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第59話 したたかな科学者

 暖かな部屋。温かな料理。そして海の男たちの潮の匂い。

 追っ手は来ない。イワンの推測を信頼したゲンキたちは、ウラジオストクのアムール湾近郊にある宿屋に腰をすえていた。泊まりというわけではない。腹が減ったのである。

「あー、うめえなッ! やっぱ海が近いとこは海鮮料理に限るぜッ!」

「せやなッ! これ食い終わったら、おかわりもろうとこッ!」

 高校生ふたりは大口をあけて、太いエビにかぶりついていた。それをよそに、イワンは度数の高いアルコールをぐびぐびとひたすらあおっていた。満足げなゲンキたちとは対照的に、ふてくされたような顔をしている。それに気付いたゲンキはナイフとフォークを止め、けげんそうな眼差しを人質に向けた。

「おい、おっさん、食べないのか?」

 声を掛けられたイワンは、酔った目でゲンキを見つめ返した。

「……失業したのに呑気に食べてられますか」

 イワンの愚痴に、ゲンキは少しばかり申し訳ない気持ちになった。ジャンもその雰囲気に気付いたのか、海老の殻を脇にどけ、ナプキンで口元をぬぐった。

「そりゃワイらかて、人質を取る気はなかったんやで。ほんまはカオルとステッキ回収したらそのまま逃げる予定やったし。あんたらが追いかけて来んかったらえかったんや」

 いや、それは無理だ。ゲンキは内心突っ込みを入れた。重要人物とアイテムが奪還されるのを、指をくわえて見ているだけの悪の組織などありえない。そんなシチェーションを、ゲンキは特撮で一度もお見かけしたことがなかった。もしあるとすれば、それはヒーローを誘き出すための罠に違いない。

 それとも、これが現にその罠なのだろうか。ゲンキは若干の警戒心をいだいた。今後の方針をイワンの推測に委ねるのは、危険過ぎるのだ。

「オレたちもそろそろ身の振り方を考えないとな」

 ゲンキはそうつぶやいた。

 アルコールで目の血走ったイワンは、ちらりと視線を向ける。

「君たち、何歳? 大学生? それともなにかの職業見習い?」

「いや、高校生だ。オレもジャンも、まだ16歳だからな」

「ふーん……」

 東洋人の顔立ちから年齢を推測するのが、難しかったのだろうか。ゲンキは、なぜイワンがそんな質問をしたのかいぶかった。自分を拉致した相手の年齢など、それほど重要なことではないだろう。もっと他に訊くことがありそうなものだ。

 あるいはもはや、拉致した者と拉致された者という上限関係が、なくなっているのかもしれない。ゲンキは少し強気に出ることにした。これ以上舐められてはいけないと思った。

「あんた、ラスプーチンの今後の計画を知らないのか?」

「知りませんね」

 あまりにもやる気のない返答に、ゲンキは少々機嫌をそこねた。

 ナイフとフォークを握り締めた手で、テーブルをドンと叩いた。

「おい、しらばっくれてると……」

「ゲンキ、あかん」

 なんだ、邪魔するなよ、と、ゲンキはジャンを睨みつけた。

 ジャンは気まずそうな目で、周囲をちらちらとまなざしていた。

 ゲンキもその視線を追う──他の客が、一様にこちらの様子をうかがっていた。

「あ……えーと……このスープうめえなあッ!」

 ゲンキは下手な演技を打って、ふたたび食事を再開した。

 ジャンの呆れた顔と、無関心なイワンの態度が苛立たしかった。

 イワンを人質に取ったのが、間違いだったのだ。ゲンキは今さらながらに後悔した。もちろん成り行きで3:3に分かれたのだから、誰かに責任があるわけでもない。イワンとテスラを交換したところで、今度は別の問題が生じている可能性もあった。むしろイワンがここまでおとなしいことに、ゲンキは感謝の念を禁じえないでいるほどだ。

 ゲンキは空になったスープの皿を眺めながら、じっと考え事にふけった。

「ゲンキ、どないしたんや? 食い過ぎか?」

「いや……これからどうしようかと思ってな……」

 ジャンはパンを一口かじり、思い悩んだような目でむしゃむしゃと口を動かした。ジャンもジャンで、同じ問題に直面しているのだろう。ゲンキは長年の付き合いから、相方の思考を手に取るように読むことができた。

 しかし、このふたりで解決できる見込みは低い。ヒーローリストウォッチと魔法のステッキを持っていても、所詮はただの高校生なのだから。あらゆる面で、社会経験がゲンキたちには欠けていたのである。

「なあ、おっさん」

「そのおっさんって呼び方止めてください……まだ30過ぎです」

「……なあ、イワン、ここで何泊するくらいの金持ってる?」

「1コペイカも持ってませんよ」

「そっか……」

 そう言って頷きかけたゲンキの目が、カッと見開かれた。

「おまえ……まさか無一文じゃねえだろうな?」

「そうですが、なにか?」

 沈黙。ゲンキは目の前にある皿の山を見渡した。ロシアでの相場は分からないが、日本でならとうに万札が飛んでいそうな量だ。隣に座っていたジャンも、パンを喉に詰まらせたのか、ごほごほとむせていた。ゲンキは慌てて水を差し出した。

 コップの炭酸水を一気に飲み干し、ジャンは口元をぬぐった。

「だ、だれがここの勘定払うんやッ!?」

「バカ、大声出すな」

 ゲンキはジャンの口元を押さえ、周囲を見渡した。始終五月蝿くしていたせいか、もはや誰もゲンキたちに気を止めていなかった。店員も素通りするばかりだ。

 ゲンキは前かがみになり、イワンに詰め寄る。

「おまえが払うって約束だろ」

 イワンはコップからひとさしゆびを離し、ゲンキの鼻面に突きつけた。

「そんな約束してませんよ。腹が減ったって言うから、レストランを紹介しただけです」

「て、てめえッ!」

「げ、ゲンキ、喧嘩はあかんッ! 店員に目ぇ付けられたらアウトやでッ!」

 イワンの胸ぐらを掴みかけたゲンキに、ジャンがサイドから飛びついた。

 ゲンキも荒ぶる気をしずめ、どかりと椅子に座りなおした。

 そして天井をあおいだ。

「こんなバカな話があるかよ……」

「バカな話もなにも、いきなり研究室から連れ出されて、財布を持ってるわけないでしょ。それにヒーローだか魔法少女だか知りませんが、私は誘拐犯に金を払う気はありませんよ」

 イワンの淡々とした皮肉に、ゲンキはムッとなった。

「オレたちはもう一蓮托生なんだぞ。おまえが協力しないでどうするんだよ?」

「僕はあくまでもロシア人ですからね。別に困りませんよ。最悪の場合、そこらへんの工場で働かせてもらいますから。昔は貧乏だったし、0からやり直しになるだけです」

「それじゃオレたちはどうするんだよッ!?」

 ゲンキは両手の拳を握りしめてもだえた。

 少年の汲々とした訴えにもかかわらず、イワンは冷淡な反応を見せた。

「それは君たち自身が考えることです。僕は関知しませんね」

 説得も泣き落としも効かない。こうなれば、残る手段はただひとつ。

 ゲンキはイワンをあからさまに睨みつけた。

「おまえ、自分の立場を忘れてるんじゃないだろうな? いざとなれば、人質としてそれなりの待遇はさせてもらうぞ? それでもいいのか?」

 そう言ってゲンキは、右手の拳を見せびらかした。

 ところがこれも馬耳東風。

 イワンはコップの液体をぐびりと飲み干した。

「それなりの待遇ってなんですか? 暴力沙汰なら、そっちがむしろ不利ですよ。私がここで叫べば、あなたたちはそのままブタ箱行きです。まさかロシア警察を敵に回して、逃げ切れると思ってるんじゃないでしょうね? ……甘いですよ。ロシア警察は、正直うちの組織よりエグイですから。まあ、それは日本政府とアシヤ・ファミリーとの間にも言えるかもしれませんが……」

 イワンの抗弁に、ゲンキは隠密課の手口を思い出した。キヨアキについて(しのぶ)が嘘をついていたのは、彼女の動揺からももはや明らかだ。それと同じように、国の機関から目を付けられて無事でいられる保証がなかった。

 ゲンキはうなだれ、自分の頭を拳でたたいた。

「あーッ! どうすりゃいいんだよッ!」

 一ヶ月前はただの高校生だった。そしてそれが一番幸せだった。ヒーローになりたかったのは事実だが、こんな形の結末を望んでいたわけではないのだ。もっと善悪のはっきり区別された世界を夢想していた。だからこそ、ゲンキの失望は一際大きく、一際深かった。

「ま、勝手にしてください。僕も君たちを拘束しようとか思いませんから」

 そう言って、イワンはさらに酒をそそいだ。

 未成年のゲンキは、揮発するアルコールで頭がくらくらしてしまう。

 重苦しい時間が流れ始めた。

 ここでジャンが動いた。

「ゲンキ、ちょいとトイレ行かんか?」

「はあ……? ひとりで行けよ。なんでおまえと連れションし……」

 ゲンキの視線を、ジャンの意味深な瞳がとらえかえした。

 ゲンキは一瞬のアイコンタクトで、ジャンの意図を察した。椅子を下げ、酔っぱらってうたたねを始めたイワンに声をかける。

「おい、イワン、ちょっとトイレ行ってくるぜ。席を離れるなよ」

 ゲンキはそう忠告して、男子トイレに移動した。ドアを閉め、室内を確認する。清掃が行き届いていないのか、微妙にアンモニア臭が漂っていた。

 ふたりはサッと視線を走らせ、誰もいないことを確認した。

「清掃用の立て札をさがせ」

 ゲンキはロッカーを、ジャンは一番奥の、荷物置き場と思しきドアをひらいた。

「あったで」

 ゲンキがロッカーに頭を突っ込んでいると、背後でジャンの声がした。ふたりはそれを男子トイレの前に置き、ふたたびトイレに閉じこもる。そして、変身のポーズを取った。

性別(セクシャル)……」

転換(チェンジ)!」

 ふたりは掛け声を合わせ、女に変わった。おたがい男物の服を着ているが、そこまで違和感はなかった。こういうときのために、服の種類には昔から注意を払っているのだ。

「トイレ借りたフリしてとんずらするわよッ!」

「了解ッ!」

「おっと、待ちたまえ」

 ふたりが入り口に殺到したところで、ふいに声がかかった。

 ほがらとジュリアが振り返った途端、室内がパッと明るくなった。

 この光の強度に、ほがらは見覚えがあった。

「ニッキーッ!」

 トイレの奥に、ひとりの白人男性が姿を現した。ほがらもジュリアも、その正体が人間ではないことを知っていた。

 ほがらはニッキーに駆け寄ると、指先で相手の胸をつついた。

「あんた、どこ行ってたのよッ!?」

 ニッキーは、やれやれと肩をすくめてみせた。

「それはこっちの台詞だよ。クレムリンからステッキの反応がなくなったと思ったら、こんな港町で油を売ってるとはね……胃袋は満足したかい?」

「油を売ってるわけないでしょッ! ふざけないでよッ!」

「じゃあ事情を説明してもらおうか。なんでウラジオストクにいるのか、その理由をね」

 ほがらはこれまでの経緯を、かいつまんで説明した。クレムリンでカオルのステッキを回収したこと、そのときアナスタシアに襲われたこと、逃げる最中、ラスプーチンと出くわしたこと、そして船内格納庫から脱出用ポッドで二手に分かれたこと。

 すべてを聞き終えたニッキーは、少しきつめの調子で言葉を返した。

「カオルくんのステッキは、そのロボットのところにあるんだね?」

 ニッキーの強い口調に、ほがらはひるんだ。

「そうだけど……なにか不味いの?」

「いや……マズくはない。むしろその方が波長を追い易くて助かる。行き先は?」

 ほがらとジュリアは、顔を見合わせた。そして首を左右に振った。

「行き先不明か……これは困ったな……君たちを見つけたのも、ロシアに進路を取っていて、たまたまこの付近を通りかかっただけなんだよ」

「でも、アナスタシアはあたしたちと闘いたがってるのよ。だから、カオルを襲ったりはしないと思うわ。テスラって科学者も、そんな悪人には見えなかったし……」

 ほがらの説得は、ニッキーを落ち着かせなかったらしい。ニッキーは黙って、これからの行動を考えているようだった。蚊帳の外に置かれたほがらは、胸元で腕組みをした。

「とにかく、ここから逃げましょ。でないと、タダ食いで捕まっちゃう」

「魔法少女の仕事が食い逃げとか、情けないわ……」

 ジャンヌの細かい突っ込みに、ほがらは機嫌を悪くした。

「だいだい、ジュリアがお腹空いたって言うから、こんなことになるんでしょ」

「はあ? うちのせいやないで。先に言うたんはほがら……」

「おーい、いつまで掃除してんだ? しょんべんしたいんだから早くしてくれよ」

 荒々しい男の声。ほがらたちは、それぞれ自分の口元を押さえた。

 ニッキーも場所が悪いと思ったのか、ふたりに退室をうながした。黙ってドアを開け、若い女が出て来たことに驚く男を無視し、食堂の中を通り抜ける。途中、ほがらはちらりとイワンのほうを盗み見た。

 ……酔いが回って眠っている。もう人質としての価値もないし、放置することに決めた。ニッキーもそう考えているらしく、イワンを一顧だにしていなかった。

「私の勘定はもう払ってある。怪しまれずに出られるはずだ」

 ニッキーの言う通り、店員は誰も3人を気にかけてはいなかった。こんなザル経営で大丈夫なのかと思いつつ、ほがらたちは酒と煙草にまみれた食堂をあとにした。

 

  ○

   。

    .


「……」

 客たちの賑やかな会話。せわしない店員の足音。

 目をつむったイワンは、人の移動を聴覚で確実にとらえていた。トイレのドアの音をチェックし、誰かが出て来たことを察した。その足音はイワンのテーブルには接近せず、そのまま入り口の鈴を鳴らして店外へと消えた。

 イワンはうっすらと目を開け、目の前の少年たちが去ったことを確認した。最後のひと口をあおり、そばを通りかかった店員に声をかけた。

「勘定」

 店員は財布とレシートを持ち、すぐに戻ってきた。金額を確認したイワンは、ふたりの食べた量に呆れながら、ポケットに手を突っ込んだ。

「カードで」

 店員は携帯用の読み取り機にそれを通して、挨拶を済ませてその場を去った。客ひとりに長々と構ってはいられない。そんな空気を残して。

 カードをしまったイワンは、にやりと笑った。無一文。嘘はついていない。現金は1コペイカも持っていないのだから。

「さてと……いきなり外に出るのは危ないか」

 イワンは立ち上がると、トイレに向かった。足下は確かだ。あの程度の量で酔うほど、酒に弱くはない。全ては、あのヒーローもどきを撒くための演技なのだから。

 イワンはトイレに入り、誰もいないことを確かめた。それにしても、どうやってあの場を逃げ切ったのだろうか。店員の目が節穴というわけでもあるまい。おそらく、双性者(ヘテロイド)であることを利用して、女になって誤摩化したのだろう。

 そんなことを考えながら、イワンは反対のポケットに手を突っ込んだ。

 携帯端末を取り出すと、すぐに画面に触れた。

 呼び出し音が鳴り、イワンは入り口を警戒しながら応答を待った。

 プッという音が聞こえ、若い女の声が入った。

《こちらトナカイ放送局。懸賞クイズです。卵が先かニワトリが先か、お答えください》

「昔はどちらもあった」

 古びたアネクドートに、一瞬の沈黙が流れた。

《オペレータールーム、コードを確認しました。ご用件をどうぞ》

「こちらイワン。現在アムール湾近郊に潜伏中。双性者(ヘテロイド)2名の手からは逃れました。至急救援されたし」

《……了解。回収ポイントは追って知らせます》

 そこで通話は途切れた。

 イワンは端末をポケットにもどし、今後の行動を検討した。

 とりあえず、双性者(ヘテロイド)が本当に女になって逃げたのか、それを確認しよう。そう決心した。町中で男に警戒すればいいのか、それとも女に警戒すればいいのか、その点を知りたいと思ったのだ。イワンはトイレを出て、入り口にひかえる店員に声をかけた。

「店内で、ふたりの若い東洋人を見なかったかい?」

「東洋人? ……ええ、見ましたよ。さっき出て行った男が、そんな感じの娘をふたり連れてましたね」

 店員の返答に、イワンの顔がくもった。

「男……? どんな?」

「いや、どんなって言われても……普通のロシア人の若者でしたよ。なんにも特徴がないような顔してる……」

 イワンは眉間に皺を寄せ、その場に立ち尽くした。ふたりが双性者(ヘテロイド)だというのは間違いない。ただ、もうひとりの【男】の存在が、イワンを不安にさせた。まさか、隠密課が救援に駆けつけたのだろうか。しかし、それにしては早過ぎる。しかも、相手は日本人ではなくロシア人だと言っているではないか。

 店員はけげんそうな顔をした。

「あの……その娘さんたちがどうかしましたか? お知り合いで?」

 不審がる店員をよそに、イワンは推理を働かせた。

 そして、ある結論にたどりついた。

「そうか……宇宙人が助けに来たのか……」

「は?」

 店員は、酔っぱらいか狂人を見るような目付きで、イワンに視線をそそいだ。これ以上は関わり合いたくないという顔をしている。イワンもイワンで、この店員から引き出せる情報はもうないと判断した。玄関へ向かおうとしたところで、すぐに立ち止まった。

「すまない、この宿、まだ空き部屋はあるかな?」

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