第76話 中間管理職たちの焦り
重力に引かれて、ムサシの体は加速度的に落下した。
恐怖と闘いながら、カオルは両腕を胸元で十字に組み合わせた。
「変身ッ!」
紫色の光が、ムサシの体をおおう。変身の完了と、彼の靴底がコンクリートの地面にぶつかるのとは、ほぼ同時だった。足の裏から体の芯まで、強烈なしびれが走った。
骨折を覚悟したムサシだが、恐る恐る膝を立てると、痛みは感じなかった。どうやら、そこまでちゃちな設計にはなっていないらしい。御湯ノ水博士に感謝しつつ、ムサシは耳を澄ませた。
……屋上から、小走りな足音が聞こえた。ヘルメットで増幅された聴覚が、柳生影勝の動きをとらえた。
(追って来る気か……)
ヒーローモードになったことは、おそらく変身時の光でバレただろう。だとすれば影勝は、ムサシのヒーローモードを恐れていないことになる。いくらなんでも、強化スーツとまともに渡り合えるとは思えないのだが──
そう考えたムサシの脳裏に、さきほどの会話の一部がよみがえった。
私が隠密課の最高責任者であり、蘆屋道遥と張り合える唯一の常人だからだ
(なにか秘密があるのか? 蘆屋と張り合えるとなると、相当な……)
しかし、それがなになのかは、まったく分からなかった。ムサシは、影勝の足音が消えたことを確認し、薄暗い路地を左右に見渡した。着地時は目が慣れていなかったので気付かなかったが、あたりには死体がいくつも転がっていた。獣に引き裂かれたような傷は、虎になった十三不塔のものだろう。
「一向聴たちは、どこへ行ったんだ?」
戦闘が終わったなら、救出しに来てくれてもよかったものを。ムサシは内心、見捨てられたような感覚におちいった。
……味方をうらんでも、仕方がない。気を取りなおしたムサシは、作戦を練った。影勝が地上へ降りてくるには、まだ時間が掛かるはずだ。逃げるか、戦うか。それを決めなければならない。
逃げるという選択肢は、一見もっともらしかった。けれども、ひとつ問題があった。ムサシは、上海の地理を知らないのである。このビルへは、一向聴たちに案内されて来た。だからアジトまでの道は、さすがに覚えていた。しかし、それをたどって逃げるということは、影勝にアジトの場所を教えているようなものだ。
逃亡という選択肢を切り捨てたムサシは、戦う道を選んだ。あるいは少なくとも、一向聴たちと合流しなければならなかった。
「あいつら、どこへ行ったんだ」
悪態を吐きそうになるのを我慢して、ムサシは左手の道を選んだ。王のアジトとは、逆方向である。さしあたり、カモフラージュというわけだ。
敵に出くわさないことを祈りながら、ムサシは闇の中へと消えた。
○
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目の前の非常階段を、人影が降りて行く。月明かりを避けつつ、一向聴は、その足音が遠ざかるのを待っていた。もどかしい時間が続き、一向聴は両手を閉じたり開いたり、身動きするのを必死に我慢していた。
1分ほど経っただろうか。鉄板を踏む音が消え、一向聴は物陰から顔をのぞかせた。
「……行ったアルか?」
「さあ」
隣に隠れていた十三不塔が、返事をした。
少々声が大きかったので、一向聴はなじるような視線を返した。
「どうする? 追いかける?」
十三不塔は悪びれた様子もなく、そう質問した。
一向聴は物陰から飛び出し、踊り場に着地を決めた。カーンという金属音が鳴り、彼女は思わず体をすくめた。
「ねえ、追いかけるの?」
「追いかけるに決まってるアル。さっさと行くヨ」
追跡の第一歩を踏み出そうとしたところで、一向聴はそでを引かれた。
ふりかえると、十三不塔はひどく真面目な顔をしていた。
「どうしたネ? 怖いアルか?」
「さっきの男が持ってた刀、見なかったの?」
一向聴は、記憶を掘り起こした──あまり覚えていない。
自分の集中力のなさを棚に上げて、一向聴は十三不塔の腕をふりはらった。
「刀なんか、怖くないネ。白羽取りしてやるヨ」
「さっきのは、村正だよ」
「むらまさ……?」
武器の名前など、いちいち覚えていない。
そう言いかけた一向聴は、すぐに青ざめた。
「ま、まさか、あの妖刀アルか?」
「そうだよ……下手に動くと、こっちがやられちゃう」
村正。情報音痴な一向聴でも、耳にしたことのある名前だ。噂によれば、邪気を払い、敵の能力を封印することができると言う。真偽のほどは分からないが、もし本当ならば、一向聴の能力も、十三不塔のそれも、あの男の前では役に立たないだろう。
一向聴は歯ぎしりして、怒ったように右腕をふりまわした。
「ムサシは絶対勝てないアル! 隠密課の課長相手じゃ、分が悪過ぎるヨ!」
「静かに。興奮しないで。黒金くんだって、ヒーロースーツとか、魔法のステッキとか持ってるんだから、そんなすぐにはやられないって。僕たちは安全策を取らないと」
「じゃあ、早く策を言うアル」
注意を受け、声を落とした一向聴だが、自分でも分かるほどに興奮していた。さきほどの殺戮劇で、興奮してしまったらしい。そのことに気付いた一向聴は、ふんと鼻を鳴らし、両腕を組んでそっぽを向いた。
「そう急かさないでよ……隠密課の課長を倒すなんて、天和からは指示されていないんだ。僕たちの仕事は、あくまでも北京警察の撃退なんだからね」
「北京警察は、絶対に隠密課と組んでるアル。どのみち同じことネ」
そう息巻く一向聴をよそに、十三不塔は額をこつこつたたいた。
「四風仙ふたりなら、普通は勝ったとしたもんだけど……あの刀が邪魔なんだよね……噂が本当なら、お姉ちゃんの自滅を誘う技も、僕の変身能力も、全部無効化されちゃうかもしれないし……」
「試してみればいいアル。サイドからちょっかいかければ、すぐ分かるネ」
「命懸けのチェック方法だね……」
「そんなことないヨ。一撃離脱すればいいアル」
我ながらいいアイデアだと、一向聴はそう思った。
しかし十三不塔は、どうにも煮え切らない顔をしていた。そこまで命が惜しいかと、一向聴はだんだん腹が立ってきた。
「男らしくないネ! さっさと覚悟を決めるアル!」
「男らしいとか、らしくないとかじゃなくて、組織全体のことを考えてよ。僕とお姉ちゃんがやられたら、戦力ガタ落ちなんだよ?」
十三不塔の正論に、一向聴はその場で足踏みをした。
「やっぱり天和の作戦が悪いネ! あいつに任せちゃダメよ!」
いくら天和が千里眼の持ち主とは言え、音をひろうことはできない。だから、仮に監視されているとしても、悪口は言いたい放題なのだ。直情的な一向聴は、天和のことがあまり好きではなかった。なにを考えているのか分からない韜晦趣味が、気にさわるのである。
「十三不塔、そろそろ考えはまとまったアルか?」
十三不塔はあごに手を当てたまま、身じろぎもしなかった。
さらに30秒ほど考え、ようやくくちびるを動かした。
「裏社会でささやかれてるってことは、ただの噂じゃないと思うんだよね……村正の性能確認に命を張るくらいなら、最初からそういう能力があると決めてかかったほうがいいと思う」
「大は小を兼ねる、アルね!」
「な、なんか違う気がするけど……まあ、いいや。とにかく、あの男の後を追おう。ただし、手は出さないでね。あの男が村正を手放す隙を狙うんだ。それしかないよ」
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がっぷり四つに組んだゲンキと一気通貫は、見えない土俵の上で激しい相撲を取り合っていた。地面についたら負けというわけではない。ただ少しでも妥協すれば、その時点で一気に押し倒されてしまいそうなほどのせめぎ合いが、ふたりの間で緊張の糸を張っていた。
「この脳筋野郎……」
ぎりぎりのところで踏ん張りながら、ゲンキは歯ぎしりする。
ジャンはどこへ行ったのだ。あのマーシャルという男の方を担当しているはずなのだが──戦闘音だけは聞こえるが、振り向けばそれだけで押し切られてしまう。そう考えたゲンキは、目の前の狼女との戦いに集中した。
すると一気通貫は、
「マーシャル! その宇宙人をさっさと倒せ!」
と、耳元でさけんだ。ゲンキは、頭がガンガンする。
しかし、それ以上にゲンキを混乱させたものがあった。どうやら、ニッキーが応援に駆けつけてくれたらしい。となるとジャンのほうは、2:1になっているだろう。後ろを確認できないもどかしさに苛立ちながら、ゲンキは女を押し返した。
「マーシャル!」
「お静かに! 取り込み中です!」
マーシャルの怒声。それに続いて、ニッキーの声が聞こえてきた。
「ゲンキくん! もう少し粘ってくれ!」
やはりニッキーだ。一気通貫のハンマーではじき飛ばされた後、追いかけてきたのだろう。声の調子からして、怪我をしている気配はなかった。
マーシャルと一気通貫に囲まれたときは、内心あきらめかけていた。ニッキーがいてくれれば心強い。ゲンキは、体の中で力が湧いてくるのを感じた。
「イッキツウカン殿! その少年を倒して、こちらへ加勢をッ!」
マーシャルが助けを求めた。
合流させてはいけない。ゲンキは、一気通貫の腰に回した手に、力を込める。
一気通貫は踏ん張りながら、
「くっそォ! さっきから肩の調子がおかしいぞッ!」
と、吐き捨てるように怒鳴った。
彼女の調子がおかしいことは、ゲンキも勘づいていた。最初に戦ったときと比べて、パワーが落ちているからだ。首筋に決まったジャンの蹴りで、関節がおかしくなっているのだろう。ゲンキは、そう読んだ。
肉弾戦しかできない狼女。チャンスだ。
「おりゃあああああああッ!」
ゲンキは左脚に重心を移し、彼女をうっちゃりにかかった。
「ぐおッ!」
一気通貫は左脚を高く上げ、むりやりバランスを取ろうとした。
しかし、それがゲンキの狙いだった。ギヤを切り替えて一気通貫に体重をかけ、そのままのしかかるように地面へと組み伏した。
「しまッ!?」
背中から倒れ込み、砂ぼこりが舞う。
一気通貫はゲンキの下で暴れながら、咆哮を上げた。
「うっせえ! おとなしくし……痛ッ!」
肩に痛みが走った。見れば、一気通貫の鋭い牙が、スーツに食い込んでいた。
「まらまら……」
「おまえは、それしかできねえのかよッ!」
ゲンキは自分の首を持ち上げ、狼女に頭突きをくらわせた。石と石のぶつかったような鈍い音が、ゲンキと一気通貫のあいだで鳴った。
一気通貫はあごをはなし、後頭部をコンクリートにしたたか打ち付けた。
しかし、案の定と言うか、一気通貫は失神もせず、もう一度噛み付こうとしてきた。ゲンキは右手を振り上げ、女の顔を正面から殴りつけた。くちびるが切れ、一筋の血が流れた。
「いい加減に、おとなしくしろッ! さもねえと……」
その瞬間、ゲンキの体が宙に浮いた。巴投げの要領で、空中に放り出されたのだ。それに気付いたゲンキは、寸でのところで両手を伸ばし、頭から地面に突っ込むのを回避した。
背後で軽快な着地音がする。ふりかえると、倒れていたはずの一気通貫が立ち上がり、臨戦態勢をととのえていた。右手で、口元からしたたる血をぬぐっていた。
「格闘技で私に勝とうなんて、100年早いぞ!」
ゲンキは歯を食いしばる。不利ではない。だが、勝てそうにもなかった。HPが無限の敵と戦っているような、そんな感覚におちいってしまう。弱点はないのか。
ゲンキは、助けを求めるように、ニッキーを捜した──いた。数十メートル離れたところで、ジャンと一緒に戦うニッキーの姿があった。
「よそ見するなッ!」
襲い掛かってきた一気通貫の突進を、ゲンキはひらりとかわした。
一気通貫は俊敏にターンし、そのまま爪で攻撃をしかけてきた。ゲンキは膝を曲げてかがみ込み、頭上で爪が空を切った。命中しなければ、なんと言うことはないのだ。
ゲンキはニッキーの名を呼ぼうとした。しかし、ニッキーはニッキーで、マーシャルの剣舞に対処していた。ときどきジャンがちょっかいをかけるものの、あまり役立っていないように見えた。
一気通貫の腕が振り上げられる。ゲンキは彼女の脚をはらい、地面に転倒させた。けれども、それを組み伏せようという気は起こらなかった。また噛み付かれるに決まっている。とにかく、絡み付かれたら面倒なのだ。
ゲンキはいっそのこと、魔法少女に変身しなおそうかと思った。
するとニッキーの声が聞こえた。
「ゲンキくん! 早く始末するんだッ!」
ニッキーの指示に、ゲンキは拳をにぎった。
「気軽に言うなッ! こっちは真剣に……ッ!?」
ジャンプ。勢い余った一気通貫が、足下を猛烈なスピードで通り過ぎた。
猪突猛進とはこのことだ。ゲンキはそのまま、一気通貫の肩に蹴りを入れた。
「ぐうッ!」
どうやら、関節がぐらついている部分に命中したらしい。一気通貫は苦痛に顔をゆがめ、左膝を落とした。初めての仕草に、ゲンキは手応えを感じた。数メートル離れたところへ着地して、もう一度攻撃の機会をうかがった。一気通貫は右肩を押さえながら、すぐに膝を立てた。
にらみ合うゲンキと一気通貫。ゲンキが相手のわずかな動きにも警戒していると、ふいに彼女の耳が動いた。
「……なにか来るぞ」
ゲンキに聞かせるつもりだったのか、それとも独り言だったのか、一気通貫はそうつぶやいた。最初は罠かと思ったが、ヒーロースーツで増幅された彼の聴覚も、遠くに鳴り響く機械の音を捕捉し始めた。
……飛行機か。いや、ヘリだ。プロペラの回転音が聞こえる。
一気通貫はさけんだ。
「マーシャル! ヘリがこっちに来るぞッ!」
ニッキーと戦っていたマーシャルは、ひと太刀まじえた後、ひらりと宙を舞い、手近なビルの屋上へ逃げ込んだ。ニッキーたちの動きを牽制しながら、空を見上げた。
「北京警察ですかッ!?」
大声で確認を取るマーシャル。
一気通貫は耳をそばだて、ぐるるとうなり声を上げた。
「……クレムリンかもしれないぞ! 軍用機だ!」
その返答に、マーシャルはわずかに顔をしかめた。
舌打ちでもしたのだろう。ゲンキは、一気通貫のスキを突こうと思った。が、特段のスキは見当たらなかった。むしろ彼女のほうこそ、すぐにでも決着をつけたがっているようだ。ヘリが敵のもので、ふたたび三つ巴になるのを恐れたのかもしれない。ゲンキたちとしては、そちらのほうが助かるのだが──
そこへ、ニッキーがわりこんだ。
「ゲンキくん! ジャンくん! ここは私に任せて、アジトに突っ込むんだ! この道を南に真っ直ぐ走れ! 廃墟になってるスタジアムの地下だ!」




