第89話 十三不塔、策を弄す
「こんなの聞いてないアル!」
青白い炎を避けながら、一向聴は絶叫した。
ぎりぎりのところでかわし、とんとんと内壁の鉄骨に飛び乗った。
一面が炎と化した工事現場の片隅で、一向聴はあせっていた。
「一気通貫ッ! どこにいるアルかッ!」
「ここだッ!」
どこだ。一向聴は、数メートル下の地面に、目を凝らした。
昼間のような明るさだが、一気通貫の姿はなかった。
もう一度呼びかけるか。いや、敵に位置に知らせるのはまずい。
彼女が逡巡する中、後方で荷物の崩れる音がした。
「そっちアルかッ!」
一向聴はトンボ返りで向きを変え、資材置き場を見やった。燃え上がる木箱や雑具のスキ間に、うごめく人影をとらえた。
ふたりだ。いづなを組み伏せる形で、一気通貫は四つん這いになっていた。しかしその攻勢も、いづなの手から吹き出す炎によって、押し返されてしまった。一気通貫は炎を恐れる犬のように、キャンと鳴いてその場を飛びのいた。
「一向聴ッ! なにしてるッ! 手伝えッ!」
「分かってるアル!」
一向聴は、鉄骨の上から飛び降りようとした。
だがそのとき、彼女は自分の任務を思い出した。王に命令されたのは、蘆屋道遥の足止めであり、狐女の捕獲ではない。天和の連絡によれば、安倍清明たちはスタジアムに踏み込んだと言うではないか。だとすれば、いづなを放置して、そちらへ駆けつけた方がいいのではないか。
一向聴は、混乱し始めた。
「一向聴ッ!」
同僚の呼びかけで、彼女は我に返った。
とにかく、この闖入者を取り押さえなければ、話が始まらない。
そう考えた一向聴は、声のした方向へ、勢いよく飛び降りた。
空中で3回転をかまし、見事な着地を決めた。
その途端、右手の方向から、炎の群れが襲いかかってきた。
「チッ!」
一向聴は舌打ちして、バク転でいづなの攻撃をかわした。彼女の数センチ手前を、熱の塊が通り過ぎた。
強い。一向聴は、あごにしたたる汗をぬぐい、敵をにらんだ。炎の向こうがわに見えるいづなは、間の抜けた狐の妖怪などではない。安倍清明の片腕。式神の中の式神。豹変した敵の威容に、一向聴は息をのんだ。
「一向聴、コンビネーションを発揮しろッ!」
駆けつけた一気通貫が、後ろでそう言いはなった。
そんなことは分かっている。その先が問題なのだ。一向聴は毒づきながら、ひざを上げた。これまでの戦いぶりからして、相手は四風仙クラスの実力だ。認めたくない事実を、一向聴は受け入れた。
怒りをあらわにしたいづなは、
「どうした? ……こちらから行くぞ」
と言い、その瞳に青白い炎をちらつかせた。
「一向聴、おまえの能力ならイケるだろ。あれを使え、あれを」
「錯和は飛び道具に弱いネ。それくらい知って……ッ!?」
巨大な閃光を前にして、ふたりは左右バラバラに分かれた。
一向聴はとりあえず、手近なドラム缶の背後に避難した。
「あつつッ!」
ドラム缶の表面に触れた一向聴は、思わず指を引っ込めた。
フライパンのような熱さだ。
炎は燃え広がり、四方に煙が立ちこめ始めていた。
「一気通貫ッ! 撤退アル! こりゃ勝てないヨ!」
○
。
.
《狐が……熱ッ! やばいアル! とにかく応援を……プッ》
そこで、音声は途切れた。
王は溜め息を吐いて、耳元のイヤホンを調節する。
……どうやら、通話自体が途切れてしまったようだ。相手が切ったのか、それとも携帯が壊れたのか、電波の届かない場所に入ったのか……どれでもよい。王は胸ポケットから端末を取り出し、アドレス帳を開いた。
名前のひとつをクリックすると、すぐに応答が入る。
《こちら、天和です》
「蘆屋たちの動向は?」
《引き続き監視中。E1方面からE2方面に移動中です》
「一向聴たちの様子を、見てくれませんか?」
《なにかございましたか? ……失礼、すぐに確認致します》
一旦、会話が途切れる。
数秒ほどして、天和は先を続けた。
《……安倍清明の式神と戦っております。というより、逃げ回っています》
やはりそうか。王は、嘆息を漏らす。
「式神は、ホテルにお留守番ではなかったのですか?」
《申し訳ございません。千里眼は、監視対象をひとつにしか絞れませぬゆえ……昼以降は、蘆屋たちの行動のみを追っておりました》
そう、千里眼も、万能ではないのだ。会話を拾えないのと、一点集中でしか監視できないという、制限付きであった。それでも有用な能力には違いなかったが、今度ばかりはそれが裏目に出てしまったらしい。
事態を把握した王は、天和に指示を下す。
「蘆屋たちを監視しつつ、一向聴に連絡を。『式神の足止めをせよ』と」
《承りました》
天和が言い終わる前に、王は通信を切った。
耳を澄ませば、遠くから時折、喧噪が聞こえてくる。
どうやら、本格的な戦いに突入したようだ。
「あなたをこっそり連れて来ておいて、正解でした」
王の囁きに合わせて、物陰から鼠が一匹、顔を覗かせた。
「へへ、そうでしょ」
鼠は誇らし気に人語を喋ると、ポンと煙を出して、人の姿に変じた。
背丈の低い少年が、両腕を後頭部に回した格好で、壁に寄りかかっている。
「十三不塔、状況は理解できていますか?」
「なんとなく、ヤバいってことだけは」
「一向聴と一気通貫が、安倍清明の式神に襲われています」
「ふたりを救援すればいいの?」
十三不塔の確認に対して、王は首を左右に振った。
「救援は不要です。ふたりで、なんとかしてもらうしかありません」
「でもさ、式神相手にあのコンビじゃ、不利もいいところだよ? 一向聴お姉ちゃんも一気通貫お姉ちゃんも、肉弾戦バカなんだしさ?」
「人手が足りません。……十三不塔、あなたの任務は、安倍清明と蘆屋道遥を引き離し、後者を足止めすることです」
「蘆屋の足止めか……またキツい仕事だね」
そう言いながら、十三不塔は笑みを漏らす。楽しんでいる様子をアピールしたつもりだろうが、口の端が微妙に歪んでいることを、王は見逃さなかった。
とはいえ、他に人材がいない。王は、先を続ける。
「10分……いえ、5分で結構です。その間に、わたくしが安倍清明を捕獲します」
「人質作戦なの?」
「若干聞こえは悪いですが……そうなりますね」
王は、この作戦が卑怯だとは、微塵も思っていなかった。もともと第三国家体育場を人質に取ったのは、蘆屋の方である。目には目を、というわけだ。
「できそうですか?」
「5分ね……5分……」
「戦う必要はありません。足止めすればいいのです。……分かりますね?」
王の意味深な発言に、十三不塔はニヤリと笑った。
今度は本当に、心の底から楽しんでいるような笑みであった。
「了解。なんとかするよ」
その瞬間、東のブロックで、爆音が轟いた。
ふたりはそらちを見やり、お互いに目配せする。
「ねぇ、火事になってるんじゃない?」
「大いにありえます……急いでください」
十三不塔は返事もせず、猫の姿に転じると、その場を駆け去った。
王はもう一度、爆音の聞こえた方向へ顔をむけた。
炎はまだ、見えていなかった。
「この仕事が終わったら、消防署に連絡せねば……まずいことになりました」
○
。
.
「ねえ、さっきから、なにか騒がしくない?」
お化け屋敷に入ったカップルのように、清美は蘆屋の腕にすがり付いていた。戯れではない。異様な気配を感じたのだ。
蘆屋も険しい顔をして、周囲の気を読んでいた。
「……いづなさんの気配を感じる」
「え? いづなの?」
清美は目を見開き、四方を見回した。
壁紙の張られていないコンクリートがあるばかりであった。
「どこに?」
「清美さんも、神経を集中すれば分かるよ」
そう言われた清美は、目を閉じて、神経を研ぎ澄ました。
……感じる。正面の方向に、熱のようなものがただよっていた。それは、七王子市の公園で感じたものと、どこか似通っていた。
清美は目を開け、蘆屋の横顔を見つめた。
「で、でも、なんでいづなが……もしかして、つけられてた?」
「正確には分からない……しかし、これは闘気。他にもふたりいる」
「ふたり? 誰?」
「一向聴さんと一気通貫さん」
またあのふたりか。
ひょっとして、尾行中のいづなと出くわし、喧嘩をしているのではないだろうか。清美はその可能性に、軽い頭痛をおぼえた。
「助けが必要な状況?」
「いえ……いづなさんのほうが、かなり押しています」
蘆屋の返答に、清美はひとまず安堵した。七王子公園でも、蘆屋相手に大活躍してくれたいづなのことだ。それに、一向聴が飛び道具に弱いことは、清美も承知していた。一気通貫の実力は分からないが、彼女も脳筋タイプに見える。だとすれば、術を使えるいづなが有利と、相場は決まっているのだ。
けれども蘆屋の顔色は、清美の予想よりも、ずっと深刻だった。
「どうしたの? 一向聴ちゃんがいるなら、ここから逃げないと……」
「おかしい……」
蘆屋はそうつぶやいて、来た道をふりかえった。
清美もそれにつられて、非常灯の明かりを目で追った。
「ねぇ、どうしたの? なにがおかしいの?」
「他に人がいない……相当な騒ぎのはずなのに、警備員の気配すら……」
蘆屋の言葉に、清美はハッとなった。
彼の言う通りだ。さきほどの爆発音にもかかわらず、だれも見回りに来なかった。
清美はそこで、別の可能性を察した。
「罠?」
蘆屋はしばらくのあいだ、なにも答えずに、闇の向こう側を凝視していた。
「……清美さん、私が様子を見るから、先にスタジアムを出てください」
「ダメだよッ!」
それを死亡フラグと言うのだ。
清美は怒ったように、蘆屋を説得した。
「単独行動は、絶対ダメ! ふたりでここを出ようよッ!」
「いづなさんは?」
「一気通貫ちゃんと、喧嘩してるんでしょ。いつものことだよ」
「闘気の具合からして、本気でぶつかり合っているように思えるが……」
「だったら、なおさら罠の可能性が高いでしょッ!」
言っていることが、ちぐはぐになり始める清美。
しかし、その想いは一貫していた。蘆屋をひとりにさせてはいけない。罠であろうとなんであろうと、それは危険なのだ。お互いにとって。
「たしかに……戦力を分散させる作戦やも……」
「でしょ。とにかく、ふたりで行動しよ」
清美は蘆屋の腕にギュッとだきつき、怯えるように闇の中をさぐった。
蘆屋には告げなかったものの、嫌な予感がする。子供の頃から、クラスメイトのあいだでも有名だった清美の直感が、ひどく騒ぎ立てていた。
自分の勘を誤摩化していたことに、清美は後悔の念をおぼえた。こんなことならば、蘆屋にその旨を話しておけば良かった。夜中で、判断力が鈍っているのかもしれない。清美は決然とした表情で、蘆屋の腕を引いた。
「とにかく、スタジアムを出ようよ、ふたりで」
ふたりで、の部分に、清美は力を込めた。
「いや……これはいい機会だ……」
「なんの?」
「スタジアム破壊の」
「今から壊すの?」
「警備員もいない上、どうも火災が発生しているらしい……うまく利用すれば……」
条件が整っている。そのことは、清美にも分かった。いづなと一向聴たちの抗争は、王陣営にとっても、予期せぬものだったに違いない。
壊せるうちに壊してしまえ。そんな甘言が、清美の中にも聞こえてきた。
「壊すって……どうやって?」
「気脈の流れを一時的に暴走させ、簡単な人工地震を起こす」
「ここでできるの?」
蘆屋は自信に満ちた顔で、うなずきかえした。
「時間は?」
「これだけ大きな気脈ならば、5分もあれば十分」
「5分か……じゃあ、ボクがそばで見張るから、蘆屋くんは……」
「待ちたまえ」
突然の呼びかけに、ふたりは臨戦態勢をとった。
瞬時に気を練った清美は、己の目をうたがった。
「ニッキー!」
銀色に輝く金属生命体が、子供をだきかかえて、通路の奥に立っていた。
蘆屋は警戒心のこもった声で、
「なにやつ?」
とたずねた。
ニッキーは隠し立てもせず、
「夢の国の使者だよ」
と、あっさり答えた。
それでいいのか、と、清美は場違いな心配をしてしまった。
一方、蘆屋は、彼に似つかわしくないほどの動揺を見せていた。
「夢の国の使者だと……貴殿が?」
蘆屋は清美に向きなおり、目で確認を求めた。
清美は、おどおどとうなずきかえした。
「きみが、蘆屋道遥くんだね?」
名前を呼ばれた蘆屋は、金属生命体をにらみかえした。
「いかにも……夢の国の使者が、私に何用か?」
「王の部下を見つけてね、少し懲らしめておいた」
ニッキーはそう言って、だきかかえていた子供を、床に投げ出した。
どさりという音とともに、子供は四肢を投げ出した。
清美は、その正体に驚愕した。
「し、十三不塔くんッ!?」
床に横たわっているのは、十三不塔だった。
駆け寄ろうとした清美を、蘆屋が制した。
「死んでいます」
「ッ!?」
清美は顔面蒼白になり、蘆屋と十三不塔の死体を、交互に見比べた。
ニッキーは悪びれたようすもなく、
「悪の幹部がふたりもいては、手加減できなくてね」
と弁明した。
蘆屋は、
「ふたり? ……やはり王殿がここに?」
と、あいての言葉尻をとらえた。
「うむ……まあ、それはいい。用事があるのは、蘆屋くん、きみのほうだよ」
「何用かと、さきほどから訊いている」
「ひとつ、取引をしたい」
取引──その言葉に、蘆屋は眉をひそめた。
「悪の組織と夢の国が取引など……笑止な」
「まだ内容を言ってないだろう? とりあえず、聞く耳はあるのかな?」
ニッキーの軽口に、蘆屋は軽く舌打ちをした。
やはり動揺している。いつもの平然とした蘆屋ではない。
清美は蘆屋の腕に、ギュッと胸元を寄せた。
「して、その話とは?」
「最高機密レベルの会話を、部外者に聞かせてもいいのかい?」
ニッキーはそう言って、のっぺりとした顔を清美に向けた。
蘆屋もそれに続く。そして、意外な一言をはなった。
「清美さん……席を外してください」
「え? ぼ、ボクが?」
「夢の国関連の情報は、最高機密です。副官ですら、耳にできません」
「そんな……でも……」
清美は戸惑いながら、ニッキーへと顔を向けた。
「ニッキー、蘆屋くんに、危害を加えないって約束する?」
清美はそうたずねながら、十三不塔の死体を盗み見た。
なぜこんなことになってしまったのか。悪の組織を駆逐するというニッキーの目的は、前々から承知していた。だが、なにも殺さなくても。
清美は身震いした。
「蘆屋くんには、危害を加えない……というより、加えられないと言う方が正しいかな。いくら私でも、蘆屋くんクラスを倒すのは、難しいからね」
蘆屋は、
「できない、とは言わないのだな」
と、牽制をかけた。
「試してみるかい?」
睨み合うニッキーと蘆屋。
言いようの無い緊張感が、あたりに立ちこめ始めた。
自分が協力すれば、ニッキーを倒せるのではないだろうか。清美はふと、そんなことを思う。しかしニッキーは、自分たちを手助けしてくれた、命の恩人である。彼がいなければ、大蝙蝠か牛鬼あたりに負けて、死んでいただろう。それを考えると、ニッキーに対する手出しは、無理な相談であった。
蘆屋もそのことを察しているらしく、加勢を求めては来なかった。
「清美さん、この場を離れてください」
「で、でも……」
「さきほども言ったように、夢の国の情報は、最高機密に属します。これは、我が主、ルシフェル様との契約事項。だれにも聞かせることはできません」
「ルシフェル様? ……だれそれ?」
蘆屋は答えを返さず、清美を手で押しのけた。
軽いショックを覚えながらも、清美は後ずさりし、その場を駆け去った。
スポーツシューズの音を背中に聞きながら、蘆屋は夢の国の使者と対峙した。
「で、話とは?」
蘆屋の問いに、ニッキーはなにも答えなかった。
ただ黙って、仁王立ちになっていた。
「ニッキー殿?」
「まあ、待ちたまえ。清美くんが、完全にいなくなってからにしよう」
遠離る足音。やや未練のあるような響きだ。
ところがその音は、通路の奥で、一瞬にして悲鳴に変わった。
「清美さんッ!?」
「はい、任務完了」
突然、声音を変えたニッキーは、ポンと白い煙を出した。
地面に伏していた十三不塔の死体も、同じように雲散し、鼠の死体へと変じた。
「夢の国の使者が、堂々と現れるわけないでしょ」
ニッキーの立ち位置から、子供っぽい声が聞こえた。
蘆屋は瞬時にして、自分が騙されたことを悟った。
「変化の術かッ!」
「戦わずして勝つ。最上の兵法だよ。それじゃ、バイバーイ」
立て続けに煙が上がり、羽音が聞こえた。
蘆屋は目測で気弾を放った。煙が左右に分かれ、視界がひらけた。
……………………
……………………
…………………
………………
いない。
十三不塔の姿は、いずこかへ消えていた。
呆然とする蘆屋は、ハッと我に返った。
「清美さんッ!」
悲鳴のした方向へと、蘆屋は全力で駆け出した。




