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第83話 通りすがり

 路地裏を奥へと奥へと進む、ふたりと一匹。

 殿(しんがり)を務めるいづなは、しきりに後ろを振り返っては、追っ手がいないかを確認していた。

 清美(きよみ)もその仕草に釣られて、何度も首を背後にひねった。

 誰もいない。サイレンの音はしばらく止み、男の怒声が聞こえるばかりであった。

「おい、そっちじゃないのかッ!?」

「こちらは行き止まりですッ!」

「そこの店主ッ! 小さな女の子を見なかったかッ!?」

 最後の台詞を耳にした清美は、先頭を行く蘆屋(あしや)に声をかけた。

「ボクたちのことかな?」

「いえ、違うと思います」

 まるで確証でもあるかのように、蘆屋はそう答えた。

「でも、女の子って言ってるよ? ボクのことじゃない?」

「あなたのその容姿では、女性だと断定できません。もっと別な聞き方をするはずです。仮にできたとしても、『小さな』というのは奇妙。それに……」

 そこで蘆屋は、言葉を切った。

「それに?」

「私や(わん)殿ではなく、あなただけを捜索している理由が不明です」

「清美様ッ! こちらに何人か来ますッ!」

 いづなの忠告に、清美たちは歩を速めた。

 曲がり角を複雑に折れ、なるべくルートをごまか」した。

 時折、掃除夫や洗濯婦とぶつかりそうになりながらも、3人は軽快に駆け続けた。

「まだ来てる?」

 清美は前方に注意しながら、いづなに追っ手の有無をたずねた。

「いえ……足音が遠離(とおざか)り……」

「うわッ!?」

 清美は、右手の小道から飛び出して来た物体に、悲鳴を上げた。

 その正体を確認するよりも早く、前後で蘆屋といづなが臨戦態勢をとった。

 いづなは爪を立てて、

「出たなッ! 隠密課の手……先……」

 と威嚇しかけたが、そこでぽかんと口を開けた。

 地面に尻餅をついた清美は、衝突した相手を見やった。そこにいたのは、同じように地面に倒れ込んだ、見ず知らずの少女だった。顔立ちはまだ幼いものの、頭の人民帽を直しながら、じっとこちらを睨んでいた。その瞳の鋭さに、清美は薄ら寒いものを感じた。飢えた獣の目なのだ。

「き、きみ、だいじょう……」

「てめえッ! 気をつけろッ!」

 荒々しい罵声に、清美はムッと口元をゆがめた。

 膝の土ぼこりを払いながら、立ち上がって少女を見下ろした。

「きみこそ、気をつけなよ」

「ぶつかって来たのは、あんたのほうだろッ!」

「ボクじゃないよ。きみがいきなり飛び出したの。分かる?」

「てめえ、あたいに喧嘩を……」

 そのときだった。

 いづなの獣耳がぴくりと動き、背後へとなびいた。

「き、清美様、足音がまたこちらに……」

 少女はいづなの存在にようやく気付いて、サッと顔を上げた。

 けげんそうなまなざしで、いづなの耳をじろじろと観察した。

「あんた、その頭に付けてるのは、なんだ? ……マイクか?」

「これは、いづな自慢の……」

 清美はいづなの手を引いた。

「と、とにかく逃げようッ!」

 少女もぴょんと起き上がった。

「サツに追われてるのか?」

 清美は、なんと答えたものか迷った。

 追手の正体はよくわからないのだ。

 しかし、少女が急に親し気なオーラを出してこたことを、清美は見逃さなかった。

「そ、そうだよ」

 少女は、清美たちが向かっていたのとは別方向へ駆け出した。

「あたいについて来な。そっちは行き止まりだよ」

 少女の台詞に、清美たちは顔を見合わせた。

 罠ではないだろうか。そう考えた清美だが、足音はどんどん近付いて来る。それも、かなりの人数だ。増援されたのもしれない。

「早くしなッ! 置いてくよッ!」

 少女は左手の路地に飛び込み、一目散に逃走を開始した。

 逡巡する清美の手を、蘆屋がかまわずひいた。

「追いましょう。なにやら胸騒ぎがします」

「い、一緒に逃げるんじゃなくて、追うの?」

「早く」

 清美は最後に一度だけ、来た道をふりかえった。

 それとほぼ同時に、警官服の男が、十数メートル先に姿を現す。

 まずい。清美は慌てて、少女の逃げ込んだ路地へと、身を投げ出した。

「おいッ! 誰かいたぞッ!」

「女か?」

「分からんッ! とにかく追えッ!」

 どうやら今度は、自分たちがターゲットになってしまったらしい。

 清美は自分のノロマさをののしりながら、全力疾走した。陰陽師の才能が開花して以来、自分でも驚くほど身体能力が向上していた。そうでなければ、蘆屋やいづなのスピードに、とても合わせられなかっただろう。今なら徒競走でジュリアに勝てるかもしれないなどと、場違いな優越感にひたりつつ、清美はアッと言う間に、少女の背中をとらえた。

 3人にぴたりとつけられた少女は、その細い目を丸くする。

「あんたたち、速いね。てっきり捕まったかと思ったよ」

 蘆屋は表情ひとつ変えず、

「それほどでも……ところで、警察に追われているのは、あなたですか?」

 と、いきなり核心部分を突いた。

 少女は軽く舌打ちをし、視線をそらした。

「知らねえよ」

「身におぼえがないと?」

「……」

 ばればれの嘘。清美の脳裏を、そんな言葉がよぎった。

 しかし、蘆屋はそれ以上追及せず、質問を変えた。

「私たちは、どこへ向かっているのですか?」

「……ここで分かれようか」

 少女はそう言うと、いきなり左手に曲がった。

 追いすがろうとする蘆屋に、少女はあっかんべーをする。

「あんたらはそのまま真っ直ぐ進みな。そうすりゃ大通りに……きゃッ!?」

 少女は、うしろから突然あらわれた男に拘束された。

「捕まえたぞ」

 大柄な警官は、清美たちの存在を後回しにして、少女の腕をひねりあげた。

「さあ、来てもらおうか」

「てめえッ! 放せッ!」

 少女は足をバタつかせたが、この体格差ではどうしようもなかった。

 さきほどまで見せていた俊敏さも、組み伏せられては終わりである。

「放せッつってんだろッ!」

 警官は少女の罵声を無視して、視線を清美たちへとうつした。

「おまえたちはなんだ?」

「え……えーと……」

「あ、あたいの仲間だよッ!」

「ちょッ!?」

 いきなり共犯に巻き込まれて、清美は驚愕した。

 いづなは、

「おまえなんか知らないぞッ!」

 と吠えた。

 しかしそれがかえって、警官の心証を悪くしてしまったらしい。警官は少女の腕をつかんだまま、清美たち3人に警告を発した。

「よし、おまえたちも動くな。もうすぐ応援が……いてぇッ!?」

 警官は苦痛に顔をゆがめ、右手をはなした。少女が噛み付いたのだ。

 解放された少女は地面を蹴り、猛スピードで男のそばを離れた。

「へへんッ! どんなもんだいッ!」

 少女は誇らし気にそう言うと、清美を突き飛ばし、反対側の路地へとダッシュした。

 本日2度目の体当たりを喰らった清美は、その場に転倒してしまった。立ち上がろうとした瞬間、乾いた破裂音と、空気を裂く音が、頭上をかすめた。それと同時に、小さな悲鳴が聞こえた。

 それが銃声だと気付くまで、ものの数秒とはかからなかった。

 蘆屋といづなは、サッと清美の前で出た。

緑川(みどりかわ)殿、お怪我は?」

「き、清美様、しっかりッ!」

 混乱しながらあたりを見ると、少女はいなくなっていた。

 弾がはずれたのだろうか。

 警官は忌々しそうな顔で、残った3人を凝視した。

「そこの3人、動くなッ!」

 銃口を向けられている。どうやら、完全に共犯扱いされてしまったようだ。そのことに気付いた清美は、あたふたしながら、左右に逃げ道を求めた。

「動くなと言ったんだ。両手を上げろ」

 清美はおとなしく、警官の指示に従った。

 蘆屋も涼し気な顔で、それに続いた。

 グルルっと威嚇していたいづなも、清美にひじで小突かれて、同じ動作をした。

「清美様、銃弾の一発や二発、恐れるいづなではありませぬぞ」

「いいから、おとなしくしてて」

 清美はそう言って、いづなを黙らせた。いづなを心配したのも理由のひとつだが、もうひとつ、蘆屋の態度が妙に気に掛かっていた。抵抗を止めたというよりは、なにか企んでいるように見えた。日常的に策士な清美は、そういうところに敏感であった。

「おまえたち、あの娘の仲間だな?」

 蘆屋は、

「いいえ」

 と返した。

「嘘をつくな。だったら、なぜあの娘と一緒にいた?」

「……」

「おい、答えろ」

 蘆屋は答えなかった。

 清美がもどかしそうにしていると、男の背後に、黒い触手のようなものが見えた。

 一瞬、錯覚かと思った清美だが、目を細めてみると、無数の黒い糸が、男の手足にだんだんと絡み付いていく。その光景に、清美はどこか見覚えがあった。

「黙秘か……まあいい。署でたっぷりと……ん?」

 男は、指先に絡みつく黒い糸に気付き、眉間にしわを寄せた。

 その動作とほぼ同時に、男の体は、漆黒の粘膜につつまれた。

「なッ!?」

 悲鳴を上げるまでもなく、警官は地面へと吸い込まれ、姿を消した。

 あたりに静寂がもどった。

「そ、それって……七丈島(しちじょうじま)で使ったのと同じ術?」

 清美の問いに、蘆屋は軽くうなずいた。

「大したものではありません……捕縛した相手を、別の場所に打ち捨てる術です。今回は、記憶消去のおまけつきですが」

 テレポーテーションのようなものか。清美は一人、納得した。七丈島でも、一向聴(いーしゃんてん)があの闇に飲み込まれ、姿を消した。後から考えてみれば、縄張りを荒らされた蘆屋の仕業だったのだろうと、清美はそう推測した。

「と、とりあえず、ありがと……」

「いえ、緑川殿といづなでも、あれくらいは対処できたでしょう」

「そうだッ! 余計な真似をするでないッ!」

 威勢の良いいづなに、清美は頭をかかえた。

 叱ろうとしたところで、今度は別の男たちの声が聞こえてきた。

「このへんじゃないか、銃声が聞こえたのは?」

「道が複雑過ぎて分からん。誰か、詳しい住人をつれて来い」

 蘆屋はフゥと息をつき、きびすをかえした。

「この場を離れましょう。どうにも、碌なことがありません」

 小走りになりながら、蘆屋のあとを追う清美。殿(しんがり)は、いづな。

 警官は追跡を諦めたのか、それとも本当に道に迷ったのか、気配が消えていた。

 それでも清美は、なるべく小さな声で、蘆屋に話しかけた。

「ね、ねえ……さっきの女の子は?」

「さあ……騒動が収まったところを見ると、逃げ切ったのではないでしょうか」

 いづなは鼻息を荒くして、

「あのように無礼な娘は、放っておけばいいのです」

 と言った。

 大切な主人にぶつかって謝らなかったことを、根に持っているようだ。

 しかし清美には、どうにも引っかかる点があった。さきほどの悲鳴である。

 清美はぼんやりと、地面に視線を落とした。

「……あッ!」

 清美の喫驚に、先頭の蘆屋がふりかえった。

「なにか?」

「これ……血じゃない?」

 清美はそう言って、舗装ほそうのはがれかけた地面にかがみ込んだ。

 ところどころ顔を出した雑草の隙き間に、赤い斑点が見え隠れしていた。

「なるほど……これが清美殿の勘の力ですか」

「勘ってわけじゃないけど……ただ、なんとなく……」

「いえ、怪我人に対しては、あなたの方が敏感に反応するようです。私は慣れ過ぎて、やや鈍っていたのかもしれません」

 空恐ろしいことを語りながら、蘆屋は血痕を目で追った。

 蘆屋は、

「どうしますか? 致命傷、というわけではないようですが」

 と冷静な評価をくだした。

 それは、清美も分かった。

 致命傷ならば、そこらへんに倒れているはずだ。血の痕は、だいたい数十センチおきで、大量に出血している様子もなかった。せいぜい、足かどこかをかすめたのだろう。銃器には詳しくない清美にも、そのことは容易に察せられた。

 いづなはここでも冷淡に、

「自業自得ですな」

 と言った。清美は眉をひそめた。

「そういう言い方はないんじゃない? 一応、助けてくれたわけだし」

(てい)よく利用されただけです。こちらが助けた格好ではありませぬか」

 いづなの言い分にも、一理あった。もしかすると、道を教えるフリをして、囮に使うつもりだったのかもしれない。指示された路地が本当に大通りへ続いていたかなど、今となっては確かめようもなかった。警官の存在を考えると、引き返せないのである。

「んー、だけど気になるな……撃たれたのは間違いないわけだし……」

 清美がそう言うと、蘆屋は、

「では、少しあとを追いますか?」

 と提案した。清美はうなずいた。

 なぜここまで胸騒ぎがするのか、彼女自身にも、判然としなかった。

 血痕は、脇道に逸れていた。

 ふたたび蘆屋を先頭にして、3人は血糊ちのりをたどり始めた。

「……間隔がちぢんでるね」

 清美はやや不安げに、そうつぶやいた。

 今や、ほとんど10センチおきに、赤い斑点が伸びていた。

 もしや、想像以上の大怪我ではないだろうか。清美は、少女の安否を気づかった。

 一方、蘆屋は、

「無理に走ったのでしょう。安静にしなければ、出血量が増えるのは必然」

 と、あくまでも平静な様子だった。

 しばらくして、いづなは突然立ち止まり、両耳をぴくぴくさせた。

「むッ……ご主人様……」

「警官?」

「いえ……女のうめき声です……」

 声の正体は、言わずとも知れた。

 清美も耳を澄ませた。

「あちらですぞ」

 いづなが指差したのは、少し離れたところにある曲がり角。3人がそこをのぞき込むと、ゴミ捨て場のような汚らしい空間に、さきほどの少女が倒れていた。

 足を押さえ、歯を食いしばっていた。

「だ、大丈夫?」

 清美が駆け寄ると、少女は息も絶え絶えに答えを返した。

「も、もう歩けねえ……」

 傷口を押さえた少女の指から、血がしたたり落ちていた。

 蘆屋もそばにより、少女の足下へとかがみ込む。

「弾は中に?」

「わ、分かんねえ……すげぇ痛い……」

「指を離していただけますか?」

 少女は脱力したように手を解いた。

 それと同時にポタポタと、地面が赤く染まった。

 蘆屋は手慣れた様子で傷口を観察し、眉ひとつ動かさずに診断をくだした。

太腿ふとももを貫通したようです」

「じゅ、重症?」

「いえ……骨に当たった形跡もありません。不幸中の幸いです」

 蘆屋の診断に、清美はホッと胸をなでおろした。

 見ず知らずの少女だが、人命は人命であった。

「病院に連れて行かないと」

 清美の台詞に、少女が反応した。

「びょ、病院はダメだ……」

「だ、ダメって……そんな無茶な」

「こ、この先に……九龍(くーろん)って居酒屋がある……そこへ……」

 少女はそこで、口をつぐんだ。

 いや、つぐんだというよりは、痛みで言葉を発せないように思われた。

 清美は路地の奥を見やる──ゴミの向こうがわに、細い道が続いていた。

 いづなは、

「清美様、どうするのですか?」

 と、あくまでも主人任せの質問をした。

「どうするって……病院に……」

「びょ……だ……」

 少女の言葉は、もはや意味を為していなかった。

 本当に、不幸中の幸いなのだろうか。清美は、蘆屋に不信のまなざしを向けた。

 それに気付いたのか、蘆屋は右手を差し出し、少女の傷口にそえた。

「私の術で応急処置を致します。命に別状はありません。無理をしたせいで、余計な負担が掛かっているだけです」

 蘆屋の手の平に、青白い光が浮かび上がった。

 しばらくその光に照らされた少女は、次第に穏やかな表情を取戻し始めた。

「す、すごい……こんなこともできるんだ……」

「あくまでも応急処置です。鎮痛作用があるだけで、傷は回復しません。そういう仕事は、ラスプーチン殿にでも頼まなければ……いや、野暮な相談ですか」

 ラスプーチンにどのような能力があるのかを、清美は知らなかった。そもそも、昨晩ほかの場所でなにが起こったのかを、清美は詳しく伝えられていなかった。一向聴にたずねても、ともえのプライバシーがどうのこうのと、よく分からないはぐらかされかたをしてしまっていた。

 少女の呼吸がととのったところで、蘆屋はその手を引っ込めた。

「さて……その九龍という居酒屋まで、運ぶと致しましょうか」

「病院じゃなくていいの?」

「少女が拒絶している以上、その意に沿うのが得策でしょう。もしかすると、指名手配犯かもしれませぬゆえ」

 犯罪者。その可能性を、清美は考慮に入れていなかった。単純に人助けのつもりだったのだが、よくよく考えてみれば、逃亡の幇助である。

 清美は一瞬だけ戸惑ったものの、すぐに決意を固めた。

「そうだね、その居酒屋に連れて行こう」

 清美と蘆屋は手分けして、少女を左右から抱きかかえた。

「わ、わたくしもなにかお手伝いを……」

「いづなは、見張りをお願い」

「しょ、承知致しました」

 少女の背中越しに、蘆屋と清美の腕が重なる。

 緊急事態にもかかわらず、清美は妙に、体が火照るのを感じた。

「犬も歩けば棒に当たると言いますが、いやはや……」

 蘆屋は皆まで言わず、最初の一歩を進めた。

 おぼつかない二人三脚で、ふたりはひたすらに、路地の奥を目指した。

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