第6話 女風呂の変質者
「あの吸血鬼女、どうなるんやろ? 解剖でもされるん?」
女に性別転換したジュリアが、だれとはなしにそう尋ねた。
となりを歩いていたポニーテールの凛々しい少女が、
「拙者に訊くな」
と答えた。鋭い眼光、常に気を張り詰めた動作。剣道のよく似合いそうな彼女こそ、ムサシが性転換した先の少女、ともえだった。
「かおるはどう思うんや?」
「さあ……あとで博士にでも訊けば?」
眼鏡をかけたかおるは、ぶっきらぼうにそう答えた。
一方、ほがらは口もとに手をあてながら、
「あの作業服を着た連中、いったいなんだったのかしら? コウモリ女を回収して、博士と一緒にどっかへ行っちゃったけど……」
と、自問自答していた。
これには清美が思い出したように、
「博士の知り合いじゃない? ボク、街のどこかで見た覚えがあるよ」
と答えた。
「ほんと? 清美ったら、ずいぶん他人のことじろじろ見てるのね」
「その言い方はないんじゃないかなあ……」
ここで、ともえが割り込んだ。
「そんなことより、拙者たちが女に戻るのは、まずいのではないか?」
ともえは、自分のしなやかな四肢を見ながら、やや不安そうな顔をした。
リストウォッチは身につけていたが、女のときには変身できないらしいのだ。
ほがらは、
「男子寮のあの汚い風呂に入る気にはならないでしょ?」
と返した。
清美は洗面用具をかかえながら、
「まあ、お風呂場で襲われたら、どのみちアウトだもんね」
と、相槌をうった。
「それに、トイレや入浴中にヒーローを襲うのはマナー違反なの。分かる、みんな?」
分かんないわよと、かおるはあきれ気味に自分の頭を掻いた。
それからメガネをなおしつつ、
「とりあえず、さっさとシャワーを浴びて、男子寮に戻りましょう」
と、合理的な妥協案を出した。
ほかの4人も、あっさりとそれに賛成した。
ここは5人が通う七丈島海浜自由学園の女子寮。
七丈島は国連の委託自治領だが、生活は本土の日本とほとんど変わらなかった。
違う点を挙げるとすれば、少子高齢化が進んだ本土とは逆に、若者が多いこと、商業活動のほとんどが、IT技術やバイオテクノロジー、宇宙工学などの最先端分野に集中していること、そして、教育システムが極めて自由なことであろう。
授業が1日に2〜3コマしかなく、土日は完全週休2日制、さらには進級の概念がないため、自由に授業日程を組むことができた。その分、単位認定は厳しい。
男と女を行き来するゲンキたちの二重生活を成り立たせているのも、まさにこの教育システムであった。男として授業を受けている時間と女として授業を受けている時間とをうまく調整して、1日に4〜6コマのスケジュールをこなしているのだ。端から見れば通常人の2倍勉強しているわけだが、すでに10年近くその生活を続けている5人にとって、さしたる苦にはならなかった。
それどころか、男子寮と女子寮の両方に部屋を持てるのだから、双性様々である。ちなみに名字は変えられないので、ゲンキとほがらは兄妹、ジャンとジュリアは姉弟、カオルとかおるは従姉弟、顔と体格がほとんど変わらない清明と清美は双子の兄妹、そして容姿が一変するムサシとともえは名字がたまたま同じだけ、という設定で通していた。まさか双性者が学校に紛れ込んでいるなどとは誰も思っていないおかげで、これまでバレずに済んでいた。
その5人が向かっているのは、女子寮の風呂場。5〜6人1組で使う、交代制の共同浴場だった。5人はいつもセットで風呂場を予約し、いっしょに使う習慣になっていた。
べつに幼馴染みだからというわけではない。男の身も持ち合わせている以上、ほかの女子生徒の裸をのぞくのが、なんだか憚られたのである。
洗面グッズを小脇にかかえ、ほがらは脱衣所のドアをあけた。
「赤羽ほがら、見参!」
かおるはほがらの背中を押して、
「はいはい、早く入る」
と催促した。
「ごめんごめん、ちょっとまだ変身の余韻が……」
5人は次々と脱衣所に足を踏み入れ、めいめい適当な場所で着替えた。
行儀の悪いほがらは、パパッと制服を脱ぎ捨てると、それを篭に放り込んだ。
これをみたともえは、
「ほがら……もうすこし女らしく振る舞えぬのか?」
とたずねた。
ほがらはビシッとともえをゆびさして、
「はい、ジェンダー差別」
と指摘した。
ともえはすこし赤くなって、
「いや、そういうつもりはないのだが……すこしは振る舞い方を変えたほうがよい。今のではゲンキと見分けがつかぬぞ」
と弁明した。
ほがらは腰に手をあてて、
「いや、ともえちゃんはムサシのときとキャラが変わりすぎでしょ」
と反論した。
「せ、拙者が二重人格だと申すのか?」
「そうは言わないけど、ムサシのときのあのクールな感じはどこ行ってるの?」
「それは拙者に訊かれても困る。性別転換すると気分が変わるのだ」
これは事実だった。
ほがらも、感情の起伏がすこしだけおだやかになる気がする。
ただ、どうも個体差があるらしく、一番変化が小さいのが清明・清美で、見た目と同様に性格にも変化がなかった。一番大きいのがムサシ・ともえで、もとが同じ人間だとは思えないくらいの差があった。
ムサシは無口で冷静沈着、ひとにあまり干渉しないのをモットーとしていたが、ともえになると急におせっかい焼きで、恥ずかしがったり興奮したりすることが多くなった。
ほがらはともえの裸をじろじろ見つつ、
「んー、でもさ、やっぱり変わりすぎじゃない? 面影がほとんどないし……」
と、いぶかしげなまなざしを送った。
「拙者を愚弄する気かッ!」
ふたりの言い合いに、かおるが顔をむけた。
「あんたたち、さっきから何やってんの?」
ほがらはふりかえって、
「ともえちゃんの性格が、ムサシとぜんぜんちがうっていう話」
と答えた。
カオルはメガネをはずしながら、
「ああ、そういう……まあ、私みたいに変わらないのとどっちがいいのか難しいけどね」
と言った。
「……」
「……」
「ふたりとも、どうしたの?」
ほがらはフッと口の端から笑みをもらした。
「かおる、ほんとに変わってないと思ってるの?」
「変わってないでしょ。どっちも理系オタクみたいなもんだし」
「かおるは、ちょっとおばさんっぽいところがあると思うのよね」
かおるは黙ってほがらのうしろに回ると、いきなりヘッドロックをかました。
「だ・れ・が・お・ば・さ・ん・じゃ・こ・ら!」
「いだだだッ! ギブギブ!」
「おーい、そこの3人、漫才しとらんではよ脱ぎや」
その一言で、全員はトークを打ち切り、風呂場へむかった。
ガラス戸を横にスライドさせ、浴室のタイルに足のうらを乗せる。
室内にはシャワーが6つ。5人が座る場所はいつも決まっていた。
入口から見て一番左奥が清美、それからともえ、ジュリアと続き、右手の奥にかおる、その右隣にほがらという順番だ。
ほがらは座椅子に腰を降ろすと、早速シャワーの栓をひねった。
「つめたッ!?」
前の利用者がもどし忘れたのか、冷水がほがらの全身を襲った。
となりで温度調整をしていたかおるは、
「ちょっと、水散らさないで」
と注意した。
「ご、ごめん……」
でも私のせいじゃないし、と気を取りなおし、ほがらはスポンジを手にした。
そして、足もとのボディソープのポンプを押した。
スカッとした感触。見事に不発だった。
「……あれ?」
何度ポンプを押しても、ボディソープは出てこなかった。
持ち上げてみると、容器は驚くほど軽かった。
どうやら、中身が切れてしまっているようだ。
「かおる、石鹸貸して」
ほがらは容器に目をとめたまま、右手を差し出した。
かおるはすでに頭を洗い始めていて、すこしばかり反応が遅れた。
「え? 石鹸? ちょっと待って、眼鏡がなくてよく見えない……」
ほがらがしばらく待っていると、反対に右のほうから石鹸が出てきた。
「ありがと。かおる、もう石鹸もらったからいいわ」
「え? だれから?」
ほがらは答えようとして──ふと気づいた。
じぶんの右側は、空席になっていることに。
ほがらは昔聞いた怪談話を思い出し、おそるおそる右を向いた。
少女の目のまえに、全裸の男が立っていた。
「きゃああああああああああああああ!!?」
ほがらは体をバネのように伸ばして、男のあごにアッパーカットを打ち込んだ。
そんな当然の反応を予期していなかったらしく、男の首が垂直に叩き上げられた。
「ぐほぉ!?」
男は足を滑らせ、頭を洗っていたジュリアの背中に倒れ込んだ。
驚いたのはジュリアのほうだ。
「な、なんやッ!? なんの騒ぎやッ!?」
ジュリアはシャンプーが目に沁みるのも忘れて、自分に寄りかかる変態を凝視した。
「な、なんやこのオッサンはあああああああああッ!?」
ジュリアはあわてて立ち上がると、男の顔面に強烈な蹴りをお見舞いした。
ほかのメンバーも甲高い叫び声を上げる。
唯一冷静だったのは、またしてもかおるだった。
もっとも冷静というよりは、変質者の姿がよく見えなかったからなのだが。
「な、なにッ!? なにみんな騒いでるのッ!? だれかいるのッ!?」
かおるが状況を確認しようとしたところで、ふいに浴室のガラス戸がひらいた。
そう言って姿を現したのは、眼鏡にそばかすという、いかにも委員長タイプの真面目そうな少女。この寮の学生総監、影野忍だった。
風呂場のスケジュールを管理しているため、すぐ近くの詰め所から駆けつけたのだ。
「どうしたんですかッ!? ゴキブリでも出ましたかッ!?」
「し、忍ちゃん! お風呂場に変質者が……!?」
そう言って床をゆびさしたほがらは、はたと表情を変えた──誰もいない。
「へ、変質者ッ!? ど、どこですかッ!?」
忍は、浴室の中を見回す。
ほがらたちも、視線を上下左右にあわただしく動かした。
忍は浴室の換気扇まで調べながら、
「……だれもいないのではありませんか?」
と、首をひねっていた。
ほがらはしどろもどろになる。
「え……あの……その……ほかのみんなも、見たわよね?」
ジュリア、ともえ、清美の3人がうなずいた。
ともえは胸もとを隠しながら、
「た、たしかにいたぞ……拙者もこの目で……」
と言い、もういちど室内を一瞥する。
だが、さきほどの男はあとかたもなく消えていた。
「もう夜ですから、あまり大声を出さないでくださいね」
忍はそう言うと、それ以上文句も言わず、ガラス戸を閉めた。
そのあと、脱衣所のとびらの閉まる音が聞こえた。
ほがらは口をぽかんと開けて、
「……ど、どうなってるの?」
と、目を白黒させていた。
清美はハッとなって、
「もしかして、怪人のしわざじゃない?」
と言った。
全員の顔がこわばる。
ほがらはあわてて性別転換のポーズをとった。
「まずいわッ! とりあえず男にチェ……」
「待ちたまえ」
どこからともなく、男の声が聞こえた。
全員が身構える。5人は声の主をさがそうと、浴室に視線を走らせた。
「やれやれ、いきなり殴られるとは、手荒い歓迎だった」
声の正体──それは、空中に浮かんだ光の玉だった。
その存在に気づけなかったのは、ちょうど天井の灯りと同化していたからだ。
光の玉はLEDから分離して宙に浮き、ほがらたちの視線の高さまで降りてきた。
ほがらは一歩うしろにさがり、震える声でたずねた。
「あなた……だれ?」
光の玉は明滅をくりかえしながら、日本語を返した。
「いやはや、すまない。この星のマナーをよく知らなくてね。私は夢の国の使者。きみたちを魔法少女にするためにやってきた。どうぞ、よろしく」