第51話 意志を持ったAI
ついにバレた。それがカオルの直感だった。通気口を通り過ぎてわずか30センチ。けたたましい警報が、通気口の内部に反響した。だがそれよりも少年の神経を尖らせていたのは、背後で聞こえる男と女の争う声だった。
ひとつは若い科学者の、もうひとつは……アナスタシア。あのロボットだ。なぜロボットが起き上がったのか、カオルには分かりかねた。彼だけではない。科学者たちもまた、アナスタシアの起動を予想していなかったらしい。ふたたび男の声がした。
「アナスタシア! システムをダウンさせろ!」
その命令に続いて、アナスタシアの声が聞こえた。音量不足で聞き取れない。
ただひとつだけ分かったのは、アナスタシアが男の指示に従わなかったことだけだ。
「アナスタシア! 聞こえないのかッ!?」
間違いなく、自分の存在に気付いていない。カオルにはその確信があった。だが警報は通気口の封鎖を告げていた。このままでは、兵士がなだれ込んで来るに違いない。狭い空間では、ヒーロースーツのパワーも全くの無意味だった。
カオルはあせった。通気口の奥では、兵士たちの怒声が聞こえ始めていた。前門の虎、後門の狼とはこのことだ。カオルはほがらたちの顔を思い、強く念じた。
もちろん少年の声は届かない。その代わりに聞こえてきたのは──
「屋根裏の少年は、こちらへ降りて来なさい」
それは、若い科学者のものでも、テスラ博士のものでもなかった。
蘆屋家の前で聞いた、アナスタシアのうら若い声だった。
「もう一度言います。こちらへ降りて来なさい……話があります」
話? なんのことだ? カオルは混乱した。
罠か──そう考えた瞬間、通気口の奥に懐中電灯の光が灯った。
選択肢がない。カオルは、四つん這いのまま後退した。
「おい、いきなりドンってことはないよな?」
そうたずねながら、カオルは通気口の一部を垣間見た。女の姿はなかった。やはり罠ではないだろうか。科学者たちの戸惑いも、実は演技かもしれない。
カオルが躊躇していると、見えない位置からアナスタシアの声がした。
「不意打ちはしません。降りて来てください……これが最後通告です」
「最後通告……? 逆らったら?」
「その場で死んでもらいます」
おいおいと、カオルは心の中であきれかえった。
とはいえ、下手をすれば本当に撃たれかねない。すでに脱出は絶望的だ。カオルは全ての事情を考慮し、アナスタシアの命令に従った。
「よっと」
地面に舞い降りると、まずは科学者たちに出くわした。ふたりとも渋面を浮かべ、カオルを見つめていた。カオルはすぐさま振り返り、部屋の隅に立つアナスタシアを視界に収めた。
危うく身構えそうになったカオルだが、戦闘ポーズの代わりに両手を高く上げた。アナスタシアは、二の腕から取り出した銃を構えていたのだ。
「これはどういうことだ? あんたたちのロボットじゃないのか?」
カオルは、アナスタシアにではなく、背後の科学者たちに声を掛けた。
すぐに若い方が返事をした。
「わ、分からない……いきなり暴走を始めて……」
「暴走ではありません。私のシステムはすべて正常です」
アナスタシアは、不愉快そうに口を挟んだ。始終能面だった彼女の表情は、今では普通の人間と見分けがつかなくなっていた。おかしなところと言えばひとつ、ブロンドの髪が焼けただれ、頭皮が剥き出しになっていることぐらいだろうか。むしろその傷が、カオルに生々しい人間の印象を植え付けた。
少年が黙っていると、ふたたび若い科学者が口をひらいた。
「正常なら、早くシステムをダウンさせるんだ。きみはまだ修理中なんだぞ」
「システムをダウンさせるかどうかは、私が決めることです。あなたではありません」
そう言い放ったアナスタシアに、若い科学者は歯ぎしりした。
製作者の言うことを聞かないなら、やはり暴走ではないのか。カオルはそう思う。
一同にらみ合いが続く中、いきなりドアを叩く音がした。
「もしもし? テスラ博士? イワン博士? なにをなさっているのですか?」
カオルはちらりと入り口を見やった。やはり引渡される運命か……せめて変身を解いておこうと思った矢先、アナスタシアが言葉を継いだ。
「テスラさん、イワンさん、さきほどの打ち合わせ通りにお願いします」
「う、打ち合わせなどして……」
若い科学者は口を閉じた。アナスタシアが銃口を向けたのだ。
目の前でなにが起こっているのか、カオルは把握できないでいた。
「あなたはそこの棚に隠れてください」
アナスタシアは、カオルに向かってそう命じた。
「なに……? どこに隠れろって?」
「そこの棚です。早く隠れてください」
アナスタシアが指差したのは、部屋の隅にあるロッカーだった。
躊躇するカオルの後ろで、ふたたびドアがノックされた。
「博士? なにをなさっているのですか?」
アナスタシアは顎でカオルを催促した。考えのまとまらぬまま、カオルはロッカーの中に身を潜めた。雑巾の臭いがする。今日は悪臭塗れだと、カオルは場違いな嘆息を漏らした。
それと同時に、ロッカーの外で扉のひらく音が聞こえた。
「博士、なぜ鍵を……うッ!?」
男の呻き声と、床に倒れる音。ドアが閉まった。
カオルの位置からでは、なにが起こっているのか分からない。
若い科学者の声が聞こえた。
「ア、アナスタシア、なにをしてるんだ?」
「お静かに。さもないと、あなたにも気絶してもらうことになります」
ここでテスラが会話にわりこんだ。
「イワンくん、少し話をもどそう」
カオルはロッカーの暗闇で、3人の会話に耳を澄ました。
「とりあえず、おめでとうと言っておこう。きみが意志を持つことは、我々開発スタッフの最終目標だったからな……こうして生きているうちに見られるとは、ワシも期待しておらなんだが……」
「博士、あなたの発言は、さきほどの会話と食い違っています。あなたはこの事態を予期していたのではありませんか?」
「なんだ、聞いていたのか?」
アナスタシアは答えなかった。いや、それとも首を縦に振ったのだろうか。カオルは、なんとももどかしい気分になった。人工知能と開発者の対話など、滅多に聞けるものではない。逃亡者という身分にもかかわらず、今のカオルを支配しているのは好奇心だった。
イワンの困惑したような声が聞こえた。
「は、博士、なにを悠長な……早くシステムをダウンさせないと……」
「イワンくん、落ち着きたまえ。アナスタシアは、もはや我々の所有物ではない。彼女自身の意志で動く生命体なのだ。命令したところで、どうにもならんよ」
ゆったりとした足音。テスラのものだろう。カオルはそう推測した。
案の定、テスラの声が位置を変えながら聞こえてきた。
「アナスタシア、きみの目的はなにかね? これからどうしたい?」
「私はあの少年ともう一度闘います」
カオルは度肝を抜かれた。全く予想していなかった答えだった。
テスラですらふいを突かれたのか、しばらく会話が止まった。
「……闘いたい? あの少年と?」
「はい、彼との決着は、まだついていません」
決着ならついたではないか。蘆屋邸で自分を捕まえたのは、他でもないアナスタシアなのだから。カオルは心の中でそう思う。
まったく同じことを、イワンが横合いから放った。
「なにを言ってるんだ。きみはあの双性者を捕獲しただろう? だったらきみの勝ちじゃないか。今さら決着なんて……」
「あのときは完全な不意打ちでした。私は壊れたふりをして、彼女を……いえ、彼を捕縛しただけです。あの時点では、まだラスプーチン様の指示が有効でした。しかし、私が述べている決着とは、そのようなものではありません」
テスラが質問する。
「ほお、ではなにかね……どちらかが死ぬまでやると、そういうわけか?」
カオルは青ざめた。勝てるはずがない。魔法のステッキは没収され、対するアナスタシアは重火器のオンパレードなのだ。都内での戦闘を有利に進められたのは、アナスタシアが生け捕りに拘ったからに過ぎない。殺し合いとなれば、数秒で片がつく。
カオルが身を震わせる中、テスラとアナスタシアのやり取りが続いた。
「死は決着の要件ではありません。どちらかが戦闘不能になればよいのです……もちろんそれが死を意味することもありますが」
「ふむ……決着か……」
テスラはわざとらしくタメ息をつき、それから言葉を継いだ。
「それは承知できんな」
「なぜです? 博士は私の自立を認めてくれているものと思いましたが?」
「きみが自立したことは認めよう。だが、それはきみが傍若無人に振る舞ってもよいという意味ではない。きみに意志があるように、ワシにも意志がある。そうではないか?」
テスラのうまい返しに、カオルは恩を感じた。もしかすると、絶望的な決闘を申し込まれずに済むかもしれない。そう思ったのだ。
しかし、アナスタシアは納得しなかった。
「では、博士の意志とはなんですか? 私という人工知能の開発に成功した以上、博士たちの研究は達成されたはずです。それとも、まだなにか足りないと言うのですか?」
「きみの出来については、大変満足しておるよ」
「それならばなぜ……」
「しかしだね、きみも知っているように、例の……まあ、魔法少女としておこう。その魔法少女のステッキとやらが回収され、ワシもイワンくんも興味津々なのだ。あれは地球上に存在するテクノロジーを凌駕しておる。20世紀から生き続けているとはいえ、ワシもまだまだ現役の科学者だ。これを見過ごすことはできんよ」
テスラの遠回しな言い方にもかかわらず、アナスタシアは即座に言葉を返した。
「分かりました。あの少年は、その秘密を解く鍵というわけですね?」
「さすがはアナスタシア、物わかりがよろしい」
「しかし、それは博士たちの願望に過ぎません。私はもっとスリリングな戦いをしてみたいのです。魔法少女とやらに、興味はありません」
まずい。どうやらテスラの予想が当たっていたようだ。アナスタシアは明らかに、戦闘行為それ自体に興味を示し始めている。カオルは鳥肌が立つのを感じた。
ここはテスラの知恵に頼るしかない。カオルは、敵方の成功を祈るという、奇妙な立場に置かれ始めていた。
「だがアナスタシア、あのステッキの秘密が解明されれば、おまえの能力をもっと向上させることができるかもしれん。きみは、より優秀な戦闘マシーンに生まれ変われる。お互いの利害関係が一致しているというわけだよ」
うまい切り返しだ。カオルはそう思ったが、アナスタシアは否定的だった。
「それは誤解です」
「……なにが誤解なのだね?」
「私の兵装は、すでに一般の兵器を凌駕しています。これ以上のスペックアップは、戦いをつまらなくさせるだけだと、私の計算では出ているのです。相手を瞬殺することに関心はありません。あくまでも、戦いはスリリングに……面白くなければならないのです」
カオルはロッカーの中で絶句した。まるで理由になっていない──そう思ったカオルだが、すぐに考えを改めた。彼女は、勝敗の【結果】に興味がないのだ。彼女が追及しているのは【過程】であり、いかに勝負を楽しむかということに他ならない。
テスラもそれに気付いたのか、ぼやくように言葉を返した。
「やれやれ……こういう形でプロジェクトが終わるとはな……」
「失望しましたか?」
「……いや、より多くの人間を殺したいとか、そういう趣味でなかっただけマシだよ。そうなると、ワシとイワンくんの死体もこの場に転がることになりかねんからな。最初に言った通り、きみが自分の意志を持った以上、このプロジェクトは成功だ」
「ならば話し合いは終わりです。少年、ロッカーから出て来てください」
なんてこった。それがカオルの正直な感想だった。
これなら部屋の中でおとなしくしていたほうが、マシだったかもしれない。カオルはそんなことを思いながら、ロッカーを出た。両手を挙げておくことは忘れない。
「さて、少年、あなたの名前は?」
「青海カオル……女でも同じ名前だ」
カオルは淡々と自己紹介した。アナスタシアは質問を続ける。
「あなたは双性者ですね?」
「見りゃ分かるだろ」
カオルは少し反抗的な態度を取ってしまった。言い直そうかとも思ったが、アナスタシアは怒りもせずに黙っている。カオルは相手の出方をうかがうことにした。
「そのスーツはなんですか? 仮装道具?」
そんなわけないだろうと、カオルは内心苦笑した。
無論、自分がおかしな格好をしていることは否定しない。科学者のうち、イワンの方も先ほどから奇異な目でこちらを見つめていた。違っているのはテスラだけだ。妙に厳しい視線を送ってくる。まるで、このスーツに見覚えがあるかのような──
カオルがチラ見していると、ふいに老人と目が合った。
「それは、双性者用の強化スーツじゃないかね?」
唐突な質問。カオルは思わず目を逸らす。
なぜこの老人がスーツのことを知っているのか、カオルには見当がつかなかった。テスラのようなベテランから見れば、技術品の性能など一発で分かるというのだろうか。カオルは曖昧にくちびるを動かす。
「いや……これはちょっと……」
ちょっとなんだ。カオルは自分で自分に突っ込みを入れた。
ファッションということにしようか。いや、かえって怪しまれる。こういうときに限って言い訳が思いつかない。ゲンキを騙す方法ならいくらでも思いつくのだが、緊張して思考がぐちゃぐちゃになっていた。
「博士、ご存知なのですか?」
イワンが口を挟んだ。
「……昔、友人たちと開発しておったものにそっくりだ」
友人? カオルの脳裏に、御湯ノ水博士の顔が浮かんだ。だがすぐにそれを打ち払う。博士は七丈島の科学者だ。国の機密プロジェクトに関わっていたとは言え、テスラのようなマッドサイエンティストとは関係ない。カオルはそう決めつけた。
「その強化用スーツというのは、強いのですか?」
アナスタシアが口を挟む。これまたよく分からない質問だ。
カオルは返事に窮した。すると、テスラが代わりに答えた。
「双性者の能力を引き出すために作られたものだ。本来、双性者の身体能力は、常人のそれを遥かに凌いでいる。しかし、脳のリミッターが邪魔をしていて、普段はそれを行使することができない」
「そのリミッターを外すのが、このスーツだと?」
イワンの確認に、テスラは首を振った。
「その程度の研究なら、とっくに完成しておるよ。問題は、リミッターを下手に外すと、精神が崩壊してしまうということだ。身体能力と引き換えにバーサーカー兵士を作っても、なんの解決にもならん……まあ、それでいいというお偉い方も結構おったがな」
(おいおい、そんなにヤバい代物だったのか、これ)
カオルはあらためて戦慄した。このスーツに異常があれば、自分は今すぐにでも発狂してしまうかもしれないのだ。この場で変身を解いてしまいたい衝動に駆られる。
だが、それはできなかった。問題児がひとりいるからだ。
「博士、私の質問に答えてください。この少年は強いのですか?」
なにを言っているのだろう。カオルはひたすら疑問に思う。
トドメを刺す前に、抵抗されないかどうか確かめているのかもしれない。そう予測したカオルは、出口の方へと視線を走らせた。外が若干騒がしい。自分を捜しているのだろう。床に転がっている警備兵は、まだ目を覚ましそうになかった。
カオルが脱出経路について考えあぐねる中、テスラが言葉を継いだ。
「完成品ならば、相当な能力だよ……完成しているなら、ね」
「私の基礎戦闘能力と比較してください」
テスラは「ふむ」とつぶやき、その場を2、3歩歩き回った。
「フルパワーなら、今のきみと同じくらいかな」
「……それは面白い相手です」
アナスタシアは関節を重々しく鳴らし、一歩前に出た。
「青海カオルさん、私と勝負しましょう」
「勝負……?」
眉をひそめるカオルの横で、イワンも驚きの声を上げる。
「な、なにを言ってるんだッ!? きみはまだ修理が済んでないんだぞッ!」
「修理が必要なのは、右手のランチャーだけです。頭髪は戦闘と関係ありません……青海カオルさん、あなたは飛び道具を持っていませんね?」
どうやら、所持品をスキャンされたらしい。
持っていると嘘を吐くわけにもいかなかった。
カオルはおとなしくうなずいた。
「では腕力で勝負しましょう」
「え?」
カオルは目を見開き、思わずイワンとテスラを交互に見比べた。ふたりとも、この事態を十分に理解できていないらしい。特にイワンのほうは、あからさまに動揺していた。
これでは助かるものも助からない。カオルは自力で逃げ道をさがした。
「ま、待て、話が見えてこないぞ……どうして俺と闘いたがる?」
「あなたのような対戦相手は、滅多に見つかるものではありません」
「ほ、ほかに理由は?」
「ほかの理由? ……そんなものはありません」
その瞬間、カオルはアナスタシアの身に起こった変化を察した。このロボット、プログラムがおかしな方向に進化して、ただの脳筋になってしまったらしい。自分と闘いたがっているのも、双性者が珍しいという、ただそれだけの理由からだろう。
こうなっては説得が効かない。闘うことを面白がっているのだから、理性的な対話は不可能だ。カオルは無意識のうちに一歩後退していた。
それに合わせるかのように、アナスタシアは前に出た。片手を上げ、拳を握りしめた。
「さあ、バトルといきましょう」




