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第75話 妖刀村正

「どうした? なにをぼやっとしている?」

 柳生(やぎゅう)影勝(かげかつ)と名乗った男の声で、ムサシは我に返った。

 あたりは、底知れぬ静けさにおおわれていた。ビルの近くで鳴り響いていた銃声も、今や闇の中で沈黙し切っていた。一向聴(いーしゃんてん)たちは、勝ったのか、負けたのか。ムサシの思考は、次第に曖昧になっていく。

黒金(くろがね)ムサシくん……私の話を聞いているのかね?」

 影勝はやや語気を強めて、同じことをたずねた。苛立っているようには見えない。それどころか、ムサシよりも落ち着き払っているようにすら思われた。

 男が敵であることは、ムサシも認識していた。しかし、影勝のほうは、ムサシを懐柔するために、何度も甘い言葉をかけてくる──降伏しろと言っているのだ。

「今なら、まだ間に合う。隠密課も、君たちの復帰を快く受け入れるつもりだ」

「おまえたちの計画を台無しにしたのに……か?」

 ムサシは、敢えて挑発する手に出た。このままでは、相手の口車に乗せられてしまう。影勝の調子を乱し、失言を引き出さなければならない。そう考えたのだ。

 ムサシは刀の束に手を伸ばしたまま、影勝の返事を待った。

「作戦にイレギュラーはつきものだ。今回は、君たちが蘆屋(あしや)一族と(おう)傑紂(けっちゅう)の甘言に惑わされただけのこと。君たちはまだ若いし、経験も未熟だ。当局としては、仕方のないことだととらえているよ」

(しのぶ)は? 彼女も上海に来ているんだろう?」

 なぜ忍の名前を出したのか、それはムサシにも分からなかった。時間稼ぎのつもりだったのか、それとも本当に彼女の所在が気になったのか、あるいは、忍に裏切られたという記憶が、否応が為しにでもその名前を口にさせたのか。

 ムサシが戸惑っている間、影勝も微妙な反応を見せた。やや表情が硬くなった気がする。気のせいだろうか。ムサシは目を細め、少ない星明かりと夜景を頼りに、様子をうかがった。

「……彼女は、上海には来ていない」

 影勝の返答を、ムサシは2通りに解釈した。ひとつは、嘘を吐いている可能性である。影勝の置いた妙な間からして、ムサシはその可能性が非常に高いと見た。忍は、上海に来ているのではないだろうか。

 けれども、それとは別に、忍の身になにかあったのではないかという、自分でもどこから来たのよく分からない考えが、少年の脳裏をよぎった。影勝は、忍が上海に来ていないことそれ自体ではなく、来ていない理由のほうを誤摩化したのではないか。

 ムサシは、慎重にさぐりを入れた。

「本当に来ていないのか?」

「来ていなかったら、どうだと言うのだね?」

 忍の情報を教える義理などないと、影勝はそんな調子で返した。正論だった。

 ムサシは、言葉をさがす。

「……忍の裏切りについて、彼女の口から弁明を聞きたい」

 うまい口実だ。ムサシは、冷静に自画自賛した。

「裏切り? ……なんの裏切りだね?」

「とぼけるな。蘆屋討伐のために、清美を自爆させたことだ」

 沈黙。さすがに反論できまいと、ムサシはタカをくくった。

 けれども影勝は、眉ひとつ動かさずに、先を続けた。

「それは誤解だ。緑川(みどりかわ)くんを利用した覚えはない」

「嘘をつくな。俺は、清美の口から直接聞いたんだ。あんたたちが裏切った、とな」

「清美くんの口から直接……ということは、現場を見ていないんだろう?」

 影勝の推測は、当たっていた。あのときムサシは、いや、ともえは、オルレアンの魔女に救出され、すでに七王子公園を脱出していたからだ。清美がどのようにたぶらかされたのかは、ムサシの目撃したところではなかった。

 ムサシの動揺を見計らったかのように、影勝は先を続けた。

「図星のようだな。ならば君には、我々の弁明に耳を傾ける義務が……」

「そんなものはない」

 ムサシはそう言いはなつと、相手の言葉をさえぎった。影勝も顔を上げた。

「……我々の話を聞く気がないのかね?」

「ない……清美が裏切られたと言っている以上、俺は清美を信じる。あんたらがなんと言おうが、それは関係ないことだ」

「友人を信じるというわけか……だが、緑川くんの言を信じるのは、少々危険ではないかね? 彼女は、蘆屋道遥にかどかわされているのだ。君も気付いているのだろう?」

 痛いところを突いてくる。ムサシは、慎重に言葉を選んだ。

「清美は……蘆屋のことを愛してるだけだ」

 愛という言葉が似つかわしいのか、ムサシはその答えを保留した。

 影勝も、そこを攻めてきた。

「その愛がただの錯覚で、本当は幻術にかかっているとすれば?」

「……清美は、七王子の道ばたで蘆屋と出会って、一目惚れしたんだ。あのとき、ふたりはお互いの正体を知らなかった。だから、清美の愛は本物だ。幻術なんかじゃない」

「それが最初から、蘆屋の罠だとしたらどうする? 蘆屋が緑川くんの正体を知らなかったという保証は、どこにもないのだよ? どこかで機密が漏れたのかもしれない」

 ムサシは口をつぐんだ。論破されたからではない。影勝は、清美が洗脳されている可能性をほのめかしているだけで、なんの証拠も提示していなかった。結局のところ、議論を曖昧にしているだけである。そのことが分かっているムサシは、軽くタメ息をついた。

「これ以上は時間の無駄だな……あんたが言ってるのは、全部詭弁だ」

「詭弁のつもりはないのだがね。私は、妄信する危険性を指摘しているだけだ」

「清美を信じるか、あんたを信じるか……どっちかに賭けるしかない。だったら、清美を信じる。それだけのことだ……もう、曖昧な態度を取れる状況じゃないからな」

 ムサシはそう言いならが、自分が深みに嵌まっていることに気が付いた。どこかで離脱のタイミングがあっただろうか。ムサシは、記憶をさかのぼらせた。

 ……ない。七丈島でリストウォッチを受け取ったときから、こうなることは決まっていたかのようにすら思えてくる。あるいは、もっと以前から……双性者(ヘテロイド)として生まれたときから……。

「これは独り言だが……俺は七丈島からここまで、間違った道を選んでいないと思う……少なくとも、俺には、他の選択肢が思い浮かばない……」

 自分に言い聞かせるように、ムサシはそうつぶやいた。本心だった。

「ならば、これが最初の選択ミスになるぞ。隠密課に復帰したまえ」

 選択ミス。その可能性は、十分に考えられた。

 綱渡りの連続。ムサシは視線を落とし、一時いっときのあいだ、沈黙した。

「……断る」

 ムサシの答えに、影勝はうっすらと笑みを漏らした。

「説得は失敗……か」

 影勝もまた、刀の束に手を伸ばした。にわかに緊張が走った。

 だが、すぐには抜かなかった。

「最後にひとつだけ訊かせて欲しい……ムサシくん、君は最初、時間稼ぎの作戦に出ていたはずだ。なぜ対話を止めた? 私に勝てる自信が出てきたからか?」

 影勝の問いに、ムサシはうつむき加減のまま、答えを返した。

「いや……正直、あまり勝てる気はしない……ただ……」

 ムサシは、言葉をにごした。言ってよいものかどうか、逡巡したのである。

 影勝も先をうながさず、じっとムサシの瞳を見つめてきた。

「ただ……仲間が帰ってくる様子もないしな……俺ひとりで腹をくくるときがきた……そう考えただけだ。いい加減、足手まといとガキの使いはうんざりなんでな」

「勝てないと知りつつ、踏み込んだか……その勇気だけは褒めてやろう」

 抜刀の音がふたつ、闇夜にとどろいた。

 影勝は上段に、ムサシは中段にかまえた。

 ……できる。相当な手練だ。ムサシは自分の無謀さに、あらためて驚いた。

「俺にも、ひとつだけ質問させてもらえるか?」

「なんだ? 怖くなって、時間稼ぎにもどるか?」

 違う。そう言いかけたが、ムサシはそれを飲み込み、問いへと直行した。

「なぜトップのあんたが出て来たんだ? 部下に任せときゃよかっただろ?」

 純粋な好奇心と言ってしまえばそれまでだが、ムサシには別の疑念があった。隠密課という影の政府機関に属していながら、前線に立とうとする影勝が、奇妙に思えたのだ。こういう手合いは普通、裏から手を回して、自分が手を汚すことはない。ムサシは、なんとなくそう信じていた。

 鼻で笑われるかと思いきや、影勝は真面目に答えを返した。

「私が隠密課の最高責任者であり、蘆屋道遥と張り合える唯一の常人だからだ」

「ずいぶんと、まともな答えだな……俺の中で、イメージが変わったよ。もっと……金に汚いやつだと思ってた」

「それは心外だ……どこからそう判断した?」

「あんた、黒井建設の社外取締役なんだろう?」

 天下りだ。そう言いたかったのである。

 けれども、ムサシが皆まで言い終える前に、影勝は口をひらいた。

「黒井建設は、蘆屋一族に対抗するためのダミー会社だ。環境テロを繰り返す蘆屋一族が目をつけそうな仕事は、全てうちが担当する。一種のカモフラージュに過ぎない」

「うまいこと言ってるが……そこから金を吸い上げてるのは事実なんだろ? まさか無報酬で働いてるわけじゃないはずだ。それに、環境テロだって言うが、先に環境破壊をしているのは、あんたらのほうじゃないのか? 七王子自然公園を潰そうとしてたのも、確か黒井建設だったと記憶してる」

 ムサシの難詰を、影勝は鼻であざわらった。

「七王子自然公園は、もう採算があってなかったんだよ。維持管理費ばかりが嵩む代物だ。現在の日本経済にとって必要なのは、雇用。この雇用を創出するためには、公共事業が必要なのだ。それは、戦後100年間、一度も変わったことのない、この国の経済政策。それを妨害する蘆屋一族には、消えてもらう」

 天下国家に話がおよび、ムサシは多少ひるんだ。

 それを見とがめた影勝は、先を続けた。

「君たちが蘆屋一族に加担するのは、社会に対するマイナス以外の何物でもない。事実、七王子自然公園の工期は、あの件で無期限延期になってしまったからな。どれくらいの人間が路頭に迷うと思う? その社会的損失について、蘆屋一族は、鐚一文びたいちもん責任を負わない。君たちも、それでいいのかね?」

「それは……」

 ムサシは口をつぐんだ。反論が思い当たらなかった。

 しかし、傷付いた清美の姿が思い起こされ、ムサシは剣をにぎった。

「俺の友人を殺す理由にならない」

 はっきりと言い放ったつもりだった。けれども、声は震えていた。

 影勝はほんのわずかに、刀身の角度を変えた。

「くだらんな……実の息子を殺すのは気が引けるが、これも国のためだ。悪く思うなよ」


  ○

   。

    .


 ヘリの後部座席で、御湯ノ水(おゆのみず)は緊張していた。

 あの後、誰にも見とがめられずに、不死伯のヘリに乗り込んだ博士は、相手の目的も分からぬまま、こうしてシートに腰を下ろしていた。

 不死伯はくつろいだ様子で、彼のとなりに座っていた。

「……どこへ連れて行くつもりだ?」

 窓から上海の夜景を眺めていた不死伯は、御湯ノ水の存在に気付いていなかったかのような顔で、わざとらしく振り返ってみせた。

「なにか?」

「……どこへ向かっているのだ?」

 不死伯は肩をすくめ、小馬鹿にしたような鼻息を漏らした。

「上海ですよ」

 御湯ノ水は、眉間に皺を寄せるのを我慢しながら、もう一度たずねた。

「上海のどこへ? (わん)のアジトか?」

「敵のアジトへいきなり乗り込むほど、私はずうずうしくありません……おっと、そんな顔をしないでください。別にふざけているつもりはないのです。こちらとしては、できるだけあなたに協力したいと思っているのですから」

 悪びれない不死伯に、博士は並々ならぬ苛立ちをおぼえた。しかし、クレムリンから連れ出してくれた恩もあり、今はじっと耐えた。ここで引き返されては、ゲンキたちに新型リストウォッチを手渡すことが、不可能になってしまうからだ。

 だが本当に、ゲンキたちのところまで連れて行ってくれるのだろうか。御湯ノ水は、ヘリの中で、何度もそう自問自答しかけては、その問いを引っ込めていた。今さらサンジェルマンを疑ったところで、どうにもならないのである。

 唯一信頼できることと言えば、不死伯がここまでの道中、一度も新型リストウォッチに関心をもたなかったことだろうか。見たいとすら言わなかった。

「……」

 気まずい沈黙が流れる。

 そこへ、甲高い通信音が入った。操縦士は二、三言葉を発し、前を向いたまま、後部座席に声をかけてきた。

「サリカ様から、通信が入っております」

 サリカ。御湯ノ水は、その名前を聞き知らなかった。

 一方、サンジェルマンは、さきほどよりも強く反応を示した。

「なんの用だ?」

「用件はおっしゃっていません。サンジェルマン様と話をなさりたいそうです」

 指名されたにもかかわらず、不死伯はふたたび夜景に目を向けた。

「……通信を遮断しろ」

「ハッ?」

 操縦士は、運転中だと言うのに、首を後ろに曲げた。

「今、なんと……」

「通信を遮断しろ……弁明は、あとで私がする」

 操縦士は狼狽したように、口をパクパク動かしていたが、やがて前に向きなおった。

 ヘルメットの横で、赤いランプが何度も点滅する。呼び出しを受けているのだろう。

 何度かためらった後に、彼はようやく通信を返した。

「こちらF12、こちらF12、通信を傍受されているため、回線を遮断します」

 そう言って操縦士は、パネルのボタンを操作した。ランプが消えた。

 不死伯は満足げにうなずくと、三たび夜景に目を移した。

 仲間割れか? 御湯ノ水は、今のやり取りをいぶかった。不穏な空気がただよう。見つめられていることに気付いたのか、不死伯は窓ガラスを向いたまま、口元を動かした。

「夜景が奇麗ですぞ。今宵、見納めになるやもしれませぬし、存分にお楽しみください」


  ○

   。

    .


 疾風のごとき切っ先が、ムサシの頬をかすった。コンマ数ミリの差が、ムサシを流血から救った。

 強い。柳生影勝の踏み込みを前にして、ムサシは防戦に追われていた。反射神経のみならず、相手の一歩先を読む勘が、ムサシの命を辛うじて繋ぎ止めていた。

「降参したらどうだ? いつでも受付けるぞ?」

 ふたたび上段の構えを取りながら、影勝はムサシに投了をうながした。

 だんだんと息の上がり始めたムサシとは対照的に、影勝は一抹の疲れも見せていない。鍛え方が違うのか、それとも修羅場の数の問題なのか。

 その両方かもしれない。さらにムサシはそこへ、第三の理由を付け加えた。

「さっきの台詞は、どういう意味だ?」

 ムサシは呼吸の乱れを悟られないように、語調をととのえた。

 しかし、言葉の端々が、どうしてもかすれてしまった。風のせいだと思ってくれればいいが。ムサシは、はかない期待をいだいた。

「意味? ……負けを認めろと言っているのだよ」

「そいつじゃない……太刀をまじえる前の台詞だ……」

 ようやく理解したという呈で、影勝は笑い返した。

「私が、おまえの父親だという話か?」

「そうだ。どうして雑な心理戦に出た?」

「心理戦? ……ただ事実を述べたまでだ。おまえという双性者(ヘテロイド)を作る際、精子の提供者になったのは、この私だよ」

 ムサシのなかで一瞬、時が止まった。

「……嘘だ」

「嘘ではない。おまえも薄々勘付いているのだろう。面立ちと体付きが、お互いに似通っていることにな」

「嘘をつくなッ!」

 ムサシの絶叫は、海風に呑まれて消えた。バランスを失いそうなほどの強風が、真夜中の上海を襲う。その間隙かんげきを突いて、影勝は地面を蹴った。

「チッ!」

 ムサシは刀身をすり合わせ、敵の攻撃を受け流した。

 かわした。そう信じたムサシだが、突如左腕に触れた風を通じて、その誤りに気がついた。

 ……袖口が切り裂かれていた。ほつれさえ見せない、完璧な切り口。ムサシは戦慄した。

「今のは、いい動きだった。左腕一本、持って行く予定だったのだがね」

 脅迫のつもりか、あるいは真実を述べているだけなのか、ムサシには見当がつかなかった。ひとつだけ分かることと言えば、影勝には、そうしようと思えばいつでもそうするだけの、力量が備わっているということだけである。

 影勝は歩を進め、ムサシは後退する。実力のかたよりは、もはや明白だった。

「ひとつだけ忠告しておこう……それ以上引くと、死ぬぞ」

 かかとが宙に浮き、ムサシはハッとなった。

 ……行き止まりだ。屋上の端に来てしまったのである。今の動揺は、影勝にとって、絶交のチャンスだったに違いない。それを利用しなかったところを見ると、影勝は本気で、ムサシに降伏を迫っているように思われた。

「……」

 ムサシは刀を下ろす。銀色の刀身を、鞘に納めた。

「最初から、そうすればいいのだよ。では、私に……ッ!?」

 影勝の体が強ばった。ムサシはそれを、天地逆転の体勢で視界にとらえた。

 彼の体は宙に舞っていた。

「死ぬ気かッ!?」

 ビルの谷間へと飛翔したムサシは、自分の意識が闇に溶け込んで行くような、そんな錯覚に囚われた。

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