリームランド)関連で、なにか特別な任務を負っているのではないだろうか。そういう風の噂を、王も耳にしたことがあった。

「エミリアから一時的に、魔力をお奪いになられては?」

 王の提案に、ルシフェルはかぶりをふった。

《ダメダメ。夢の国が現れたところで、仲間から力を奪うなんて、そりゃ無理よ。っていうか、あの娘もそれが分かってて、強気に出てるんでしょうね》

 なるほど、そういうことか。王は、納得がいった。

《ま、そういうことだから、ちょっとベルリンに飛んでくれない?》

「承りました……ただ、もう一日お待ちいただけませんでしょうか?」

《んー、できれば、即刻移動して欲しいんだけど……まあ、いいわ》

 ルシフェルは、理由をたずねてこなかった。

 どこか見透かされたところがあるようで、王はゾッとしなかった。

《じゃ、よろしくねん》

 それを最後に、通信は途切れた。

 王の肩から、ドッと荷が降りた。

「ふぅ……ルシフェル様も、あいかわらずなようで……」

「どうするネ? 何時の飛行機を予約するアルか?」

 一向聴は早速、端末をひらいた。

 王は扇を取り出し、それを口元に添えた。

「蘆屋の動きが問題です……北京警察が絡んでいる以上、ここで放置するわけにも参りません。天和(てんほー)と連絡を取り、その辺りの情勢を探らせてください」

「了解アル。天和も忙しいネ」

「上海への撤退時に、情報網が寸断されてしまいました。仕方がありません」

 王は窓辺へ歩み寄り、ブラインドに隙き間を作った。

 まばゆい昼間の光が、ガラス越しに降りそそいだ。

「体育場、安倍清明、エミリアとラスプーチンの講和……仕事が増えるばかりです」


  ○

   。

    .


 病院の一室で、十三不塔(しーさんぷーたー)は暇をもてあましていた。

 包帯でぐるぐる撒きになった一気通貫(いっきつうかん)が、ベッドに横たわっている。

 寝ているのかと思いきや、いきなり声をかけてきた。

「おい、十三不塔、そろそろ治ったんじゃないのか?」

「昨日の今日で、治るわけないでしょ」

 十三不塔は両腕を後頭部に回し、椅子の上でふんぞり返った。

 一気通貫は、包帯におおわれた口元を、もごもごと動かした。

「あの狐女、今度見つけたら、皮を剥いでコートにしてやる」

 残念ながら、それは無理だ。十三不塔は、心の中でそうつぶやいた。王から停戦命令が出た以上、いづなとの戦いは禁じられてしまっていた。

 ただ、それを今伝えるのも酷なので、十三不塔は黙っておいた。

「怪我を治すのが、先かな」

「ふん……別に大した怪我じゃないぞ。火傷しただけだ」

「普通の人間だったら、死んでたけどね……まあ、それは置いといて、どうにも気になることがあるんだよ」

「なんだ? 薬ならちゃんと飲んだぞ?」

 一気通貫は獣舌なのか、化学物質の塊をやたら吐き出す癖があった。注射も嫌がる。十三不塔が目の前で監視しなければ、薬ひとつ飲めないのだ。

 とはいえ、十三不塔の関心は、そこにはなかった。

「夢の国の使者だよ」

 十三不塔の言葉に、一気通貫は首をひねった。

 そして、ギュッと目をつむった。

「いたたた……」

「安静にしないからだよ」

「うるさい……で、夢の国の使者が、どうしたのだ?」

 無理をしなければいいのに。十三不塔はそう思いながら、先を続けた。

「スタジアムに現れたのは、知ってるだろう?」

「ああ、おまえから直接聞いたぞ……バカにしてるのか?」

「してないよ……でもさ、なんで現れたのか、その理由が分からないんだよね」

「そんなのは簡単だ。安倍清明を取り返しに来たんだろう」

「……そうかな?」

 十三不塔は、意味深にそうつぶやいた。

 一気通貫は包帯の隙き間から、鋭い眼光を漏らした。

「……どういうことだ?」

「夢の国の使者は、どうしてあのタイミングで現れたんだろう? 双性者(ヘテロイド)を取り返すなら、もっと別な機会があったんじゃないかな?」

「安倍清明と蘆屋が分かれて、チャンスと思ったんだろ」

「王様もいたのに? 幹部ふたりだよ?」

 十三不塔の指摘に、一気通貫は口をつぐんだ。

 視線を逸らして、ベッドの上で仰向けになった。

「そう言われると、そうだな……」

 一気通貫はしばらく天井を見上げ、それから首だけを十三不塔へと曲げた。

「そもそも、夢の国って、なんなんだ?」

「……さあ」

「十三不塔も知らないのか? 天和は?」

 十三不塔は、首を左右にふった。

 適当に返したわけではない。知らないという確信があったのだ。

「それを知ってるのは、悪の組織の幹部だけだよ」

「うちだと、王様だけか……教えてもらえないのか?」

「絶対無理。最高機密だから」

「戦う相手の正体が最高機密って、変だぞ。おかしくないか?」

 一気通貫の問いに、十三不塔は押し黙った。

 四風仙(すーふーせん)の中で一番年下の狼女に、なんと答えていいものか、分からなかったのである。十三不塔ですら、もうすぐ還暦を迎えようと言うのに、一気通貫はまだ、30そこら。人間の姿に生まれ変わったのも、数年前のことであった。もともとは、王の飼っていた狼だったのである。

「ま、この話は、半分タブーだからね」

「それがおかしいと言ってるんだ。なんで……イタタ」

 一気通貫は顔をゆがめて、うーうーとうなり始めた。

「ほら……安静にして」

 十三不塔はそう言って、一気通貫の姿勢を直してやった。

 一気通貫は、包帯から覗く耳をぴくぴくさせ、そのまま眠りについてしまった。

 同僚の寝息を聞きながら、十三不塔は病室を出た。

「夢の国か……いったい、なにが目的なんだろうね?」

 十三不塔は、廊下にただよう薬の匂いを嗅ぎながら、病院をあとにした。

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