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第67話 北京警察

 影勝(かげかつ)の乗ったヘリは、とある高層ビルの屋上に舞い降りた。プロペラが停止する前に、後部座席の扉がひらいた。終始無口だった運転手は、計器の操作にいそしむばかりで、降りろとも待てとも言わなかった。影勝はその背中を見つめながら、自分の判断でヘリを降りた。強烈な風が吹きつけ、彼のスーツの端をめくった。それがプロペラの運ぶ風なのか、それとも地上から離れたビル風なのか──両方だろう。

「お待ちしておりました」

 黄土色の制服を着た男が、にこやかな顔で影勝に歩み寄った。狐目のその顔に、影勝は見覚えがあった。北京警察署長の司馬(しば)(よう)。それが彼の名前だった。

「司馬署長、ご無沙汰しております」

「こちらこそ、ご足労に感謝致します」

 ふたりのあいだに、慇懃な空気が流れた。

 付き添いの影は無かった。おたがいに、それを怪しんでいるのかもしれない。そう思った影勝は、まず事情説明に取りかかった。

「今回は大規模な加勢を送れず、もうしわけありません。こちらでも、蘆屋一族が滅亡したわけではないため、兵力を北京へ移動させることができないのです」

「ほお……しかし蘆屋の首領は、我が国へ逃げ込んでいると聞きましたが? そうなれば、これは当局のみならず、日本政府の問題にもなるかと」

 痛いところを突いてくる。影勝は冷静に対処した。

「それは承知しております。しかしながら、我々が避けるべきは、貴国と日本とのあいだで、どちらかが挟撃されること。戦力をかたよらせるのは、得策ではないと判断しました」

「今の蘆屋一族に、挟撃体勢を取る余裕はないと思いますが……まあ、いいでしょう」

 司馬はそう言うと、影勝に背中を向けた。そのまま歩き出す。

 影勝はそれ以上弁解せず、司馬の後を追った。屋上の階段を下り、そのまま最上階にある署長室に通された。執務をとるには、やや豪華過ぎる部屋だった。床に敷かれた虎皮が、妙にさみしく思えた。

 司馬は署長席につくと、右手で接客用のソファーを指し示した。

 影勝は、それを丁寧にことわった。

「お座りにならないのですか?」

「立ったままでけっこう」

 ふたりのあいだで、さぐり合いの視線が交わされた。

 司馬陽。北京警察の親玉にして、共産党本部のパイプ役。噂では、軍の上層部とも繋がりがあると言う。敵には回したくないが、味方にするには、少々危険過ぎる男だ。今回の共闘を持ち出したのも、この男である。その申し出を受けるかどうか、影勝はずいぶんと思い悩んだ。ヒーローリストウォッチの研究が進展していれば、断ったかもしれないほどである。

 あまり借りを作りたくない。それが、影勝の本音だった。しかし、約束してしまったものは仕方がない。王傑紂が蘆屋一族を本格的に援護しなかったのも、ひとえに司馬の策略の賜物であった。北京で王のアジトを壊滅させたのも、さすがの手腕というほかなかった。

 影勝が出方をうかがっていると、ついに司馬のほうから口をひらいた。

「さて、今後の作戦行動ですが……手直しが必要になりました」

「手直し? どこにですか?」

 司馬は両肘をテーブルの上でつき、そこへあごを乗せた。

 影勝はあくまでも直立不動の体勢で、相手の目をとらえ返した。

「王傑紂は、北京から上海へ脱出しました」

「……敵前逃亡ですか」

 司馬は肩をすくめ、片方の眉を持ち上げた。

「ま、表現はどうでもいいでしょう。王は上海に逃げ込んでいます」

「ということは、戦力を移動せねばなりませんな」

 好都合だ。影勝は、そう思う。日本側からは少数の部隊で、移動に難はなかった。

 ところが、司馬は首を左右に振った。

「そうはいかないのですよ」

「? ……どういうことか、ご説明いただきたい」

 司馬は席をはなれ、壁に掛かっている中国の地図の前に立った。

 影勝も、そちらへ向きなおった。

「さきほど、軍から連絡が入りました。クレムリンが南下を始めたようです」

 クレムリン。その出現を、影勝は予想していた。だからこそ、日本の警備体制を崩さなかったという理由もある。空き家を襲われてはたまらないからだ。

「行き先は東京ですか?」

「いえ……こちらへ向かっています」

「北京へ?」

 司馬は地図を見つめたまま、その場で二度足を踏み鳴らした。

 絨毯がこすれ、軽い音が立った。影勝は、相手の返事を待った。

「北京かどうかは分かりません。予想では、上海方面なのではないかと」

「まさか……王傑紂と合流する気なのでは?」

 司馬は意味深なタメ息をつき、席に戻った。背後の窓から、スモッグに覆われた街並が見えた。莫大な人口を抱えた都市が、昼間の静寂の中で、息づいていた。

「その可能性は、低いと思います。ラスプーチンは、だれとも手を組みません」

 影勝は、ラスプーチンと蘆屋の確執を思い出した。蘆屋一族が劣勢であるにもかかわらず、ラスプーチンはそれを援護しなかった。それどころか、隙を見て、東京を襲撃してきたほどである。そのことを踏まえれば、ラスプーチンが王を救援するというシチェーションも、あまり現実的なものには思われなかった。

 すると、クレムリンの南下が意味するところは、ひとつ。

「漁父の利、と?」

 司馬は、曖昧にうなずきかえした。椅子を回し、外の風景へと視線を移した。

「おそらく」

 影勝は目を細めた。司馬の反応は、どこか煮え切らないところがあった。

 なにか隠しているのではないだろうか。無論、それを責めることはできない。隠密課とて、全ての情報を北京警察に開示しているわけではないのだ。国家間には、秘密がつきものである。

 影勝は、司馬の視線を追った。

「……つまり、中国側は上海へ兵力を移動できないと、こうおっしゃるわけですか?」

「正確に言うと、移動させる割合を減らさなければならない、ということです。北京の警護を増強しなければなりませんので」

 やむを得ない。そのことは、影勝にも分かっていた。

 しかし、この土壇場での作戦変更は、どこか不吉なものがあった。

「ラスプーチンが第三勢力として参戦すれば、かなり面倒なことになりますな」

「それは存じています。王の組織も、劣勢とは言え、幹部連は軒並み健在。上海から脱出される展開を、当局は懸念しています。蘆屋道遥(みちはる)のように」

 軽い嫌みに、影勝は口元をむすんだ。

「蘆屋の息の根は、上海で止めます。そのために、私が派遣されたのですから」

「……蘆屋は、日本随一の陰陽師と聞きます。あなたで勝てますかな?」

 影勝は、腰の刀に手を伸ばした。

 司馬は、平然とその仕草をながめていた。

「それが噂に聞く妖刀、村正ですか……」

「まやかしを払う力があります。蘆屋とて、私の前では、ただの少年に過ぎません」

 司馬は、にやりと笑った。

 あざけりか、それとも単に面白いと思ったのか、影勝には判断がつかなかった。

 七王子公園で、吸血鬼の邪魔さえ入らなければ、仕留めることができた。その後悔が、影勝の中に強く根付いていた。徳川時代からの因縁の対決。それに終止符を打てなかったことが、ひどく残念に思われたのだ。

 物思いに沈む影勝の前で、司馬は椅子を元の位置にもどした。

「ならば、こう致しましょう。蘆屋道遥の処分は、そちらにお任せします。我々は、王傑紂を担当。最悪の場合のみ、臨機応変に共闘する、と。これならば、おたがいの縄張りに踏み入ることもありません」

 縄張りを気にするあたりが、やはり警察組織だ。影勝は、そう思った。

 しかし、悪い提案ではない。この状態では、綿密な共闘を望むべくもないのだから。

「承知した」

 影勝の返答に、司馬は満足げだった。

「もちろん、細部の計画は詰めねばなりませんがね。とりあえず、ご休憩ください。客室へ案内させますので、ごゆっくりと……上海への出発は、今夜7時を予定しております」

 

  ○

   。

    .


「ニッキー、私たちはどこへ向かってるの?」

 狭い宇宙船の内部に、ほがらの声が響いた。

 彼女は、いらだっていた。それを自覚しつつも、自分をおさえることができないでいる。ウラジオストクで回収されてから、すでに丸一日が経とうとしていた。空腹と喉の渇きも、彼女をイライラさせるのに一役買っていた。

「ニッキー?」

「中国だよ」

 ようやく答えたニッキーに、ほがらは眉をひそめた。

 行き先が違うではないか。そう思ったのだ。

「なんで中国へ行くの? カオルはシベリアにいるんでしょ?」

 操縦桿を握りながら、ニッキーは真面目な口調で答えた。

「クレムリンが南下している。目標は分からないが、東シナ海のようだ」

「海へ向かってるってこと?」

「いや……むしろ、沿岸部の都市に思えるな」

 スクリーンの点滅を見つめながら、ニッキーはそう答えた。

 ほがらも、赤色に光るのがクレムリンであると気付いた。

 うしろで話を聞いていたジュリアは、

「クレムリンはなにがしたいん? 日本へ寄ったりロシアへ寄ったり……」

 と、いぶかしげだった。

 ほがらはニッキーの背中を小突いた。

「クレムリンがどこへ行くかなんて、どうでもいいのよ! カオルを探さないと!」

「落ち着きたまえ」

 ニッキーのたしなめに、ほがらは振り上げかけていた拳を下ろした。

 行き場のない怒りが、ほがらの胸中で暴れていた。

「落ち着いてられるわけないでしょ!」

「クレムリンの動きは重要なんだ。ラスプーチンは、アナスタシアを回収したがっている。カオルくんがロボットと行動をともにしている以上、捜索をあきらめるはずがない。ということは、クレムリンを追いかけて行ったほうが、効率はいいんだよ」

 ニッキーの解説に、ほがらは納得しかけた。

 しかし、その意味を悟った彼女は、にわかに青くなった。

「も、もしかして、カオルはもう捕まったってことッ!?」

「そうは言っていない。カオルくんはクレムリンにいないはずだ」

「どうしてそう言い切れるのッ!?」

「ステッキの波長を感じないからだよ。クレムリンに、カオルくんのステッキはない」

 ニッキーは、一定の範囲内で魔法ステッキの反応を追える。

 そのことを思い出したほがらは、ホッと胸を撫で下ろした。

「じゃあ、カオルはどこへ行ったの?」

「うまく逃げ切ったんとちゃうの?」

 ジュリアの楽観的な見方にもかかわらず、ほがらは不安をいだいた。シベリアの大地から、それほど簡単に逃げ出すことができるのだろうか。それとも、アナスタシアというロボットが、よほど優秀なのか。

「いずれにせよ、カオルはまだロシアにいるんでしょ? 隙を突いて助けましょう」

「……」

「ニッキー?」

「……カオルくんは、もうロシアにいないと思う」

 ニッキーの唐突な宣言に、ほがらは眉間にしわを寄せた。

「なに言ってるの?」

「これは勘なんだが……クレムリンは、カオルくんたちを追って南下している気がする」

 ほがらは一瞬、ニッキーの言っていることが理解できなかった。

「……中国にいるってこと?」

「かもしれない」

「かもしれないって……そんなのありえないわよ。ロシアから中国まで、どうやって移動したの? 鉄道? 飛行機? まさか、歩いてじゃないでしょうね?」

 矢継ぎ早な質問にうんざりしたのか、ニッキーはしばらく間を置いた。

 ほがらも、さすがに押し黙った。

「瞬間移動を使える能力者なら、何人かいるはずだ。王傑紂の組織にも、ひとりいると聞いたことがある」

 ほがらはようやく、ニッキーの考えていることを察した。

「王の組織に拉致されたって言うの?」

 ニッキーは、首を縦に振らなかった。だが、横に振ることもなかった。

 どちらともつかぬ態度で、淡々と自説を述べた。

「その可能性はある。少なくとも、なんらかの理由で、瞬間移動させられたのかもしれない。だとすれば、行き先はおそらく北京のはずだが……若干方角が違う気もする」

「可能性があるってだけじゃダメでしょ! 世界は広いのよ!」

「その広い世界で、闇雲に捜しても仕方がないだろう?」

 ニッキーの的確な反論。これには、ほがらも口答えできなかった。

 ムスッとした表情で、腕組みをした。

「中国にいなかった場合は?」

「それは後で考えよう。中国にいないなら、ロシアだ。そこまでは分かる。問題は、本当に中国にいる場合だ。クレムリンが無意味に移動しているとは思えない。必ず理由がある。中国に向かう理由がね」

 ニッキーはそう言うと、ふたたび計器の操作を始めた。

 鬱憤を晴らせなくなったほがらは、頬をふくらませて、後ろに引き下がった。

 床に座っていたジュリアは、気落ちした彼女に声をかけた。

「ま、ゆっくりやるしかあらへんな」

「それは分かってるけど……」

 静けさが広がる。ボタンを押す音だけが、操縦席から聞こえてきた。

 ほがらは、宇宙船の真っ白な壁を、黙って見つめることしかできない。

 しばらく静寂が続いたあと、ニッキーがふいに声をあげた。

「ひとつだけ確認させて欲しいんだが……」

 ほがらは振り向いた。

「確認? なにを?」

「君たちは、魔法少女を辞める気はないんだね?」

 予想だにしていなかった質問。

 ほがらは即答しようとして、できなかった。

「それは……」

「魔法少女を辞めないなら、王傑紂と戦ってもらうことになるかもしれない」

 イエスともノーとも言えない自分に、ほがらは驚かざるをえなかった。昔なら、魔法少女を辞めるなどという選択肢は存在しなかっただろう。けれども、これまでの経験が、彼女に新たな世界観を提示し始めていた。

 魔法少女は、楽ではないのである。肉体的にも、精神的にも……そして思想的にも。

 ほがらは、自分たちのしていることがなんなのか、もはや分からなくなっていた。正義の味方ではないが、かと言って悪の味方でもない。勝者でもなければ、敗者でもない。ただただ無力ななにかに思われて、仕方がなかった。

「……とりあえず、カオルを救出するためには、戦うわ」

 曖昧な返答。ニッキーは、その液体金属の奥から、しぶいオーラを出した。

「……僕が君たちを魔法少女に選んだのは、悪の組織と戦ってもらうためだ。友人を救出するためでもなければ、飲食店で食い逃げをするためでもないんだよ」

「食い逃げは不可抗力や」

 ジュリアの尖った声が、ほがらを現実にひきもどした。

 けれども、答えは見つからなかった。

 ほがらは弁明するように、

「そこに違いがあるの? 王と戦うなら、同じことだと思うけど?」

 と反論した。

「じゃあ、無事カオルくんを救出した後も、王と戦うんだね?」

 ニッキーの質問に、ほがらはハッとなった。

「そ、それは……」

「それができないのなら、魔法少女は今回で仕舞いということになるよ」

 半ば脅迫めいた言い方に、ほがらはこっそりと拳をにぎった。

 その空気を察したのか、ジュリアはにわかに体を乗り出した。

「あ、後で考えればええんとちゃうの? とりあえずカオルを救出して、そっから交渉でもかまわへんと思うんやけど……」

「……そうだね。当面の目標は、カオルくんと、彼のステッキの回収だ」

 ニッキーも納得したのか、それ以上はなにも言わなかった。

 この状況は、誰の責任なのだろうか。ほがらは、自問自答した。

 自分たちを魔法少女に選んだニッキーだろうか──いや、違う。ほがらは、それ以前に御湯ノ水(おゆのみず)博士から、ヒーローリストウォッチを貰っていた。ニッキーが現れたのは、おまけである。

 ならば、御湯ノ水博士と、その裏にいた日本政府の責任なのだろうか。しかし、彼らは蘆屋一族と戦うために、ほがらたちをヒーローに選んだのだ。だとすれば、大元は蘆屋一族のせいということになる。それとも、さらに裏があるのか。

 ほがらは、だんだんと混乱してきた。

「王傑紂に勝てるかしら?」

 自分を誤摩化すように、ほがらはまったく別の問いを口にした。

「君たちなら勝てるかもしれない」

 ニッキーの答え。ほがらは、半信半疑で彼の背中を見た。

「でも、悪の組織の首領なんでしょ?」

「そうだ……が、王の能力は極めて特殊だ。君たちに有利な形でね」

「……どういうこと?」

 ニッキーは計器の操作を中断し、目鼻のない顔で、ほがらたちを振り返った。

「敵の能力をひとつコピーする……それが王の能力だからだよ」

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