第8話 蘆屋一族
「ほんまめんどくさいわ」
性別転換を終えたジャンは、体操服を脱ぎながら愚痴をもらした。
「もうブラつけたままでええか」
となりでズボンを履いていたゲンキは、ひとこと、
「なにかあったときに人生終わってもいいならな」
と返した。
双性者の最大の難点──それは、服装が男女で大きく異なることだった。
1時間目の体育のあと、ふたりには教室移動が待っていた。
御湯ノ水博士に用意してもらった特別の更衣室で、ふたりはいそいそと着替えをした。
ジャンはブラジャーをはずして、かばんに放り込んだ。
「カバンもふたつ持ちにせんとあかんし、めんどうやわ」
「そりゃカバンの中から女物の下着が出てきたら困るだろ」
「ハァ、なんで人類はこんなけったいなファッションなんや。統一せんかい」
そうこうしながら着替えを終えたふたりは、カバンをロッカーに隠した。
そして男版のカバンととりかえた。
リストウォッチをみると、授業開始5分まえになっていた。
「マズい、遅刻するぞ」
ふたりは廊下に人気がないことを確認してから、すぐに飛び出した。
2階の理科準備室に駆け上がる。
ドアをあけると、すでに生徒は着席していた。
ゲンキとジャンは、一番奥の窓際の実験テーブルにむかった。
そこは左右4人がけになっていて、先にカオルが座っていた。
カオルは読んでいた本を閉じて、
「おそかったな」
と言った。
ゲンキはカオルの正面に着席しながら、
「わりぃ……博士はまだ来てないのか?」
とたずねた。
「5分ほど遅れるらしい」
「チェッ、博士のほうが遅刻か。髪型なおしてくるんだったな」
ゲンキは体育のあとで乱れた前髪をチェックした。
カオルは黙って、カバンの影になるように、ステッキをさしだした。
体育授業があるというので、カオルがゲンキたちの分を預かっていたのだ。
ゲンキは手鏡をみながら、
「あとでいいぜ」
と答えた。カオルは声を落として、
「襲われたときに困るだろ」
と言った。
「リストウォッチがある」
「そういう意味じゃない。俺が襲われて3本とも奪われたらどうするんだ」
ゲンキはようやく察して、ステッキを受け取った。
ジャンも黄色いステッキを受け取り、ポケットに入れた。
ゲンキは手鏡をしまって、カオルの持っている本に目をやった。
「『遺伝子解析の基礎』……ね。あいかわらず難しいもの読んでるな」
「昨日の件があったから、すこし勉強しなおしてる」
ゲンキは「なるほどね」と言い、
「博士の話、あれってほんとだと思うか?」
とたずねた。カオルは意外そうな顔をした。
「よりによっておまえが疑うのか? 一番信じそうなタイプだと思ってたが……」
ゲンキはひとさしゆびを振ってみせた。
「チッチッチ、序盤で出てくる設定には裏がある。特撮のお約束だぜ」
「……意外に思った俺がバカだったな」
それから博士が来て、3人は理科の授業をうけた。
途中で実験があり、ゲンキとジャンはカオルにお世話になりっぱなしだった。
2限が終わり、3人はそのまま教室を出た。
ゲンキは大きく背伸びをした。
「さてと、飯にするか……ジャン、カオル、どこで食べる?」
ジャンはスマホで、学校の食堂のSNSを確認した。
「今日はスペシャルラーメンが数量限定やで」
「マジかッ! ジャン、カオル、善は急げだッ!」
ゲンキは食堂にむかってダッシュした。
とちゅうでジャンに追い抜かれてしまう。
「おいッ! 俺の食券も買っといてくれッ!」
「それは禁止されとるやろッ! じぶんで買わんかいッ!」
ゲンキは食堂に到着したとき、ジャンとのあいだには10人ほどの列があった。
しまったな、と頭をかいて並んでいると、目のまえでラーメンは売り切れになった。
ゲンキは大きくタメ息をつき、カレーライスの券を買った。
そのまま順路にならんだ。
ゲンキの番にで、全自動の配給コーナーからサラダとカレーライスが出てきた。
席は先にジャンがとっていてくれた。見晴らしのよい窓際の席だった。
ゲンキはジャンのラーメンをみた。濃厚な豚骨スープに味玉が乗っていた。
「うまそうだな……なんてラーメンだ?」
「スペシャルとしか書いとらんかったで」
ゲンキは腰をおろしながら、あとから来たカオルに、
「カオル、このラーメン知ってるか?」
とたずねた。
カオルはちらりとみて、
「熊本ラーメンの一種じゃないか」
と答えた。
「熊本ってどこだっけ?」
「九州だ」
「九州……日本の西の端か」
「正確な西の端は沖縄だ」
ゲンキは窓のそとをみた。太平洋がどこまでも広がっていた。
「……本土って、どういうところなんだろうな」
「一概には言えないな。日本列島は南北に長いから、気候帯はバラバラだ。北は亜寒帯、南は亜熱帯。ここから一番近い東京も、温暖化で半亜熱帯だ。七丈島よりはすこし涼しいかもしれん。植生はだいぶ違うだろう。ここは島はどうしても生物種が独特になる」
カオルはそう言いながら、箸をわった。そばをすすり始めた。
ゲンキはふたたびジャンのラーメンをみた。
ジャンはすこし猫舌なのか、やたら麺を吹いていた。
「……ジャン先生、ちょっと分けてくれない?」
麺を口に運ぼうとしていたジャンは、「へ?」という顔をして、
「んー、まあこのまえトンカツ分けてくれたさかい、ちょっとならええで」
と言った。
ゲンキは笑顔でジャンを拝んだ。
「サンキュウ、持つべきものは友だちだな」
「そのサラダさっさと食ってや。そこに入れたるわ。あとお礼にカレーを要求するで」
ゲンキはサラダを書き込み、その皿に麺を乗せてもらった。
「いただきます」
ゲンキは麺をすすった。
風変わりな食べ方だが、脂っこくなくてかえって新鮮な感じがした。
「うまいな……」
「せやろ。わいの俊足に感謝するんやな」
3人は食事をすすめた。
昨日の事件を語るわけにもいかないので、おのずと会話はありきたりなものになった。
ジャンは最後にラーメンの汁を飲み始めた。
カオルはそれをみて、
「塩分の取りすぎじゃないか?」
と眉をひそめた。
「おっさんくさいなあ。わいは高血圧やないで」
「いや、そういうことの繰り返しで高血圧になるわけでな……」
ジャンはなにか言い返そうとした、が、ふと妙な気配を感じた。
そとの風景がすこしだけ変わった気がした。
みると、空の色がなぜかオレンジ色にみえた。
ジャンはラーメンのスープをみて、
「こ、これが塩分の副作用なんかッ!?」
と叫んだ。ゲンキはたちあがって、
「ようすがおかしいぞ。外に出よう」
と言い、食堂からとびだした。
そとには生徒の群ができていて、めいめいが空を見上げたりゆびさしたりしていた。
「な、なんやこれ!?」
普段と変わらない青空と白い雲。平穏な日常を示す穏やかな眺め。
だが、ひとつだけ違う点があった。
空と地上との間を遮るように、ガラスのような膜がどこまでも広がっているのだ。
天球がガラス張りのドームで覆われている、そんな異様な光景だった。
遅れて出て来たカオルは、手をひたいにかざしながら、
「島の防衛システムが発動したのか……?」
とつぶやいた。
ゲンキはびっくりした。
「まさか昨日の連中がまた出たのか?」
「わからん……が、あまりうろうろしないほうがよさそうだな」
それを証拠立てるように、前方からヘリの爆音が聞こえて来た。
プロペラを高速回転させながら、ヘリはほがらたちの寮へ向かって来た。
その飛行音に混じって、拡声器からのメッセージが聞こえた。
《こちらは七丈島警備隊です。現在、防衛システムに不具合が発生し、島全体が電磁防壁で覆われています。人体に影響はありませんが、島民の皆さんは、屋内で待機してください。繰り返します。こちらは七丈島警備隊です。現在……》
おなじメッセージを繰り返しながら、ヘリは頭上を越え、建物のうしろに消えた。
ジャンはタメ息をついて、
「なんや人騒がせやわ」
と言い、食堂にもどろうとした。
ところがそこで、ひとりの成人男性がゲンキたちに声をかけた。
あの蝙蝠怪人を回収したときの職員だった。
「赤羽さん、黄山さん、それに青海さんですね?」
男の質問に、3人は顔を見合わせた。
すると職員は、ほかの生徒をやや警戒しながら、
「所長の命令で、お迎えにあがりました」
と告げた。
ゲンキは「所長? ……校長先生ですか?」とたずねかえした。
「御湯ノ水博士です」
え?とゲンキは絶句した。
「ひとまずご同行願います。車を正門に呼んでありますので」
3人はアイコンタクトをかわした。
これがなにかの罠かどうか、という意味のアイコンタクトだった。
昨日のこともあり、3人はこの職員を信頼することにした。
正門を出ると、ジープが停まっていた。
しかも有人で、運転席に男が座っていた。男はなにやら緑色の制服を着ていた。
ふつうの乗用車だと思っていたカオルは、ゲンキのうしろで、
「敵でも味方でも、ただごとじゃなさそうだな」
とつぶやいた。
ゲンキもうなずき、腕のリストウォッチとポケットのステッキを確認した。
職員の指示にしたがい、3人はジープの後部座席に座った。
タイヤが回り始める。職員は敬礼をして、ジープを見送った。
車はどんどん加速し、町の見慣れた風景が、3人の横を猛スピードで流れ去った。
ゲンキは運転席の男に、
「博士はどこにいるですか?」
にたずねた。
「研究所でお待ちです」
「研究所……?」
「お着きになれば分かります」
男はそれっきり、口をつぐんでしまった。
どうやらこれ以上の情報は引き出せそうにないと、ゲンキは座席に身をゆだねた。
ジープは昨晩の遊歩道沿いに進み、学校を通過、さらに郊外へと進んで行った。
その先に見え始めた建物を、ゲンキはうっすらと覚えていた。彼の記憶が正しければ、あれは島のバイオテクノロジー企業が共同出資して建てた、生物学研究所のはずであった。
ジープは警備の厳重なゲートを抜け、さらに奥へ奥へと進んだ。
そしてついに、ある建物の地下通路へ入ってしまった。
ゲンキのなかで、言いようのない不安が膨らんだ。
もう一度行き先を確認しようとしたところで、運転手はブレーキを踏んだ。
車がゆっくりと停止し、トンネルの途中で停車した。
「到着しました。お降りください」
ゲンキはなにか言いかけたが、カオルが先に降りてしまった。
運転手は、うすぐらいトンネルの奥をゆびさした。
「あの奥に扉が見えますね。博士は、そこでお待ちです」
3人がジープを降りると、運転手はすぐにその場を走り去った。
ジャンはすこしばかり不安げな声で、
「ど、どないするんや……?」
とふたりにたずねた。
カオルはメガネをなおしながら、
「どうもこうも、ここまで来たら確認してみるしかないだろ……戦闘準備はしとけよ」
と言い、とびらのほうに向かった。
ゲンキとジャンもあとにつづいた。
運転手に指示された鋼鉄製のとびらのまえに立ち、カオルはノブに手をかけた。
重々しい音とともに、ゆっくりと蝶番が回った。
ゲンキたちも手伝い、とびらがひらき切ったところで、なかから光が漏れた。
ゲンキは思わず目をほそめた。
「こ、これは……ヒーローの秘密基地ッ!?」
ゲンキのボキャブラリーでは、ほかに喩えようのない光景だった。
部屋の奥に設置された巨大なスクリーン、役割のよく分からない計器類、そしてそこにたたずむ1人の白衣の男性──御湯ノ水博士だった。
さらにムサシと清明の姿もあった。
こちらに背を向けていた御湯ノ水博士は、くるりとゲンキたちに向き直った。
「よし、これで全員そろったな」
そのセリフを聞いたカオルは、
「昨日とおなじで双性者が全員集合……電磁防壁の故障は嘘なんですね?」
とたずねた。
博士はうなずいた。
「島の上空を覆っている物体は、電磁防壁ではない……結界だ……」
カオルはけげんそうな顔をした。
「結界? ……なんですか、そのオカルトは?」
これには、ムサシが口をはさんだ。
「俺と清明も最初はそう思ったんだが……どうやら本当らしい……」
博士はかるく咳払いをして、解説を続けた。
「結界というのはだな……科学的にはまだ解明されていない、精神エネルギーを利用した特殊防壁の類いだ……これを使える者は、日本では陰陽師とか導師と呼ばれておる……昔は、超能力者とかエスパーとも言っておったが……」
ゲンキは「そいつが親玉なのか?」とたずねた。
「そうだ」
「ほな、今度の敵はその陰陽師っちゅーことや。さっさと倒しに行こうやないか」
「……それは、できん」
博士の返答に、ジャンは片方の眉をつりあげた。
「なんでや? そいつを倒さんと、この結界は破れんのやろ?」
「結界を張れる範囲は、平均的な陰陽師で自分の半径10メートル以内、つまり護身用にしか使うことができん……上級者でも、建物をひとつカバーできるかどうかだ……ところが、今回の結界は、学園はおろかこの七丈島全体を覆い尽くしている……つまり……」
その先を、ゲンキが先回りした。
「ようするに、敵がメチャクチャ強いってことか?」
博士は目を閉じ、残念そうに顎を引いた。
「このレベルの術を使える者は、おそらくひとりしかおらん……代々日本の裏社会を支配し続けて来た陰陽師の集団、蘆屋一族の長者だ」
場が静まり返った。
しばらくして、ふたたびゲンキが口をひらいた。
「蘆屋……? それが敵の名前か?」
「うむ、蘆屋一族は、始祖の蘆屋道満が、安倍晴明に破れて以来、歴史の表舞台から姿を消した……しかし、滅んだわけではない。その子孫たちは、一族の中で最も呪力の高い者を長者に立て、その者を中心に非合法な活動を続けてきたのだ」
「そいつが日本の悪の組織でトップっちゅーことか?」
「日本の非合法組織の全てが蘆屋家に従属しているわけではない……が、対外的には、この国の裏社会を代表する身分に位置づけられていると聞く」
信じられない──それがゲンキの第一印象だった。
いくら特撮オタクの彼でも、今の説明はあまりにも非現実的すぎた。
一方、この説明を冷静に聞いていた人物がいた。カオルだった。
「結界は護身用だとおっしゃいましたね? ひょっとして、結界を張るときは、自分が中にいないといけないってことじゃあ……」
博士はうなずいた。
「その通りだ……蘆屋の長者は今、この島のどこかにいる」




