第69話 妖狼、一気通貫
花火が上がった。赤と黄色の光が、夜空に舞い上がる。
場違いな光景だ。影勝はビルの窓から、そのいどろりを眺めていた。
光が闇に呑まれ、あたりの暗黒がもどった矢先、周囲が騒がしくなった。
「署長、エネルギー反応をとらえました」
即席のモニターをチェックしていた男が、そう告げた。
「位置は?」
司馬は両腕を背中に回し、胸を張ったまま窓の外を見つめていた。
まるで、報告をあらかじめ予期していたかのようだ。
「Fの32……閃光が発せられたのと、同じ地点です」
影勝は、夜景から視線をもどした。
司馬と通信兵を、交互に見比べ、そしてたずねた。
「敵が先に動いたのか?」
この問いは無視された。司馬は指示を出す。
「先発隊を突入させろ」
通信兵が伝令を繰り返す中、室内は戦場の様相を呈し始めた。
影勝はそこに、妙な違和感をおぼえていた。
「司馬殿、ひとつおうかがいしたい」
「……どうぞ」
「私の見る限り、こちらがわの兵力は相当不足しているようですが」
それだけではない。構成も奇妙だった。
重火器はおさえられ、逆に特殊部隊と思しき人員が見られた。さらに、白衣をまとった研究員らしき者たちも、この司令室を出入りしていた。王傑紂の捕り物にしては、おかしな面子だった。
司馬はカツンと踵を鳴らし、一歩前に進み出た。
もう一度、赤と黄色の花火が上がる。あれはなんだろうか。のろしか。
「北京護衛のため、戦力をあまり移動できなかったことは、お話した通りです」
「それは承知している。しかし、この手勢で王を追い詰められるとは……」
「我々は、上海市民の安全を第一に考えております。それだけのことです」
会話が途切れた。
影勝は、司馬の韜晦に口をむすんだ。
どうやら、聞き出せる情報ではないらしい。
しばらく思案したあと、彼は村正の鞘に手を当て、きびすをかえした。
司馬はこれをみとがめた。
「どちらへ?」
「この目で、戦況を確かめに」
「それは困りますな。中日合同作戦とは言え、指揮権は私にあります。待機を」
影勝は歩を止めず、ドアノブに手をかけた。
そして一言、別れの挨拶を告げた。
「指揮権は部隊についてであって、オブザーバーの私には及ばないはず……では」
司馬はようやく、全身を影勝に向けた。
影勝の位置からでは見えないが、笑っているように思えた。
「左様ですか。引き止めはしませんが……流れ弾に当たっても、知りませぬぞ」
○
。
.
「ほらほらほらほらーッ! マジカルほがらちゃんのお通りよッ!」
貧民街の狭い裏路地を、ほがらたちは疾走していた。
住民たちは、ひらひらスカートの闖入者に驚き、道を開けた。ゴミ箱を飛び越え、猫を避けながら、ほがらとジュリアは、街灯のない空間をひたすらに進んでいった。
「あかんッ! また暗くなるでッ!」
ジュリアの叫び声に合わせて、天蓋から降りそそぐ光が薄れていく。
懐中電灯を持って来るのだったと、ほがらは内心悪態をついていた。
「もう一発撃つわよッ!」
「エネルギーの無駄遣いやッ! 節約せんとあかんッ!」
ほがらは、空に向けたステッキを止め、速度を落とした。
さきほど撃った魔法弾の一抹が消え、あたりはすっかり暗くなった。
おたがいの顔を見分けるのが、精一杯のありさまだ。
「ちんたらしてる暇はないのよ。カオルたちを救出しないと」
「せやけど、これじゃうちらの居場所を教えとるようなもんやで」
ジュリアの指摘に、ほがらは顔をしかめた。それについては、ほがらも気付いていた。街中でぽんぽん花火を上げていては、格好の餌食に違いない。電撃戦に持ち込む予定だったほがらも、ここにきて思い直し始めていた。
「じゃあ、こっそり移動する?」
「どこへ? 行き先がそもそも分からへん」
「ニッキーから、地図をもらったでしょ。ステッキの在り処はそこよ」
「ステッキの在り処とカオルの居場所は別問題とちゃう?」
それもそうだ。王がカオルを誘拐したのなら、ステッキは取り上げられているだろう。
ほがらは自分のステッキを握りしめ、それからリストウォッチにくちびるを寄せた。
「ニッキー、聞こえる?」
《き……る……》
雑音。電波をひろいにくいのか、しばらく沈黙が続いた。
「ニッキー? もしもし?」
《聞こえるよ。周波数を合わせていたところだ》
突然明瞭になった通信に対して、ほがらは満足げにうなずいた。
「路地が暗過ぎて、移動できないわ。なんとかならない?」
《分かった。こちらがルートを指定するから、その通りに走ってくれ》
「オッケー」
ナビ付きというわけだ。
しかし、通路の薄暗さだけは、どうにもならない。
「走ったら転けそうやけど……」
「あんた、陸上部でしょ。これくらいクリアしなさいよ」
「陸上にこない競技はあらへ……」
その瞬間、ほがらの背後でなにかが青白く光った。
サーチライトか。ほがらは瞬時に身がまえた。
「……人魂ッ!?」
ほがらは、思わず叫んだ。空中に、青白い炎が、いくつも浮かんでいる。
怪談話に出て来る墓場のような光景に、ほがらたちは絶句した。
「これで明るくなっただろう?」
女の声──それは建物の影からでも、背後からでもなく、頭上から聞こえてきた。
ほがらはステッキをかまえ、夜空を見上げた。星を背景に、人影が宙を舞った。
その影は路地に着地し、炎に照らされて青白く浮かび上がった。その人間ばなれした跳躍力と、女の頭に生えた獣耳が、ほがらに鳥肌を立たせた。
「敵やッ!」
言われなくても分かっている。
ほがらは心の中で叫んで、ステッキを振りかざした。
「スーパーほがらちゃんビ……!?」
決め台詞をとなえ終える前に、獣女は攻撃態勢に移っていた。
背中から巨大な物体を取り出し、それをほがらたちの眼前に振り下ろした。ほがらは寸でのところで、その巨塊をすり抜けた。
にぶい地鳴りと、コンクリートがはじける音。石片が、ほがらの頬を打った。
バク転して飛びのいたほがらは、ジュリアのそばで再度ステッキをかまえる。女が振り下ろしたのは、子供の大きさはあろうかと言う、金属製の鎚だった。コンクリートにめり込み、深い穴をうがっていた。
「いい動きをするな」
女はそう言うと、鎚を箸のように軽々と持ち上げた。
ほがらは下敷きになった自分を想像し、身震いした。
「あんた、何者ッ!?」
敵なのは明らかだ。襲いかかって来たのだから。
しかし、所属が分からない。王の部下なのか、それとも蘆屋の部下なのか。あるいは、クレムリンの手先かもしれない。ほがらは時間稼ぎの意味も込めて、女の返答を待った。
女がくちびるを動かすと、人魂の光にするどい犬歯がきらめいた。
「私の名は西の一気通貫。王傑紂様の腹臣にして、四風仙のひとり。おまえたちの名は?」
女はなぜか、ほがらたちの名前をたずねてきた。
襲っておいて今更人物確認とは、ずいぶんと悠長である。ほがらはあきれた。
「わ、私の名前は、エンジェルナイト、スーパーほがらちゃんよッ!」
「えんじぇるないとすーぱーほがらちゃん? ……DQNネームか?」
ずっこけかけたほがらの横で、ジュリアがあいづちを打っていた。
「ま、そう思われても、しゃーないわ」
味方に斬りつけられたほがらは、頬を膨らませて地団駄を踏んだ。
「分かったわよッ! ほがらでいいわよッ! ほがらでッ!」
「別に名乗る必要自体あらへんと思うんやけど……」
ジュリアの溜め息を他所に、一気通貫は先を続ける。
「共産党の手下か? それとも隠密課の連中か?」
「どっちでもないわよ」
一気通貫は鎚を回転させ、柄の部分で地面を叩いた。
軽い地鳴りがする。
「嘘を吐くな。今ここにいるのは、共産党の犬か、日本の犬かの、どちらかだ」
「犬はあんたでしょ! 変な耳付けちゃって!」
ほがらの軽口に、一気通貫はギリリと歯を食いしばった。
こめかみに青筋が立つ。
「貴様……私を犬呼ばわりしたな……ゆるさんッ!」
「は?」
二の句を継ぐひまも与えず、ほがらの鼻先を金属塊がかすめた。
殺される。ほがらはとっさの判断で、ジュリアと反対方向に跳躍した。壁を蹴り、さらにもう一段高くジャンプする。目指すは廃ビルの3階だ。
「させるかッ!」
一気通貫は、空ぶった鎚を力任せに回転させ、ビルの壁に打ち付けた。
衝撃が走り、ほがらの足下が揺れた。ひびの入った壁をうまく蹴ることができず、ほがらは路地裏に落下してしまった。
「ほがらッ!」
頭上から声が聞こえた。
反対側に逃げたジュリアは、3階のベランダへ逃げ込んでいた。
錆びた欄干から覗く彼女の顔は、転倒したほがらにとってあまりにも遠い。
「勝負ありッ!」
鎚の影がほがらの視界を覆う。万事休す。
無意味に右手を掲げた瞬間、あたりが黄色に染まった。
「ほがら、早くッ!」
ジュリアの声。
ほがらは急いで立ち上がり、ジュリアと同じ建物の2階に飛び移った。
眼下では、魔法弾を喰らった一気通貫が、後頭部をかかえて悶えていた。
「飛び道具とは……卑怯な……」
「えッ……気絶しないの?」
ほがらは、七丈島で戦った一向聴と、蘆屋邸前で戦ったアナスタシアのことを思い出した。前者は魔法弾直撃で失神、後者も一時的に機能が停止した。それを至近距離で喰らって、めまいを起こしているだけの狼女に、ほがらは青くなった。タフ過ぎる。
《どうした? 敵襲か?》
「ニッキー! ステッキの方角はッ!?」
《その路地を奥に進んで、2番目の十字路を左に曲がってくれ。それから……》
ほがらは皆まで聞かず、ベランダを飛び出して狼女の頭上を越えた。
ジュリアも即座に反応した。ほがらのあとに続く。
ふたりはなりふりかまわず全力で走った。
背後で怒りの遠吠えが聞こえた。
「逃げるなッ!」
逃げるに決まっている。ほがらは振り向いて、あかんべーをした。
「アホッ! そんなことしとる場合や……」
空気を切る音。ほがらの頬を、なにかが高速でかすめた。
「痛ッ!?」
頬に手をやるほがら。ねっとりとしたものを感じる──血だ。
「これでおあいこだッ!」
コンクリート片をつかんだ一気通貫は、投球フォームを取った。
ほがらはなにをぶつけられたのかに気づいて、命の危険を感じた。
一気通貫の指がはなれかけたとき、ほがらはがむしゃらに魔法弾をはなった。
路地裏が赤く染まり、一気通貫は目を閉じてしまった。コンクリート片は大きく逸れて、ほがらの上にある窓ガラスを割った。
「きゃッ!?」
ガラス片におびえるほがら。ジュリアに手を引かれ、足をもつれさせながら前に進んだ。
魔法弾の残照で、周囲は明るい。今のうちに逃げなければと、そう思った。
一方、ほがらの魔法弾も大きく外れ、一気通貫は無傷だった。一気通貫は歯を剥き出しにして、再度咆哮を上げた。地面を一蹴りしたかと思うと、猛烈な俊速を見せた。
追いつかれるッ! ほがらが観念した瞬間、ジュリアがステッキを握って振り返った。
「動くと撃つでッ!」
一気通貫は急ブレーキをかけ、その場に立ち止まった。
かかとから煙が出ている。
「ひ、卑怯だぞッ! 正々堂々と戦えッ!」
魔法弾は連射できない。そのことを、狼女は知らないのだ。
さきほどのショック療法も、彼女にとっては多少の脅しになっているらしい。
「いたいけな少女を襲うのが悪いんやッ!」
ジュリアはそう言い放つと、ほがらの手を引いて、路地の奥へ向かった。
2番目の十字路にさしかかったところで、ほがらもステッキをかまえた。
そしてうしろをふりむき、念を押した。
「動いちゃダメよッ! 動いたら撃つからねッ!」
「ぐぅ……」
相手が脳筋で助かった。ほがらは路地を左に曲がろうと、横歩きに歩を進めた。
あと少しというところで、誰かと肩がぶつかった。
かるく接触しただけのはずが、ほがらは衝撃で地面に尻もちをついた。
「おっと、失礼、お嬢さん」
男の声──骸骨のように痩せ細った男が、軍帽のつばをなおしていた。
「……だれ?」
男は笑みを消し、ほがらの右手をつかんだ。
凄まじい握力。ほがらは激痛の中、宙づりにされた。
「は、放さんかいッ!」
ジュリアはステッキをかまえ、男を脅迫した。
だが男は振り向きもせず、とがった喉仏を動かした。
「魔法弾は連射できないのでしょう」
「!?」
なぜその情報を。驚愕するジュリアを尻目に、ほがらは男の腹に肘鉄をはなった。
「痛ッ!」
叫んだのは、ほがらだった。鉄板でも仕込んであるのか、肘がじんじんする。
男は顔色ひとつ変えず、手錠を取り出すと、それをほがらの右手に嵌めた。
「止めんかいッ!」
ジュリアのパンチ。男はそれをあっさりと受け止め、逆に握力をかけた。
ジュリアの顔が、苦痛にゆがんだ。
男はジュリアを突き飛ばし、そのまま手錠をほがらの左腕に回す。
カチャリという金属音とともに、ほがらは動きを封じられてしまった。
「ひとまず預かっておけ」
ほがらは突き飛ばされ、壁によろめいた。すると闇の中から、第三者の手が伸びた。
身構えたほがらだが、その手は彼女を優しく受け止めた。
ニッキーか。わずかな希望を見出したほがらの目に、見知った顔が飛び込んで来た。
「あ、あなたは……」
クレムリンの科学者、イワンだった。
「しッ、おとなしくしてください」
イワンはそう言って、ほがらを拘束した。ほがらは、なぜイワンが上海にいるのか、さっぱり見当がつかなかった。一方、イワンはイワンで、ほがらのことをゲンキだとは認識できなかったらしい。とくに反応らしきものは見せなかった。
その隣では、ジュリアと骸骨男が、息詰まる睨み合いを続けていた。
「さあ、そのステッキを渡してもらいましょうか」
「そうはいかんで……そろそろ充電できてるはずや……」
微妙な駆け引き。どれくらいの充填時間が必要なのか、ほがらは把握していない。
十中八九ブラフなのだが、男は慎重策を取っていた。
その背後へ、一気通貫が現れた。爪を立て、ジュリアではなく骸骨男を睨みつけた。
「そいつは私の獲物だッ! 手出しするなッ!」
いきなり仲間割れが始まった。ほがらは、事態のややこしさに混乱した。
そんなほがらをよそに、一気通貫は骸骨男に詰め寄った。
「おまえはだれだッ! 共産党の手下かッ!?」
「いえいえ、我が祖国は、すでに共産党政権から脱却しておりますので……」
男はそう言うと、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
一気通貫はそれが気に入らなかったのか、ぐるると吠えた。
「分かったぞ……ラスプーチンの犬だな……」
「ご明察。狼にしては、歴史の教養がおありだ」
わざとらしい挑発に、一気通貫はにじり寄った。
相討ちになってくれればいいのだが。なぜか蚊帳の外に置かれ始めたほがらは、そう願った。そして、その願いを聞き届けるかのように、もうひとつ別の声が聞こえてきた。
「ハハハ、そこまでだ」
その場にいた全員が、一斉に頭上をふりあおいだ。
月明かりを背景にして、ビルの屋上にひとつの影が見えた。
人の形に見えるそれは、目も鼻も口もない、屈強な銀色の塊。
その正体に気付いたほがらは、危うく名前を叫びそうになった。
一気通貫が吠えかかる。
「だれだッ!」
「ペ○シマーン!」
金属生命体は、そう言ってポーズを決めた。
どこまでもふざけている。だがそのおふざけも、今の状況にはかえって似つかわしい。
「ふざけるなッ! 降りてこいッ!」
一気通貫は両手を上げ、ばたばたと地面を踏みつけた。見知らぬ敵がわらわらと現れ、混乱しているのだろう。
そんな周りの空気とは対照的に、骸骨男は依然として平静さを保っていた。軍帽のツバをかたむけ、イワンに指示を出した。
「改造人間vs人狼vs宇宙人ですか……面白い。イワン博士、下がっていてください」




