第53話 怪僧ラスプーチン
反転する世界。くるくると入れ替わる色彩に目を回しながら、ゲンキはテーブルめがけて墜落した。食材の山に頭から激突する。
「べッ! マズいにもほどがあるぞッ!」
塩辛いスープを吐き出して、ゲンキは拳をふりあげた。
天井の穴に向かって、大声で悪態をつく。
「てめえッ! 変身してなかったら首の骨折って死んでたぞッ!」
ゲンキはバイザーに付着したソースを手袋でぬぐいとり、あたりを見回した。
スプーンを持った兵士たちが、ぽかんと口を開けて彼を取り囲んでいた。
「えっと、その……食事中に失礼しました」
ゲンキは愛想笑いを浮かべ、揉み手をしながらテーブルを降りた。
爪先が食器に触れ、食堂内に陶器の割れる音が木霊する。
「あ、すんません、今度弁償しますんで……さよならッ!」
ゲンキは猛ダッシュで食堂の出口へと向かった。
見ればジャンとカオルも同じ方向に走っていた。
自分だけ出遅れたことに気付き、ゲンキは全力疾走する。
兵士のひとりが立ち上がった。
「おいッ! そいつを捕ま……ッ!?」
その兵士の声は、テーブルを叩き割る音にかき消された。
食堂全体に女の咆哮が響き渡る。
「Ураааааааа!!」
その声の正体を察したゲンキは、ふり向きもせず食堂を飛び出した。
出くわした男たちを突き飛ばし、ゲンキは前を行くふたりに追いすがる。
「ジャン! カオル! 上へ戻るぞッ! 階段をさがせッ!」
カオルは前を向いたまま、
「どうやって逃げるんだッ!? ここは雲の上だろッ!?」
と返した。
「ニッキーのUFOが待機してんだよッ! 10メートル以内に近付けば勝ちだッ!」
廊下が騒がしくなってくる。ゲンキたちを取り押さえようと、屈強な男たちが前後左右からトライを決めてきた。だがそこはヒーローモード。プロレスラー並の相手さえ、軽々といなしてしまった。
遠距離から銃を構える者もいたが、すぐさま仲間に制止された。
「ここで撃つなッ! 味方に当たるぞッ!」
「ラスプーチン様に報告しろッ! 俺たちじゃ止められんッ!」
100メートルほど走ったところで、左手にようやく階段が見えた。
ゲンキを先頭にそれを駆け上がる3人。踊り場に辿り着いた瞬間、足下の板が破砕し、黒い影が飛び出した。
「目標発見。逃走経路を遮断します」
女は空中で膝蹴りを放った。ゲンキは間一髪のところでそれを避け、バク転しながら階段を飛び降りた。奇麗に着地を決め、ゲンキは周りにいる男たちの賞賛を集めた。
「アホーッ! さっさと逃げんかいッ!」
ゲンキは襟首をつかまれ、引きずられるように廊下を移動した。
「バカ! 首が絞まるだろッ!」
ゲンキはジャンの手を振りほどき、自走を再開した。
なにか忘れている気がする。数メートルと進まないうちに、ゲンキは自分たちの任務を思い出した。
「す、ステッキはッ!?」
「それなら回収したッ!」
並走するカオルが、3本のステッキをかざしてみせる。
さきほどのアナスタシアとの格闘で、シリンダーが壊れたのだった。
「さすがカオルやッ! だれかさんとは大違いやでッ!」
「てめえは一言多いんだよッ!」
「そんなことより、ほかに階段はないのかッ!?」
カオルの悲鳴に、ゲンキは含み笑いで答えた。
「安心しろ、ニッキーからもらった地図があれば……」
腰に手を伸ばすゲンキ。
スーツに指が触れるだけで、目当てのものが見当たらなかった。
ぽんぽんと腰を叩き、ゲンキはにわかに青ざめた。
「ち、地図がねぇッ!?」
「なんやてッ!?」
ゲンキは記憶を掘り返す。地図は制服のポケットに入れた。変身するとき、着ているものは一時的に消滅してしまう。ということは──
「へ、変身を解かないと見れねぇッ!」
「ならさっさと変身を解かんかいッ!」
ジャンに怒鳴られて、ヒーローモードを解除しようとするゲンキ。
カオルが慌ててそれを制した。
「そんなことしたらアナスタシアに追いつかれるぞッ!」
「アナスタシアって誰だ?」
「あの女ロボットだよッ!」
ゲンキは後ろを振り返る。誰もいない。警備兵どころか、アナスタシアの姿も見当たらなくなっていた。怪訝に思いながらも、ゲンキは前へと向きなおった。
「こいつは逃げ切ったんじゃないかッ!」
「階段やッ!」
ジャンの指摘を受け、ゲンキとカオルもスパートを掛けた。
左手のほうに、さきほどと同じかたちの上り階段が見えた。
一番足の速いジャンが、まっさきに到達した。
「よっしゃッ! このまま一気に上まで……」
「悪いが、この階段は下り専用だ」
頭上から野太い声がした。ジャンは手摺を握ったまま、そっと視線を上げた。僧衣を着たあご髭の濃い男が、威風堂々と階段を降りてきた。みすぼらしい風貌だが、ジャンはその男になにかただならぬ空気を感じとった。追いついた他のふたりも、足を止めた。
ゲンキがジャンを押しのけて、僧衣の男をゆびさした。
「おっさん、そこを退きな。俺たちは急いでるんだ」
「聞こえなかったのか? この階段は下り専用だ。おまえたちの行く先は……」
男は口の端をゆがめ、親指を下に突き立てる。
「シベリアの収容所だ」
「ハァ……口で言っても分からないなら、ちょいと痛い目見てもらうぜ」
ゲンキは拳を握り、大柄な男の胸元へとそれを振り上げた。決まったかに思えたパンチだが、寸でのところで男はそれを食い止めた。逞しい手のひらが、ゲンキの拳を覆った。
力比べで負けるはずがない。ゲンキがさらに力むと、男も全身に気合いを入れた。
「ハーッ!」
「ッ!?」
ゲンキは腕を引き抜き、体勢を崩して階段から転がり落ちた。
下で待機していたジャンとカオルが、少年の体を受け止めた。
「ゲンキ、どうしたッ!?」
「手が……」
ゲンキは右手を押さえ、苦痛に顔をゆがめた。熱した鉄にでも触れたかのような、激しい痛みを感じる。道具を使われた記憶はない。自分の身になにが起こったのかさえ、少年には分からなかった。
ゲンキがうずくまっている間も、男はゆっくりと階段を降りてくる。ゲンキを支えていたジャンとカオルは、立ち上がって戦闘態勢に入った。
「ゲンキになにをしたんや? ワイらがただじゃおかんで」
「ワシの船に乗り込んで、派手に暴れ回ってくれた礼だよ。この場で殺さなかったことに感謝して欲しいくらいだ」
「なんや、売られた喧嘩はワイも……」
飛び掛かろうとしたジャンを、カオルが左腕で制した。
「なんや? はよせんとあの女に……」
「こいつ、ただ者じゃないぞ」
ジャンはもういちど僧衣の男をみあげた。
男はニヤニヤと笑うばかりで、ジャンたちを恐れている気配がなかった。
ヒーロー3人が気後れしていると、うしろで女の声が聞こえた。
「ラスプーチン様、こちらにいらっしゃいましたか」
一斉に振り返る3人。アナスタシアが立っていた。
「ほら見いッ! 追いつかれたやないかいッ!」
いきり立つジャンの隣で、カオルの顔色が変わった。
震えるくちびるで、アナスタシアが口にした名前を繰り返す。
「ラスプーチン……? まさかこの船の……」
「ふふふ、ようやく気付いたか。知らないとは、幸せなことだな」
ラスプーチンは恐怖心を植え付けるように、一段一段と歩を進める。
木板の軋む音が、ゲンキたちの耳を酷くおどかした。
「あ、あかん……ゲームオーバーや……」
ゲンキは、
「バカ、あきらめるな」
と言ったが、右手にふたたび激痛が走った。
歯を食いしばって顔をしかめる。攻撃された方法がわからなかった。
やけどのようでもあり、電流が走ったようでもある。
彼の横に降り立ったラスプーチンは、ぽんとゲンキの肩を叩いた。さきほどのトラウマが蘇り、ゲンキは悲鳴を上げてしまった。情けない。自分でそう思いながらも、ゲンキは膝の震えを押さえることができなかった。
「アナスタシア、よくやった。この3人を司令室へ運べ。ワシが直々に尋問する」
「お言葉ですが、ラスプーチン様、彼らは私の獲物です」
「……なに?」
口答えを予期していなかったのか、ラスプーチンは一瞬押し黙った。
その間にも、廊下の奥からは武装した警備兵が続々と駆けつけてくる。
事態が悪化する中、ゲンキは痛みをこらえて打開策を練った──なにも思いつかない。
「アナスタシア、それはどういう意味だ? ワシの命令に逆らうのか?」
「繰り返します。この3人は私の獲物です。私に優先権があります」
ラスプーチンは眉をひそめ、歯を剥き出しにした。
「……さては貴様、前回の戦闘で壊れたな?」
「壊れてはいません。私のシステムは全て正常、オールグリーンです」
「ならばなぜワシの命令に逆らうッ!?」
「繰り返します。この双性者は、私が先に見つけた獲物です。処理してから持参しますので、しばらくお待ちください」
ダメか──ゲンキは失望した。アナスタシアに負ければ、どのみち連行される。
少年が半分諦めかけたとき、ふと彼は昔読んだ漫画のことを思い出した。50年以上も前の作品だが、妙に覚えている。この窮地でなぜそんな記憶が──
ラスプーチンは声を張り上げた。
「ならばさっさとこの場で始末しろッ! ワシも手間が省けるッ!」
「……了解」
アナスタシアの関節が動く。その動作に合わせて、ゲンキはくちびるを動かした。
「ちょっと待て……話がある……」
立ち止まるアナスタシア。ラスプーチンは苛立たしげに片手を振り上げる。
「話など聞かんでいいッ! 始末しろッ!」
「アナスタシア……いいか、このスーツは完成品じゃないんだ……」
「アナスタシア! なにをしているッ!? ワシの声が聞こえんのかッ!?」
ラスプーチンの怒声を、アナスタシアは銃口で制した。
周囲でざわめきが起こる。
「……貴様、裏切る気か?」
「お静かに願います。今はこの少年が喋っている最中です」
よく言った。ゲンキは顔をしかめたまま、にやりと笑う。
「いいか、このスーツは完成品じゃない……だけどもうすぐ完成するんだ……今の弱いオレたちを倒しても、全然面白くないと思わないか……?」
ゲンキの説明に、カオルもハッとなった。すぐに言葉を継ぐ。
「そ、そうだ。テスラ博士も言ってただろう。完成品ならきみと同じくらいだって。だけどこのスーツは完成品じゃない。だからきみよりもずっと弱いんだ」
「……」
アナスタシアはゲンキを凝視する。
漫画のワンシーンを真似た、冗談のような賭け。
その賭けに、ゲンキは勝利を確信した。
「えーいッ! こんなバカな話に耳を貸すヤツがあるかッ! さっさと……ぐッ!?」
銃声。ラスプーチンの胸元から血飛沫が舞う。
アナスタシアの行動に、ゲンキもあんぐりと口を開けた。
「み、味方を殺した……?」
ゲンキは唖然とした。間違いなく心臓の近くに命中している。
誰もが驚愕する中、ラスプーチンは左手で傷口を押さえ、指に力を込めた。すると淡白い光が放たれ、カランと銃弾が床に転がり落ちた。手を放すと、すでに血が止まっていた。傷口も塞がったように思われた。
なにが起こったのか、ゲンキには理解できなかった。カオルとジャンも、目の前で起きた光景をただひたすら傍観していた。
「貴様……ワシでなかったら死んでいたぞ」
ラスプーチンはアナスタシアを睨みつけた。怒りに震えてはいるが、それ以外の感情はどこにも見られない。殺人ロボットに恐怖している様子もなかった。
一方、アナスタシアも冷静に答えを返す。
「それは計算済みです。そうでなければ撃ちません」
「……どうやら、本気で壊されたいようだな」
ラスプーチンがにじり寄る。アナスタシアは襟首を掴まれ、その場で宙吊りになった。
「スクラップにされたくなければ、今すぐこの3人を始末しろ」
「先に忠告します。あなたの能力は、機械である私に対して無力です。無論、私があなたを殺害することもできません。決着のつかない戦闘は時間の無駄です」
「ふん、一人前の口を利くようになったな……」
ラスプーチンは小気味よい笑みを漏らす。だが攻撃しようとはしない。アナスタシアの発言が真実であることを、ゲンキは即座に理解した。
逃げるなら今しかない。ゲンキは右手を押さえたまま、猛然と立ち上がる。
「チッ! 子ネズミがッ!」
ラスプーチンはアナスタシアを壁に叩き付け、ゲンキの右腕へと襲い掛かる。
危ない──動物的な直感から、ゲンキは左に飛び退いた。
「カオル! ジャン! こいつに触れるなッ!」
どんな能力かは分からない。ただこれまでの経緯を見る限り、ラスプーチンは接触することでしか攻撃できないようだ。蘆屋一族との戦いで養った勘が、そう告げていた。そうでなければとうに遠距離攻撃を喰らっているはずなのだから。
「衛兵ッ! こいつらを撃てッ!」
ラスプーチンの命令に戸惑う兵士たち。
「し、しかしラスプーチン様に弾が……」
「馬鹿もんッ! 銃器でワシを殺せるかッ! さっさと撃てッ!」
主人の命令に従い、兵士たちは一斉射撃を開始した。
弾丸の嵐がゲンキたちを襲う。
「いてえッ!」
いくら強化スーツを着ているとは言え、鉛玉の威力は洒落にならない。骨にヒビが入るかと思うほどの激痛に悶えながら、3人は階段を駆け上がり、上層へと向かった。
最上段で振り返ると、血塗れのラスプーチンがこちらへ向かって来るのが見える。
「バケモンかこいつッ!?」
「ゲンキ! ジャン! 合流地点はどこなんだッ!?」
「最上層部やッ! 今はとにかく逃げるでッ!」
ジャンの号令を合図に、ゲンキたちは階段を駆け上がる。騒ぎを聞きつけた兵士たちと遭遇しながらも、3人は全員を蹴散らし続けた。
怖いのはあのラスプーチンとアナスタシアだけだ。ゲンキは標的をしぼった。
たったふたつの障害物だが、大きな問題があった。ヒーローモードでは、接触しないと闘えないのだ。ラスプーチンを倒すには、打撃を繰り出す他にない。それは敵の手中に嵌まることを意味していた。アナスタシアについても同じで、彼女は格闘戦を苦にしなかった。
ゲンキはある結論に達した。
「魔法少女にならねえと無理だッ! どっかに隠れて変身するぞッ!」
「そんな時間あらへんッ! リストウォッチで通信やッ! 他に手がないでッ!」
ゲンキは走りながらリストウォッチを操作する。どうにも小難しい作業だ。ボタン一発で通信できるようにしておけと、今さらながらに博士を恨む。
「ジャン! こっちは準備できたぞッ!」
「ワイもやッ! さっきと同じでいくでッ!」
ジャンが発信ボタンを、ゲンキが受信ボタンを押す。
液晶の点滅もそこそこに、ジャンはリストウォッチへと話し掛けた。
「ニッキー! 聞こえたら返事せぇ!」
……応答がない。
「ニッキー! おらんのかッ!?」
《そんなに怒鳴らなくても聞こえているよ。どうぞ》
「カオルと合流したでッ! ステッキも回収済みやッ!」
《了解。その様子だと追われてるようだね。合流地点を指定してくれ》
「ゲンキのアホが地図なくしてどうにもならんのやッ!」
「アホは余計だッ!」
ゲンキが怒鳴ると、リストウォッチからタメ息が漏れてくる。
《やれやれ、そんなことだと思ったよ……》
「のんきなこと言っとらんで、なんとかせんかいッ!」
《安心したまえ。きみたちの位置はステッキで捕捉できている。そのまま真っ直ぐ進んでくれ。ヘリの発着場に出るはずだ。シャッターを開け、少しでいいから甲板に出て欲しい。そこで回収する。通信は常時オンにしてくれたまえ》
「了解やッ!」
ジャンはリストウォッチに向かって叫び、他のふたりを振り返った。
「今の会話聞こえたかッ!?」
「聞こえるわけねーだろッ! 要約しろッ!」
「このまま真っ直ぐ行ってシャッター開けたら回収やッ!」
「要約し過ぎだーッ!」
頭を抱えるゲンキの背後で、カオルが大声を上げる。
「見ろッ! 行き止まりだぞッ!」
十数メートル先に、金属製の扉が見えた。だがジャンは速度を緩めない。
「そのまま体当たりやッ!」
ジャンを先頭に、3人は扉へと体当たりした。ヒーロースーツの力で、暖簾を押すかのように扉が吹き飛ぶ。つんのめりそうになりながらも、ゲンキは体勢を整えた。
ゲンキたちが辿り着いたのは、巨大な格納庫だった。周囲にはヘリが並んでいる。カタパルトの線上には戦闘機も見えた。
行き場を失いかけたゲンキに、ジャンが声を掛ける。
「シャッターやッ! あのシャッターを開けるでッ!」
もう一度加速しようとするジャン。カオルが血相を変えてそれを制した。
「体当たりしたら勢い余って真っ逆さまだぞッ!?」
ジャンは舌打ちをし、格納庫の内部へと視線を走らせる。
比較的冷静さを保っているカオルが、今の状況を分析する。
「どこかに開閉のスイッチがあるはずだ。それを探し……」
「コントロールパネルはこちらです」
!? 聞き慣れた女の声に、ゲンキは振り返る。
ヘリの物陰から、アナスタシアが姿を現した。そばの床に穴が開いている。船内を破壊してショートカットしたのだろう。女の行動力に、ゲンキはあらためて戦慄した。
「ゲンキ! さっさとスイッチを押さんかいッ!」
躊躇するゲンキを他所に、ジャンがその場を飛び出した。それを見たアナスタシアは、華麗に飛翔してパネルの前に立ちはだかる。
ジャンが怯んだところで、彼女はその美しいくちびるを動かした。
「ひとつ取引をしましょう」
取引。意味深な言い回しに、ゲンキは眉をひそめる。
「悪いが、そんなことしてる暇は……」
ゲンキが言い終える前に、アナスタシアは手近なコンテナを持ち上げた。ハンマー投げの容量でくるりと一回転し、1トンはあろうかと言うそれを入り口目がけて投げつける。金属のぶつかり合う音とともに、入り口が崩れ去った。
「これで時間稼ぎができます。取引に入りましょう」




