第45話 飛び立った飛行機
女が燃え上がった瞬間、倉庫の入口にひとつの影が姿を現した。
ともえだった。ともえは目のまえの光景に驚愕した。
セバスチャンにつきそわれていた。
「ジャンヌ殿!」
ともえは消化器を探しまわった。その横で、誰もジャンヌを助けようとはしなかった。あのセバスチャンですら、落ち着き払って入口の近くに控えているだけだった。
「な、なにをしているのだ!? 早く助け……」
ようやく見つけた消化器を引っ張り出したところで、ともえはあることに気がついた。炎はとうに消え、ジャンヌはケロリとした顔で同じ場所に立っていた。火傷どころか、衣服が焦げた形跡すらなかった。
見間違いだったのだろうか。ともえは言葉を失った。
「あら、ともえちゃん。助けに来てくれたの?」
ジャンヌは嬉しそうに言うと、ともえにおいでおいでと手招きした。
ともえは催眠術にでも掛かったように、その誘導に乗ってしまった。
彼女がふらふらと近付くと、周囲の輪の中から、背の低い少女が声を荒げた。
「こ、こいつ双性者ヨ! 七丈島で見たネ!」
一向聴。ともえは彼女の名前を覚えていた。
七丈島での戦闘がフラッシュバックし、ともえは瞬時に身構える。
一向聴たちも攻撃態勢に移ったところで、ジャンヌが一喝した。
「こら、ともえちゃんはわたしの友だちだから、手を出しちゃダメよ」
友だち。いつそんな関係になったのか、ともえには分からなかった。
一向聴たちも混乱したように、ジャンヌを見やった。
マーシャルは醒めた表情で、
「ジャンヌ様、いつから双性者のご友人をお持ちで?」
とたずねた。
ジャンヌはピンとひとさしゆびを立てて、こう答えた。
「さっきよ」
静まり返る倉庫。笑う者すらいなかった。
「……左様ですか。そろそろ最終案内の時間です。我々はここで……」
マーシャルは皆まで言わず、牛鬼に歩み寄った。
牛鬼は観念したように、蘆屋と清美を引き渡した。
「マーシャル殿、俺たちとしては大変不本意だが……幹部の裁定には従う」
「ありがとうございます。アシヤ様たちの身辺については、このマーシャルが責任を持って対処する所存。どうぞご安心ください」
牛鬼が肩から降ろした少年少女に、ともえはハッとなった。
蘆屋一族の長者と清美だ。意外な組み合わせに、ともえは思わず走り出した。
「清美!」
親友の身を案じたともえの前に、ジャンヌが立ちはだかった。
「彼女は今から上海へ行くの。邪魔しちゃダメよ」
「上海? なぜ上海へなど? 彼女は拙者の親友。日本から連れ出されては……」
「ダメなものはダメ。もちろん助け出す自由はあるわよ。もしも……」
ジャンヌの顔に、邪悪な影がさした。ともえはそれだけで身を引いてしまった。
「あたしと一戦交える気があるなら、ね。友だちでも、えこひいきはできないわ」
一戦交える。この女と──勝てるわけがない。ともえは瞬時にそう判断した。
なぜジャンヌが炎に巻き込まれても無事だったのか、それはともえにも分からなかった。なにかカラクリがあるに決まっている。恐ろしいカラクリが。
とはいえ、このまま友人を見捨てていいものだろうか。そんなはずはない。
ともえは無意識のうちに、ステッキを握り締めていた。
これを見咎めた牛鬼は、
「やめろッ!」
と一喝した。
「オルレアンの魔女には勝てん。この場にいる全員で掛かっても無理だ……命が惜しかったら、言うことを聞け。それに……」
牛鬼はそこで、清美に視線を移した。
「この清美という女、隠密課に騙されたのだ。蘆屋様と相打ちさせられた」
隠密課の裏切り。ジャンヌもそう言っていた。ともえは二重のショックを受けた。
ともえの脳裏に、忍の顔が浮かぶ。七丈島で共に過ごしたときの顔と、隠密課であることを暴露した後の顔。どちらが本当の忍なのか、ともえには分からなくなった。
ジャンヌはパンと手を打ち、この場の全員を正気に返らせた。
「じゃ、それで決まりね。解散解散。わたしも飛行機待たせちゃってるし」
ただひとりいづなだけが、地面に突っ伏して血を流していた。
セバスチャンは、
「お嬢様、この狐はいかがいたしましょうか?」
と、そっけなくたずねた。
返答次第では、ゴミ箱にでも捨ててしまいそうな調子だった。
「そうねえ……ペットを飼う趣味はないし……」
ふたたび牛鬼が口をひらいた。
「オルレアンの魔女よ」
ジャンヌは言葉を切って、ふりかえった。
「なに?」
「ひとつ提案がある……その狐、上海へ連れて行ってもらえないだろうか?」
牛鬼の唐突な頼みに、各人が各様の反応を見せた。
ジャンヌは面白そうだと耳を傾け、マーシャルは無表情なまま蘆屋たちを抱えていた。
一方、一向聴は、あからさまに嫌そうな顔をした。
「そいつは敵ヨ! それに頭が悪くて、役立ちそうにないネ!」
十三不塔は両手を後頭部にまわして、
「いやー、人のこと言えないと思うけどなあ……」
と突っ込みを入れた。一向聴は、顔を真っ赤にして抗議した。
「お、おまえは黙ってるアル! とにかくそいつはここに置いて行くアル!」
鼻息を荒げる一向聴。
だが牛鬼は彼女を相手にせず、今度はマーシャルに話を持ちかけた。
「マーシャル殿、いづなは主人思いの式神だ。清美が……安倍清明がいなくなったことを知れば、必ず上海まで追いに行くはず。そうなれば二度手間だ。おつむの巡りは良くないかもしれんが、霊力は相当なもの。ここで切り捨てるのはもったいないぞ」
「ふむ……」
マーシャルはじっと虚空を見つめ、それから言葉を返した。
「分かりました。連れて行きましょう」
マーシャルの決断に、一向聴が口をはさんだ。
「勝手に決めないで欲しいネ! あたしたちだって四風仙の……」
「イーシャンテン殿、本当にもう時間がありません。すでにロスタイムです。議論は後回しにして、とにかく飛行機に乗り込みます」
丁寧な言葉遣いだが、マーシャルは屹然と相手の主張をさえぎった。
議論の余地なし。そんな雰囲気が漂い始めたところで、ともえが割り込んだ。
「せ、拙者も連れて行ってくだされ!」
突然口をひらいた双性者に、全員が視線を集めた。
マーシャルは、
「どういうつもりですか?」
とたずねた。
「拙者はまだ、ジャンヌ殿の話を信じたわけではない。かくなる上は、清美の口から直接話を聞きたい。そのためにも、拙者を連れて行ってくださらぬか?」
「……もしキヨミさんの口から、逆の真相を聞かされた場合は?」
「そのときは……」
ともえは腹に力を込める。死を覚悟して、最後の一言を言い放った。
「そのときは、清美のために貴殿らと戦う!」
沈黙。ともえは息を呑んで、相手の返事を待った。
殺されるかもしれない。それは百も承知だ。しかしここで嘘をつく気もなかった。それがせめてもの礼儀だと、ともえは自分を納得させた。
緊迫した空気の中、マーシャルはゆっくりとくちびるを動かした。
「……分かりました」
マーシャルはジャンヌへ向きなおった。
「仲裁、ありがとうございました」
「いいのよ、たまにはこういうのも暇つぶしになるわ」
「ジャンヌ様に、ひとつだけお伝えしなければならないことがあります。夢の国の使者が地球へやって来ました。そのことを、頭の片隅に置いてください」
マーシャルの伝言に、ジャンヌの顔色が変わった。
今までともえには見せたことのない、真面目な顔付きになった。
「あなた、会ったの?」
「アシヤの屋敷でそれらしき者に……ローマへは、エミリア様を通じて通報済みです」
夢の国の使者。ニッキーのことだ。ともえは密かに察した。
それにしても、この深刻さはなんだろうか。ともえは自分がニッキーと繋がりがあることを、言い出せなかった。それこそなにをされるか分からないからだ。
「……分かったわ。あなたたちも気を付けてちょうだい」
ジャンヌはうんと背伸びをして、倉庫の出口に向かった。
セバスチャンも無言でそれに続いた。
ともえと再度すれ違ったところで、ジャンヌはくるりとふりかえった。親指を立てて、パチリとウィンクを決めた。
「さっきのあなた、カッコよかったわよ。それじゃ、パリで会える日を楽しみにしてるから。Au revoir」
言葉を返せないともえ。一同に背を向け、ジャンヌはその場を去った。
ともえがそれを見送っていると、十三不塔の声が聞こえてきた。
「それじゃ、みんなそこのコンテナへ乗ってね。機内食として乗り込むから」
○
。
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「おいニッキー! まだ見つからないのか!?」
並走するゲンキとニッキー。
空港の廊下を全力疾走する姿は、最終案内を掛けられた乗客そのものだ。
しかしふたりは、自分たちの目的地を知らない。ニッキーはさきほどから渋い顔をして、なにかを探るように辺りを見回している。
「そろそろターミナルの端に着いちまうぞッ! ほんとにここなのかッ!」
「さっきからエネルギーを追っているのだが……ん?」
急ブレーキを掛けるニッキー。数メートル行き過ぎたゲンキは、大慌てでもどった。
「ここかッ!」
ゲンキは気勢を吐いて、周囲を見渡した。
誰もいない待ち合い席。カウンターには、女性の案内員がひとりいるだけだ。
「誰もいないじゃねーか!」
いきり立つゲンキを無視して、ニッキーはカウンターへ歩み寄った。彼の気配に気付いた女性案内員は、事務的な笑顔を作って先に挨拶をした。
「いかがないさいましたか?」
イントネーションから、ゲンキは彼女が日本人ではないことに気付いた。どうやら中国人か韓国人のようであった。
ニッキーはカウンターに寄り添い、冷静に質問を投げ掛けた。
「さっき、このゲートから飛行機が出ませんでしたか?」
「はい。12時43分発、上海行きの便が出ました」
女の答えに、ニッキーはしまったという顔をした。
女は怪訝そうにニッキーを見つめながら、返事をした。
「もしかして、お乗り過ごしでしょうか?」
「……いや、ちょっと知人を見送りに来たんだが……大したことじゃない」
ニッキーは礼を言うと、ゲンキのところへもどった。
ゲンキは拳を握ってニッキーに詰め寄る。
「上海行きじゃ関係ねえ。他を探すぜ」
「……無理だ」
ニッキーの返事に、ゲンキは目付きを鋭くした。
「無理ってどういうことだ?」
「エネルギーが感じられなくなってしまった。ステッキを体から離したか、それとも飛行機で圏外に出てしまったのか……とにかく、これ以上は追跡不能だ」
追跡不能。その言葉に、ゲンキは激しく反応した。
「どうすんだよ! 敵に攫われたのかもしれないんだろ!?」
「シッ、静かに」
ニッキーは荒ぶるゲンキを制した。
ゲンキは、ひるんだように拳を下ろす。さきほどの事務員が、こちらを見ていた。ゲンキは声を落とし、ニッキーにもう一度同じ質問をぶつけた。
「どうするんだ? ヘリにもどるのか?」
ニッキーはなにも答えなかった。
ゲンキは親友のことが心配で、ほんの数秒すら待つことができなかった。
「とにかくヘリにもどろうぜ。ここじゃすることがなにも……」
「ゲンキくん、少しだけいいかな?」
ニッキーはゲンキの返事を待たず、待合室の隅っこへと移動した。
ゲンキは訝しく思いながらも、後を追った。壁一面に張られた窓ガラスの向こうに、ANAのシンボルを付けた飛行機が見えた。滑走路の順番を待っているのだろう。ゲンキはそんなことをふと思いながら、ニッキーに先をうながした。
「どうしたんだ? なにかいいアイデアが浮かんだのか?」
「忍くんの……いや、隠密課のことなんだがね……」
「隠密課? もったいぶらずに言ってくれ。早くカオルたちを助けに……」
「少し怪しいと思わないかい?」
怪しい──なにがだ。ゲンキは一瞬、主語を把握することができなかった。
前後の文脈を考え、ようやくそれが隠密課であるという結論に至った。
「隠密課のなにが怪しいんだ? ……まあ、もとから怪しい組織だけどな」
「きみはともえくんや清美くんが、どこにいたか知ってるかね?」
「どこにって……いつの話だ?」
「蘆屋一族と戦っているときに、だよ」
ゲンキは視線を床に落とし、記憶をたぐった。
清美たちと最後に会ったのは、七丈島を脱出して厚木基地に降りたときだ。それ以降、ただの一度も顔を会わせていない。ただ、蘆屋の屋敷を包囲したときは、別の場所にいると忍に言われたような──
そのとき、ゲンキの脳裏に電流が走った。
「ニッキー……まさかおまえ……」
「うむ、実はね、僕も清美くんとともえくんには、一度も会っていないんだよ。マンションで別れたきり、一度もね。忍くんと一緒に行動していると聞いたが……どうだか……」
ゲンキは、屋敷で出会った狐女のことを思い出した。あの女も、清美が隠密課に裏切られたと言っていた。あのときは全く信じる気にならなかったが、今となってみると、ともえたちは確かに姿を現していなかった。
いや、狐だけではない。牛の化け物も、アルアル女もそう言っていた。現に清美は、彼らの部屋にいたではないか。連れ去られたのだと自分を納得させていたが、果たしてそうなのだろうか。少年の中で、深い疑念が沸き起こった。
だが同時に、忍を信じたい気持ちも、彼の中で頭をもたげ始めた。
「だ、だけど忍ちゃんが嘘をついてるとは……」
「親友だから、かね。しかし忍くんは、政府機関に属するくの一だ。君たちと学園生活を共にしていたのは、政府の密命で君たちを監督するためではないのかね?」
「それとこれとは話が別だろう? 忍ちゃんが嘘をつく理由には……」
「彼女たちと連絡を取れないのは事実だ。隠密課に都合が悪い情報を、忍くんが隠しているとは考えられないかね? お互いに連絡禁止というのも怪しい」
確かに。けれどもそれはただの偶然かもしれない。別行動をしているのだし、通信傍受を避けるための無線封鎖は理に適っていた。ニッキーに言われるまで、ゲンキはそれについて疑問を差し挟んだことはなかった。
迂闊だったのだろうか。ゲンキは混乱してきた。
「分からねえ……分からねえが……」
「分からないが、なんだい?」
ニッキーはじっと、ゲンキの顔をのぞきこんだ。
ゲンキはしばらく逡巡し、それから自分に言い聞かせるように、こうつぶやいた。
「俺は忍ちゃんを信じたい……こっちから裏切ることはできない」
少年の絞り出すような声とは対照的に、ニッキーは明るく先を続けた。
「おっと、勘違いしないでくれよ。別に裏切りを勧めてるわけじゃない。ただ、少しばかり用心した方がいいと思っただけさ……とにかく、こちらはこれから単独行動なんだ。ここはひとつ、ジャンくんの様子でも見に行かないかね?」
ジャン。その名前に、ゲンキは眉をひそめた。
忘れていたわけではない。だがジャンは、七王子市の病院で治療を受けており、行方不明になっていないのだ。
ゲンキはすぐさま異を唱えた。
「そんな悠長なことしてる場合じゃないだろ。他の3人を捜さないと」
「落ち着きたまえ。清美くんは京都、カオルくんはクレムリン、ともえくんは、隠密課の話が本当なら、やはり京都にいるはずだ。居場所は分かっている。それよりも、蘆屋一族が散り散りになったのだ。もしかすると、病院を急襲するかもしれん」
ニッキーの指摘に、ゲンキは青ざめた。
意見をすぐに変え、七王子市へ向かうことを決意した。
「こうしてる場合じゃねえ! 早くヘリにもどろうぜ!」
「おっと待ってくれ。あの病院には、ヘリが降りられるスペースは無かった。それに隠密課から拒否されるかもしれん。ここはひとつ、成田エクスプレスに乗ろう」
善は急げ。ゲンキはニッキーが言い終わるのを待たず、成田空港駅へと急いだ。
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プロペラの風に吹かれて、忍は成田空港に降り立った。
脇目も振らず、先着してエンジンを切った別のヘリに駆け寄った。
彼女が運転席の窓を叩くと、驚いたように操縦士がドアを開けた。
「忍様、京都へ向かわれたのでは?」
「赤羽ゲンキとニッキー殿はどちらへ?」
忍は相手の質問に答えず、いきなりふたりの居場所をたずねた。
操縦士は、戸惑いもなく答えた。
「おふたりでしたら、第一ターミナルへ行かれました」
「だれか付き添いは?」
操縦士は首を左右に振った。
九段下から突然姿を消したかと思えば、行き先は成田空港。嫌な予感がする。
忍はなるべく動揺を悟られないよう、質問を続けた。
「ふたりが第一ターミナルへ行ってから、どのくらい経ちます?」
「えー、確か……」
操縦士は腕時計に目をやる。
「……もう30分以上になりますね」
それを聞いた瞬間、忍は第一ターミナルへと駆け出した。




