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第91話 上書きされる嘘

 目を覚ましたとき、清美(きよみ)は見知らぬ部屋にいた。窓から差し込む陽の光は、すでに午後の兆し。清美は軽い頭痛を覚えつつ、上半身を起こし、あたりを見回した。

 ……だれもいない。古びた椅子とテーブル、それに二段ベッドがあるだけの、粗末な宿舎のような場所であった。自分が二段ベッドの下に寝ていると気付いたのは、右横に梯子はしごが見えたからである。掃除が行き届いていないのか、かすかに異臭がした。

 清美は目をこすって、昨晩の記憶を呼び起こした。

「……蘆屋(あしや)くんッ!」

 清美はシーツをはねのけ、ベッドから飛び降りた。

 足の裏が床についた途端、自分が裸足であると察した。靴は、ベッドの下に押し込まれていた。隠そうとしたのではなく、部屋があまりにも狭過ぎるからであろう。そう推測しながら、清美は大慌てで、白いスポーツシューズに、爪先を突っ込んだ。

「おい、なにバタバタしてんだ?」

 部屋の扉がひらいた。

 その向こう側に現れたのは、ひとりの少女。

 その顔に、清美は見覚えがあった。

(えん)さんッ!」

「静かにしろ」

 大声をたしなめられた清美は、ボリュームを落とし、もう一度少女の名を呼んだ。

「圓さん、なんでここに?」

 清美の問いに、圓は顔をしかめた。

「そりゃ、こっちの台詞だ。おまえこそ、ここでなにやってるんだ?」

 もっともな話だ。

 清美は、寝起きの頭をフル回転させ、言い訳を考えた。

「き、昨日は、お酒を飲み過ぎちゃって……それで……」

 年齢的に危ない話だが、清美は誤摩化せると思った。そもそも、ここがどこなのか分からないのだから、迂闊な動機のでっち上げは、禁物だった。

 現に圓も、ハハッと小馬鹿にしたような笑いを浮かべた。

「日本人が無理して飲むから、そういうことになるんだよ」

「こ、今度からは、気をつけるよ……ところで、ここはどこ?」

 そう、泥酔は、この質問をぶつけるための準備でもあった。

「ここは、ドヤ街の安宿だよ」

「どやがい?」

 聞いたことのない言葉に、清美は首をひねった。

 圓は、あまり面白くなさそうな顔をした。

「おまえみたいな奴には、関係ないところさ」

 圓は鼻の下をこすりながら、ちらりと清美のスポーツシューズを盗み見ていた。

 昨日買ったばかりの、新品である。古いものは、上海の戦闘時に、ガラスの破片を踏むやらなにやらで、だいぶ痛んでしまったのだ。

「ところで、おまえ、連れがいただろ?」

 そうだ。自分が飛び起きた理由を思い出し、清美はふたたびあわてた。

「あ、蘆屋くんは?」

「あしや? ……連れの名前か?」

「そうだよ。ここにいるの?」

「おまえを運んでから、どっか行っちまったよ」

 圓の返事に、清美は軽いショックを受けた。

 一晩付き添ってくれなかったことを、恨んだのである。

 それとも、男女ふたりきりになるのを、避けたのだろうか。蘆屋の奥手ぶりなら、ありうる話であった。清美は、彼の行き先を考え始めた。

 すると今度は、圓の方から口をひらいた。

「つーかさ、トラックにいた連中は、どこ行ったんだ? 別行動なのか?」

 清美は思考の海から顔を上げ、圓を見つめ返した。

「トラックにいた連中?」

「若い男と、変な髪の長い女だよ」

 蘆屋といづなか。清美は、ようやく指示対象を理解した。

「い、一緒に行動してるよ。蘆屋くんは、昨日、ここに来たんでしょ?」

「え?」

 圓は怪訝そうな顔をした。清美もまた怪訝そうな顔をした。

「蘆屋くんは、トラックで、きみの向かい側に座ってた男の子だよ」

「昨日の夜、おまえを連れてきたのは、どっかのおやじだったぜ?」

 清美は無意識のうちに、胸元に手を寄せていた。

 ……おかしなことをされたのではないだろうか。血の気が引いた。

 圓も清美の不安を察したらしく、すぐに言葉を継いだ。

「大丈夫だって、服はそのまんまだし、おっさんはすぐ帰ったぜ」

 清美は、ホッと胸を撫で下ろした。

 だれなのだろうか。そもそも、なぜ蘆屋と離ればなれになっているのか、それが不思議で仕方がなかった。昨晩は、スタジアムの偵察に行き、それから──

「あッ……」

 清美が口元に手をあてた瞬間、圓の背後に、大柄な男が現れた。

 歳は30過ぎだろうか。よく日焼けした、筋肉質な体をしていた。

 男の顔を見上げた圓は、ぱちりと指を鳴らした。

「ちょうどいいや、連れが目を覚ましたぜ」

「ありがとう」

 男は、その容姿とは裏腹に、やや甲高い声をしていた。

 その声質に、清美はハッとなる。

「に、ニッキー?」

「圓くんだったかな、すまないが、席を外してくれないかい?」

「なんだ? 押し入り強盗の相談でもするのか?」

「企業秘密だよ」

 男の軽口にはぐらかされた圓は、わざとらしく肩をすくめて、その場を去った。

 男は部屋に踏み込み、後ろ手に扉を閉めた。

「気分は、どうだい?」

「に、ニッキーだよね?」

 同じ質問を繰り返した清美に、男はうなずきかえした。

「よかった……ボクをここへ運んだのも、ニッキー?」

「そうだよ。昨日はずいぶんと、お楽しみだったようだね」

 ニッキーの意味深な発言に、清美は頬を染めた。どうやら、蘆屋とのデートを、見られていたらしい。そのことに気付いたのだ。

「あ、蘆屋くんは?」

 この話題を切り出していいものか、清美には察しがつきかねた。蘆屋は悪の組織の幹部、ニッキーの宿敵である。もしかすると、ニッキーと蘆屋とのあいだで、一悶着あったのかもしれない。

 清美は固唾を呑んで、答えを待った。

「知らないな」

「知らない? ……どういうこと?」

「きみは、なにも覚えていないのかい?」

 清美は昨晩の出来事を、もう一度回想した。スタジアムに入り、いづなの登場に気付き、それから……そうだ、さきほど思い出したばかりではないか。ニッキーが登場し、蘆屋と交渉を始めたのだ。席を外してくれと言われ、通路の奥へ引っ込んだところ、何者かに背後を襲われた。

 完全に記憶を取戻した清美は、

「蘆屋くんと、なにを話したの?」

 とたずねた。

「ああ、やはり勘違いしてるんだね……あれは、私ではないよ」

 意味不明なニッキーの返事に、清美は眉をひそめた。

「ニッキーじゃない……?」

「あれはね、十三不塔(しーさんぷーたー)くんの変装さ。彼とは、東京の蘆屋邸で一度会ったことがあるし、それでうまく化けれたんだろう」

「でも、十三不塔くんは、死んで……」

「あれは動物の死骸だ。他の生き物も、一定時間変身させられるようだ」

 ニッキーの解説に、清美はなぜか安堵してしまった。十三不塔の生存についてだろうか。そのように思えてくる。清美は、自分がいつの間にか、悪の組織寄りになっていることを、あらためて自覚させられた。

「じゃあ、あのあと、なにがあったの?」

「きみを襲ったのは、(わん)だよ。きみたちのイタズラを察知して、罠を張ったというわけさ。どうやら、人質にする予定だったようだね」

 スタジアムの破壊を、子供の遊戯にたとえられ、清美は複雑な気持ちになった。

「ボクを助けてくれたのは、ニッキー?」

「うむ」

「単独で?」

「うむ」

 ……そうか。清美は、なんとなくがっかりした。

 失礼だとは分かっていても、ニッキーは白馬の王子様ではないのである。

「じゃあ、蘆屋くんは、どこへ?」

「さっきも言ったように、知らない。きみを捜していたようだが……その前に、僕が十三不塔くんに変身して、きみを奪還したからね」

 なるほど、騙し合いがあったわけだ。

 清美はだんだんと、昨晩の状況を理解し始めた。

 そして、もうひとりの参加者を思い出した。

「いづなは?」

「狐ちゃんなら、自力でスタジアムを脱出したようだよ。ただ、彼女がどこへ行ったのか、私は知らないね。蘆屋くんと合流している可能性もあるし、単独行動の可能性もある」

 どちらかと言えば、後者か。清美は、そう推測した。

「とりあえず、ボクは……」

 皆まで言う前に、廊下が突然、騒がしくなった。

 清美たちは会話を中断し、壁の向こう側に耳を澄ませた。

 ……複数の男たちが、笑い声とののしり声を交えながら、こちらにやって来る。

 錆びたドアノブが回り、扉が無思慮に開けはなたれた。

 ニッキーは持ち前の俊敏さで、衝突を避けた。

「しかしよう、マジでこれから……おッ」

 先頭にいた髭の男が、清美を見て、その目を見開いた。

「おい、立ち止まるな」

「お嬢ちゃん、起きたのかい? 具合はどうだ?」

 男は敷居をまたぎながら、そんな質問をぶつけてきた。

 清美は、彼らがこの部屋の所有者であることを悟った。あるいは、宿泊客。

「も、もう、平気です……」

「ハハッ! それなら、さっさと出て行ってくんな。ここは狭いんだ」

「それに、目の毒だからな」

「なんだおまえ、こんなのが趣味なのか? 痩せ過ぎだろ」

 本人の目の前だと言うのに、男たちはひどく下品な話を始めた。

 清美はくちびるをすぼめ、すぐにでもこの場を去りたくなった。

「あ、ありがとうございました……ボクは、これで……」

「おう、そうしてくれや」

 清美が靴ひもを結ぶあいだも、男たちの会話は続く。

「ところで、明日からどうするんだ?」

「どうするもなにも、仕事がねぇだろ」

「体育場が、ガラガラドッカンじゃなぁ」

「なんでも、手抜き工事だったって話じゃねぇか」

「清掃局にでも顔出すか?」

「そいつは名案だ。瓦礫の回収なんか、きっとてんてこ舞いだぜ」

 微妙に耳を澄ませていた清美は、顔を上げ、ニッキーを見つめた。

 ニッキーもまた、彼女の視線をとらえかえした。

「す、スタジアムは……?」

 ニッキーは少し間を置き、それから静かに答えた。

「全壊したよ」


  ○

   。

    .


 熱気と砂埃。

 瓦礫に水を掛けながら、一向聴(いーしゃんてん)は歯ぎしりしていた。彼女がほぞを噛むたびに、作業用のマスクがずり落ちそうになる。安物なのだ。

 昨晩、スタジアムを命からがら逃げ出した一向聴たちは、ほとんど徹夜の状態で、その後始末に狩り出されていた。狩り出されたと言っても、現場を任されたのは一向聴のみで、十三不塔は情報収集で市街地に向かい、一気通貫(いっきつうかん)は王に連れられて、無免許医師の病院へ直行。要するに、一向聴が貧乏くじを引いた格好である。

 しかし、なによりも腹立たしいのは、蘆屋と清美の存在だった。

「恩知らずにも、ほどがあるネ……」

 せっかく、仲を取り持ってやったのに。少なくとも一向聴は、ふたりが結ばれたのは、自分のおかげだと思っていた。具体的な貢献度を示せるわけではないのだが、とにかくそう信じていたのである。そのお返しが、スタジアムの破壊とは。

 ショベルカーが、鉄筋の剥き出しになったコンクリート片を掻き集め、それをトラックの荷台へと流し込む。その度に砂ぼこりが舞って、あたりの風景はかすんで見えた。

「よーし、休憩!」

 拡声器で告げられた休憩の合図に、作業員たちは手を休めた。

 タメ息が溢れ返り、軽く背伸びをしながら、持ち場を離れて行く。

 一向聴の握っているホースからも、水が出なくなった。一向聴は、それを地面に放り投げて、額の汗をぬぐった。

「こういう仕事は、お肌に悪いヨ」

 さぞかし顔が汚れているだろう。

 そう思った一向聴は、水飲み場へ足を向けた。ところが水飲み場は、我先にと駆け込んだ男たちで、ごった返していた。蛇口のじゃの字も見えない。

 なんとか割り込もうと、悪戦苦闘する一向聴。

 しかし、小柄な彼女には、いかんともし難い状況であった。拳法でも繰り出せば、簡単になぎ倒せるのだが、衆人環視の中では、そうもいかなかった。

「通すアル……アイヤ?」

 一向聴は、太ももの付け根に、軽い振動を感じた。

 痴漢ではない。携帯電話のバイブレーションだ。

 それに気付いた一向聴は、顔を洗うのをあきらめて、適当な物陰をさがした。積み上げられた瓦礫の山の背後に、ちょうどよい日陰ができていた。作業場には、もはや誰もいなかった。

 一向聴はその日陰に身を投じると、端末を引き抜き、耳に押し当てた。

「もしもし?」

《一向聴ですか?》

 王の声だ。

 一向聴は、心持ち背筋を伸ばす。

「なにか用アルか?」

《そちらの状況は、どうです?》

 状況も糞もない。一向聴は、眉間にしわを寄せる。

「みんなで片付けてるアル」

《北京警察の姿は?》

 一向聴は、瓦礫の山から、こっそりと広場を垣間みた。

 そして、あわてて首を引っ込めた。

《もしもし?》

「い、いるアル……大量にいるヨ……」

 作業に集中していて、気付かなかった。一向聴は、うすら寒いものを感じた。

 しかし、かえってそれが、良かったのかもしれない。自然体過ぎて、警察も一向聴の存在に注意を払わなかったのだろう。彼女は、そう考えた。

《北京市内の警備が、大幅に強化されたようです。ほぼ厳戒態勢かと》

「厳戒態勢? ……どういうことアルか?」

《政府は、体育場の爆発をテロと断じました。軍隊も動いています》

 テロ……なのか? 一向聴は、なんとも言いかねた。

 蘆屋たちが建物を破壊しようとしたのは、事実である。けれども、建物が崩壊したのは、スプリンクラーが作動せず、火薬類が現場に起きっぱなしで、しかも微妙に手抜き工事だったという、偶然の積み重なり。そこへ放火魔の狐が忍び込み、手当り次第に炎をまき散らしたのも、なんら計画的なものではなかった。

《一向聴、聞いていますか?》

 テロ認定に考えを巡らせていた一向聴は、通話に引きもどされた。

「き、聞いてるアル」

《というわけで、現在遂行中の事業は、すべて中止してください》

「す、スタジアムの管理もアルか?」

《管理もなにも、後片付けしか残されていません。体育場関連の労働斡旋も、もはや不可能になってしまいました。残念ですが、一時撤退です》

「移民はどうするネ?」

 会話が、いったん途切れた。

 一向聴は、辛抱強く答えを待つ。

 そのあいだも彼女は、警察の動向を、ちらちらと確認する。

《とりあえず、体育場の解体作業に回してください。人手不足でしょう》

「りょ、了解アル」

《仕事が終わったら、アジトへ。一気通貫のお見舞いに行きましょう》

「今すぐにアルか?」

《いきなり持ち場を離れたら、怪しまれます。あなたは一応、班長という身分ですし、警察も行方不明者には目をつけるでしょう……では、のちほど》

 そこで、通話は途切れた。

 一向聴はタメ息をつき、携帯をポケットに仕舞った。

 警察に囲まれて働かねばならないというシチェーションに、彼女はしぶい顔をした。

「踏んだり蹴ったりネ」

 一向聴は足下の小石を蹴り上げ、それから日陰を抜け出した。

 真夏の太陽に照らされながら、一向聴はふたたび、水飲み場へもどって行った。

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