第60話 雪原の死闘
加速する白銀の世界。スキーボードに散る粉雪の嵐が、アナスタシアの視界をおおっていた。生まれて初めての雪上スポーツを楽しみながら、アナスタシアは背後に迫り来る男たちの声を捕捉した。
「右だ……右から囲め……ッ!」
風を切る轟音にもかかわらず、彼女の高性能マイクは全ての会話をひろっていた。追っ手の一団に気づき、カオルたちに退避を勧告できたのも、この聴覚のおかげだった。それは今、無弾薬の逃走劇を続けるアナスタシアにとって、強力な武器となっていた。
小高く盛り上がった雪原を踏み台に、アナスタシアは華麗なジャンプを決めた。コンマ1秒の差で銃弾が彼女の四肢をかすめた。アナスタシアはスリリングな宙返りに酔い痴れた。満点の着地から、アナスタシアの身体はさらに加速した。
追っ手の作戦は的確だ。手慣れている。ラスプーチンの雪上部隊だろう。だがその分、読み易さがあった。行動がマニュアル化しているのだ。さきほどの狙撃も、空中では方向転換ができないことを見通した適切なタイミングだった。しかし、それを先読みしていたアナスタシアは、人間では不可能な跳躍の姿勢を取った。それが相手の照準を狂わせた。
もっとも、命中したところで大した怪我もないのだが。
ふたたび兵士の音声が聞こえた。
「その先はクレバス……回避……ッ!」
ありがとう。アナスタシアは相手の情報に感謝して、左に旋回する。クレバスをジャンプで飛び越えるのは簡単だが、それでは相手も追跡をあきらめてしまう。反転して、カオルたちの捜索を始める可能性があった。自分は今、囮なのだ。ロボットが狐になるというのも、たまには悪くないだろう。
銃声。背後から無作為な連射。当てるというよりは、追い込んでいる感じだ。
この先になにかある。アナスタシアは不敵に笑うと、相手の意図をくみ、追われるがままに進路を取った。左手の林が途切れた瞬間、エンジン音が鳴り響いた。回転速度と走行音から、アナスタシアはそれがスノーモービルであると判断した。
「面白いショーを見せてあげましょう」
アナスタシアは独り言をつぶやくと、林の途切れ目まで全力滑走した。相手は登場のタイミングを見誤ったのか、スノーモービルでアナスタシアの眼前に飛び出してきた。驚きの声を上げる隊員たち。それを観客たちの喚声と受け取って、アナスタシアは力強く地面を蹴った。
「バカッ! 停まるなッ!」
アナスタシアが弧を描いて宙を舞う中、地上ではクラッシュの音が炸裂した。衝突を避けようと減速した一台が、後方の一台に追突されたらしい。悲鳴と狂ったような進路変更の雑音に、アナスタシアはあのときと同じ興奮を見出す。ふたりの魔法少女を相手にした、あのときと同じ興奮を。
攻守交代。アナスタシアは作戦を変更した。地面に着地すると、人外のコントロールで姿勢を制御し、今度は追っ手の雪上部隊に正面突撃をかけた。何人かが銃をかまえた。
「射つなッ! 相討ちになるぞッ!」
その通りッ! 旋回半径の大きいスノーモービル部隊を無視して、アナスタシアは三度目のジャンプを敢行した。銃声。一発がアナスタシアの服をかすめた。だがアナスタシアは苦痛に顔をゆがめることもなく、ストックを2本、狙撃兵の胸元目がけて投げつけた。命中を確認することなく、すぐにスキーブーツを外して、片方の板を剣のようにかまえた。
ここまでわずか3秒。十数メートルの飛翔を終えた彼女は、残りの板に両足をそろえ、人間には不可能な体勢でスノーボードに興じた。火器など必要ない。ここは剣舞と洒落こもう。追っ手との距離を詰めたアナスタシアは、右脚を軸に三回転半、手にしたスキーボードで兵士の群れを凪ぎ払った。
「BGMは007でよろしくッ!」
トリプルジャンプからの一閃。相討ちを恐れて発砲できない兵士たちは、雪上のフィギアスケートという前代未聞の演技に、ただ逃げ回るばかりだった。
だがそれにひるまない者もいた。方向転換を終えたスノーモービル部隊が、数と勢いに任せてこちらに突進してきた。全部で8台。スピード勝負なら負ける気はしないが──
「もっと面白い遊びをしましょう」
アナスタシアは、腕力で受け止めるという選択肢を捨てた。できないからではない。単純に芸がないと思ったのだ。止めようと思えば、ジープでも止められる。それは魔法少女との闘いで実証済みであった。
アナスタシアは腰をかがめ、バランスを保ちながら片手で雪を掻き集めた。
「雪合戦はどうかしらッ!」
アナスタシアは肘のシリンダーに最大圧力を掛け、雪の固まりをゴルフボール大まで圧縮した。指を離すと、水晶のように輝く氷塊が顔をのぞかせた。アナスタシアは大きく腕を振り上げ、渾身の速球を放った。
氷の弾丸が射出されてコンマ数秒、先頭のスノーモービルから人が吹き飛んだ。主を失った車体は左右に揺れ、そばを走っていた別の車体を巻き込んで転倒した。
「まずはゲッツー」
アナスタシアは両手一杯に雪をけずり、右手にひとつ、左手にひとつの氷塊を作った。残りのスノーモービルは左右に離散し始めていた。ならばとスキーボードで跳躍、全身をひとひねりしながら、左右のボールをわずかな時間差でほうり出した。回転を終えたアナスタシアの体は見事な着地を決め、慣性でそのまま左に進路を取った。
車体の爆発する音。確認するまでもない。残ったスノーモービルも、エンジン音を鳴らして後方に逃走し始めた。スキー部隊も、体勢を立て直せずに四散してしまったらしい。
風の音。遠方でけぶる煙。あたりに静寂がもどり、アナスタシアは戦闘の終決を認めた。追跡して全滅させることもできるだろうが、溺れる犬を叩くのはつまらない。アナスタシアの戦闘回路は、そこになんの興奮も見出すことができなかった。
「……任務完了。帰還します」
アナスタシアは、ブーツを履いていない左脚で一蹴り、そのまま戦場を後にした。
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一台のヘリが、かろうじて露出した土色の大地に着陸した。それを傍観する兵士たちは、ある者は左腕を押さえ、ある者は立つこともできずに地面の上に横たわっていた。
雪を散らすヘリのプロペラが止まった。後部座席がひらき、立派な髭をたくわえた僧侶が、防寒着も纏わずに姿を現した。左手を押さえていた兵士は、くちびるを噛み締めて直立し、右手で苦しそうに敬礼を行った。
「ラスプーチン様、お待ちしておりました」
ラスプーチンはあたりの惨状を一瞥した後、出迎えの兵士に目を向けた。
「貴様、その腕はどうした?」
怪我を指摘された兵士は、敬礼のポーズを保ったまま答えを返した。
「こ、骨折かもしれませんが、大したことは……」
「診せてみろ」
ラスプーチンは兵士の返事を待たず、その右手で兵士の左腕をつかんだ。折れた骨を触られた兵士は一瞬、苦痛に顔をゆがめたが、ラスプーチンの右手から淡い光が放たれると、すぐにその表情を和らげた。
「あ、ありがとうございます……」
「重傷者から順番に並べろ。ワシが手当てする」
ラスプーチンはそう言うと、部隊長に顎で指図した。さっさとしろと言う意味だ。
部隊長がその場を離れると、端に控えていた狙撃兵が前に出た。どうやら無傷のようだ。ラスプーチンは鋭い視線を向けた。
「なんだ? 報告があるなら言え」
「い、いえ、報告はすでに無線で済ませた通りです……一応口頭で確認を……」
「要らん」
追跡失敗。アナスタシアの逃亡先も不明。実に分かり易い報告だった。今さら再聴する気も起こらず、ラスプーチンは衛生兵のほうへ足を運んだ。ストックで胸を貫かれた狙撃兵2名がとりわけ危篤状態だった。ラスプーチンは右手と左手をそれぞれ兵士の胸に当てると、例のほの白い光を放つ。それまで生気のなかった男たちの瞳に、ふたたび命が宿っていく。
次はスキーボードでしたたか打ち付けられた者、スノーモービルの転倒で複雑骨折した者と続き、ラスプーチンは手慣れた調子で治療を続けていった。6人目に差し掛かったとき、さきほど左腕を治してもらった男が、横合いから言葉をかけた。
「ラスプーチン様、お言葉ですが、機甲部隊の派遣をご許可ください。生身の人間では手に負えないと判断致します」
ラスプーチンは兵士の進言を無視した。治療に集中して聞こえなかったわけではない。彼にとって、この程度の治療は、食事をしながらでもできる児戯に等しいのだから。
そのことを知っている兵士は、ゴーグルの下で眉をひそめた。
「ラスプーチン様?」
「機甲部隊を派遣したところで、生け捕りにできる保証はない。貴重な装甲車を壊されでもしたら大損だ」
「し、しかし、人間ではなおさら不可能と思われます。これは現場指揮の実感として……」
「おまえたちは十分役割を果たした。あとは様子見だ」
「は、はあ……」
部隊長は反論をさしひかえた。任務失敗ということで怒られるかと思いきや、拍子抜けしてしまったらしい。
ラスプーチンはひと通り治療を終え、広大な雪原を遠目に見った。純白の大地は、戦場の傷跡をもはや残してはいなかった。降雪がない以上、追うことは簡単だが──ラスプーチンはかぶりを振った。第二波を派遣しても、同じ結末に陥るだけだろう。
「テスラめ……厄介なものを作りよってからに……」
相槌を打つように、黒々としたリスが林から顔を出した。ラスプーチンは次の作戦を思い描きながら、地平線の果てを眺めるばかりだった。
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永久凍土に覆われた不毛の大地が、どこまでも続いていた。観光切符を貰っても、二の足を踏んでしまいかねない場所だ。防寒対策でヒーローに変身したカオルは、テスラ博士を背負って、雪の布団を一歩一歩踏みしめていた。そのうしろで、戦闘を終えたばかりのアナスタシアが、どことなく暇そうについてきた。
白い息がマスクのアイ部分を曇らせる。どうにも安っぽいスーツの性能に、カオルはそこはかとなく不安を覚えていた。この状況で、アナスタシアの気が変わったらおしまいだ。最悪の場合、テスラ博士を盾にするしかない。果たして、アナスタシアは人質の価値を認めるだろうか。まとめて殺されるだけかもしれない。カオルは、アナスタシアの思考回路をいまいち読み取れないでいた。
世界一の人工知能なのだから、当然と言えば当然のことである。だが、それにしては戦闘に時間をかけ過ぎだ。雪合戦に興じていたというアナスタシアの事後報告に、カオルは眉をひそめざるをえなかった。合理的なときのアナスタシアと、戦闘狂のアナスタシア。まるでシステムそのものが入れ替わったかのような豹変ぶりに、カオルはそこはかとない恐怖を感じてしまう。
「なあ、アナスタシア」
カオルは鬱々とした気分から解放されるために、アナスタシアに声をかけた。
アナスタシアは振り向きもせず、言葉だけを返した。
「なんですか?」
「なんで増援が来ないんだ? 追っ手があれだけってことはないだろ?」
スキー部隊とスノーモービル。余りにも単純な構成だった。本気で殺人ロボットを捕獲しに来たようには見えない。そのことが、カオルに妙な胸騒ぎを覚えさせていた。
「ええ、私もそろそろ退屈してきたところです」
カオルは内心舌打ちする。このロボットは、戦闘に娯楽を見出している。そのことは、葦屋一族と戦ったときに気付いていた。おそらくあのとき、彼女のシステムに感情が芽生えたのだろう。カオルはそう推測していた。
「私の計算によれば、ラスプーチンはイワン博士のポッドを放置した可能性が高いです」
「ゲンキのポッドを? ……どういうことだ?」
「もうひとつのポッドは、アムール湾沖に落下したはずです。大都市ではロシア警察の監視が厳しいため、大々的に暴れることができません。そちらには手を出さないでしょう」
「だったら、なおさらおかしいだろ。敵は全力でこっちに向かうはずじゃないのか?」
「ラスプーチンは、93.7%の確率で兵力の一部を日本に割いています」
日本。故郷の名前が出て、カオルは足を止めた。そのわずかな停滞に気付いたのか、アナスタシアも静かに立ち止まった。そして、首を背後へと曲げた。
「狙いはドクター・オユノミズです」
「!?」
危うく背中から落とされたかけたテスラが、慌ててカオルの首筋にしがみついた。特殊スーツを着ていなければ、首が絞まる勢いだった。
だがそんなことなど意にも介さず、カオルはアナスタシアに詰め寄った。
「なんで親父を狙うんだ? ヒーロースーツの秘密が目的か?」
「それもありますが……目的はドクター・オユノミズ本人です」
「親父自身? いったいどういう……」
「ドクター・オユノミズは昔、ラスプーチンのところで働いていたのですよ」
カオルはテスラ博士を雪の上に放り出し、アナスタシアに駆け寄った。
そのまま胸ぐらを掴む。
「そんな嘘、誰が信用すると思ってるんだッ!?」
宙に持ち上げられたアナスタシアは、冷ややかな眼差しでカオルを見下ろす。
「嘘ではありません。そのスーツは、もともとラスプーチンが戦闘員用の特殊装備として開発を命じたものです。当時はまだプロトタイプにも達していませんでしたが……」
「証拠を出せッ! おまえは最近開発されたばかりだろッ! 信用できるかッ!」
「ドクター・テスラに訊いてみてください……彼はオユノミズの元同僚です」
カオルはアナスタシアを突き飛ばし、今度はテスラを抱き起こした。腰を押さえながら悪態を吐くテスラを他所に、カオルは尋問を開始する。
「テスラ博士、あんた、御湯之水博士を知ってるようなこと言ってたな? 本当か?」
カオルは、クレムリンのラボで耳にした会話を思い出していた。
「どうなんだ?」
「ああ、知っとるよ……昔、ラスプーチン様の下で一緒に働いとったからな」
カオルは驚愕した。ただの高校教師だと思っていた義父が、悪の組織の科学者を務めていたという事実に、カオルの精神は激しい抵抗を起こした。
「親父がおまえらみたいなのと一緒に働いてたわけないだろッ! 証拠を見せろッ!」
「この素寒貧の状態で、証拠なんぞ出せるはずが……」
テスラ博士の視線が、カオルの肩越しに伸びた。
なんだ、視線トリックか。その手には掛からないぞ。カオルがそう思った瞬間、テスラは老いた手でカオルを突き飛ばし、ふらふらとアナスタシアに駆け寄った。カオルも博士の剣幕におどろき、あとを追った。
「アナスタシアッ! アナスタシアッ!」
直立不動で無言を貫くアナスタシア。その瞳からは光が消えていた。
カオルは悪い予感がした。
そこへテスラが駄目出しを告げた。
「バ、バッテリー切れじゃッ!」




