第79話 集結する幹部たち
薄暗いビルの窓から、司馬は遠くをにらんだ。
「なんだ、今の爆発は?」
北西の方角で、大きな火柱が上がっている。明らかに火器の使用であった。
司馬は、通信員へと向きなおり、
「アナスタシアか?」
とたずねた。ところが通信員は、先に誰かと連絡を取っていた。
司馬は押し黙り、部下の報告を待った。
「了解……至急、そのように伝えます」
男はヘッドフォンを外すと、司馬に声をかけた。
「南部方面から入電です。アナスタシアらしき物体を発見、これを追跡中とのこと」
「そうか……見つけたか……」
司馬は、口の端に笑みをこぼした。
ようやくの獲物だ。そう考えた瞬間、とある可能性が、彼の脳裏をよぎった。
「南部方面だと……? 本隊のほうへ出て来たのか?」
司馬の確認に、通信員は口を開け、それから首を縦にふった。
「ハッ……そのようにうかがっておりますが……」
司馬は両腕を背中で組むと、2歩前に出た。
通信員の視線を感じながら、これまでの流れを整理した。南部方面に本隊を置いたことには、敵も気付いているらしい。その証拠に、戦闘の開始直後から、王本人に加え、蘆屋道遥と思しき人物も目撃されていた。敵の主力である。
そこへわざわざ、アナスタシアが投入されるだろうか。司馬は、姿勢を正した。
「王もしくは蘆屋が破れたという報は?」
質問の意味が分からなかったのか、通信員は口をつぐんだ。
司馬はもう一度、詳細に問いをくりかえした。
「王か蘆屋が死亡、あるいは負傷したという連絡は入っていないのか?」
「い、いえ……そのような連絡は、入っておりません……」
司馬はあごに手をそえ、窓の外へと首を曲げた。
右目を細めながら、不動の体勢で沈思黙考を始めた。
なにかがおかしい。その結論に至るまで、ものの10秒とはかからなかった。
「……そうかッ!」
司馬はハッとなり、視線を窓からはなした。
「アナスタシアが目撃されたのは、どこだ? ポイントを特定しろッ!」
上司の焦燥が伝染したのか、通信員たちは慌ただしく記録をチェックした。
そして、ある答えを返した。
「Gの5……上海スタジアムから南南西に1キロ離れた地点です」
「最後に王が目撃されたのは?」
通信員は、さらに記録をたどった。
「H6。廃業したパソコンの組み立て工場です。王はその付近で消息を……」
司馬は、王に変化の術があることを思い出した。
馬鹿な。挟撃だ。初歩的な兵法ではないか。
通信員が説明を終える前に、司馬は右手を伸ばし、指示を出した。
「全隊、H6まで退かせろッ! 今すぐにだッ!」
「ハ、ハッ!」
繰り返されるコールサインを背に、司馬は舌打ちをした。
「隠密課の男はどこへ行ったのだ……役に立たんヤツめ……」
○
。
.
唐突な爆音に、カオルは椅子から腰をあげた、
「今の音はなんだ?」
カオルは誰とはなしに、そうたずねた。
天和が静かに答える。
「敵がこちらの作戦に嵌まったのですよ……あとは、殲滅するだけです」
「作戦? どんな作戦だ?」
「子供でも分かる、簡単な兵法ですよ。撤退したとみせかけて、敵が通過するのを待ち、そのまま背後を奇襲。ここまでうっかりしてくれるとは、思っていませんでしたが……」
カオルには判然としなかったが、アナスタシアが補足してくれた。
「北京警察は、ワンの潜伏位置を誤解したようです。消息を絶った工場を迂回し、別の通りから先に進んだ模様。もっとも、その工場はすでに、もぬけの殻なのですが」
上海の地理が、頭に入ってこない。カオルはくちびるをむすんだ。
「おぬしらの勝ちじゃな。第一ラウンド終了ってとこかの」
耳の穴を掃除しながら、テスラがそうつぶやいた。
あまり興奮した様子もなく、まるで他人事のようだった。
天和とテスラを交互に見比べながら、カオルはたずねた。
「これからどうする?」
まずテスラが肩をすくめ、自分に選択権がないことをアピールした。
それもそうだ。カオルは、天和へと視線を固定した。
「どうなんだ? ここまでは全部、あんたの筋書き通りなんだろ?」
「いくつかイレギュラーはありましたが……ほぼ、予定通りです」
イレギュラー。それが具体的になにを指しているのか、天和は説明しなかった。
「じゃあ、こっからの予定を聞かせてくれないか? 上海にとどまるのか?」
カオルの問いに、天和の意味深な笑い声を上げた。馬鹿にしているというわけではなく、なにかを愉快に思ったようだ。
自分の言い回しに、どこか冗談めいたところがあっただろうか。カオルは、いぶかしく思った。
「それは、わたくしが決定することではございません」
「……ようするに、王が決めるってことか」
カオルの解釈を、天和は扇の動きで否定した。
「……王と蘆屋が、共同で決めるのか? それとも他に……」
「わたくしたちは、幹部会の決定に従わねばなりません」
幹部会。その単語に、カオルは聞き覚えがなかった。少なくとも、ここに来てから、天和が口にしたことのない言葉だった。
カオルは説明を求めた。
「それは、間もなくお分かりになられますよ。あなた方にも同席してもらいます」
「同席……? 俺たちに、発言権をくれるのか?」
期待してはいなかった。しかし、はっきりと否定されるのは、癪なものである。
天和は首を左右に振り、言葉を継いだ。
「『同席』です……『参加』ではありません……」
天和は、ひらりと扇を動かし、その場を徘徊し始めた。
「それどころか、わたくしにすら参加する資格はございません」
「あんたに参加する資格がない……? 王の右腕だろ?」
「そう表現してもらえるのは、至極光栄です。しかしながら、幹部会に出席できるのは、悪の組織のリーダーのみ。そういう決まり事になっておりますので」
カオルは天和の言葉を、ようやく理解した。
そしてその瞬間、血の気が引くのを覚えた。
「まさか……幹部会って……」
カオルの絶句を無視して、天和は視線を上げた。
天井を突き抜け、なにかをうかがうように目を細めた。
「どうやら、ご到着なされたようですね……お迎えにあがらねば」
○
。
.
「ジャン! 急げッ!」
「どう見ても急いどるやろッ!」
ジャンの絶叫に、ゲンキは満足した。
吸血鬼も、狼女もまいた。ニッキーの安否は分からないが、狼女の一撃から生還したところを見ると、相当タフなのだろう。そう楽観視しつつ、ふたりは敵のアジトへと向かった。
「スタジアムってどこやッ!? 全然分からへんでッ!」
「さっき英語の案内があったッ! もうすぐだッ!」
清美、カオル、ムサシ、待ってろよ。そう口にしかけたゲンキは、ふと急ブレーキをかけた。勢い余って、ジャンが彼の背中へ激突した。
「なんで止まるんやッ! はよ……」
「誰だッ!?」
ゲンキは、大通りの中央に浮かぶ、人影に目を凝らした。街灯をスポットライトのように浴びた、栗毛の髪が波打つ、美しい女性だった。
あまりにも場違いだ。ゲンキは警戒心をいだいた。
一方、ジャンはホッとしていた。
「なんや……旅行客か……」
「んなわけあるか……場所と時間を考えろ……」
ゲンキの注意に、ジャンも殺気立った。
こんな時間帯に、女性の観光客がひとりで、街中をうろついているはずがないのだ。しかも今夜の上海は、半ば戦場と化している。一般市民ですら、その姿を見せていない。
女はショルダーバッグを右手にかかげ、くるりとゲンキたちのほうへふりかえった。街灯に照らされた顔立ちは、後ろ姿と同じくらい美しく……無邪気さを備えていた。白人だ。国籍までは、さすがに察しがつきかねた。
「Bon soir……こんばんは」
ひどく明るい声で、女は挨拶をしてきた。しかも、日本語で。
「あんた、何者だ?」
ゲンキの威嚇をはらんだ声に、女は片方の眉をあげた。
口の端を曲げ、にこやかに笑いかけた。
「あーら、それがレディに対する挨拶?」
「こっちの質問に答えろ……ラスプーチンの手下か?」
さきほどとは打って変わり、女はわざとらしくタメ息をついた。
心外だ。そう言いた気にまぶたを閉じ、両肩をすくめてみせた。
「あんなやつの手下なんか嫌よ。馬鹿にしないでちょうだい」
「つまり、ラスプーチンって名前には、心当たりがあるわけだ」
敵だ。白黒ついた状況に、緊張感が高まった。
「一気にやるか?」
ゲンキは小声で、ジャンにたずねた。
「せやけど……相手の能力が分からんで……」
ゲンキは、軽く舌打ちした。これだから、悪の組織と戦うのは面倒なのだ。
躊躇するゲンキたちをよそに、女は闊歩を始めた。
ファッションモデルのように、気取った歩き方で、こちらに近付いて来る。
「止まれッ!」
「止まりませーん」
馬鹿にしているのか。ゲンキは拳をにぎり、太腿に力を込めた。
女だからと言って、手加減する理由はない。ゲンキは拳を振り上げた。
パン
乾いた音とともに、ゲンキの動きが止まった。
決まった……女の受けが。女は右手の平で、ゲンキの拳を握り締めていた。
「なッ!?」
「いきなり実力行使とは、感心しないわね」
ぎりぎりと、握力がかかる。なんだこの馬鹿力は。そう叫びたくなるような痛みに、ゲンキは後退しようとした。
だが、女はそれを許さなかった。拳を起点に、ゲンキは身をよじることしかできなかった。
「あなたたち、ふたりしかいないの?」
「は……な……せ……」
握力加重。ゲンキは悲鳴を上げた。
「ゲンキ!?」
ジャンの大声も、手助けにはならなかった。頭がガンガンするだけだ。
ゲンキは歯を食いしばり、落ちそうになった膝を支えた。
「ここにいるのは、あなたたちふたりだけ?」
ゲンキは、首を縦に振った。口をひらくと、絶叫してしまいそうだ。
半ば腰をかがめるゲンキの頭上で、女の能天気な声がした。
「そっかあ、ともえちゃんはいないんだ……残念」
「トモエに……なんの……用だ……」
友人の名前を出されたゲンキは、無意識のうちに、そうたずねていた。
女は、うふふと笑った。
「そんな怖い顔しないで。ともえちゃんは、私のト・モ・ダ・チ」
こんな化け物みたいな友だちがいるか。
混乱するゲンキの背後で、地面を蹴る音がした。
止めろ。ゲンキが制止する間もなく、ジャンが吠えた。
「ジャンキーック!」
パシリ
ふたたび乾いた音。なにが起きたかは、ゲンキにも容易に察しがついた。
「は、放さんかいッ!」
宙ぶらりんになったジャンが、ばたばたと身悶えしていた。
ヘルメットがぶつかり合い、それがまたゲンキの思考をかき乱した。
「ふたりとも、向こう見ずなんだから……でも、元気があってよろしいッ!」
教師のような説教を垂れて、女は手の力を抜いた。
チャンスだ。ゲンキがそう思った矢先、女はその可憐なくちびるを動かす。
「ふたりまとめて、liberté absolue!!」
呪文のような声に、ゲンキは一瞬、頭が真っ白になった。
同時に手が離れ、そのまま尻餅をついてしまう。腰に激痛が走った。
「痛ッ!?」
お尻になにかが刺さったような感触。尖った小石だろうか。慌てて手を伸ばした。
やはりそうだ。パラパラと、小石の落ちる音がした。そこでゲンキは、ふと奇妙なことに気が付いた。ヒーロースーツが、小石ごときで痛みを感じるはずがない。ゲンキは目を開け、自分の両腕を確かめた。
「へ、変身が解けてるッ!?」
半袖のシャツに、紺のデニム。
いつもの私服に戻ったゲンキは、あわててジャンを見上げた。ジャンは相変わらず宙づりになったまま、黄色いタンクトップに焦げ茶色のハーフパンツという出で立ちだった。
欠陥品じゃないか。ゲンキは心の中で、そうさけんだ。
「ジャンヌ様ッ!」
背後で、若い男の声がした。
聞き馴染んではいなかったが、忘れてもいない。
ゲンキが振り返ると、あの吸血鬼、マーシャルが立っていた。
「あ……あかん……」
宙吊りのまま、青ざめるジャン。ゲンキも、死を覚悟した。
ところがマーシャルは、ゲンキたちなど眼中にないかのように、驚きの表情を浮かべ、すぐさま膝を折り、右手を地面につけた。頭を垂れ、胸に右手をあてた。
「ジャンヌ様、ご機嫌麗しゅう……」
深々と会釈された女は、空いた右手をふった。
「いいのよ、そういう堅苦しい挨拶は。エミリアも来てるんでしょ?」
「エミリア様は、直接スタジアムへお出でです」
「あら、そうなんだ……もしかして、私が最後?」
「……それは、存じておりません」
ゲンキは、ジャンヌとマーシャルを、交互に見比べた。会話のキャッチボールを追おうにも、内容がさっぱり見えてこなかった。ひとつだけ分かったのは、女と吸血鬼との間に、一種の上下関係があるということだけだった。しかも、相当な幅の上下関係が。
「見つけたぞッ!」
第三者の乱入。その声に、ゲンキの絶望が深まった。
一気通貫だ。
「どこにもいないと思ったら、追い越してたぞッ! もう逃がさ……」
「イッキツウカン殿ッ! ジャンヌ様の御前ですッ!」
今にも襲い掛かろうとしていた一気通貫は、きょとんと目を見開き、ジャンヌを見た。
そして、慌てたようにその場にひかえた。
「し、失礼致しましたッ!」
「きゃー、ワンワンちゃん久しぶり。あいかわらず可愛いわねぇ」
犬扱いされて怒るかと思いきや、一気通貫は嬉しそうにしっぽを振った。
茶番になりかけたこの場を制し、マーシャルが口をひらいた。
「ジャンヌ様、スタジアムの場所は、ご存知でしょうか?」
「だいたいの位置は……あ」
ジャンヌは思い出したかのように、ジャンを見据えた。
「ごめん、ごめん」
そう言ってジャンヌは、少年を地面に、優しく下ろした。
ひっくり返されたジャンは、ゲンキと同じように、アスファルトの上で尻餅をついた。
「タブレットで調べれば分かるけど、ここはマーシャルにエスコートしてもらおうかしら。私って、か弱い乙女だしね。よろしくッ!」
○
。
.
「アジトに帰るッ!?」
清美の大声に、蘆屋がシーッと叱責した。
清美は顔を赤らめ、小声で言いなおした。
「まだ戦いは終わってないよ?」
死屍累々となった道路を、清美を遠くながめた。
自分が手にかけた数を、彼女は正確に覚えていない。覚えたくもなかった。
そんな清美の質問に、王が答えた。
「もはや後始末の段階です。我々がいなくても、よろしいかと……それに……」
王はそこで、口元をむすんだ。
蘆屋は、
「それに、なんですか?」
と問うた。
「幹部会がひらかれます。天和から、そのような連絡がありました」
「幹部会が?」
蘆屋の顔がゆがんだ。動揺とも畏怖とも取れる、奇妙な表情だった。
清美はただただ、ぽかんとするばかりである。
「幹部会ってなに?」
当然の疑問にもかかわらず、ふたりは答えを返さなかった。
清美は疎外感をおぼえ、もどかしくなる。
「ねえ、幹部会って……」
「議題はなんですか? まさか今回の紛争の件で、ルシフェル様がお怒りに……」
「夢の国の関連だと聞いています」
ドリームランド。アトラクション施設のような名前に、清美は首をひねった。
一方、蘆屋は、さきほどとは打って変わり、明らかな驚愕の表情を浮かべた。
「夢の国が? ……どういうことですか?」
「それについては、私が知りたいくらいですよ……いずれにせよ、ルシフェル様とは、ああいう約束ですので、ラスプーチンとは和議という流れでしょう。このタイミングは、私としても助かります。クレムリンと直接抗争する余力がありません」
置いてきぼりになった清美は、沈黙を守った。干渉をひかえたのである。
周囲の炎にもかかわらず、王は涼し気な顔をし、きびすを返した。
「大統領、メアリー、エミリアは、すでに到着したそうです。ラスプーチンとも交渉中。それにこの気配からして、オルレアンの魔女も近くに来ているのでしょう。あとは、私たちが向かうのみ。すぐに参りましょう。形式的には、私がホストです……茶をお出しせねば」




