第48話 片想い、上海へ
正座した少年と少女が、狭い空間の中で顔を突き合わせていた。
お見合いではない。もっと深刻ななにかだった。ただそれがなにであるのかは、ギャラリーも含めたその場の誰にも分からなかった。当の清美ですら、この対談の意義を見極めかねていた。
さらに1分ほど沈黙が続いたところで、十三不塔が口をひらいた。
「とりあえず、日本へ戻るかどうかを決めて欲しいんだけど……」
沈黙。清美も蘆屋も返事をしなかった。
十三不塔は同僚の一向聴へと顔を向け、肩をすくめて見せた。
飛行機のエンジン音だけが、壁を伝わって延々と聞こえてきた。清美は、自分のうしろにともえが控えてくれていることを心強く思った。彼女がいなければ、このプレッシャーに押しつぶされていたかもしれない。
ふと清美は、七王子の喫茶店でアイスを食べたときのことを思い出していた。あのときは本当に幸せだったと、心の底からそう思った。どこで歯車が狂ってしまったのか。彼女には見えてこなかった。
それとも、歯車通りだからこそ、こうして目の前の少年と出会えたのだろうか。ひとりは蘆屋家の長者として、もうひとりは安倍清明として──
清美が取り止めの無い思いに沈んでいると、ついに蘆屋が口をひらいた。
「安倍清明殿……そう呼んでよろしいでしょうか?」
「……緑川清美って呼んでください。その名前は慣れてないから……」
初めて出会った仲ではないのに。清美は戸惑うばかりだった。
蘆屋は、感情を露にしない例の氷のような面持ちで、先を続けた。
「緑川殿、あなたは、安倍清明の血筋の者ですね?」
安倍清明。何度聞いても覚えの無い名前だ。
清美は視線を落としたまま答えた。
「……分かりません」
周囲の気がにわかに変わった。声こそ立てないが、自分に視線が向けられていることだけは分かる。背後に感じるのは、ともえのそれだろう。長年の付き合いから、清美は無意識のうちにそう判断した。
清美は、衆目に耐えかねて体を動かした。蘆屋が言葉をはさんだ。
「分からないとは、どういう了見ですか? あなたのご両親は……」
「前も言ったように、ボクは孤児だから……」
清美の返事に、蘆屋は記憶を呼び起こされたようだ。はたと口をつぐんだ。
ふたたびエンジンの音だけが聞こえてくる。周囲が貨物室なせいか、騒音は客室のそれよりも激しかった。
気まずい空気の中、今度は背の高い欧米人風の男が、話を切り出した。
犬歯が異様に長く、目つきもどこか冷たいものがあった。
「おそらくミドリカワ殿は、日本政府がなんらかの技術で作り出した存在と思われます」
男の無機質な言い回しに、清美は眉をひそめた。
「作り出した……? ボクは商品じゃないよ。そんな話、聞いたことが……」
「ここまでの話を総合的に分析すると、そう考えざるをえません。ミドリカワ殿は、日本政府がアシヤ様と対決させるため、あらかじめ用意していた秘密兵器。双性者として誕生させたのは、目くらましの……」
「ボクは兵器じゃないって言ってるでしょ!」
パチンと電球がはじけ、あたりが暗くなった。
一瞬何が起こったのか、清美には分からなかった。
割れたガラス片に気をつけながら、清美が押し黙っていると、ふいに火がともった。
比喩ではない。空中に、青白い炎が沸き起こったのだ。
「こ、これはなに?」
蘆屋は、
「簡単な術のひとつです……緑川殿も、おできになるはずですが」
と言った。清美はかぶりをふった。
そんなことは、習ったこともなければ試そうと思ったこともない。
自分が陰陽師であるという事実を、彼女は未だに受け入れられなかった。
「緑川殿は、本当に陰陽師であるという記憶をお持ちでないのですか?」
疑っているのか、それとも単に確認しているだけなのか、蘆屋はそうたずねた。
「ありません」
清美は断固とした口調で答した。
「ボクはただの高校生だよ」
そう言い切ってみたものの、少女自身にも空しく響いた。
ただの高校生が、七王子市民公園で陰陽師と血みどろの戦いを繰り広げたなど、ありえないではないか。その証拠としてもうひとつ、清美には気にかかる存在があった。
狐尾の女だ。
名前は確か……いづなだ。清美は夢の中での出来事を思い出した。
「彼女は大丈夫なの?」
「いづな殿なら平気です」
蘆屋は平然とそう答える。
「でも血塗れだよ? 何で手当てしないの?」
「式神は、あの程度の傷では死にません」
蘆屋は淡々とそう答え、話題を元に戻す。
「ところで緑川殿は、なぜ七王子で私に……」
依然としていづなのことが気掛かりな清美は、視線を彼女の背に固定していた。生々しい傷跡が残ってはいるものの、血は乾き切っている。相当な生命力を持っているようだ。
「……緑川殿、私の話をお訊きですか?」
名前を呼ばれ、清美は我に返った。
「ご、ごめんなさい」
「……もう一度おたずねします。なぜ緑川殿は、七王子で私に近付いて来たのです?」
なんのことだろう。清美は一瞬、少年の質問を把握できなかった。
しかし、自分の一連の行動を思い出して、清美はサッと視線を逸らした。
指先で床に円を描きながら、なんとも言えない返事をした。
「それは……たまたま、かな……」
「たまたま……? ただの偶然だとおっしゃるのですか?」
清美は答えない。答えられるわけがなかった。
なぜあのとき自分がこの少年に近付いたのか、その理由など。
清美は全身が熱くなるのを感じながら、自分に問い掛けた。あのとき感じた想いは、今でも胸のうちに残っているのか、と。
清美が黙っていると、蘆屋はもう一度、同じ問いを繰り返そうとした。
「本当に偶然だと……」
「ハイハイ、雑談はそれくらいにするアル」
突然会話を打ち切らせたのは、なんと一向聴だった。
これには清美を含め、その場にいる誰もが驚きを隠せなかった。
十三不塔は、
「一向聴お姉ちゃん、勝手に話に割り込んじゃダメだよ」
とあきれていた。
「こういう話は、あとで落ち着いてからするアル。それにあの狐もそろそろ看病してやらないといけないネ。あいつも女の子だから、男は全員出て行くアル」
一向聴はそう言うと、十三不塔を始めとする男性陣を別室に追いやり始めた。
別室と言っても、ここは飛行機の偽装コンテナの中だ。一旦外に出て、別のコンテナに移るだけである。それでも一同は、皆一様に渋い顔を見せていた。
マーシャルは、
「イーシャンテン殿、今は大事な話の途中です。狐の治療は後回しに……」
と、この指示に抵抗していた。
「駄目アル。これは医者としての義務ネ」
医者の義務。そう言い切って、一向聴は男たちをコンテナから追い出した。
扉を内側から閉め、ふぅとタメ息をついた。
清美とともえ、それにふたりがかつて戦った女。微妙な状況に、清美は不安をいだいた。よくよく考えてみればこの一向聴、七丈島で騙し討ちした相手なのだ。恨まれていても、おかしくはなかった。
ともえもそれを思い出し、
「清美、用心を……」
と、耳元でささやいた。清美も首を縦にふった。
ところが一向聴は、そんな少女たちの不安をよそに、いづなへと歩み寄った。彼女の傷口を見ながら、ぼそりとこうつぶやいた。
「ほんとにもう治ってるアル……凄い生命力ネ……」
まるで予期していたかのような口調。
やはり治療とは別の意図があるのではないか。清美は警戒心を強めた。
案の定、一向聴はいづなを放置して、こちらに近付いて来た。変身を解いていたともえは、ステッキに手を伸ばした。その瞬間、一向聴はひじで清美の横腹を小突いた。
「さっきはヤバかったネ。気を利かせたんだから、感謝して欲しいアル」
そう言って一向聴は、ニヤニヤと意味ありげな笑みを浮かべた。
清美は彼女がなにを言ってるのか、さっぱり分からなかった。
「な、なに言って……」
「別に誤摩化さなくてもいいヨ。蘆屋のことが好きアルネ?」
「!?」
清美は、自分の顔が真っ赤になるのを感じた。
不明瞭な言葉を発し、ごにゃごにゃとそれを否定しようとした。
しかし、一向聴はそれを許さなかった。
「そんなに慌てなくてもいいアル。ここは女の子同士、正直に言うネ」
女の子同士。どうして一向聴が他のメンバーを追い出したのか、清美はその理由をようやく察した。まさか自分のために動いてくれたとは、清美も内心反省した。
とはいえ、自分の恋心がバレてしまったことに、清美は動揺を隠せなかった。七丈島で女友達と浮かれた話をしたことは多々あれど、それが自分の身に起こったのは、今回は初めてなのだ。ともえにバレているのは、また別の話である。
清美がどぎまぎしていると、一向聴が勝手に先を続けた。
「で、どこまでいってるアルか?」
「ど、どこまでって……出会ったばかりだし……それに……」
それに。その先を、清美は口にしなかった。
恥ずかしいからではない。今後の自分に与える影響が、あまりにも大き過ぎたからだ。
彼女は安倍清明の子孫。初恋の人のライバル。七王子市民公園でお互いを傷付け合った仲だ。もはや関係修復の余地はない。清美は漫然とそう信じていた。
涙があふれそうになるのを我慢して、彼女は沈黙を続けた。
すると一向聴は、相手の気持ちを察したかのように、態度を急変させた。
「だ、大丈夫アル。まだチャンスはいくらでもあるネ」
一向聴の慰めを、清美はいぶかしく思った。
「先輩は、ボクのことなんかどうでもいいんだよ……」
「先輩? ……蘆屋のことアルか?」
清美は黙ってうなずきかえした。
「なんで先輩アルか? 同じ学校だったわけじゃないネ?」
「違うけど……名前を教えてくれなかったから……成り行きで……」
名前を教えてもらえなかったし、連絡先も知らなかった。
今となっては、蘆屋道遥が本名だと分かっている。だがそれは教えてもらったのではなく、偶然聞き知っただけのことだ。
これはもう脈なしに違いないと、清美はとても悲しい気持ちになった。
「大丈夫ヨ。蘆屋はあの年で長者になったから、そういうところに鈍感なだけネ」
「鈍感って言うか、興味なしって感じなんだけど……」
「そんなに悲観的に考えちゃ駄目ネ。いいアルか。蘆屋家の長者のお嫁さんは、霊力の高い日本人と相場が決まってるネ。清美ちゃんは安倍清明の子孫なんだから、条件は120%クリアしてるアル。むしろライバルがいないくらいヨ」
一向聴の暴露話に、清美の心は少しばかり軽くなった。
顔から影が消え、自分でも知らぬ期待に満ちたまなざしを送った。
「そ、それ本当?」
「本当ヨ……こう見えても、あたしはもう87ね。今年が米寿アル」
87! 清美はその数字に驚愕した。
なにか特別な修養法でもあるのだろうか。少女としては、俄然興味が湧いてきた。
うしろで黙っていたともえも、違う意味で反応を示した。
「ふむ、通りで年頃の娘らしからぬわけだ」
「……おまえに言われたくないアル。ところで、清美ちゃんは日本へ帰るアルか?」
いつの間にかちゃん付けされている清美。だがそんなことなど気にはしなかった。
いや、気にする余裕がなかった。
難しい問題を当てられた生徒のように、清美は視線をコンテナの隅へと向けた。
「そうするつもりだけど……」
「アヤ? ……やっぱり、友だちのことが気になるアルか?」
友だち。少しばかり違う。ほがらたちは特別なのだ。
うまく説明できない清美は、適当にあいづちを打った。
「それは困るネ。こちらの作戦としては、蘆屋と清美ちゃんのセットで、戦力の計算をしてるアル。いきなり離脱はできないヨ」
「それはボクが寝てたとき、きみたちが勝手に決めたことでしょ?」
「そ、そうアルけど……日本へ帰っても、することないネ。復讐でもするアルか?」
復讐──そんなことはしない。清美は心の中で首を振った。
隠密課と絶交するのは当然だが、積極的に仕返しをするつもりは毛頭なかった。
日本へ帰りたい理由は、別にあった。
「とにかく、ほがらちゃんたちのことが気になるから……」
それ以上は、説明の必要がない。清美はそう確信した。
ところがそこへ、意外な人物が口を挟んだ。
ともえだった。
「すまぬ、その件についてだが……」
清美は、怪訝そうなまなざしを彼女に向けた。
「……どうしたの? トモエちゃんも日本へ帰るんでしょ?」
「帰りたいのはやまやまだが……拙者と清美だけでは、なにもできぬ。ここは蘆屋殿と歩調を合わせてはどうだろうか?」
ともえの提案に、清美は眉をひそめた。
「ほがらちゃんたちはどうするの? 忍ちゃんに騙されちゃうかも……」
「ほがらたちには、ニッキー殿がついているはず。隠密課が不穏な動きを見せれば、離脱させてくれるであろう。出国にもこれだけ苦労したのだ。拙者たちだけで簡単に再入国できるとも思えぬ。清美の口から真相を聞かされたときは、さすがにショックだったが……今は浮き足立たず、様子を見るのが肝要だと心得る」
なるほど、一理ある。清美はふたたび考え込んだ。
ふたりが黙っていると、一向聴がひとつアイデアを出した。
「オルレアンの魔女が言った通り、蘆屋が帰りたがったら、あたしたちはもう止められないネ。そのとき決めればいいアル」
その通りだ。清美は首を縦に振った。
コンテナの壁に目をやり、消えてしまった少年の面影を追った。
もし叶うなら、これからは彼と一緒に──
片想いの少女を乗せて、飛行機は上海へと向かった。
【第3章 東京浸蝕編 完】
クレムリンに拉致された青山と、救出に向かう赤羽、黄山を追う
→【第4章 シベリア上空編】へ
上海へ脱出した緑川、黒金を追う
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