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第93話 売られた少女

「どこへ行くんだい?」

 背後から掛けられた声に、清美(きよみ)はビクリとなった。

 振り返ると、窓のない廊下の奥で、ニッキーが仁王立ちしていた。あいかわらず肉体労働者の姿をしていたが、そのたたずまいには、どこか人間離れしたところがあった。

「ちょ、ちょっと、お手洗いに……」

蘆屋(あしや)道遥(みちはる)くんのところへ、かい?」

 すべてを見透かされた清美は、ニッキーに向き直り、言葉をさがした。

 けれども、うまい口実が思いつかなかった。

 清美がもじもじしていると、ニッキーは言葉をついだ。

「どうやら、バラバラになっているあいだに、なにかあったようだね」

「……」

「いや、答えなくてもいいよ。一応、経緯は分かっているから」

 ニッキーの意味深な台詞に、清美は頬を染めた。

 そして、強烈な不安に襲われた。

「ボクを……どうするの……?」

 清美は恐る恐る、くちびるを震わせながら、そうたずねた。自分と蘆屋の恋仲を、ニッキーに気付かれたのだ。ニッキーは、蘆屋の宿敵。その宿敵とくっついた人物を、夢の国(ドリームランド)の使者であるニッキーが、放っておくわけがない。最悪の場合は──

 清美は無意識のうちに、腰の魔法ステッキに指を伸ばしていた。

「べつに行ってもいいよ」

 清美は一瞬、我が耳を疑った。

 動揺する暇も与えず、ニッキーは先を続けた。

緑川(みどりかわ)清美(きよみ)くん、確かに私は、きみを魔法少女に選んだ。だけどそれは、撤回不可能な約束ってわけじゃない。拘束する気もないよ」

「……ほんとに?」

 かすれ声になった清美に、ニッキーはうなずきかえした。

「但し、そのステッキは、回収させてもらうよ」

 ニッキーはそう言って、腰のステッキをゆびさした。

「それから、御湯ノ水(おゆのみず)博士のリストウォッチも、だ」

「つまり……武装解除しろってこと?」

 ニッキーはもう一度、うなずきかえした。

「物わかりがいいね。さすがに私も、夢の国の技術を連中に渡すほど、お人好しじゃない。きみがここを出て行くのなら、魔法少女の委託は、これっきりだ」

 清美は少しためらいながら、リストウォッチを外した。義父である御湯ノ水に申し訳ないという気持ちもあったが、他方では、これが罠ではないかという不安もあった。ステッキとリストウォッチを渡した瞬間、殺されるのではないだろうか。

 ……いや、大丈夫だ。自分は、陰陽師。詳しくは知らないが、安倍(あべ)清明(せいめい)という偉大な術師の子孫らしい。たとえ遺伝子改造で作られた存在だとしても、能力はきちんと残っていた。ニッキーにいきなり襲われても、逃げ出すくらいはできるだろう。清美はそう考えて、ステッキとリストウォッチを、ニッキーに引渡した。

 ニッキーはその大柄な手でふたつを受け取ると、ふたたび仁王立ちになった。

「それと、もうひとつ……」

 追加の条件か。清美は、軽く身構える。

「いくら親交があったとは言え、きみが私の邪魔をするようなら、きちんと対処させてもらうよ。逆に、蘆屋くんが今後、活動を控えるというのなら、私は他の幹部を標的にする」

「え? ……どういうこと?」

「東京の本部は、隠密課の手で壊滅させられたことだし、私としても、他の地域を回りたいのでね。だから蘆屋一族は、後回しにしようと思う。もし蘆屋くんと合流できたら、そう伝えてくれたまえ」

 ニッキーの理由付けに、清美は心の中で、眉をひそめた。内容をいぶかったのではなく、彼女の勘が、敏感に反応したのだ。やはり罠なのではないか。油断させて、一気に決着をつける気なのかもしれない。あるいは他に、もっと深い計画が……清美は、疑念を表情に出さないよう務めながら、首を縦にふった。

「わ、分かったよ……本当に手出ししない?」

「ああ、約束する。君たちがおとなしくしている限りは、ね」

 ニッキーの口調は、確固とした響きをはらんでいた。

 清美は半信半疑ながらも、ニッキーを信用した。そもそも、これが罠なら、スタジアムの時点で救出には来なかっただろう。そう考えたのだ。

「それにしても、ニッキーって、ずいぶん割り切りがいいんだね」

 清美はカマ掛けのつもりで、そうたずねてみた。

「合理的と言って欲しいな。嫌々仕事をする魔法少女ほど、効率が悪いものもないんでね。いざ戦いになって、『私はこの人を愛してるんですぅ』なんて言われても、こっちが困るだけだ。それなら、早めに戦線離脱してもらったほうが、助かるというわけさ」

 どこまでも冷静なニッキーの説明に、清美はある意味、感心してしまった。

「今まで、ありがとう……あと、博士には、秘密にしてもらえる?」

「御湯ノ水博士にかい? どの部分を?」

「ボクが……蘆屋くんと……」

 清美は、言葉をにごした。

「駆け落ちしたことかい? ……赤くならなくても、いいよ。分かった。もし博士に会う機会があったら、適当に誤摩化しておこう」

 駆け落ち……確かに、駆け落ちかもしれない。清美は日本政府の手で、蘆屋一族と戦うために作られた、双性者(ヘテロイド)なのだ。その双性者(ヘテロイド)が、蘆屋道遥と恋仲になるなど、駆け落ち以外の何物でもなかった。隠密課にとっては、もっと(たち)が悪いなにかだ。

 清美は微妙に、胸が痛んだ。

「それじゃ、また……いや、永遠にさようならのほうが、いいかな。とにかく清美くん、きみが蘆屋道遥の行動を抑制できるなら、それはお互いにとってプラスになる。できれば東京に戻るか、北京でおとなしくしてもらいたいね……じゃあ、さようなら。次回は、来世で会おう」

「さ、さようなら……」

 ニッキーと大げさな別れを告げた清美は、小走りに宿屋を出た。

 一階の酒場で不審な眼差しを投げ掛けられたが、構いはしない。ここへ来ることは、もう二度とないだろうから。清美は立て付けの悪い扉を開け、通りに出た。ゴミがあふれ、野良犬が彷徨う、ずいぶんと物騒な場所であった。

 地理くらいは、たずねておけば良かったか。きびすを返す清美に、だれかが声をかけた。

「おい、どこ行くんだ?」

 宿屋のそば、雑多に積まれた空き箱の上に、(えん)の姿があった。

 圓は煙草をくわえながら、清美の顔をじろじろ眺め回した。

「さ、散歩に……」

 清美がそう答えると、圓は紫煙を吐いて、壁に寄りかかった。

「そりゃ、いいご身分なこって」

 皮肉たっぷりの口調に、清美は圓の苛立ちを感じた。その苛立ちは、清美の裕福さのみならず、自分の境遇にも向けられているような、そんな気がしてきた。

「なにかあったの?」

 清美がたずねると、圓は煙草をはなし、ぼんやりと空を見つめた。

「……仕事がなくなっちまった」

「仕事が? ……解雇されたの?」

「顔に似合わず、ずけずけと訊いてくるんだな」

「ご、ごめん……」

 謝る清美に対して、圓はタメ息をついた。

 今度は、心からしょぼくれたような、悲し気なタメ息であった。

「体育場が壊れたから、もう来なくていいんだとよ」

「スタジアムが……?」

 そのとき清美は、圓が移民労働者であること、ようやく思い出した。自分と同世代の、それでいて日々労働に追われている少女に、清美は初めて出会ったのだ。七丈島がエリートの集う人工島だったことも、彼女の人生経験を、ひどく貧しいものにしていた。

「で、でも、他に仕事はあるんじゃないかな? 瓦礫の処理とか……」

「そんなのは、男のする仕事さ……ま、女でできないこともないけど、あたしじゃ無理だよ。まだ子供だし……建築中も、備品の移動とか、ランプの取り付けとか、力仕事以外を任せられてたから……」

「……そっか」

 清美の胸に、深い罪悪感が立ちこめた。スタジアムの崩壊は、必ずしも清美の責任であるとは、言えなかった。けれどもそれは、因果関係の問題に過ぎなかった。蘆屋と組んで壊そうとしていたことは、事実である。目の前の少女の失業に、清美は複雑な感情をいだいた。

 そんな清美の表情を察したのか、圓も少しばかり機嫌をなおした。

「北京は広いからな。さがせば、いくらでもあるさ、新しい仕事なんて」

「うん、応援してるよ」

 やや無責任な言い方だが、清美は圓をはげました。

 すると圓は、木箱から飛び降りて、すたりと地面に着地する。その瞬間、彼女が浮かべた苦痛の表情を、清美は見逃さなかった。

「ねえ……やっぱり治ってないんじゃない?」

「たまに痛むだけさ。傷口はふさがってるんだ」

「でも、ホテルで休んどいたほうが……」

 心配する清美の手を、圓ははねのけた。

「こんなとこ、ホテルでもなんでもねえよ。男ばっかりだし、つまんねえ」

 そう言い捨てて圓は、通りの奥へと足を向けた。

 どこへ行くのだろうか。清美はあとを追った。

「そっちに、なにかあるの?」

「大通りだよ。職業紹介所に、また登録して来ないとな」

 不法移民ではないのか。あるいは、偽の労働ビザの発給も、一向聴(いーしゃんてん)たちの仕事に含まれていたのかもしれない。清美は、なんとなくそう推測した。

「ぼ、ボクも、ついて行っていいかな?」

 清美の問いに、圓は怪訝そうなまなざしを向けた。

「あんたが……? あんたは、金があるんだろ?」

 そう言って圓は、清美の服装を、上から下まで物色した。

 清美は靴先で地面を小突きながら、手を腰の後ろに回した。

「えーと……暇だから……」

「なんだそりゃ……まあ、いいや。ついて来いよ」

 圓は黙って、清美を誘導し始めた。

 清美も無言で、あとに続いた。本当は、圓の足のことが、心配だったのだ。銃弾で打ち抜かれたのだから、いくら骨が折れていないとしても、軽い怪我ではない。もしかすると、生活のために無理をしているのかもしれず、清美は彼女を、ひとりにできなかった。

 それとも、スタジアムの崩壊に対する、罪滅ぼしなのだろうか。清美には、自分の気持ちが、どうにも推し量れないでいた。

 大通りに出たふたりは、そのまま一直線に、職業紹介所へと向かった。日本の職安(清美はそれを見たことがないのだが)とは異なり、どうやら私企業が取り仕切っているらしい。要するに、斡旋業者なわけだ。

 ガラスの扉を開け、中に入った。すさまじい人集りができていた。これが普段の光景なのか、それとも、スタジアムの崩壊で、失職者が山のように出たのか、清美には見当がつかなかった。待合室のようなものもなく、清美たちは長い順番待ちを強いられた。

「……圓さんは、このままずっと北京に住むの?」

 背後からの質問に、圓はふりむいた。

「ずっと……かどうかは、分かんないね」

「ベトナムに帰る?」

「いや……もし機会があれば、四川に行くよ」

 四川。清美はそれが、圓の故郷であることを思い出した。

「家族は、どうするの?」

「家族って言ってもね……みんなバラバラだし……」

 そうつぶやいた圓の顔は、悲しみと呼ぶにはあまりにも単純な、どこか得体の知れない感情を浮かべていた。天涯孤独とも異なる、奇妙な寂しさを、清美は感じ取った。

「で、あんたは?」

「え? ボク?」

「ずっと中国に住むのかい? 観光客じゃないんだろ?」

 清美は、曖昧にくちびるを動かした。それは、清美自身では決められないことであった。蘆屋の意向も重要であり、同時に、王が自分たちを赦してくれるのかも、彼女は気に掛けていた。もし追い回されるようならば、どこか別の国に避難するしかなかった。

 清美は突然、不安になった。

「その顔は、まだ決まってないって感じだね……連れは、帰りたがってるの?」

「……分かんない」

「そうかい……男にほいほいついて行くのもいいけど、気をつけなよ。どこかで急にポイッて可能性もあるし……いや、無粋だね。あの男なら、多分、大丈夫だと思うよ。優男に見えるけど、目の色が違うから。芯が通ってて、なんかこう……人殺しみたいな……おっと」

 圓はそこで、口を閉ざした。

 相方を「人殺し」呼ばわりして、後悔したのだろうか。

 ふたりはそれっきり、言葉をかわさなかった。人の流れに乗って、受付に到着する。先に名前を呼ばれたのは、圓の方だった。圓はパスポートと労働ビザらしきものを取り出すと、それを持って係員となにやら話を始めた。

 清美はそのあいだも、自分の身の振り方について、思い悩んでいた。そろそろ、自分の意見を持たねばならないときが、来たのではないだろうか。清美はふと、そんな気になった。

 圓と係員の話し合いは、それほど長くは掛からなかった。圓はコンピューターの端末にいろいろと情報を入力し、清美に場所をゆずった。清美は、一向聴(いーしゃんてん)から貰った偽のパスポートとビザを、係員に提示した。働こうと思ったのではない。圓と話を合わせておこうと思ったのだ。

 係員はパスポートを機械に読み取らせ、そして表情を強ばらせた。

「……どうかしました?」

 パスポートが、無効になっているのではないか。

 清美に緊張が走った。

 ところが係員は、すぐに表情をもどした。

「いえ、なんでもありません……初回のかたですか?」

「……はい」

「でしたら、受付はここではありません。そこの階段を昇って、右手に曲がったところで、新規登録を済ませてください」

 職員はそう言って、近くの階段をゆびさした。

 どうする。本当に登録する必要はないのだ。清美はしばらく迷った挙げ句、こう答えた。

「だったら、また今度来ます」

 言い終わるが早いか、職員の顔がくもった。

 機嫌を損ねたのだろうか。そう思った途端、2階から警官が雪崩れ込んできた。あたりは一瞬にして、修羅場と化した。労働者の群れは押しのけられ、警報が鳴り響く。職員は奥に逃げ出し、清美は取り囲まれてしまった。

「え……な……」

「国家第三体育場爆破容疑で、貴様を逮捕するッ!」

 罪状を告げられた清美は、驚愕した。

 どこで情報が漏れたのか、分からない。

 圓も目を丸くして、清美に釈明を求めた。

「どけッ!」

 突き飛ばされた圓は、床に突っ伏した。

 清美はそれを助けようとしたが、すぐに動作を止めた──仲間だと誤解される。圓を巻き込みたくない清美は、おとなしくその場に留まった。

「諦めはいいようだな……署まで来てもらおうか」


  ○

   。

    .


 事務机の奥で、王は顔を上げた。

緑川(みどりかわ)清美(きよみ)が捕まった……?」

 一向聴は早口でまくしたてる。

「さっき、部下のひとりから、連絡が入ったネ。職業紹介所に現れたところを、お縄になったらしいヨ」

 一向聴は、蘆屋がその場にいなかったことを、敢えて付け加えなかった。蘆屋がそばにいれば、そう簡単には捕まらないからである。

 王もそれを分かっているのか、別の質問を飛ばした。

「旅券に不備があったのですか?」

「そ、そんなことはないヨ。偽装は完璧アル」

 そう言い切る一向聴だったが、口調はおぼつかなかった。

 王は背筋を伸ばしたまま、嘆息した。

「ふむ……もしや、北京警察にバレたのでは……」

「あたしたちの存在が、アルか?」

「いえ……それならば、わたくしたちのほうに手が伸びているはずです。なぜ緑川清美がピンポイントで逮捕されたのか、その説明がつきません」

「たまたま、じゃないアルか?」

 一向聴の推測は、王を納得させなかった。

「他の労働者は無事で、安倍(あべ)清明(せいめい)だけが逮捕される……誰かが情報を売ったとしか思えません」

「売った? ……そんな不届きものは、組織にはいないヨ!」

 一向聴の大声を、王は右手で制した。

「組織の中にいるとは、言っていません。もしかすると、第三者が……」

「第三者? 清美がスタジアムにいたのを知ってるのは、あたしたちだけヨ」

「確かに……監視カメラも全てオフにしてありました……では誰が……」

 あるいは、自分たちの知らないところで、すでに怪し気な行動があったのだろうか。蘆屋と清美の美男美女コンビは、街中でもそこそこ目を引く。上海で顔を覚えられているという可能性もあった。清美に犯罪者の自覚がなければ、迂闊な行動を取ったとしても、不思議ではない。そう考えた王は、逮捕の原因について、考えるのをやめた。

天和(てんほー)に伝えてください。監視対象を、緑川清美に切り替えます」

「了解アル」

 一向聴はそう言って、きびすを返そうとした。

 しかし、出口のところで、ふと王に向きなおった。

「蘆屋はどうするアルか?」

「蘆屋は、救援に駆けつけるはずです。放っておいても構いません」

「……そうアルか? 清美が逮捕されたって、どうやって分かるネ?」

 王は鋭い視線を、一向聴に投げ掛けた。

 一向聴は、自分の至らなさを見咎められたようで、若干気後れした。

「『緑川清美が警察に捕まった』と、我々から蘆屋に伝えるのです」

 なるほど、情報をわざと漏らすのか。一向聴は感心した。

「北京警察も、緑川清美が主犯とは思わないでしょう。おそらく、わたくしたちをおびき出す餌にするはず。敵が罠を張りめぐらす前に、蘆屋に突入してもらいます」

「ま、丸投げアルか?」

 一向聴の問いに、王は目を閉じた。

「臨機応変ですよ……早速、そのように手配してください」

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