第56話 米露会談
クレムリン、艦内発着場──
格納庫のシャッターがひらいた。一台の戦闘機がゆっくりと降下を始めた。冷たい風が艦内に激しく吹き込んだ。兵士たちは帽子を押さえ、めいめい物陰に逃げ場を求めた。格納庫の中を走り回っているのは、機体を誘導する整備士たちだけだった。
彼らは粛々とマニュアルに従いつつ、一様に動揺の色を見せていた。それも無理からぬことであった。戦闘機の右翼は根元から折れ、エンジンはとうに回転を止めていたからだ。それにもかかわらず、機体はハリアーのように垂直降下を行っていた。
ただひとり、その着陸作業を冷静に見守る人物がいた。僧衣を身にまとい、あご髭を生やした男、クレムリンの首領ラスプーチンその人であった。ラスプーチンは忌々しそうに、ハッチの奥を見つめていた。
ペーパークラフトが舞い降りたかのように、車輪が音もなく床に触れ、なんの前触れもなくハッチがひらいた。周囲に待機していた警備兵たちは、銃を担いだまま逃げ出すように壁際へ移動した。慌ただしい靴音の中、スーツを着たサングラス姿の黒人男性が、ハッチから格好をつけて飛び降りた。着地の音が格納庫内に鳴り響き、男はポーズでも決めるかのようにスッと立ち上がった。
傍目でそれを眺めていたラスプーチンは、ふんと鼻を鳴らした。
「大統領、我がクレムリンへようこそ……と言いたいところだが、そうもいかんようだな」
ラスプーチンの挨拶を無視して、大統領は歩を進め始めた。
ラスプーチンはかまわず先を続けた。
「どういうつもりだ、大統領? 救援を頼んだ覚えはないが?」
ラスプーチンの刺々しい言葉にもかかわらず、大統領は涼しげな顔をしていた。先ほどの空中戦で曲がったネクタイをなおし、堂々とラスプーチンへ歩み寄った。兵士たちがラスプーチンを護衛しようとしかけたが、ラスプーチンはそれを制した。
大統領は接近した兵士のひとりを押しのけ、ラスプーチンと正面から対峙した。
「どういうつもりだと? それはこちらの台詞だ。なぜ日本政府に加担した?」
「加担……? はん、加担した記憶などない。ワシはただ、他の組織とつるまないようにしただけだ。我々はもともと敵同士だろう。東京が混乱しているのだから、そこを狙ったまでだ。なにが悪い? ん?」
ラスプーチンの挑発的な台詞にも、大統領は怯まなかった。
「そのおかげで、アシヤ一族が崩壊の憂き目にあっている……いや、アシヤ一族だけではない。北京のワンもそうだ。東アジアの秩序が崩れれば、それは太平洋全体の秩序に関わる。そのことを忘れたのか?」
「太平洋はもはやおまえの庭ではない。そんなのは何十年も前の話だ。違うか?」
「アメリカが表の世界の警察であるように、アメリカに本拠地を置く我々の組織は、裏の世界の警察を担っている。それは21世紀になっても変わらん。これからも永遠に」
「だからその荷を降ろしてやろうと言うのだよ。このワシがな」
およそ議論とは言えない議論に、周囲はざわめき始めた。ラスプーチンは部下たちに睨みを利かせ、一喝するまでもなく場内を静まり返らせた。
「大統領、最初の質問に答えてもらおう。なぜここへ来た? 気まぐれで空飛ぶ散歩をしていたわけではあるまい? なんの用件だ?」
大統領はサングラスの奥から、じっとラスプーチンの瞳を見つめ返した。
「東京からブラックハウスに連絡が入った。夢の国の使者が、地球へ派遣された可能性があるらしい」
大統領の一言に、ラスプーチンは眉をひそめた。
信じられないと言った顔で、相手をあざわらった。
「その手には乗らんぞ。タイミングが良過ぎる」
「信じる信じないはおまえの勝手だ。私も最初はタイミングがうま過ぎると思った。悪の講和条約が失効し、日本政府が双性者計画を始動させた年に、夢の国の使者が訪問するとはな……しかし、謎の飛行物体が東京近辺で確認されたのは事実だ。私がさきほど戦った機体も、地球上のものとは思えん。あれは……未知の宇宙船だった」
ラスプーチンはふと唇を動かしたかと思うと、そのまま口を閉ざした。あご髭を撫で、しばらく思念にふけった。
大統領はなにも言わず、相手の反応を待った。
「……ふむ、確かにおまえの言う通りかもしれん。とはいえ、その宇宙船が夢の国の使者かどうかなど、誰が確認すると言うのだ? 顔も知らんのだぞ?」
「それについては、バチカンの枢機卿に依頼済みだ」
大統領の返事に、ラスプーチンの顔から嘲りが消えた。
わずかな戸惑いを隠すように、彼はすぐさま言葉を継いだ。
「まさか……ルシフェル様を召喚するというのか?」
「悪の世界の緊急事態だ。それ以外に手がない」
ラスプーチンは視線を泳がせた。
そこまでの重大事だとは思っていなかったのだ。
「ふむ……」
ラスプーチンはその場でもう一度考え込んだ。側近たちが、一様に視線を向けてくる。次に言葉が発せられたのは、それから数分ほども後のことであった。
「……分かった。ではワシも東京にはしばらく手を出さんことにしよう」
「もはや東京はどうでもいい。アシヤ一族は国外脱出したと聞く……おまえがそれを知らないはずがあるまい?」
大統領の皮肉めいた質問に、ラスプーチンは話を逸らした。
「クレムリンも今回の件で修理が必要になった。1、2週間は作戦行動に出られん。その間に、バチカンから連絡が入るだろう。夢の国の住人が本当に来たのかどうか……我々の話し合いも、それからで遅くはない」
「ふん……どうだかな……すでに手遅れかもしれんぞ」
大統領は、本心とも脅しともつかぬ台詞を残し、突然きびすを返した。
これ以上の会話は無意味だと悟ったのだろうか。
ラスプーチンも引き止めはしなかった。
「そのオンボロ飛行機で帰るのか? なんなら一機くらい貸してやっても構わんぞ?」
「風よけがあれば十分だ。私はこれで失礼する」
大統領は人並みはずれた脚力で、コックピットに飛び乗った。スイッチを操作していないにもかかわらず、ハッチが整然と閉まっていく。
半分ほどハッチが降りたところで、大統領は再度ラスプーチンをまなざした。
「ラスプーチン、ひとつだけ忠告しておく……妙な気を起こすな。夢の国の使者が現れたとなれば、我々は一時的に休戦せねばならん」
「……その言葉、肝に銘じておこう」
ラスプーチンが言い終える前に、ハッチがその口を閉じた。エンジン音すら立てず、機体がゆっくりと空中に浮かび上がる。事情の理解できない兵士の幾人かは、ぽかんと口を開けてその不可解な光景を見送った。
戦闘機はそのまま格納庫を飛び出し、凧のように静かに雲の切れ間へと消えた。
大統領を見送ったラスプーチンは、側近のひとりに声をかけた。
「おい、脱出用ポッドの行き先は追跡できたか?」
急な話題の転換に、側近はすぐさま姿勢をただした。
「ハッ、一基はシベリアへ、もう一基はウラジオストクへ向かった模様です」
「二手に分かれたか……」
側近の報告に、ラスプーチンは微妙な表情を浮かべた。好手か悪手か。アナスタシアたちがまとまりのない行動を取ったことについて、ラスプーチンは評価をくだしかねた。
「近場のウラジオストクはいいとして、問題はシベリアだな……支部への連絡は?」
「すでに済ませてあります。レーダーに探知され次第、捜索班が向かうとのことです」
「アナスタシアが乗ったポッドがどちらか分かるか?」
ラスプーチンの質問に、側近はすぐには答えられなかった。担当の兵士を呼び、事の仔細をたずねた。兵士が側近に耳打ちしようとしたところで、ラスプーチンはそれを叱りつけた。
「回りくどいことをするなッ! ワシに直接話せッ!」
ラスプーチンの怒声に、兵士は異常なほど律儀な敬礼をした。
「ほ、報告致しますッ! アナスタシアが登場したポッドは、シベリア方面へ落下ッ! テスラ博士と双性者が1体同乗している模様ですッ!」
報告を聞き終えたラスプーチンは、再びあご髭を撫でた。
「テスラにアナスタシア、それと双性者か……必要なものは全てシベリア行きというわけだな……おい、連中は魔法少女のステッキを持ち出したのだな?」
「ハッ、残念ながら……」
おびえた側近の返事をよそに、ラスプーチンは先を続けた。
「あのステッキ、テスラも地球外のテクノロジーだと言っていたな……もしかすると、夢の国の使者と関係があるのかもしれん……なんとしても奪回しろッ!」
ラスプーチンの命令に、側近は眉をひそめた。慎重に言葉を返す。
「し、しかし、目立った行動は大統領に気付かれ……」
「心配するな。あいつが直々に来たということは、相当な人手不足なのだろう。我々の行動を一々監視している余裕はないはずだ。シベリアに捜査隊を派遣し、双性者とステッキを回収させろ。48時間以内にだ」
「よ、48時間以内にですか……正確な着陸地点は調査中でありまして……」
側近の苦言に、ラスプーチンは大手を振って命じなおす。
「ぐだぐだ言ってる暇があったら捜しに行かんかッ! 何人連れて行っても構わんッ!」
「ハ、ハッ!」
側近は身を翻し、そのまま格納庫を飛び出した。
ラスプーチンは間髪置かず、残った側近の群れに声をかけた。
「おい、ゾルゲはいるか?」
側近の最後尾から、陰気そうな男が顔をのぞかせた。
病的なまでに頬の痩けた、猫背気味の青年だった。
青年は他の側近たちの視線を受けながら、ラスプーチンの前で胸に手を当てた。
「お呼びでございますか、ラスプーチン様?」
「ゾルゲ、おまえは今から日本へ迎え」
「日本へ……かしこまりました。行き先は?」
「それは指定できん……ドクター・オユノミズを捜し出すのだ」
ラスプーチンが口にした人名に、ゾルゲは心持ち背筋を伸ばした。
煙草で黄ばんだ歯を覗かせながら、自分の任務を確認する。
「オユノミズ博士の身柄を確保し、クレムリンへ護送せよ、と?」
「そうだ。48時間以内に見つけ出せ」
他の側近たちがざわめく。しかし、当のゾルゲは平然と腰をかがめて頭を下げた。
「このゾルゲにお任せを。48時間以内に、博士をここへお連れ致しましょう」
「期待しているぞ」
ラスプーチンはにやりと笑い。格納庫から見える大空を見つめた。
白い雲が、幻想的に流れていく。まるで過去と未来のように。
「大統領め、わざわざ情報を漏らしに来てくれるとはな……夢の国の技術さえあれば、アナスタシアに頼らずとも我が革命は成就する。全世界から資本主義を一掃する日が、間もなくやってくるのだ」




