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第87話 恋の逆用

 足場をくぐりながら、一向聴(いーしゃんてん)は事務所に飛び込んだ。

(わん)様ッ! 王様ッ!」

 ノックもせずに扉を開け、敷居を飛びこえた。

「王様ッ!」

「なんですか……騒々しい……」

 顔にハンカチをかぶせていた王は、椅子を回転させ、一向聴へむきなおった。

 昼寝でもしていたのだろうか。一向聴は、若干気まずくなった。

 しかし、ことは急を要するのだ。

 主人が目隠しを外すあいだにも、彼女は報告をつづけた。

蘆屋(あしや)たちが、スタジアムに現れたアルッ!」

 王は絹製のハンカチを折り畳みながら、ドアを閉めるよう、あごで合図した。

 声が筒抜けなことに気付いた一向聴は、慌ててそれを閉めた。

 とはいえ、工事現場の騒音が酷いのだから、盗み聞きされていたとも思えない。それでも一向聴は用心して、声のボリュームを下げた。

「蘆屋たちが、ここを偵察に来たアル」

「それはもう、聞きました。で、様子は?」

「気脈を探ってたみたいネ。間違いなく、テロの準備をしてるヨ」

 半分以上は彼女の推測であったが、王も反論しなかった。

 王は口元に手を当てて、テーブルにひじをついた。

「……天和(てんほー)の報告通りですか」

 話の発端は、こうであった。天和の千里眼を使い、ふたりを監視させていたところ、蘆屋がやたらと、北京オリンピック関連の情報を集めていることに気が付いた。千里眼では音声を拾うことができないので、正確には事態を把握しかねたが、どうやら第三国家体育場を調査しているらしい。その報告を受けた王は、一向聴を通じて、蘆屋と清美(きよみ)の様子を、探らせていたわけである。

 そして今日、ふたりは、第三国家体育場に現れた。

「王様、すぐに対策を打たないと、マズいアルッ!」

「そのために、あなたと一気通貫(いっきつうかん)を呼んであるのですよ」

 そうだった。一向聴は、自分の任務を思い出した。

「で、でも、どうすればいいアルか?」

「それを考えるのが、あなたたちの仕事……策はないのですか?」

 正直に答えるならば、無策であった。

 一向聴がまごまごしていると、王は鋭い目付きで、彼女をにらんできた。

「トラックの中で居眠りでもしていたのですか?」

「す、スタジアムの警備を、倍にすればいいと思うアル」

「蘆屋一族の長者と、安倍(あべ)清明(せいめい)のコンビ相手では、生身の人間がいくらいても、意味がありません。それは、上海にて証明済みのこと……他には?」

 まずい。こんなことなら、道中でトランプなどしなければ良かった。

 一気通貫がいないので、彼女に罪をなすり付けることもできない。

 一向聴は脳髄をふりしぼり、なんとか策をこうじた。

「ふたりの仲を裂いて、各個撃破するアルッ!」

 人の恋路を邪魔するのは、一向聴の趣味ではなかった。それどころか、今まで取り持ってきたほどである。少なくとも一向聴は、ふたりをくっつける方向で行動していた。

 しかし、王の手前、付き合いを改める必要があると、そう判断したのだ。

 ところが肝心の王は、まったく興味がなさそうな顔をした。

「分かっていませんね……そのような作戦ならば、上海スタジアム崩落の時点で、ふたりを引き裂けば良かっただけのこと。安倍清明を他の幹部に割り当てれば、それっきりだったはずです。違いますか?」

「違わない……アル」

 一向聴が第三の策を練る前に、王は先を続けた。

「むしろ逆なのですよ」

「逆……? なにが逆アルか?」

「ふたりの仲を裂くのではなく、その仲を利用するのです」

「仲を利用? ……ま、まさかッ!?」

「そのまさかです……安倍清明を、人質に取ります」

 王自らの立案に、一向聴は驚愕した。

 なんという卑怯な作戦。自分たちが悪の組織であることも忘れて、一向聴は抗議した。

「そ、それはちょっと、どうかと思うアル」

「どこがどうなのですか? 上海でふたりを同伴させたのは、このためなのですよ。蘆屋とわたくしの一騎打ちは、五分。しかし安倍清明になら、容易く勝てます。彼……いや、彼女は、陰陽師として覚醒してから、日が浅い。実戦経験にも乏しく、組み伏すのは容易です」

「で、でも……安倍清明は、安倍清明アル……」

 主人の力量を、疑ったわけではない。

 しかし、七丈島(しちじょうじま)で清美の狡猾な作戦に負けた一向聴は、どうしてもその実力を、高めに見積もっていた。他の双性者(ヘテロイド)よりも手強いと、そう考えているのだ。

「それは承知しています。ですから、あなたたちを連れて来たのです……まあ、お聞きなさい。わたくしは、安倍清明のほうを拉致します。あなたと一気通貫は、蘆屋をそのあいだ、別の場所で足止めするのです」

「あ、蘆屋をアルか? 一気通貫と、ふたりで?」

 無理アル。そう言いかけた一向聴だが、王はそれを許さなかった。

「足止めをすればいいのです……勝てとは言っていません」

「い、1時間くらいアルか?」

「1時間も足止めできるのですか?」

 答えはもちろん、ノーである。30分足止めできるかどうかも、怪しいくらいだ。

 いくら四風仙(すーふーせん)とは言え、蘆屋の長者とは、相当な力量差がある。そうでなければ、とっくの昔に、日本の権益を押さえられているはずであった。副官クラスが何人集まっても歯が立たない。これこそが、世界の悪のバランスを保つ秘訣なのだ。

 王もそれを理解しているらしく、すぐさまハードルを下げた。

「15分……いえ、10分足止めできれば、上等です。その間にわたくしが、安倍清明を拉致、アジトへ連行します。あなたたちは、そのことを蘆屋に伝えて、退却してください」

 怒り狂った蘆屋に追撃されたら、どうするのだ。

 一向聴は、命の危険を感じた。

 だが一向聴には、たったひとつの返事しか残されていない。

「わ、分かったアル……ば、場所は、どこにするネ……?」

「おそらく蘆屋たちは、今夜また、体育場の偵察に来るはずです」

「スタジアムで戦うのは、マズいアル。人目につき過ぎるヨ」

「そこはすでに、手配してあります。今夜は工程確認と称して、労働者をすべて帰宅させる予定。確認作業の仕事は、組織のダミー会社が請け負っています。そちらへはなにも連絡を入れていないので、建物は無人になるでしょう。警備についても、シフトの工作を入れます」

 なんだ、すべては手配済みではないか。

 一向聴はそのことに気付き、あまり面白くない気分になった。

 さきほど献策を求められたのは、形式的なものに過ぎなかったのである。

「アジトで待機中の一気通貫にも、そう連絡を」

 一向聴は頷くと、事務室をあとにした。

 王の視線を背中に感じつつ、扉を後ろ手に閉めた。

 工事現場の音が、再び耳に響き始めた。自分がここにいる理由は、なんだろう。作戦会議のつもりだったが、単なる上意の通達。しかも、これまで取り持ってきた仲を、引き裂けという内容だ。乗り気がしなかった。

「……これも仕事だから、仕方がないネ」

 そもそも、勝手にオリンピック会場を壊そうというのが、悪いのだ。

 一向聴は自分にそう言い聞かせて、現場監督へと戻って行った。

 

  ○

   。

    .


「これ、似合ってる?」

 清美は右手を後頭部あて、わざとらしいポーズを取った。

 鏡の向こう側でそれを眺める蘆屋は、なんとも言えない表情していた。

「……よく分かりません」

「『ですます』調禁止」

「分からない」

 やはり違和感が残る。清美は、そう思った。「知らねーよ」のほうが、まだ若者らしい。言葉とは、不思議なものである。

 清美はくるりと半回転し、蘆屋へとむきなおった。

「印象でいいんだよ。印象で。みっくんが『イイ』と思えば、それでオッケー」

「その……みっくんと呼ぶのは……止めて欲しい……」

「なんで?」

「恥ずかしいから……」

 だからこそ、呼ぶのだよ。清美は、いじわるな笑みを浮かべた。

「で、こっちとさっきの、どっちがいい?」

 清美は試着しているポロシャツと、ハンガーに掛けられた5つボタンのカジュアルシャツを見比べる。前者は、エメラルドグリーンに黄色いストライプの入ったもの。後者は、緑と白のチェック柄である。

「ひとつ、質問してもよろしいか?」

「いいよ」

「どちらも……その……男物に見えるのだが……」

 蘆屋の指摘にもかかわらず、清美は平然と答えを返す。

「男物なら、どちらでも着られるでしょ?」

 当たり前のことを言った気になる清美だが、蘆屋は首をひねった。

「どちらでも、と言うのは?」

 その瞬間、清美はハッとなった。ゲンキたちが相手ではないのだ。

 清美は、説明を加える。

「男でも女でも、だよ」

 蘆屋はしばらく眉をひそめ、ようやく納得したような顔をした。

「そうでした……清美さんは、双性者(ヘテロイド)なのですね……」

 また、ですます調になっている。

 一朝一夕では治るわけもないかと、清美は半分あきらめた。

「しかし……清美さんが男になったところは、見たことが……」

「あれ? ないっけ?」

 清美は、七王子(しちおうじ)で出会ったときからの記憶を、トレースしてみた。

 たしかに、ない気がする。というよりも、男バージョンで会わないよう、清美が注意していたのだ。そのことを思い出した清美は、急に気恥ずかしくなった。

「えーと……一応、純粋な女として見てくれてる……よね?」

 蘆屋は、うなずきかえした。

「定期的に男にもどらないと、体調が悪くなるとか、そういうことは?」

「ないよ」

 多分。清美は心の中で、そう付け加えた。七丈島で高校生をやっていた頃は、ほとんど数時間おきに性別(セクシャル)転換(チェンジ)をしていた。緑川(みどりかわ)清美(きよみ)緑川(みどりかわ)清明(きよあき)という、双子の兄妹設定だったのだから、めちゃくちゃに多忙だったのである。

「清美さんの男性姿は、どのような感じで?」

「あんまり変わんない……かな」

「変わらない? ……ほとんど差がないということですか?」

「うん、七丈島にいたときは、双子の兄って設定で、バレなかったし」

 これはこれで、なかなか便利なのだ。男物と女物の服を用意しなくて済むし、椅子や机の高さを性別(セクシャル)転換(チェンジ)ごとに調整する必要もない。これで一番困っているのは、性別の差が激しいトモエとムサシである。身長が数センチレベルで違うのだ。

「なるほど……興味深い。双性者(ヘテロイド)でも個体差があるのか」

「あー……そういう生物学的なところに興味は、持たないで欲しいかな……」

 もっと自分らしいところを見て欲しいのだが、そうもいかないようだ。

 清美はちょっとばかり、悲しくなってしまった。

「しかし、男物を着る理由には、ならないのでは?」

「単純だよ。男っぽい女の子が男物を着るのはいいけど、女っぽい男の子が女物を着るのはダメでしょ。少なくとも、変な目で見られちゃうよね」

「一人称が『ボク』なのも、そのためと?」

 ではない。これは完全に口癖であった。

 それとも自分が知らないうちに、効率的な方を選択していたのだろうか。清美自身、判断がつきかねる。いつからそう自称しているのかは、さすがに覚えていなかった。

「かもね……っていうか、質問に答えてよ。どっちの服がいい?」

 清美は話をもどして、蘆屋に回答を迫った。

「ど、どちらも、似合っているかと……」

「じゃあ、両方買ってくれるの?」

 沈黙。

 蘆屋は目を見開き、慌てたようにくちびるを動かした。

「わ、私が買うのですか?」

 残念。そこまで気が回らないか。

 清美は蘆屋の奥手さを、あらためて認識した。

「冗談だよ……とりあえず、決めてくれないかな?」

 両方買うお金は、ない。

 一向聴から湯水のようにお小遣いをもらっているわけではないのだ。

「そうですね……私としては……」

 

  ○

   。

    .


「なぜじゃーッ! なぜいづなは、お留守番なのじゃーッ!」

 ベッドに横たわり、手足をばたつかせる式神、いづな。

 駄々っ子のような姿をとがめる者は、誰もいなかった。

 ホテルの一室に独りきりなのだから。

「安倍清明様の右腕、狐火のいづながお留守番は、おかしいのじゃッ!」

 いづなはガバッと起き上がり、自分のしっぽを抱きかかえた。

 ふさふさとした毛が、彼女の頬をなでた。ほんのりと、気分が安らぐ。

「清美様は、あの男に誑かされておるのじゃ。きっとそうなのじゃ」

 でなければ、(あるじ)が自分を置き去りにするはずがない。

 獣人という容姿がまずいことには、思い至らないいづなであった。

「ここはひとつ、清美様の目を、覚まさせねばならぬのぉ」

 いづなは、物騒なことを考え始めた。

 自慢のしっぽをなでさすりながら、いづなは沈思黙考した。

 そもそも、あんな優男の、どこがいいのだ。ただのテロリストではないか。いづなは蘆屋を、そう評価していた。もとは安倍(あべ)家の宿敵。両家が仲良くするなど、もっての他なのだ。ご先祖様に、もうしわけが立たない。ましてや、恋仲など──

「いかんいかんいかーんッ! 絶対にいかんのじゃッ! ……キャンっ!」

 興奮して自分のしっぽを噛んだいづなは、子犬のような悲鳴を上げた。

 涙目になりながら、噛み跡をぺろぺろと舐める。

「うぅ、いづなのしっぽ……これもすべて、蘆屋のせいなのじゃ……」

 これはもう、目にもの見せてくれねば。いづなは、いきり立った。

「寝床をともにするようになっては、手遅れじゃからのぉ……今のうちに、なんとか清美様を更生させねば……どうすればよいか……」

 保護者のような気持ちで、いづなは策を練った。

 30分考えて、昼寝して、また30分考える。

 おやつの時間を過ぎたところで、いづなはぴょんと跳ねた。

「そうじゃ、この手があったわい」

 いづなはベッドから飛び降りて、人民服に着替え始めた。

 しっぽを片付けるのに悪戦苦闘しながら、いづなは「むふぅ」と鼻息を荒くする。

「待っていてくだされ。このいづな、清美様のために、誠心誠意尽くしますぞ」

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