第73話 スーパーヒーロー
ゲンキは追われていた。振り切ったと思いきや、いつのまにか追いつかれてしまった。
「追ってくんなッ!」
自分でも無意味だと分かる台詞を叫びながら、ゲンキは後ろをふりむいた。鬼火に誘導された一気通貫が、ゴミ箱を蹴散らして、狭い通路を疾走していた。あのゾルゲとの戦いがどういう顛末をたどったのか、ゲンキは知らなかった。ひとつだけ分かるのは、一気通貫が単独行動に出ているということだ。ゾルゲを負かしたのか、まいたのか、和解したのか。とにかく共闘ではないようだった。
不幸中の幸い。そんな言葉が、ゲンキの脳裏をよぎった。問題は、一気通貫の脚力だ。豆粒のように見えたかと思いきや、すでに背後数メートルのところまで迫っていた。ヒーロースーツによる強化も、狼女を前にしては無力だった。
「くッそぉ! 親父、もっとマシなアイテム作れよッ!」
不在の義父をなじりつつ、ゲンキは相手との間合いをはかった。
一気通貫は、裸足で最後のスパートをかけた。そのタイミングに合わせて、ゲンキは腰を思いっきりひねり、カウンターの要領で全体重をかけた。
衝撃──急ブレーキの摩擦で、ヒーロースーツの靴底から火花が散った。
決まったか。そう思ったゲンキだが、感じるのは右手に走った痛みばかり。一気通貫は腕をクロスさせ、それを盾にしてパンチを受け止めていた。
二の腕の向こうで、一気通貫はにやりと笑った。
「いいパンチだ……60点」
「どういう基準なんだよッ!」
ゲンキは一歩後ろに飛びのき、今度は右脚を軸に蹴りをはなとうとした。
それよりも速く、一気通貫の爪が胸元をかすめた。布が破けるような、いやな音がした。ゲンキは蹴りを中断して、よろめきながら2、3歩後ろに下がった。
「……げッ!」
ゲンキは驚愕した。スーツに裂け目が走っていた。
まさかの破損。もっと丈夫な素材を使えと、ゲンキはいきどおった。
「おいッ! オレたちは修理できないんだぞッ!」
錯乱するゲンキの前で、一気通貫は犬歯を見せて、顔をほころばせた。
「おまえたち、全然大したことないな。北京警察のほうが強いぞ」
「うっせえッ! こちとら、ただの高校生なんだよッ!」
「じゃあ死ねッ!」
会話の脈絡も気にせず、一気通貫はふたたび踏み込んできた。
ゲンキは寸でのところで、彼女の攻撃をかわした。素肌がむき出しの部位を狙われた。間の抜けた言動を見せる一気通貫だが、さすがは戦闘のプロらしい。強化スーツの保護がない箇所に爪が当たれば、それで終わりである。
「よけるなッ!」
二連、三連と、ゲンキの目の前で空気が切り裂かれた。
(よけるだけで精一杯じゃねぇか)
ゲンキは焦燥に駆られた。そしてその焦りが、ゲンキの脚をもつれさせた。
逃げる方向を誤り、背中が壁に激突した。
「トドメだッ!」
一気通貫が右腕を振り上げた瞬間、路地裏が黄色に染まった。
一気通貫はなにやら悲鳴をあげて、後頭部を押さえた。
見上げると、黄色いひらひらのスカートが、ベランダに揺れていた。
「ジュリア! パンツ見えてるぞ!」
ゲンキは助かった悦びのせいで、足を動かすのが遅れた。
ジュリアはベランダに食らいついた。
「さっさと逃げんかいッ!」
脳天に魔法弾を喰らった一気通貫は、膝を落として頭をさすっていた。
気絶させるのは無理なのか。できれば、この場で決着をつけてしまいたかった。逃走劇は、ゲンキたちに分が悪い。逃げ切る自信がなかった。
「ゲンキッ! ほんまさっさと逃げえやッ!」
ジュリアの催促。ゲンキはそれを無視して、一気通貫の顔面を殴りあげた。女性に暴力を振るうのは、気が引けたものの、今はそれどころではなかった。ふいを突かれた一気通貫は、そのまま後ろに転倒した。
「おいッ! ジュリアも手伝えッ!」
「逃げたほうがええてッ! あのゾルゲとか言う奴が来るかもしれんやろッ!」
「あいつは喧嘩してただろッ! 助けには来ねえよッ!」
方針がちぐはぐになる。その間にも、一気通貫はひじを突いて、上半身を起こした。
ゲンキは振り向きざまに、もう一度パンチを入れた。鼻血が飛び、一気通貫はコンクリートの地面に、後頭部をしたたか打ち付けた。
だが、それでも気絶する気配はなかった。このヒーロースーツのパワーでは、倒せないのではないだろうか。無理ゲーな予感がしてきた。
「くそッ! やっぱ逃げるしか……」
その瞬間、足首に強烈な痛みが走った。
「いでえええッ!?」
飛び上がりかけたゲンキを、なにかが引きずり下ろした。
視線を落とすと、足首に噛み付いた一気通貫の姿があった。
一瞬の隙を突かれた格好に、ゲンキはコンビネーションの悪さを痛感した。
「放せッ!」
ゲンキは、噛み付かれていない右脚で、一気通貫のこめかみを蹴り上げた。一気通貫は苦痛に顔をゆがめたものの、あごを緩める気配はなかった。完全に食いつかれた形だ。
「ジュリアッ! 魔法弾ッ!」
「さっき撃ったばっかやッ!」
ゲンキは舌打ちして、すぐさま性別転換のポーズを取る。
こうなったら自分が魔法少女に変身して、魔法弾を狼女に直撃させるしかない。そう考えたのだ。そのためにはまず、性別を変更しなければならなかった。
「性別……」
「あかーんッ! 変身解いたら、足首喰い千切られるでッ!」
ジュリアの警告に、ゲンキはぎりぎりのところで変身を回避した。
魔法弾と顔面パンチのダメージから回復した一気通貫は、足首に噛みついただけでなく、両腕を脛に絡めてきた。こうなっては、振りほどきようがなかった。それどころか、地面に押し倒されてしまいそうな勢いだ。
ゲンキがパニックに陥りかけたところで、再度、路地裏が黄色い光に包まれた。
「黄山ジャン、参上やッ!」
男に性転換し、ヒーロースーツに身をつつんだジャンは、ベランダから飛び降りた。重力の作用を利用して、そのまま地面ではなく、一気通貫の首に着地した。
ゴキッ、という気味の悪い音に、さすがのジャンも鳥肌が立った。
「こ、殺してもうた……?」
ヘルメットの遮光ガラスの向こう側で、ジャンの顔が青ざめた。
やり過ぎたか。場違いな心配をよそに、一気通貫の体が動いた。
「ひょひぇひゅひゃひひゃひひゃひゃひ」
なにを言っているのか分からないが、どうやら生きているらしい。
そのことが、かえってゲンキの鳥肌を増幅させた。
「こいつ……不死身かよ……ッ!?」
「いえ、彼女は不死身ではありません」
聞き慣れぬ男の声。ゾルゲのそれかと思ったが、声音はもっと若かった。
ゲンキは、足首の痛みも忘れて、周囲を見回す──誰もいない。
「上やッ!」
ジャンは、ビルの屋上をゆびさした。ゲンキも視線を上げた。
するとそこには、近世風のマントを羽織った青年が、剣を持ってたたずんでいた。
「だれやッ!?」
ジャンの問いかけに、男は礼儀正しく、胸元に手を当てた。
「私の名前はマーシャル。エミリア・フォン・ローゼンクロイツ様の侍従武官です」
男の口から発せられた名前に、ゲンキとジャンは顔を見合わせた。
ジャンは、
「エミリア……きゅ、吸血鬼かッ!?」
と叫んだ。マーシャルは顔色を変えずうなずきかえした。
「左様でございます」
ゲンキの脚に噛み付いていた一気通貫は、あごの力をゆるめた。
「ひゃーひゃひゅッ! おひょいッ!」
「『マーシャル、遅いッ!』とおっしゃっているのでしょうか……失礼致しました。しかし、この地区は北京警察および隠密課に囲まれ、どこも戦場の様相を呈しております。貴殿の救援まで、手が回らなかったのですよ」
救援。その言葉に、一気通貫はいきなり噛むのを止めた。
地面に這いつくばったまま、マーシャルを睨みつける。
「助けてくれとは言ってないぞッ!」
どこまでプライドが高いのだ。ゲンキは、敵ながら呆れてしまった。
そしてそれと同時に、目の前の敵が、1から2に増えたことに気がついた。
「こ、これ……あかんのとちゃうか……?」
ジャンの震える声に、マーシャルは刀身をかざす。月光がそれに反射した。
「ひと太刀かまえてみれば分かることです……余興は、ここまでに致しましょう」
○
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クレムリンの発着場。その物陰に隠れた御湯ノ水博士は、脱出の機会をうかがっていた。軟禁先の部屋からここまで、数時間。昔の記憶を頼りに、通気口や排水口を駆使して、なんとかやって来たのだ。クレムリンが修理予算をケチって、艦内地図がそのままになっていたことが、博士にとっては思わぬ僥倖であった。
「おーい、急げッ! ヘリが出るぞッ!」
轟音の中で、甲板に靴底が鳴り響く。
荷物の山に隠れる博士の横で、男たちが面倒くさそうに会話をしていた。
「この機材、なんに使うんだ? アナスタシアか?」
「いや、ゾルゲ大佐が、何者かにやられたらしい。その修理用だと」
ゾルゲの名に、博士はどきりとした。けれども、彼が負傷したと聞いて、言いようの無い安堵と、してやったりといった誇らし気な気持ちが沸き起こった。大方、ゲンキたちと格闘して、負傷させられたのだろう。博士は、適当な想像にふけった。
「ってことは、ゾルゲ大佐とイワン博士の回収任務か」
「それが違うんだよな……アナスタシアを救出するまでは、帰ってくるなとさ」
「マジかよ……」
男たちは、大きくタメ息をついた。
クレムリンのブラック企業ぶりは、20年前と何も変わっていないらしい。
そのことに、博士は思わず苦笑した。
「……おい、そこの男、なにしてる?」
息が止まる。見つかったか。博士が緊張している中、第三の男の声が聞こえた。
「みなさん、お疲れさまです」
台詞とは裏腹に、相手を小馬鹿にしたような調子だった。
その声に、御湯ノ水は聞き覚えがなかった。
「なにをしてると聞いてるんだ。身分証を……」
「わたくしは、血塗れメアリー様の使節、サンジェルマンと申します」
サンジェルマン。御湯ノ水は、その名前に心覚えがあった。世界各地を放浪している、一匹狼の悪。ラスプーチンも、危険視していた男だ。
なぜサンジェルマンがここにいるのか。博士は、耳を澄ませた。
「こ、これは失礼致しました……お赦しを……」
整備士と思しき男は、急にかしこまり始めた。
「いえいえ、構いません……ところで、ヘリはいつ出発するのですかな?」
「準備が整い次第です。あとは、この機材を乗せるだけですが……なんの御用で?」
なぜサンジェルマンが出発時刻を気にするのか、整備士は怪訝そうだった。
御湯ノ水自身、不死伯の行動は不可解であった。
「わたくしも、地上へ降ろしていただきたいと思いまして」
沈黙。しばらくのあいだ、会話が途切れた。
「……ラスプーチン様からのご許可は、お取りでしょうか?」
「ここに」
紙のこすれる音。手紙かなにかだろうか。
御湯ノ水は、のぞきたい衝動をおえさえこんだ。
「……分かりました。後部座席にお乗りください」
「いえいえ、わたくしどもも、自前のヘリくらいは用意しております。ただ、そちらの整備が終わる前に発進すると、迷惑かと思いましてね。ここで待たせていただきますよ」
「作業中はやや危険ですので、隅のほうでお待ち願います」
「ご忠告、ありがとう」
そう言って、不死伯は急に立ち位置を変えた。こちらに近付いてくる。
まさか……そんな……博士の動悸が高まる。そして、事態は急転した。
「こんにちは、ドクター・オユノミズ」
物陰に潜んでいた博士の頭上に、影がさした。小さな口髭をたくわえた男が、かくれんぼの相手を見つけたようなしたり顔で、御湯ノ水の顔をのぞきこんでいた。
「……」
呆然としてかがみ込む御湯ノ水に、サンジェルマンは言葉を続けた。
「そんなに焦らなくても結構ですよ……わたくしは味方です」
「味方……?」
信じられない。信じられるわけがない。御湯ノ水は、男に疑念の目を向けた。
「そう窮屈な格好をなさらなくても結構でしょう。とりあえず立ってください」
御湯ノ水は、足の痺れも手伝って、しぶしぶ不死伯の指示に従った。脅迫されるかとも思ったが、相手は黙っていた。むしろ関心がなさそうに、ヘリの整備を見守っていた。
不死伯の意図を、尋ねたほうがいいのだろうか、それとも──博士が悩んでいると、サンジェルマンのほうから口をひらいた。
「右のポケットに、なにか入っていますね?」
心臓が跳ね上がる。御湯ノ水は、無意識のうちに、右ポケットに指を伸ばしていた。
確かに、不自然なほど膨らんでいた。中身は、あの新型リストウォッチだ。艦内を移動する間、ラボに立ち寄り、そこに保管されていたケースから盗んで来たのである。クレムリンが空中を移動しているせいか、艦内の警備は相当おろそかになっていた。侵入が困難な要塞ほど、脱出が簡単だと言うのは、言いえて妙だった。
「博士? それはなんですか?」
御湯ノ水は、沈黙を守った。なんと答えてよいのかも分からなかった。
サンジェルマンは、胸ポケットから葉巻を取り出すと、端をかじった。
「……ま、いいでしょう。わたくしには、関係のないことです」
ある。大有りだ。悪の組織と戦うため、日本政府から頼まれて作った代物。
噂より、思慮の足りない男だ。御湯ノ水は、相手をそう評価した。
不死伯は、マッチで葉巻に火を点けると、紫煙をくゆらせた。火気厳禁だとか、そういう決まりごとは、この男の前では通用しないらしい。敢えて注意する者もなかった。
「……あんたが、不死身の男か?」
サンジェルマンは返事を返さず、もう一服つけた。
正面を向き、半ば興味がなさそうに、くちびるを動かす。
「ギブ・アンド・テイクと参りましょう」
謎めいた提案に、博士は顔をしかめた。
「……ポケットの中身はやらんぞ」
自分からのギブと言えば、それくらいしかない。御湯ノ水は、牽制を入れた。
不死伯は葉巻を揺らし、首を左右にふった。
「いえいえ、むしろ逆です」
「逆? ……どういうことだ?」
「その新型リストウォッチを、ヒーロー陣営に渡すこと、それが脱出の条件です」
御湯ノ水は、自分の耳を疑った。
「……詳しく説明してもらおうか? なんの罠だ?」
「罠ではありません。ただ……」
不死伯は、辺りの様子をうかがった。
聞き耳を立てられていないか確認し、それから話を続けた。
「わたくしどもとしても、上海でラスプーチンに暴れられるのは困るのです。それに、ワンも北京警察相手に劣勢とか。こうなると、あなたがたの力を借りるしかないのですよ。上海にスーパーヒーローが登場すれば、それが特異点となり、状況は一変します。わたくしどもが一番困るのは、ワンが北京政府に敗北、ラスプーチンも撤退して、東アジアに悪の真空地帯が発生することなのですからね」
長々とした説明。しかし、要点は明瞭であった。
「……敵の敵は味方、ということか?」
不死伯はさらに一服し、首を縦にふった。
「中国の情勢は、さっぱり分からんが……他に選択肢はなさそうだな……」
御湯ノ水は、自分でも不思議に思うくらい冷静だった。日本政府との関係が切れて、しがらみがなくなったせいだろうか。悪の組織に協力するということに対しても、以前ほどの抵抗感を覚えなかった。
御湯ノ水の返答に満足した不死伯は、ぽんと相手の肩を叩いた。
「素直でけっこう……長生きの秘訣ですぞ」




