第82話 デート
午後3時。
上海旧市街地の裏路地は、昨晩の戦いの面影を残さず、活気に満ちていた。溢れ返る人の波を掻き分けながら、清美と蘆屋は、とりたててこれと言った目的も持たず、ただひたすらに歩を進める。左右の屋台からは、点心の香りがただよい、清美の鼻孔をくすぐっていた。
「ねえ、なにか食べて行かない?」
「私は結構です」
蘆屋のすげない返事を、清美は薄々察していた。この少年、決まった時間に決まったものしか食べないのだ。理由を訊いてみれば、養生法がどうのこうのと、清美にはさっぱりな回答が返って来たことがあった。
「でもさ、中華まんの1個ぐらいなら、良くない?」
「結構です」
蘆屋の拒絶を無視して、清美は押しに押した。
「なんでダメなの? それって、きみの能力と関係あるとか?」
「……ありません」
「だよね。ボクは普通の生活を送ってるけど、ちゃんと術を使えるもんね」
というより、陰陽師の能力は、私生活とほとんど関係がないのではないか。清美は、薄々そう勘付いていた。でなければ、16歳になるまでなんの訓練もしなかった自分が、いきなり手から気を放つことなどできなかったであろう。
己の勘の鋭さに自信を持つ清美だったが、蘆屋はさらに答えをはぐらかした。
「ところで、あの狐は、どこへ消えたのですか?」
「狐? ……ああ、いづなさんのこと?」
「そうです。昨晩から、はたと姿が見えませんが……」
「昨日の夜は、ボクたちと違う場所で戦ってたよ」
王、蘆屋、清美にいづなまで加えては、戦力が偏り過ぎだろうと、そう考えた天和のアイデアであった。いづなは頑に拒んだが、最後は清美の説得で、渋々承知したのである。
「なるほど、そのような……む」
蘆屋は、ふと足を止めた。
隣を歩いていた清美は、30センチほど前に行き、そのままバックした。
「どうしたの?」
「……どうやらあの狐、私たちを尾行しているようですね」
蘆屋は、ちらりと後ろに視線を投げた。
清美はくるりと首を回した。
「……あ、ほんとだ」
少し離れた十字路の陰から、こちらを覗き見るいづなの姿があった。
耳を隠すためか、人民帽をかぶって、壁から顔を半分だけ出していた。
「どうする? 呼ぶ?」
清美は念のため、蘆屋にたずねた。
本当はふたりきりが良いのだが、監視されていてはデートにならない。
むしろ仲間に加えたほうがマシとの判断だった。
「緑川殿の、お好きなように」
「うーん……じゃあ、呼ぶね」
清美は体ごと振り返り、いづなを手招きした。
いづなは一瞬だけ驚いて、サッと物陰に隠れた。バレていないとでも思ったのだろうか。清美はタメ息をつきつつ、それからいづなのもとへと歩み寄った。
「……なにやってるの?」
「あわわ……清明様……こ、これは……その……」
狼狽するいづなを他所に、清美は両手を腰に当て、眉間にしわを寄せた。
「そのセイメイって呼び方、止めてくれないかな?」
「し、失礼致しました……緑川様」
「清美でいいよ」
「し、下の名前でお呼びするのは……少々問題が……」
「それはおかしいでしょ? セイメイはよくてキヨミがダメな理由ってなに?」
清美の的を射た質問に、いづなは困ったような顔をした。
くちびるに手を添え、考え込んでしまう。
「理由がないなら、清美で」
いづなは多少戸惑いながらも、こくりとうなずいた。
「で、なにしてるの?」
本題へと戻った清美に対して、いづなはこほんと咳払いをした。
「清美様に変な虫がつかないよう、見張っております」
「変な虫? ……北京警察とか隠密課とか?」
「それもありますが……あの……」
いづなは遠目に、清美の背後を盗み見た。
その先にあるものを、清美はすぐさま理解した。
「蘆屋くんのこと?」
親しみを込めた呼び方に、いづなは面白くなさそうな顔をした。
「あれは安倍家の宿敵です。あまりお近づきになられませんよう……」
「それはきみの決めることじゃないでしょ?」
少し怒ったような清美の言い方に、いづなはびくりとなった。
その拍子に、背中の服から、しっぽがぴょんと跳ね出てしまった。
いづなは両手でそれを押し隠しながら、主人に諫言した。
「こ、このいづな、せいめ……清美様のことを思って……」
「ボクのことを思うなら、ボクと蘆屋くんの関係を邪魔しないこと。分かった?」
「清美様と蘆屋の関係……?」
清美はアッとなり、口元を押さえた。
しかし、杞憂だったようだ。いづなはしきりに首をかしげたあと、解釈することを断念したらしい。ふたたび真面目な顔になって、先を続けた。
「とにかく、護衛はさせていただきます」
「ダメ」
「では、清美様の精神の中に住まわせていただくのは?」
「それはもっとダメ」
清美は、いづなが自分の中に潜んでいた過去を、どうしても受け入れられないでいた。それは要するに、あんなことやこんなことを、全て見られていたわけで──
「ねえ……ボクの中に住んでたとき、意識はあった?」
「もちろん、ございます」
「それって……ボクの感覚が全部伝わってたとか、そういう……」
「それはございません。わたくしと清美様で共有されているのは、大まかな記憶だけで、細かい出来事は、このいづな、天地神明に誓い、覗き見ておりませんので、ご安心を」
「あ、そうなんだ……」
清美はそれを信じて、胸をなでおろした。
「しかし、清美様、性別転換ができるのをいいことに、限定品をふたり分買ったりするのは、あまり感心致しません。もう少し、安倍家の末裔として……」
「やっぱり覚えてるじゃないッ!」
清美の怒声に、いづなは両手を上げた。
「あわわ……い、今のは口が滑りました……」
言い訳にならぬ言い訳をするいづな。
清美は怒りを通り越して、すっかり呆れてしまった。
「これがボクの式神で、大丈夫なのかな……」
自分にだけ聞こえる程度の音量で、清美はそうつぶやいた。
第一印象とは裏腹な、いづなの頼りなさに、清美は不安を覚えるばかりだった。
「なにかおっしゃいましたか?」
「なにも……とにかく、先にアジトへ帰ってよ」
「それはできません。わたくしは……むッ!」
いづなは牙を剥き、清美の肩越しになにかをにらみつけた。
清美がふりかえると、そこには蘆屋がいた。
いつまでも埒の開かないやり取りに、痺れを切らしたのだろうか、
「さきほどから、なにをなさっているのですか?」
とたずねてきた。
「清美様、ここはいづなにお任せ……痛いッ!?」
清美にしっぽを引っ張られたいづなは、その場で飛び上がった。
「勝手に襲い掛かっちゃダメって、言ってるでしょ」
叱りつけられたいづなは、しょぼんと尾を垂れ、肩を落とした。
「もうしわけございませぬ……」
このやりとりを見ていた蘆屋は、
「ずいぶんと……仲の良いことで……」
と半ばあきれぎみだった。
そして、こうたずねてきた。
「これから、どうするのですか? あてもなく外出してしまいましたが」
そうだ。今はデートの最中なのだ。
清美は一方的にそう解釈したものの、いづなの処置にとまどった。この様子だと、追い払ってもあとをついて来そうだ。それに、少し可哀想でもあった。いづなは相変わらず、王の部下とはあまり交遊がなかった。いづなが一方的にそれをこばんでいるのもあるが、王は王で、この式神をやたらと警戒しているらしかった。安倍清明は安倍清明、ということなのだろう。
ただひとり例外がいるとすれば、一向聴くらいのものだった。彼女はいづなにやたらとちょっかいを出しては、アジトの中で鬼ごっこを繰り返していた。
「うーん……とりあえず、屋台でなにか買おうよ」
この提案に、蘆屋は、
「買い物ですか?」
と、やや意外そうな反応を見せた。
「ダメ?」
「いえ、緑川殿の、お好きなように」
「おぬしの許可など要ら……いたたッ!」
しっぽを掴まれたいづなは、ぴょんと飛び上がり、口を継ぐんだ。
それから3人は、清美を先頭に、いくつか屋台を回って、商品を物色し始めた。物色するとは言っても、全ては清美に一任だった。蘆屋はなにも言わず、いづなもさきほどのおしおきに懲りたのか、「あちらのほうがいいと思います」程度のことしか、口にしなかった。
「ここが一番いいね」
ようやく辿り着いたのは、比較的目立たない、路地の奥だった。
「こういうところほど、穴場。おじちゃん、そこの肉まん3つ」
「はいよ」
清美はできたての点心を受け取り、ほくほく顔でお金を払う。
あらかじめ一向聴から、お小遣いをもらっておいたのである。一向聴は一向聴で、今月は苦しいようなことを言っていたが、肉まんを買う程度の金額はあるのだ。
蘆屋はそれを見て、
「3つも食べるのですか……」
とつぶやいた。清美は慌てて否定した。
「ち、違うよッ! みんなで分けるんだよッ!」
「分けても、1個半ですが……」
屋台の肉まんは、1個でもなかなかボリュームがあった。日本のコンビニで買うのとは、サイズが違い過ぎる。
「だから、みんなで分けるの。蘆屋くんも食べる」
「……私は遠慮させていただきます」
「ダーメ、食べなさい」
清美はそう言って、肉まんを蘆屋の眼前に押し付けた。
ジューシーな湯気の立つそれに、少年はごくりと喉を鳴らした。
ほらみろ。やせ我慢じゃないか。清美は内心、ほくそ笑んだ。
「……では、清美殿のご好意に甘えて」
「そうそう、それでいいの」
「わ、わたくしにもひとつ」
「大丈夫だって。ちゃんと3つあるから」
涎を垂らすいづなにも、清美は1個分けた。
いづなは「いただきます」も言わず、ハフハフと肉まんに食らいつく。
「これは美味しいですのぉ」
いづなは、ここが路地裏であることも忘れて、しっぽをパタパタさせた。
清美は頭を抱えつつ、自分も一口頬張る。
「……うん、美味しいッ! やっぱり正解だね」
清美はそう言いながら、もぐもぐと口を動かす。
そして、ちらりと蘆屋を盗み見た。
「あれ? 食べないの?」
「では……いただきます……」
そう言って蘆屋も、肉まんを軽く齧った。
ほんの少しだけ目の色が輝いたのを、清美は見逃さない。
「美味しい?」
蘆屋はなにも言わず、ただこくりと頷くと、もう一口。
清美は、なぜか嬉しくなった。
「そうそう、人間、美味しいものを食べないとね」
「これは、なんと言う食べ物なのですか?」
「へ?」
ぽかんとする清美に、蘆屋は同じことを尋ねた。
「肉まん知らないの?」
「にくまん……存じません」
「普段、どういう食生活してるの?」
蘆屋はしばらく考えた後、いくつか食べ物の名前を挙げた。
どれもこれも、老人が食べるようなものばかりである。
「きみって……天然記念物級だね」
「なんですか? その言い回しは?」
「天然記念物級」
「……分かりません」
「分かんない? 天然記念物に、クラスの級だよ?」
「クラス……?」
最初、蘆屋流のギャグかとすら思った清美だが、少年がやたらと真剣に考え込むので、本当に知らないのだと察した。
「クラスだよ、クラス。学校で同じクラスになるとかの、ク・ラ・ス」
「学校……私は教育機関に通ったことがないので、どうにも……」
そのとき清美は、蘆屋の半生について、ある予感を覚えた。
「きみ、もしかして……ずっとひとりで暮らしてたの?」
「いえ、ひとりではありません。後見人の老亀を始めとして、牛鬼、蛇姫、その他、大勢の式神の囲まれておりました」
「に、人間は?」
「人間は……」
まるで初めて気付いたかのように、蘆屋はふと顎を上げる。
「人間は、外出時にしかお会いしませんでした」
想像もつかない孤独な生活に、清美は困惑する。
蘆屋は、やや気まずそうな顔で、視線を左に逸らした。
「実は……清美殿の話す言葉も、時折分からぬことがありまして……特に、横文字と思しきものは、初耳が多く……」
「ファーストフードとかも?」
「いえ、それは分かります。清美殿と七王子市で活動をしていたときに耳にし、あとで調べましたので」
調べる時点でおかしいと、清美は内心、突っ込みを入れかけた。
「あのときは『ファーストフードに行かない?』と誘われたのですが、なんのことやら分からず、いかがわしい店と誤解して、同伴がためらわれました……正直に申し上げれば、意味を存じていても、同行したかは、かなり疑わしいのですが。ああいうものは口に致しませんし、それに、自然保護の活動などをしていると、男女の馴れ初めを目当てに参加する方も、ちらほらおりますので」
清美は冷や汗を流した。
「そ、そうなんだ……」
「ええ、ですから、参加者は厳重に審査しないと、往々にして……」
「ご主人様、もう1個くだされッ!」
いづなのおねだりに、清美は感謝そた。
話を誤摩化せると思ったのだ。
ところがそれは、思わぬ展開を見せてしまった。
蘆屋は、
「いづな殿……でしたか。私の分を食べますか?」
と言って、食べかけの肉まんをさしだした。
「よろしいのですかッ!?」
「はい……美味には違いありませんが、私には量が多く……」
「ちょッ、ま、それはボクが……」
「ありがたく頂戴致しますッ!」
いづなは蘆屋の手から肉まんをかっさらうと、がぶりと噛み付いた。
「蘆屋様は見かけによらず、親切なかたですな。いづな、見直しましたぞ」
「……褒め言葉と受け取っておきます」
ふたりのやり取りを尻目に、清美の嫉妬が爆発した。
「か、間接キス……ボクの道遥くんの肉まん……」
「ん? 清美様、なにかおっしゃいましたか?」
「……きみ、今日限りでクビね」
清美の解雇宣言に、いづなは喉を詰まらせた。
ゴホゴホと咳き込みながら、胸を打った。
ごくりと最後の一塊を飲み込んで、急におろおろし始めた。
「い、いづなは、なにも悪いことをしておりませんッ!」
「した」
「な、なんですか、それはッ!? いづな、誠心誠意、お詫び致しますぞッ!」
「うッ……そ、それは……」
口ごもる清美。
そこへ蘆屋が追い打ちをかけて来る。
「私にも、いづな殿の咎が見えません。彼女が、なにをしたのですか?」
「え、えーとね……蘆屋くんの肉まんを……」
「私の肉まんを?」
「肉まんを……」
目が泳ぐ清美。
なにか妙案をひねり出そうとしたところで、ふいにサイレンの音が聞こえた。
3人の意識は、自然とそちらへ向かった。
「……警察?」
「そのようです……退散致しましょう」
「清美様、蘆屋様、殿は、いづなにお任せを」
近付いて来る警告音。
清美たちはさきほどの口論も忘れて、路地の奥へと駆け出した。




