第58話 サイボーグ・ゾルゲ
七丈島、地下研究所──
地下研究所の一室。
忍のひとことに、御湯ノ水博士は不審の目をむけた。
「リストウォッチを渡せ?」
パソコンの電子音だけが聞こえる。
スタッフはおらず、博士と忍のふたりきりだ。
「どういうことだね、忍くん?」
忍は、大手企業に勤める秘書のような出で立ちで、眼鏡の奥から相手の顔を冷静に見つめ返していた。ここまで大人びた顔のできる少女を、博士は他に知らない。彼女が高校生であることに、軽い狼狽すら覚えてしまう。
「隠密課より回収命令が出ています。その新型リストウォッチをお引渡ください」
忍はそう言って、ガラスケースに収められた5色のリストウォッチを盗み見た。
博士はケースに手の平を当て、そっと背中に回した。
「確かに完成したとは伝えた……が、回収するという連絡は受けていない」
「そのために私が派遣されました。リストウォッチと博士の護衛も兼ねています」
決して崩れない忍の口調。それが博士に、妙な不信感をいだかせた。
偽物だと疑っているわけではない。厳重なセキュリティチェックを通過し、七丈島の最奥までやって来たのだ。変装している気配もなかった。研究者とは言え、御湯ノ水にもその程度の心得はある。でなければ、国の秘密研究員など務まらないからだ。
しかし、なにかがおかしい。
その最たる原因に気付いたのは、数秒後のことであった。
「ゲンキたちはどうしている?」
博士の質問に、忍は視線をもどした。
「赤羽さんたちは現在、隠密課の施設に匿われています」
「戦況は? なにも連絡がないのは、どういうことなのかね?」
「一進一退です。現在は九段下にある葦屋一族の本邸を包囲中。膠着を打開するには、その新型リストウォッチが必要だと、上層部は判断しました。早急に届けなければなりません」
博士は、背中に隠したケースの重みを感じた。
嘘か……真か……忍が嘘をつくメリットはあるのだろうか。リストウォッチをゲンキたちに渡すことは、最初からプロジェクトに含まれていた。相手が葦屋一族ともなれば、一進一退だというのも納得がいった。情報が漏れないように、本土と七丈島の通信を控えているのも当然の話だ。
それにもかかわらず、博士は胸騒ぎを覚え始めた。長年生きてきた勘が、心の中で微妙な引っかかりを見せていた。だが、確たる証拠はない。ここで仲間割れする必要も、博士には見出せないでいた。
「……分かった。早くゲンキたちに届けてやってくれ」
博士はケースをさし出した。忍は表情を変えず、それを受け取った。
「ありがとうございます……それともうひとつお願いがあります」
「お願い……? なんだね?」
忍は一瞬だけ間を置いた。なにか厄介な提案ではないだろうか。そう読んだ御湯ノ水は、慎重に言葉をつけくわえた。
「リストウォッチの開発で、資金は底をついてしまった。新しいプロジェクトなら……」
「いえ、そういうことではありません。本土へ移動していただけませんでしょうか?」
突然の異動命令。博士はこの予期していない事態に眉をひそめた。
「忍くん、あまり機密に立ち入りたくないのだが……実は不利なんじゃないかね?」
「いいえ、そのようなことはございません」
即答。嘘の音色は聞こえない。自信に満ちた口調だった。
しかし、相手は諜報員。生粋の忍者である。嘘などわけもなくつけるだろう。
御湯ノ水は言葉を継いだ。
「当初の計画では、新型リストウォッチが間に合わなくても、十分戦えると……」
「それはあくまでも青写真です。葦屋一族の実力は、博士もご存知かと思いますが」
その通りだった。計画はあくまでも計画に過ぎなかった。
だが、それでも妙ではないだろうか。隠密課は、計画にはなかった地球外生命体の力を借りているのだ。それにもかかわらず、戦況が五分というのは解せない。それとも、軍事的なことに無知な自分が楽観的なだけなのだろうか。博士は逡巡した。
「……べつに逆らう気はない。すぐに出発するのかね?」
「ありがとうございます。ヘリを用意してありますので、それにお乗りください」
自働ドアが開き、濃緑色の制服を着た男が入って来た。七丈島警備隊の隊員だ。
「失礼します」
隊員はふたりに敬礼すると、直立不動でメッセージを伝える。
「忍様、脱出の準備が整いました」
隊員の言い回しに、忍はどことなく安堵していた。博士はそれを見逃さなかった。
「脱出……? どういうことだ?」
「単に移動するだけです。この島は狙われている可能性がありますので……」
「狙われている……? 誰にだ? 葦屋の式神は、東京に釘付けのはず」
「悪の組織は、葦屋一族だけではありません。油断は禁物かと」
忍は曖昧な説明を終え、御湯ノ水に退室をうながした。博士もこれ以上の質問を無意味と考えて、忍の誘導にしたがった。尋ねても、はぐらかされるだけなのだから。
さきほどの隊員が先導し、真ん中に博士、最後尾に忍がひかえた。これでは連行されているようなものだ。博士は息苦しさを感じた。
とはいえ、なにごともなく時間は過ぎ、3人はヘリの発着場に辿り着いた。博士の記憶が正しければ、それは海岸沿いの崖下にある、岩窟にカモフラージュされた場所だった。
「ん、なぜ灯りがついてない?」
入り口のドアをくぐった博士が独りごちた。
隊員も怪訝そうに首をかしげた。
「ブレーカーが落ちたのかもしれません。しばらくお待ちを」
そう言って、隊員は左隅のパネルへと移動した。
「忍くん、本土というのは、いったいどこの……」
そう尋ねかけた博士は、ふと口をつぐんだ。
忍の表情が固い。
「博士、ケースをお願いします」
忍は御湯ノ水にケースを押し付けると、隠し持っていた小太刀に手を伸ばす。
まさか……そんな……博士はケースを抱き締め、一歩後ろに下がった。その瞬間、格納庫全体に灯りがともった……怪しい人影はない。ヘリも無事だった。
気のせいか。そう思って隊員の方を振り向いた博士は、危うくケースを落としかけた。
「こんばんは、ドクター・オユノミズ」
パネルのスイッチを入れたのは、隊員ではなかった。隊員は……床に倒れ、胸元に赤い染みを作っていた。その死体を足下に敷き、古びたコートに身を包んだ細身の男がひとり、骸骨のような歯を見せて笑っていた。
博士は、その顔に見覚えがあった。
「ゾ、ゾルゲ!? なぜここにッ!?」
「お久しぶりです。もう一度お目にかかれるとは思っていませんでしたよ」
御湯ノ水と侵入者の関係に、忍は動揺を隠せなかった。
「博士、何者です? この男をご存知なのですか?」
御湯ノ水は迷った。真実を喋ってもいいものか。
決めかねる博士をよそに、ゾルゲは胸元に手を当てて慇懃に頭を下げた。
「これはこれは、隠密課の女忍者も同席でしたか……はじめまして、私の名はゾルゲ、ドクター・オユノミズとは、以前親しくさせていただいていた者です。お見知りおきを」
親しい。その表現に、博士は首を振った。
「おまえの世話になっていたわけではない」
博士の抗議を受け、ゾルゲは大げさに驚いてみせる。
「確かに、あなたを雇っていたのは、べつの御方ですからな……しかし、ここでその名前を口にしてもよろしいのでしょうか? そこのお嬢さんに聞かれてしまいますよ」
御湯ノ水は歯ぎしりした。マズいことになった。日本政府の秘密研究員。その肩書きを得る前の履歴は、まだ誰にも知られていない。隠密課にすら探られていないのだ。皮肉なことに、彼が隠密課の情報収集能力に疑念を抱いているのも、そのためであった。
「あなたは何者です? ここへなにをしに来ました?」
隊員の死にもかかわらず、忍は取り乱していなかった。冷静に対応する。
博士自身にも、目の前の人物の目的が見えてこなかった。今さら自分に、なんの用があると言うのだ。このリストウォッチだろうか? しかし、東京で戦っている相手は葦屋一族。ラスプーチンではなかった。
いや、それとも……博士は忍を盗み見た。
「まさか、東京でラスプーチンが暴れているのか?」
「ラスプーチン……? 彼はラスプーチンの手下ですか?」
しまった。博士は自分の質問が迂闊だったことに気付いた。簡単な連想ゲームだ。
もう誤摩化しは効かない。こういう舌戦は、もともと御湯ノ水の得意ではないのだ。喋れば喋るほど、墓穴を掘ってしまう。
一方、忍が嘘をついていた可能性も飛躍的に高まっていた。東京でなにかが起こっている。自分の知らないなにかが。そう判断した博士は、逆に質問を返した。
「本当に葦屋一族と戦っているのか? 一進一退というのは嘘……」
「ええ、嘘ですよ」
ゾルゲが口を挟んだ。忍は御湯ノ水の追及を止めて、ゾルゲを睨み返した。
「博士、あの男の話に耳をかたむけないでください」
「おやおや、いきなり冷たいですね……まあ、嘘をつきたくなるのも分かりますよ。まさか双性者のひとりを自爆させて、他のメンバーに裏切られたとなると……」
ゾルゲの台詞に、博士は顔色を失った。
「き、清明と葦屋を相打ちさせたのかッ!?」
「博士ッ! これは敵の罠ですッ! 無視してくださいッ!」
「それは絶対いかんと言っただろうッ! あいつらは無二の親友同士だッ! 清明が利用されたと知れば、なにをしでかすか分からんと忠告したはずだッ!」
「落ち着いてくださいッ! 緑川さんは生きていますッ!」
「だったらなぜゾルゲが……」
口論になりかけたふたりだが、すぐさま我に返った。
今はそれどころではない。目の前の男を撃退しなければ。
先に動いたのは忍だった。いつの間にか引き抜いていた小太刀を構え、一気にゾルゲの胸元を目指す。ゾルゲは避けることなく、ただ両腕を胸元で組み合わせる。
いかんッ! 博士がそう叫ぼうとした矢先、鋭い金属音があたりに響き渡った。
「なッ!?」
忍の刃は、ゾルゲの二の腕に突き立てられた……が、貫通していない。
忍は反動を利用して、数歩飛びのいた。
御湯ノ水はケースを抱きかかえ、大声で叫んだ。
「そいつは機械化人間だッ! 頭を狙えッ!」
仲間への助言に、ゾルゲはあまり面白くなさそうな顔をする。
「告げ口とは参りましたね……せっかく情報を横流しして差し上げたのに……」
ゾルゲは武器を手にすることなく、ボクシングのような構えを取った。
素手で闘う気か。これにはさすがの御湯ノ水も困惑した。
その困惑をよそに、忍は懐から手裏剣を取り出し、ゾルゲの脳天目がけて放った。
「遅いッ!」
ゾルゲは素手で全てを叩き落した。が、その隙を狙った忍は、猛然と飛び掛かった。手裏剣を払う腕が大振りだったため、ゾルゲは頭部の防御ががら空きになっていた。
「覚悟ッ!」
忍は小太刀の束に手の平をあてて、一気にゾルゲの額を射抜いた──いや、射抜いたように見えた。博士の位置から見て、小太刀が半分ほど消えたからだ。しかし、それが目の錯覚と分かるまで、ものの1秒とは要さなかった。
刃が肉体にめり込んだのではなく、半分に折れてしまったのだ。
「きゃッ!」
ゾルゲは体勢を崩した忍に、バク転を織り交ぜた蹴りを放った。足下をすくわれた忍は、そのまま空中に蹴り上げられた。受身を取ろうとしたところで、ゾルゲの拳が炸裂した。忍は背中に鋼鉄のパンチを受け、のけぞったまま地面へと激突した。御湯ノ水は本能で駆け寄ろうとしたが、足が震えて動かなかった。
殺される。博士はリストウォッチのケースを抱き締め、ゲンキたちを思った。
「ふぅ……なかなかいい動きをしますね。博士が古い情報を口走っていなければ、私のほうがやられていたかもしれません。ご協力感謝しますよ」
ゾルゲは手袋をはめた手を払い、忍の意識がないことを確認した。
なんと言うことだ。十数年も前の弱点がそのままなはずがないではないか。博士は自分の軽率さを呪った。
「貴様、まさか全身を機械化して……」
「脳みそはそのままですよ。ただ、頭が弱点なんて、ホラー映画のゾンビじゃないんですから。弾が飛び交う戦場では致命的です。5年ほど前に、テスラ博士に改造してもらいましたよ」
テスラ。かつての同僚の顔が、御湯ノ水の脳裏をよぎった。
「そうか……テスラが一枚噛んでいるのか……」
「いえいえ、誤解なさらずに。あなたとお会いするのは、ラスプーチン様ご本人です。テスラ博士は事情があって、少しばかり外出なさっています」
同じことだ。御湯ノ水は逃げ場をさがす。
どこにもない。秘密のヘリポートという選択が、かえって仇になっていた。正規の発着場ならば、いくらでも警備隊が配置されているのだが。
最悪の状況だった。新型リストウォッチを携帯しているというのがなお悪い。これならば、研究が完成する前にいきなり拉致された方がマシだった。
御湯ノ水が無念の表情を浮かべる中、ゾルゲは慇懃な態度を見せた。
「では、ついて来ていただきましょうか。ドクター・オユノミズ」




